僅かな可能性に賭けて
「……ふざけるな」
一騎は、静かに。
それでいて燃え上がる憤怒の感情と共にその言葉を吐き出した。
抑えの効かない感情が右腕のブレスレットに魔力を注ぐ。
イクスギアが一騎の感情に呼応し、起動したのだ。
ブレスレットから爆発したように白銀の魔力が溢れ出し、吹き荒れる。
暴風となった魔力の嵐は、マシロやアリスに容赦なく襲いかかる。
小さな悲鳴がマシロの口から漏れる。
だが、知った事か。
一騎は怒りに身を委ね、マシロを睨んだ。
「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなぁぁぁぁぁッ!!」
「一ノ瀬、落ち着きなさいッ!!」
マシロに掴みかかろうとした一騎の体をアリスが必死の形相を浮かべ、腰にしがみついて止める。
「放せッ!!」
「今、貴方がここで暴れても状況は何も変わりません!! そのくらい考えて下さいッ!! 貴方が暴れても今の凛音は助からないんですよ!? なら、過去に、僅かな可能性に賭ける為に、落ち着くべきですッ!!」
「過去ッ!?」
「忘れたんですかッ!? 未来に無限の可能性があるように、過去にだって可能性はあったんですよ!! 今の私たちなら選び直せるはずですッ!!」
「――ッ!?」
アリスの言葉に一つの能力が脳裏を過ぎる。
(そうだ……忘れていた……)
怒りに感情が支配され、あらゆる可能性を放棄していた……
一騎は頭を掻きむしり、怒りに支配された自分を戒める。
(らしくねぇ……)
怒りに我を忘れるなど久方ぶりだ。
アリスがいなければ、一騎は怒りに我を忘れ、マシロに襲いかかっていただろう。
ギアから逆流した魔力がゆっくりと霧散していく。
どうにか感情の一端を取り戻した一騎は、脱力したように椅子に崩れ落ちると、顔を手で覆う。
「……ごめん、マシロちゃん。マシロちゃんのせいじゃないって、わかってるはずなのに……」
嗚咽が混じった謝罪の言葉にマシロはふるふると首を横に振った。
「ううん、私のせいでもあるよ。私がこの世界に巻き込まれなければ、ううん、あの日、イリスメリス王国に行かなければ、こんな事には……」
「……全ては、もう過去の話だ……過去の結果はもう変わらない。凛音ちゃんを奪ったのはトワイライトだ。彼の思惑がどうあれ、マシロちゃんは関係ないよ」
「ううん、関係、あるよ。お兄ちゃんはたぶん、私の為に戦ってくれてるから……」
「マシロちゃんのため?」
(アイツ、超がつくほどのシスコンだな……)
一騎の中で、トワイライトの評価が下る。
この上ない失礼な評価だが、一騎の中でその評価が覆る事はないだろう。
そんな下らない考察をしている一騎をしり目にアリスが尋ねた。
「……世界を変える、という彼の目的の事ですか?」
「うん。お兄ちゃんの目的は新世界を創ること――
それは、魔力の存在を、私たちの存在を否定させない世界へと造り変えること……なんだと思うの」
「そ、そんな事が可能なのですか……?」
アリスは驚愕の表情を浮かべ、疑るような視線をマシロへと向ける。
「……ハクアの《白世界》はお兄ちゃんの力の一つ、だよ。ハクアの力じゃないの」
「あいつの、力じゃないのか?」
「うん、ハクアのイクシードはもっと別の能力――あれはお兄ちゃんの力で間違いないわ」
マシロの話を聞いた一騎が驚愕に満ちた表情で呟く。
魔力の暴走を防ぎ、世界と隔絶した別世界を創る《白世界》がトワイライトの力?
けど、どうやって?
イクシードの遠隔操作? けど、ハクアは自分の意思で《白世界》を起動していたように見えた。
なら、彼の纏う《ネオ・イクスドライバー》に装填されたイクシードがトワイライトのイクシードの欠片なのだろうか?
一騎の疑問に答えるようにマシロが呟く。
「ハクアはお兄ちゃんと能力を共有しているの。《束縛》の力で二人の魔力を一つに結びつけているんだと思う……」
「……どういう事?」
マシロは顎に人差し指を添え、視線を彷徨わせながら、囁く。
「うーん、簡単に言えば、《束縛》の力で目に見えない魔力の経路を作っているんだよ。お兄ちゃんたちはその経路を通して互いの能力を限定的に使っているんだと思う」
つまり、あれか?
一騎は首を捻りながら、マシロの言葉をかみ砕いてみた。
トワイライトの能力の一つに能力を統合する力がある。
そして、それを魔力で結びつけた者同士で共有することが出来る――と。
でたらめな能力だ……
一騎は思わず頭を抱えたくなった。
だが、問題はそれだけではなかったのだ。
狼狽える一騎を置き去りにマシロは真相を語る。
「お兄ちゃんの血を飲む事でお兄ちゃんとの間に経路が繋がるの。ハクアはお兄ちゃんの能力の一部を使える、そしてお兄ちゃんはハクアの力の一部を使える。
そして、もう一つ、魔力が一つになるって事は――」
「……使える魔力が増えるって事ですよね?」
アリスが思案顔を浮かべながら続きを語る。
ずっと考え込むように顎に手を添えながら、アリスはアリスなりの答えを得たのだろう。
「まさか、そんな事がッ……?」とブツブツと呟き、真っ青な表情を浮かべていた。
「聞かせて下さい、マシロ。トワイライトの……いえ、ハクアの使った《白世界》――あれこそが新世界の一端ではないのですか?」
アリスの重苦しい雰囲気に呑まれ、マシロが押し黙る。
だが、それも僅かな間で、ゆっくりと首を縦に振り、マシロは肯定したのだ。
「うん、あれがお兄ちゃんの目指す新世界。魔力の暴走を抑え、私たちが住める世界へと改変する足掛かり……だと思う。
けど、まだ完成には程遠いわ。世界を上書きし、新世界を創る為に、必要な力がどうしても足りてないの」
「それは、魔力……ですよね?」
アリスの問いかけにマシロは頷く。
「うん。世界を《白世界》で支配するには魔力が足りてなの。それこそ膨大な魔力が必要なはず。
だから、お兄ちゃんたちは凛音さんから奪ったんだ。この世界に散らばるイクシードの欠片を。魔力の塊を。
けど、それだけじゃ足りないわ。
世界を変える為に必要な魔力――それはこの世界に存在する全ての魔力が必要になるはず……」
「それは、彼らの狙いが一騎や結城にも及ぶ――という事ですか?」
「うん。お兄ちゃんたちはトールたちとも経路を繋いで、魔力を毟り取ろうしているはず。
たぶん、凛音さんとはもう経路を繋いでいるはずよ」
この世界で魔力を持つ人間は、一騎、凛音、総司、透――そして異世界から召喚された召喚者だけ。
アリスは疑似魔力炉で魔力をイクシードから補充しているから、魔力持ちとは言えないだろう。
なら、残りは――
「あとは、僕たちの魔力だけ……」
「うん。きっとお兄ちゃんは総力戦に出ると思う。今度はお兄ちゃんも前線に出てくると思うわ。世界を支配し、新世界を創る為に」
次に戦う時が最後になる……か。
負ければ世界が変わる。
イノリが守ろうとした世界が。
みんなとの思い出が詰まる世界がなくなってしまう。
させない。
絶対にこの世界を終わりになんてさせない。させてたまるかッ!!
「どうすれば、守れる。この世界を……」
「簡単だよ。負けなければいい。凛音ちゃんを助けだせばいい」
そう。
まだ凛音が助けられなくなったわけじゃない。
今の完全に支配された凛音を助ける事は出来ないかもしれない。
でも、過去の凛音は?
トワイライトに支配される前なら助けられるんじゃないのか?
結城の《ルートクロノス》の力ならそれが可能なはずだ。
一騎の腕を治した時のように、凛音もまた助けられる可能性が残っている。
まだ全てが潰えたわけじゃない。
か細い可能性でも、希望があるなら――戦える。
けど、一騎の中には未だに僅かな疑念が残っていた。
マシロが本来の記憶を取り戻したというなら――
「マシロちゃん、教えてくれ。どうしてマシロちゃんは僕たちに協力を? 記憶が戻ったなら家族の元に戻ろうって思わないの?」
「それは……」
マシロは言いにくそうにもじもじしながら、視線を彷徨わせる。
そしてほのかに赤く染まった頬で、寮の階段へと視線を向けた。
それだけで、マシロがこの場に残った理由がわかってしまった。
(なるほどね……)
マシロがリアとしてでなく、マシロの名を選んだ時にマシロの中で答えが決まっていたのだろう。
一騎は頬を掻きながら、この話し合いに参加せず、爆睡するこの寮の住人へと呆れた気持ちを抱く。
(まったく……愛されてるなぁ……)
かつて、凛音や結奈が一騎とイノリに抱いたであろう同じ感情を、一騎もまた自覚するのであった――