アリス
冷やり――……とした感触が頬に伝わる。
アリスは全身を襲う億劫としたまどろみの中から意識をゆっくりと浮上させる。
(わ、私は……どうなって……)
はっきりと意識が戻るにつれ、蘇る記憶にアリスは、自分の命が繋がっている事に少なからず衝撃と戸惑いを覚えていた。
黒い《シルバリオン》を纏ったイノリによく似た容姿の少女――メアによって受けたダメージはやはり体の奥深くまで蓄積していた。
体を動かそうにも僅かな身じろぎだけで、全身がバラバラに砕け散りそうな激痛に襲われる。
「くぅ……あ……」
絶叫しそうな痛みに嗚咽が漏れる。
だが、その苦悶の産声は偶然にも彼の耳に届く。
「起きたか、アリス」
(だ、誰……?)
アリスは痛みを堪えながら双眸をゆっくりと見開く。
最初、視界に映ったのは無機質な床だった。
どうやら、俯せになって倒れていたらしい。
手足に拘束の類がないのはアリスを脅威として捉えていないのか、又は別の理由――メアがアリスに嘯いたトワイライトとアイスの関係性故か……
アリスはゆっくりと面を上げ、理解した。
恐らくは後者だろうと――
「と、トワイ……ライト」
「ほう……一目で見抜くか」
アリスは初めて目にする青年を一目で見抜く。
無機質な玉座に腰かけた痩身の男こそが、新世界の創造を目論む魔王であると。
仮面を外し、素顔をアリスの目の前で晒す青年。
整った顔立ちで、アリスを見つめるその瞳は暗い表情を覗かせていた。
悲嘆? 後悔? 懺悔? そんな感情を内包させる彼の視線にアリスは動揺にも似た違和感を抱く。
なぜ、彼がそのような眼差しを向けるのか? アリスはそこはかとない不安を抱きながらも、努めて平静を装った。
今、アリスに出来る事はほどんどない。
敵に捕まり、拘束された身だ。
だからこそ、取り乱しても仕方ない。
仲間の救出を信じ、少しでも情報を得る為に、今できる最大限の努力をすべきだろう。
覚悟を決め、ゴクリと乾いた喉を潤すように生唾を嚥下し、痛みを殺し、声を枯らすようにアリスは口を動かす。
「……私を捕らえてどうする気ですか?」
「君は自分の状況を理解しているのか? 質問出来る立場にあると?」
玉座に座り、不遜な態度を崩す事無くトワイライトは鼻を鳴らす。
「全ての問いに意味はない。君はすでに俺の物だ」
「……勝手に所有権を主張しないで下さい。私は誰の物でもありません」
「いや、その考えこそが間違っているぞ、メアから聞かなかったのか? 君の生まれた理由を」
「……信じるわけがないでしょう」
アリスは呆れ果てた様子で苦笑を漏らす。
この命が新世界を創造する為に造られた仮初の命などと、眉唾に等しい戯言だ。
吐き捨てるようにアリスは否定する。
「くっ……くはははははははははッ!! これは傑作だ!!」
だが、その言葉を聞いたトワイライトは面白おかしく嗤い始める。
アリスにはその嗤いが我慢できなかった。
ぎりっと奥歯を嚙みしめ、トワイライトを鋭く睨む。
「何が、おかしいんですか」
「全てだよ。君は何一つ疑わなかったのか? この世界の人間如きに疑似とはいえ、イクシードが複製できると? 俺たちの力を真似できると?」
「それが、研究会の、私たちの悲願ですッ」
「あぁ、そうだろうな。この研究所の連中も泣き喚いていたさ。世界の平和の為、戦争の力でなく、永久の命の為に――と」
「えぇ、そうです……その為に私たちは……ッ」
「くだらない」
「……え?」
トワイライトは冷めた表情を浮かべ、一蹴した。
その表情に如何なる感情もなく、彼は本気で研究会の目的を、不老の夢を吐き捨てたのだろう。
思わず呆けたアリスにトワイライトはその態度を崩す事無く、断言してみせた。
「くだらない。と言ったんだよ。不老に、朽ちぬ命に何の意味がある? 永遠の命など死と同義だ。限りある時間の中での積み重ねこそ、真に価値があると何故気づかない?」
「……誰だって死にたくないでしょう……人がその夢を追い求めるのは、おかしなことじゃありません」
「そうだ。誰も死にたくはない。だが、それは生きているからこそ、芽生える感情だ。夢があるから、愛しい人がいるから人は生きていたいと思うんだ。だが勘違いするな。不老とは不死とはなんだ? 永遠に生き続ける地獄が果たして幸せか?」
「当たり前じゃないですか」
「なら、聞こう。愛しい人も、夢の永遠の時の中に捨て置き、空虚になった人間に何が残る?」
「そ、それは……」
その問いにアリスは満足な答えを提示出来なかった。
夢も、愛しい人もまた作ればいい。そう答えるのは簡単だ。
だが、それを失った喪失感は? また何度もその痛みを繰り返すのか?
何度も大切な物を時間に奪われ続ける人生が果たして幸せなのか?
そんな自問自答を繰り返す度に、アリスの中で何か大切な物が崩れ去っていくような喪失感が膨れ上がっていく。
アリスという研究会が創り上げた一人の少女の意識が崩れ去る喪失感。
身震いするような寒気に、アリスの血の気がみるみる引いていく。
「答えられまい。それこそが無意味な産物なのだ。空虚で蒙昧無知な夢想。いずれ泡となって弾けていただろうな」
「……それをあなたが壊したんでしょ? 私の居場所を。夢も希望も、全て……」
「あぁ、そうだ。否定はしない。俺は俺の為にこの場所を利用しているに過ぎんからな」
「何が目的で……」
「世界を創り変えるには俺一人の魔力では、力では到底足りん。必要なのは究極の力だ」
「究極の力?」
「あぁ、世界を創造するに足るだけの魔力。そして、能力――その為に、十全な設備を必要としたまで。そして、時は満ちた。役割を果たしてもらうぞ」
トワイライトはパチンを指を鳴らす。
乾いた音が小さく響き、それが合図だったのか、アリスの奥底で、ドクン……と得体の知れない何かが脈動した。
「あ……ぐッ!!」
ゾクリ……と全身が粟立つ。
言葉にしようがない不快な感触。まるで、内側から別の何かが産み落とされるような、全身を這うおぞましい感触に、アリスは額に汗を滲ませる。
だが、変化はそれだけではなかった。
手足の感覚――いや、全身の感覚が朧げになっていく。
「こ、これは……ッ!?」
己に起こった変化を見たアリスの目が大きく見開かれた。
体が指先から、足先からまるで糸が解れるように光の粒子となって消えていくのだ。
アリスだった光はそのまますぐ側にいたトワイライトの――腕に装着されたブレスレットへと吸収されていく。
アリスはその現象に見覚えがあった。
(これはイクスギアの……封印ッ!?)
かつて、一ノ瀬一騎がユキノの暴走を止めた時と同じ現象がアリスの身に起こっていたのだ。
だが、そんなはずはない。
アリスは体内に疑似イクシード《錬成》を埋め込まれているが、その力は外部から供給される疑似魔力を得て、初めて能力を発揮する力だ。
魔力の暴走を起こす事もなければ、仮に《錬成》がギアの力によって封印されても、アリスとは別の存在である疑似イクシード、アリスの体が消え去るような事態に陥るはずがない。
「なぜッ!?」
アリスの狼狽がトワイライトに伝わったのか、「当然だ」と呟き、冷淡な視線をアリスへと向けた。
「アリス、お前は私の能力――《束縛》によってその体を維持している。だからこそ、俺がお前に使った力を回収すれば、その体は解けて消え去る――」
「……馬鹿なッ、そんな事が……」
「……最後の話をしよう。俺とお前が初めて会った日の事だ」
トワイライトはアリスとして肉体を形成していた魔力を回収しながら淡々と語る。
三か月前の真相を。
それは、芳乃総司の警戒が全て特派へと向けられていた一瞬の隙を突いた時だ。
彼の研究施設である異端技研究会への襲撃を行った。
施設の掌握は簡単だった。
芳乃総司が創設した研究会とは言え、彼の目的は異世界とこの現実世界を支配し、神へと君臨する事だった。
イクスギアの研究もイクスドライバーの研究もその夢への途中経過でしかなく、全ての計画を終えた彼にとってもはや研究会は不要な施設だったのだ。
イクスギアの貴重なデータもそして、彼が夢物語り、仲間へと引き入れた蒙昧な研究者達も全ては消え去る運命だった。
「三か月前、俺の目的はリアを助け出し、特派から《門》の力を奪う事だった」
だが、総司の施設放棄の混乱に乗じ、すでにリアは何者かの手によって救出された後だったのだ。
「助ける事は出来なかった。そして、リアを捜索している間に、二つの世界は繋がりを絶たれたんだ――」
元の世界へ帰る手段を失い、大切な妹すら失ったトワイライトに残されたのは、この世界のどこかで生きている妹の為に、召喚者が不自由なく暮らせる世界を創造する事だった。
「だが、創造の前には破壊が必要だ。俺たちを否定するこの世界を破壊し、世界を創り変える膨大な魔力が必要だった。その時だ、俺がアリスと出会ったのは」
果たしてそれが出会いと呼べるのだろうか。
トワイライトはその奇怪な出会いを思い浮かべ、渋面を覗かせる。
《複製》の力とイクスギアの力を手に入れた総司は、とある実験を行っていたのだ。
完全な人間の《複製》と今よりも強力なイクスギアの生成だ。
後者は問題なく計画は進んでいたらしい。
新たなイクスギアとイクスドライバーの設計図が残っていたからだ。
もともとは施設と一緒に葬り去るつもりだったのだろう。
その設計図は簡単に閲覧することができ、施設に残った設備で作る事が十分に可能だった。
それがハクアの纏う《ネオ・イクスドライバー》
そして、先日完成したばかりの《アルティメットギア》だ。
だが――
「完全な肉体を《複製》する――その実験だけは失敗していたようだがな」
疑似イクシード《人属性》を核にして人の肉で覆う。
だが、そうして出来上がったのはただの肉塊だった。
恐らく実験は総司が《複製》出来る全てのイクシードで行ったのだろう。
複製した戦乙女から疑似イクシードを取り出し、人の肉に埋める作業――
だが、その悉くは失敗し、計画は途中で放棄されていた。
「お前は総司が最後に行おうとしていた実験素体だったんだ」
「そ、そんな……」
トワイライトの話を聞くにつれ、アリスは何度も胃の物をぶちまけていた。
拒絶反応とも呼ぶべきか。
己の出自がそんな残酷とも呼べる命の暴虐の上に成り立っていた事を。
そして、それが事実である事を、今の現状から理解してしまったが為に……
「最後に残った疑似イクシード《錬成》……そして、人ひとり分の構成材料と培養液……幸いにもお前を生み出す全ての要素は残っていた」
後は簡単だった。
《錬成》を核にアリスを構築しただけだ。
だが、これまでの実験の繰り返しでは出来上がるのは意思を持たない肉の塊。
アリスが生まれる事はなかっただろう。
それがトワイライトの手によるものでなければ。
「俺は総司とは違う。俺のイクシードは《束縛》――束ね、一つと纏める力だ。
培養液に浸かったお前となる素材を全て《束縛》で束ね人の形とした」
だが、それでは肉の塊がただの人の人形とななっただけ。
魂のない器だった。
だが、その問題もクリアした。
「今のお前の意識はこの施設で散った数多くの研究員たちが夢想した理想で出来ている」
イクシードを実用化し、不老不死を夢見た多くの残魂。
それを《束縛》で纏め、一つの意識として人形へと定着させた結果、生まれたのが――
「そうして生まれたのが、お前だ。アリス」
錬成師――アリスだった。