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魔導戦記イクスギア  作者: 松秋葉夏
魔導戦記イクスギアRoute
149/166

次元の狭間

「くっそ~……あと、もう少しだったのによ!!」


 仄かに白く濁った温泉に浸かりながら結城がぼやく。

 傷口に白いお湯を浴びせるように何度も体に浴びせながら、傷んだ体を湯治で癒す。


 その体は結城の長年の努力で鍛え抜かれた肉体だった。

 筋骨隆々という程ではないが、マシロを守る為にと訓練を重ねた腕の筋肉や大胸筋はまさに戦士を思わせる完成度。

 腹筋も割れ、鍛えた筋肉が身体に陰影を刻む。

 年頃の男性に比べ、結城の体は非常に鍛え抜かれた体つきをしていると言ってもいいだろう。

 結城の莫大な生命エネルギーを秘める肉体は確かな力強さを横で同じように温泉に浸かる一騎を魅了していた。

 一騎はその姿を横目で見ながら、自身の貧相な体と比較し、思わずため息を零す。



 一騎はどちらかと言えば、体の線が細い。

 いや、もっと的確に言えば、もやし体質だ。

 虚弱な体つき。

 これまで一度として体を鍛える――という発想を抱かなかったインドア体質が体現する弱弱しい体つきと言えるだろう。


 だが、それも当然――とさえ言えた。


 なぜなら、一昔前――イノリと再会するまでの一騎の運動神経は壊滅的だった。

 駆けっこは万年ビリを誇り、グループで行う体育の授業ではいつも最後まで残り、最終的には押し付け合いが始まる始末。


 そして、ただ校舎を往復するだけで息を切らす――という目も当てられない体力の無さだったのだ。


(やば……黒歴史が……ッ)


 結城の体に魅せられ、一騎の封印した黒歴史の数々が「呼んだ?」と蘇る。

 ぶんぶんと頭を振り、それらの黒歴史を屠ると一騎は口元まで湯船に浸かる。


 白いお湯が傷んだ体に容赦なく染み渡った。


「いたッ……」とお湯の中で呟く。ブクブクと湯船が揺れた。


「どうだい、湯加減は?」


 そんな一騎たちに声をかける男が。

 一騎はチラリと視線を向けた。


 腰にタオルを巻き、こちらも程よく鍛えられた体を惜しげもなく一騎たちの前に晒していた。

 結城の戦士としての体つきとは異なり、こちらは美意識を意識した体つきと言った方がいいだろうか。

 戦う事を前提としてない筋肉のつき方は、一騎の体つきに近いものがあるが、彼の美形と相まって、程よい肉付きはまるで偶像の産物とさえ言えるだろう。


 まるで神が設計した肉体だ。


「……」


 口が裂けても本人の前では言えない一言だな……と一騎は愚痴る。

 同じく彼へと視線を向けた結城はマジマジと彼を見つめ、


「もっと筋肉つけろよ、強くなれねーぞ?」


 と、無礼にも程がある一言を零していた。

 彼――芳乃総司は、さして気にした様子もなく、


「ご指摘、痛み入るよ」


 結城の一言を戯言だと切り捨てるように飄々とした生返事を返しながら、一騎たちと同じ温泉へと体を浸す。


「どうだい、湯加減は」

「……快適だよ」

「そうかい」


 一騎は居心地が悪そうに答える。


 それも同然だ。


 芳乃総司――彼は一騎にとって最悪の敵であり、三か月前、死闘の末、この世界から消滅したはずの男だからだ。

 いるはずのない人間。

 それがいかに異質で歪な事なのか……


 こうして再会を果たし、仲間になったとはいえ、過去の関係は簡単には払拭できないだろう……


「やっぱすげぇな、この温泉!!」


 一騎の複雑な感情など知る由もなく、結城は温泉の効能に感嘆の声を上げていた。

 総司は「ふふん」と鼻を鳴らし、自慢げに腕を組んだ。


「当然だ。この温泉は、私が《複製トレース》した《火神の炎(イフリート)》の疑似イクシードを溶かしているんだ。温泉に浸かるだけで治癒の力で体が癒える画期的な代物さ」

「おう! あっという間に傷が塞がったぜ」


 結城は何を思ったのか、お湯をひと掬いすると、それを口の中に含める。

 モゴモゴと口の中でお湯を動かし、ペッと湯船の外に吐き出した。


「すげぇ!! 虫歯も治りやがった!!」


 総司は盛大に顔を顰める。

 まぁ、見ていて見苦しい光景ではあるな……と一騎は珍しく総司に同情した。

 だが――と改めてこの空間に視線を向けた。


 『周防』の地下基地よりも広大な敷地。

 その中には先ほどまで一騎たちが訓練に使っていた採掘場のような岩肌が隆々と起立した訓練場や――

 その空間とはうって変わり、一騎たちが湯治に浸かる温泉が湧いた場所や、さらにはログハウスなどの住居スペースまであるのだ。


 ここは、現実世界と異世界の狭間――『次元の狭間』とでも言うべき場所。


 かつて、この場所に来た時は、まるで現実世界の鏡写しのような空間だったが、今はその面影は一切ない。

 総司が数ある疑似イクシードで趣味を凝らしたのか、かなりのアレンジが施され、まるで別の空間になっていたのだ。


「まだ、慣れないのかい? この場所に来てもう一か月になるのに?」

「……慣れるはずないでしょ。貴方が生きてる事だってまだ信じられないのに……」

「私を尋ねて来た君がいうセリフじゃないな。君は私の存在を知っていただろ?」

「僕の記憶じゃないよ……」


 総司が生きている――という知識を得たのは本当に偶然だった。

 結城の《ルートクロノス》によって一騎は別世界に生きる一騎の肉体をこの世界に上書きしている。

 それは肉体だけでなく、別世界で一騎が体験した記憶と経験すら共有しているのだ。

 

 この世界と別世界――二つの世界の記憶が一騎の中にあると言っていい。

 当然、この世界とは歩んできた来た歴史が異なる。


 そして、別世界では、あろうことか消滅したはずの芳乃総司が生きていたのだ。

 もちろん、別世界でも一度、総司はこの世界から消滅していたが……


 だが、彼は――


「本当に貴方はイクシードなんですか? まだ信じられない」

「……本当さ。何度も言ったが私は芳乃総司が最後に《複製》した個体だ。その個体に記憶と経験の全てを託し、体を維持する為に《複製トレース》のイクシードを核とした個体だよ」


 つまり、イクシードに総司の人格を《複製》した存在。

 魔力で創られた肉体は人としての限界を超え、イクシードの力を十全に引き出せるようになったらしい。

 だからだろうか、生前の総司には出来なかった技術をこの《複製》総司は使う事が出来る。


 それが疑似イクシードの複製だ。

 かつて、総司はイクシードの複製が出来なかった。

 それは人としての魔力の限界があったからだ。

 だが、今の総司にはその限界が存在しない。

 戦乙女を複製し、イクシードの力を引き出さずとも、疑似イクシードを複製できるようになったのだ。


 この空間は複製したイクシードの力を使って総司が創造した次元の空間。

 魔力の暴走を起こさずに限界まで力を引き出せる場所だ。


 そしてもう一つの技――それは強化された《複製》の能力だ。

 生前の総司は、《複製》の力で凛音や総司本人と《複製》していた。

 戦乙女の大群や、一騎を苦しめた複製総司たちだ。

 だが、複製出来たのは総司が熟知している人物に限られていた。

 


 けれど、今の総司は、一騎や結城まで複製できるという。

 魔力を宿した人間なら、その魔力を《複製》する事でその人間すら複製できるというのだ。


 さっきの訓練で一騎が戦っていた相手こそ、総司の力によって複製されたもう一人の一騎だった。

 しかも、三か月前の《シュヴァルツ》を纏った一騎を総司は複製してみせたのだ。

 その複製一騎の力は今の衰弱した一騎の力を凌駕している。

 今の制限された力でかつての力を超える――その指標となる複製体だ。

 訓練相手としてはこの上ない相手だろう。


 そして、結城の相手は五十体の戦乙女だった。

 結城は凛音を助け出す為に、凛音と同じ思考、そして戦闘センスを持つ戦乙女たちと訓練を続け、凛音の対策を練るのと同時に、結城の中に眠るもう一つの可能性――《ルートハザード》を開花させようとしている。

 どちらも総司の力がなければ実現しない修行だっただろう。


「総司さん、僕はやっぱりあなたを許す事は出来ない」

「……」


 ポツリと愚痴るように一騎は零す。

 だが、それは紛れもない本心だった。


 十年前の惨劇を起こした張本人。

 そして、二つの世界を手に入れる為に世界を破滅へと導こうとした男。

  

 彼によって大切な家族や友達を奪われ、人生を狂わされた人は大勢いる。

 一騎やイノリだってそうだ。

 

 だからそう簡単に彼を許す事は出来ない。

 彼の行いはそれ程までに罪深い。


「あなたはその罪を一生をかけて償わないといけないんです。僕と一緒に」

「……私は君に許しを乞うた覚えも、そして償う罪もない。神になる男だぞ、私は」

「神じゃない。あなたはただの人間だ。イクシードそのものになっても変わらない。僕は何度だって言いますよ。人として罪を償って下さい」

「……ふ、おかしな事を言うな。《複製トレース》そのものである私を人だと?」

「えぇ。僕はそう思ってます。あなたが奪った大勢の命。それは紛れもないあなたの罪だ」

「……君とはどこまで話しても交わる事はなさそうだ。言っただろう。私に殺される事こそ、祝福なのだと。神の恩恵なのだと」


 総司はやれやれと肩を落としながらため息を吐く。

 一騎は半眼で睨むと、僅かに表情を曇らせる。


「なら、あなたは、どうして……」


 それは総司に届かない独白。

 彼と再会して、初めて、彼の瞳を見て話しをした時に気づいたことだ。

 今の総司はまるで……憑き物が落ちたような表情を浮かべている。


 態度も言葉も変わらない。

 だが、彼の心の底にある感情。

 世界の神になるという野心が、欲望が――消えたかのような表情に。


「……そんな悲しそうな表情を浮かべているんですか」


 一騎はずっと戸惑いを隠す事が出来ずにいたのだった。


 そして、思い返す。

 かつて神と名乗った総司との再会を――

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