ルートハザード
「いいか、お前はここから動くなよ」
凛音は強張った表情を浮かべながら、結城を背で庇う。
結城に向けられていた魔力の圧を全て引き受け、全身が軋んだ。
体を圧し潰そうとする魔力に、一気に冷や汗が噴出する。
分が悪い――程度では済まされない。
次元が違いすぎる。
凛音は眩暈がしそうな程の隔絶した力の差に心が挫けそうになった。
けれど――
(ここで退くわけにはいかねぇ……)
かつて、ハクアと戦った時、凛音はその力に手も足も出なかった。
そして、捕まり、洗脳され、自我を壊された。
あの時の屈辱は絶対に忘れない。
この体は別世界の肉体。
記憶も経験も別世界の凛音の物だ。
けれど――
(この世界であたしがアイツに負けた過去は変わらねぇ……)
なら、その汚名を何としても払拭する。
今度こそ、この騎士を――
「ぶちのめすッ!!」
凛音は構えた二挺の《ロートリヒト》の引き金を同時に引く。
そして《アーマービット》を射出し、ハクアの退路を塞ぐように死角から追撃。
四方を深紅の閃光で囲まれたハクアは、僅かに顔を強張らせ――
「驚いたよ。まさか本当にトワの支配を打ち破ったんだね」
地面を這うように四つん這いで凛音の攻撃を避けると、《アーマービット》の包囲を易々と突破。
凛音が苦手とするクロスレンジへと体を滑り込ませたのだ。
「それが、彼の力かい?」
凛音の懐に入ったハクアはチラリと視線を結城へと向ける。
凛音と結城の戦いの一部始終を覗いていたのだろう。
ハクアは結城の能力に大まかな当りをつけていたのだ。
「驚いたよ、平行世界へのアクセス――まさかそんな能力が実在するなんてね」
「なんでそう言いきれる!!」
凛音はハクアの斬撃を二本の銃を交差させる形で受け止めながら、呻く。
《ルート》の能力はその力を実際に味わった者にしかわからないはずだ。
凛音の疑問は、ハクアの嘲笑めいた笑みですぐに氷解する。
「心を撃ち砕き、支配した君を救えるなんて、それこそ平行世界にしかないだろ? それに、俺たちの世界でも平行世界の可能性は考えられていたんだ。最も、その仮説を立証する魔法やイクシードは……なかったけどね!!」
「あぐッ!!」
凛音を蹴飛ばしたハクアはさらに追撃を仕掛ける。
二本の剣による連撃だ。
縦横無尽に奔る斬撃の嵐。
凛音は、身体能力を魔力で強化し、辛うじて剣戟を捌いていく。
だが、防戦に必死になってしまい、攻撃の手が緩む。
「前と同じだ。君の力じゃ僕には勝てない」
「……な……めん、な!!」
そんなの凛音は百も承知だ。
クロスレンジでの手数の少なさ。
それが《スターチス》最大の弱点。
だが、その弱点を補う為の武装が――《アーマービット》なのだ!
ハクアが剣を振り下ろす瞬間――
ガキンッとハクアの頭上で火花が散り、甲高い金属音が鳴り響いた。
凛音が手繰り寄せた《アーマービット》が剣の振り下ろしを半ばで防いだのだ。
「――ッ!?」
《アーマービット》の妨害でハクアの動きが一瞬止まった。
その隙を突いて、凛音の操る《アーマービット》がハクアの両腕をゼロ距離で撃ち抜く!
「くッ」
貫くことは出来なかったが、ハクアの体勢が崩れる。
凛音は《ロートリヒト》をガトリング形態へと変化させ、身の丈以上もある砲身でハクアを殴り飛ばす。
クロスレンジにおける凛音の戦い方。
それは《アーマービット》を操り、時に盾として使い、時に懐に潜り込ませ攻撃に使う方法だ。
堅牢なイクスギアの鎧をそのまま武器にした《アーマービット》はただ浮遊させるだけで凛音を守る盾になる。
しかも操作は思考速度に比例して早くなる。
攻撃用アーマービットと防御用アーマービットと役割を振り分ける事で、思考演算処理を削減。脳への負担を減らし、強力な武器へと変える。
さらに銃撃だけが《アーマービット》の役目ではない。
「《アーマービット》――《斬》!!」
《ロートリヒト》に《アーマービット》が寄り集まる。
それは銃の形から逸脱した、鉄塊の剣だ。
深紅の魔力を帯びた鉄の塊はただの剣よりもよく斬れる。
凛音は無骨な剣へと姿を変えた《ロートリヒト》を両手で握り、ハクアに打ち下ろす!
「くッ!!」
ハクアは二本の魔剣で受け止め、険しい表情を浮かべ、斬撃を受け流す。
その額には汗が滲んでいた。
「……これほどに重い一撃とは……驚いたよ」
《スターチス》の全てを纏った斬撃だ。
その一撃は常に凛音の全力――《フレイム・ブレイカー》と同等の威力を持つ。
まさに切り札を纏った斬撃――それこそが凛音のクロスレンジでの切り札――《アーマービット・斬》だ。
だが――
「けど、威力を上げた分、防御が疎かになってるよ!!」
ハクアはたった一合の斬り合いで凛音の弱点を看破したのだ。
全ての鎧を剣にした――つまり、この切り札は防御をかなぐり捨てた切り札だ。
たったの一撃が致命傷になりかねない程の防御力のなさ。
それがこの剣の弱点だった。
「それに――君には剣は扱えない!」
「――ッ!!」
剣を横に構え、ハクアの斬撃を防ぐ。
だが、その一撃で全身が悲鳴を上げる程のダメージを受ける。
凛音は剣の扱いは素人同然だ。
攻撃の受け流し、そして、剣での防御における体捌きも何も知らない。
ただチャンバラのように得物を振り回すだけ。
圧倒的な攻撃力を誇っていようが、使い手が未熟なら、鈍も当然だ。
ハクアの斬撃が凛音を翻弄していく。
防ぎきれなかった斬撃が総身に刻まれる度に凛音の表情が苦痛に歪む。
そして――
「ハッ!!」
煌めく二本の魔剣が凛音の両腕の腱を切断。
握力が無くなった両腕から剣が零れ落ちる。
「しまッ――」
この程度のダメージなら《火神の炎》の治癒の炎ですぐに塞がる。
だが、武器を取りこぼしたこの一瞬は致命的だ。
攻撃を防ぐ手段を失った凛音に向かって、ハクアが無慈悲に剣を振り下ろす。
狙いは脳天。
即死してしまえばいくら治癒の炎があるとは言え、治せないだろう。
「――ッ!?」
鋭利な刃が凛音へと迫る。
(結局、あたしの力じゃアイツには敵わないのか……?)
知力と力――ギアの全てを出し切った。
それでもまだ、届かない。
ハクアとの力の差は少しも埋まらなかった。
この剣を受け入れた時、凛音は本当の最後を迎えるだろう。
その刹那。
凛音の脳裏に大切な仲間の姿が過ぎる。
命の恩人である、結奈の笑った姿。
そして、凛音に向かって手を差し伸べるイノリや特派の仲間たち。
無垢な笑顔を向け、いつも背中を押してくれた――一騎。
(あたしは――)
仲間に何も言わずにここで死ぬのか?
引き金を向けた事を謝る事も出来ず。
約束を守る事も出来ず――
死ぬのか?
そんなの――
(許せるわけ……ねぇえええええええ!!)
凛音の中に微かに残った生きるという熱い鼓動が、全身へと染み渡る。
絶望に折れそうだった心が活力を取り戻す。
生き残る為に、体が全力で躍動する。
「う―……がぁああああああああああああああああッ!!」
それは絶叫。
僅かに頭を逸らし、ハクアの一撃は凛音の肩を裂き、体を引き裂き、半身を両断した。
傷口から夥しい量の血が濁流のように溢れ出し、
血に押されて臓物が傷口から地面へとボタリと耳障りな音を鳴らせて落ちる。
意識が吹っ飛びそうな程の激痛が思考を痛みで塗りつぶす。
叫びが、人の言葉を失い、咆哮へとなり下がる。
視界が血で染まり、半身を喪失した脱力感が凛音の膝を折る。
まともな受け身などとれるはずもなく、血の海へと沈む凛音。
ぐちゃりと臓物を押しつぶしながら、赤から黒へと視界が途絶える。
命が途切れる。
抗いようもない『死』が凛音を底なしの闇へと引きずり込もうとする。
だが――
(し……ねるかぁぁぁぁぁッ!!)
一瞬とはいえ、生き繋いだこの命。
数秒後に死ぬ定めだとしても、それを覆すだけのありったけの魔力をイクシードへと注ぎ込む。
治癒の炎が凛音の半身を燃やす。
だが、完治するには、いかに《火神の炎》と言えど時間を要する程のダメージだ。
敵はそれを――待ってはくれない。
「まだ、死なないのか……」
ハクアは憐憫にも似た表情を浮かべ、手向けるように最後の一刀を凛音へと振り下ろす。
その刹那。
「イクスギア――フルドラァァァァァァァァァァァイブッ!!」
己の消滅すらかなぐり捨てた結城の咆哮が轟き、
振り抜いた拳がギリギリところでハクアの一撃を防ぎ、魔剣の一本を叩き折る。
魔剣を叩き折るほどの衝撃でハクアの体を吹き飛ばし、結城は凛音を庇うように前へと進み出る。
そして――
「――来やがれ、《ルートハザード》!!」
《ルート》の力を纏わせた拳で――結城は自身の心臓を穿つのだった――