崩れゆく願い
「な……なんだと……ッ!?」
《魔人》を覆っていた黒い粒子が全てイクスギアに吸い込まれた。
そこまではいい。
黒い粒子をギアが吸い込む光景を一度目にしているのだ。
同じことが起こる予想は出来ていた。
だが――
「に、人間……なのか?」
一騎は目の前の光景に唖然としていた。
黒い粒子に覆われていた《魔人》の姿はどこにもなく、一人の女性が代わりに倒れていたのだ。
(この人が、《魔人》の正体、なのか?)
歳は一騎とそう変わらない。恐らく十代だろう。
きめ細かい白い肌にも、華奢な体を覆うファンタジーめいた服にも一つの傷もない。
一騎が穿ったはずの胸の穴も綺麗に塞がり、まるで最初から怪我などなかったかのように安らかな表情を浮かべ、小さな寝息をたてていた。
ただ……一言で『人間』と言い切るには些か無理があった。
着ている服はもちろんの事。何よりも気になるのは彼女の容姿だ。
黄金を連想させる黄金色の髪。そして異様に尖った耳。緑を基調とした装束は一騎にある存在を連想させた。
エルフだ。
(まさか……でも、どう見ても、エルフ……だよなぁ)
あの黒い異形の正体が人間……いやエルフ?
そんな筈はない。
エルフなんてこの世界には存在しない。架空の存在だ。
けれど、歪みのない完璧に整った容姿は現実味からかけ離れすぎている。
いかにもファンタジー世界に登場しそうな少女だった。
(俺は……コイツらの事をあまりにも知らなさすぎる)
ただ、倒すべき敵――そう割り切るにはあまりにも情報が不足していた。
(本当にイノリ達は何も知らないのか? 知らずに戦っていたのか?)
その言葉鵜呑みにするのはあまりにも無理がある。
イノリのギアも一騎と同型機のはずだ。
なら、あの黒い粒子をイノリのギアでも取り込むことが出来るはず。
なら、少なくとも特派は《魔人》の正体を知っている筈だ。
(俺に隠しておきたかった何かがあるって事だ。このギアの事も含めて)
「なぁ、イノリ、これって……」
今、この状況を正確に判断出来るのはイノリだけだ。
一騎は説明を求めるようにイノリへと視線を向ける。
だが、イノリは一騎の話を無視して、倒れていたエルフの少女に足を引きずりながら近づく。
彼女の容態を確認して、無事を確かめると右手に装着した《イクスギア》を口元に近づけた。
「司令、彼女の保護をお願いします。私は――」
ようやくイノリは一騎を見上げる。
敵意を向けた眼差しで。
「暴走した一ノ瀬一騎の対応にあたります」
一騎に対し、警戒心を緩めることなく、エルフの少女を庇うようにイノリは鋭い眼差しを向ける。
何でだ?
一騎は敵意を向けられる理由がわからず、混乱していた。
ただ、イノリを助けたいと思って、この場所まで来た。
ギアを纏って《魔人》を倒した。
イノリを襲っていた敵を倒したんだ。なのに何故、敵意を向けられなきゃいけないんだ?
「なぁ、どういう事だよ……暴走ってなんだよ?」
一騎の鬱憤はそのまま険のある声音でイノリに向けられた。
怒りを含んだ物言いにイノリは僅かに冷や汗を流すが、一騎から視線を逸らそうとはしない。
「どうもこうもありません。敵は倒したんですよ? ならギアを解除して下さい」
「解除って……敵は、まだいるんじゃないのか?」
イノリが庇う少女。
彼女はあの《魔人》と同じような気がする。
目が覚めればまたさっきのように暴れるんじゃないか?
一騎はいいようのない不安に心を煽られる。
だが、一騎の言葉を聞いたイノリはキッと眉を吊り上げて、一騎以上に怒りを押し殺し、肩を震わせながら尋ねた。
「彼女が敵……?」
「……違うのか?」
「あなたには彼女が敵に見えるんですか? 力を奪われて気を失っている少女を敵だと! そう言うんですか!?」
「少女もなにも……」
一騎は口にする。
決定的な過ちを――
「そいつ、人間じゃないだろ?」
その一言がイノリの僅かに残った理性を吹き飛ばすとも知らずに――。
「ッ!? 《換装》! 《流――」
激情に煽られたイノリが機能停止寸前のギアを起動しようとする。
が――
ギアを起動させようとしたイノリが悔しげな表情を見せて固まった。
一騎が駆けつける少し前に本部へと全てのイクシードを転送していたのだ。
ギアを纏う為のイクシードが手元にない。
そこ事を思い出し、なにも出来ないことにイノリは悔し涙を垣間見せた。
その時だ。
「怒りに呑まれるな、イノリ君!」
聞いただけで体が竦むような威圧感のある男性の声が響き渡る。
直後、イノリとエルフの少女を庇うようにひときわ大きな人影が一騎の前に舞い降りた。
ドスンと重量感のある落下音と共に砂煙が舞い上がる。
そのせいで全体のシルエットが霞んでしまったが、一騎は彼の声に心当たりがあった。
空中艦で一騎に特派の事を、《魔人》を、《イクスギア》を説明し、一騎に勧誘を促した男。
一騎よりもイノリがその正体にいち早く気付き、不安と安心の両極端の感情が入り混ざった言葉が口を突いて出ていた。
「し、司令……どうして……?」
「決まっているだろ?」
静かな――それでいて重みのある言葉と共に、彼を覆っていた砂煙が弾け飛ぶ。
見上げるほど巨大な体躯。ミチミチとなる極太の筋肉。眉間に深い皺を刻み、視線だけで人を殺せるような覇気のある黄金の瞳。
逆立った赤髪はまるで鬼を連想させる。
一騎の前に突如として現れた特派の司令官――クロム=ダスターが一騎の顔ほどもある巨大な拳を握りしめて吠える。
「泣いている子供を助けるのは大人として当然のこと――そして、子供を叱るのはいつだって大人の責務だからだ!」