神の再臨
「ん――?」
一騎は不意に首を傾げた。
首筋を撫でる悪寒――
周囲を見渡し、やはり首を傾げた。
誰かが逃げろ――と言ったような気がしたのだ。
次いで、全身を襲うゾクリ……とした不安に無意識に股間の辺りがキュッと縮こまる。
だが……
その得体の知れない漠然とした不安に苛まれ、周囲を見渡しても何も変わらない。
モノクロの世界が一騎の周囲を埋め尽くす。
耳をつんざく破壊音も、結城の慟哭も、そして吹き荒れる魔力の嵐すら、一騎の感じた不安に比べれば些事な事のような気がしたのだ。
とはいえ――
「おっと!!」
いつまでもその得体の知れない焦りにばかり気を取られるわけにもいかなかった。
一騎の視線が離れた隙を突き、白銀の魔力に覆われた拳が目の前に迫ってきていたからだ。
一騎はその一撃を避け、腕を絡めとり、足を払って襲ってきた銀のイクスギアを纏った青年を弾き飛ばす。
そしてすぐさま意識を戦いへと引き戻した。
装備していた《流星》を解除し、すぐに《氷雪》を装備。
「フルドライブッ!!」
一騎の起動認証コードによって《シルバリオン》の装いは一変する。
羽織っていたロングコートが光の粒子となって消え、氷の鎧がイクスジャケットの上に装備される。
鋭い五指の爪に加え、尻尾も獣耳もその全てが氷で出来たギア。
どこか狼を連想させるような造形の鎧だが、その能力は《氷》を操る事に長けた強力なギアだ。
辺り一帯の空気が一気に氷点下まで下がり、吐き出す空気が白くなった。
だが、それだけに留まらない。
凍てつく冷気は大地すら凍結させ、キーン……という耳鳴りな悲鳴と地響きが周囲を襲う。
全てが凍てつき、白い霧が立ち込める中、一騎はその技の名を紡ぐ。
「《氷刃……羅刹》!!」
凍てつく大気から一騎は可能な限り氷の剣を生み出す。
その数――およそ十本。
魔力の少ない一騎にしては上出来とさえいえるだろう。
もっとも、以前にこの技を使った時は、それこそ数える事すら億劫になるほどの大量の武器を生成していたらしいが……
「ふむ、やはり弱いな……」
一騎の戦いを腕を組んで眺めていた男がポツリと零す。
「あの時に比べ刃も少なければ、強度も足りない。やはり君では彼の真似をするのは荷が重いかな?」
「そ、そんな事ッ!!」
一騎は怒りに任せ、手近にあった氷剣を抜き放つ。
刃を地面と水平に構え、手を添える。
腰を深く落とし、切っ先を敵へと向けたその姿は突きの構えだ。
『――』
敵も一騎に構えに習うように同様の構えで相対する。
深紅に輝く刃――《紅牙》を構えた少年のコートの裾が魔力の風で激しく翻る。
二人は同時に地面を蹴った。
氷の刃と深紅の刃が激しくぶつかり合う。
しのぎを削り、刃を砕いたのは――《紅牙》だった。
一騎の氷の剣を軽々と砕き、眉間に迫る刺突の一撃を辛うじて避ける。
スパッと逸れた一撃が一騎の肩口を切り裂いた。
だが、一騎は貫かれた肩の痛みに動揺する事なく、即座に撤退。
手近にあった氷刃を素早く回収すると、相手に向かって投擲。
全力で投げた氷刃はおよそ人の目には映らない速度をもっていた。
だが――
ドパンッ!!
一発の弾丸が、一騎の氷刃を超える速度で撃ちだされ、氷刃が届く前に撃ち落される。
それだけではない。
ドパンッ! ドパンッ! ドパンッ!
立て続けに鳴り響く発砲音。
撃ちだされた弾丸は一騎を狙ったものではない。
ガシャン!!
と氷が砕ける甲高い音が立て続けに聞こえる。
全ての弾丸は寸分違わず一騎が生成した氷の刃を撃ち砕き、一瞬にして一騎の《氷刃羅刹》を打ち破ったのだ。
「――くッ!!」
黒い銃口が一騎へと向けられる。
咄嗟に氷の盾を目の前に生成する。
だが――
撃ちだされた銃弾は氷の盾を容易く貫通し、氷の鎧を着飾った一騎のギアを撃ち貫く。
「がッ……!?」
ギアの耐久値を超える一撃が一騎の体を貫く。
ギアを貫通し、体を貫いた弾丸は一騎の背後で爆発。
爆風に吹き飛ばされた一騎は踏ん張る事すら出来ず、吹き飛ばされる。
成すすべもなく地面に横たわる一騎。
その数秒後――
一騎を守っていたギアが淡い魔力粒子となって掻き消える。
装着者の意識の喪失、そして、強制解除される程のダメージがギアに蓄積した結果だろう。
その戦果を見て、成り行きを見守っていた男が深いため息を吐く。
「まぁ、こんなものか」
男は呆れた口調でぼやくと指をパチンと鳴らす。
直後――
今まさに一騎に向かって無慈悲に刃を振り下ろそうとしていた黒い外套を纏った――『もう一人の一騎』が魔力の粒子となって掻き消えた。
男は気絶した一騎に歩み寄り、落胆の眼差しで一騎を見下す。
「……今の君ではとてもじゃないが世界は救えないな」
一騎がハクアやトワイライトに打ち勝ち、この世界の存続を願うのなら、かつての一騎の全力を超えなければならない。
イクスギア――《シュヴァルツ》
三か月前、一騎が総司を倒す為に纏ったギアだ。
恐らく、一ノ瀬一騎にとって最強のギア。
仲間との絆で生まれた奇跡のギアだ。
だが、今の一騎にはそのギアは纏えない。
衰えた魔力もそうだが、《シュヴァルツ》を生み出す為のイクシードが足りないのだ。
敵に堕ちた芳乃凛音の持つ《火神の炎》
その力が敵の手に渡った以上、一騎は今纏えるギアの力でかつての最強を超えなければならない。
なのにこの体たらく――
「情けない……」
そして、彼はもう一人の少年へと視線を向けた。
「こちらもか……」
視線の先の戦いを見て、彼は思わず頭を抱えたくなった。
「うおああああああああああああッ!?」
情けない悲鳴を上げながら爆風に吹き飛ばされる蒼いギアを纏った少年。
一騎と共に彼の元に訪れ、そして、さらなる力を身に着ける為に一騎と修行を共にする少年だ。
イクスギア《ルート》を纏った少年――結城透は、彼が用意した五十人の敵に手も足も出ず、吹き飛ばれ、一騎と同じく意識を失っていたのだ。
一騎と違うのは彼がまだギアを纏えている――そのただ一点だけだ。
だが、全力を出し切り、意識を失って、それでもまだギアを纏う余力を残しているということは……
結城がまだ《ルート》の力を使いきれていないということに他ならない。
最終決戦までに《ルート》のさらに上の力――《ルートハザード》まで至れるかどうか……
不安要素が尽きない。
「まったく、先が思いやられるよ……」
彼――この世界から消滅したはずの男、『芳乃総司』は落胆の表情を浮かべるのだった。