真実
「支配、ですか?」
アリスは顎先を手で撫でながらマシロの言葉を反芻した。
そして、困惑した表情を浮かべ。
「元の世界に帰還する事ではなく?」
そう口を濁す。
だが、アリスの問いは一騎も同じだった。
異世界から召喚された彼らはイノリ達と同じく、元の世界への帰還を夢見ている。
そう思っていたからだ。
だが、マシロはアリスの問いに対し、ふるふると首を横に振って否定する。
「それは、たぶん違うわ」
「なぜ? 元の世界への帰還が召喚者たちの本願では?」
「一部はそうでしょうね。お兄ちゃんもあるいは三か月前までは元の世界への帰還を諦めていなかったと思う。けど、今はもう諦めていると思うわ」
「《門》のイクシードがこの世界に存在しないからか?」
「うん」
マシロの肯定に一騎はギュッと力強く拳を握りしめた。
一騎の心に渦巻く感情を一言で言い表すなら後悔だ。
なぜ、気づかなかったのか。
特派の保護を受けられなかった召喚者がいた事を。
気づけていれば、もしかしたらマシロ達は元の世界へと戻れていたかもしれないのに……
その機会を奪ったのは、他ならぬ一騎だ。
なら、トワイライトが、ハクアが一騎を恨むのは道理だ。
たった一つの希望を奪い去った一騎を世界の敵にして葬るのに十分すぎる殺意が彼らにはあるのだろう。
「すまない。僕が……」
一騎はこみ上げる懺悔の感情を押しとどめながら、口を絞る。
だが、マシロはキョトン……とした表情を浮かべ、
「? どうしてカズキが謝るの?」
「え?」
あまりに予想外な一言に一騎の頬が強張る。
汗が頬を伝い、唇に触れる。
仄かな塩の味すら感じられない程の衝撃を受けた一騎は動揺を隠す事が出来ないでいた。
「いや、だって僕が……この世界と異世界との《門》を壊したんだよ?」
正確に言えば、《魔人》と化したイノリを助ける為に、《門》のイクシードを保持したイノリごと《門》の向こう側へと叩き込んだ――という方が正しい。
だが、結果として、この世界と異世界を繋ぐ《門》が永遠に失われたのは事実だった。
「そうかもしれないけど、どちらにせよ、お兄ちゃんはきっとカズキたちと合流する事はなかったと思うよ?」
「それは、なぜ?」
「うーん、一言で言えばカズキたちの仲間がお兄ちゃんやハクアの敵? だからかな?」
「敵……だって?」
マシロの一言に一騎は眉を歪めてそう返してした。
その言葉が到底信じられるものではなかったからだ。
クロムたち特派のみんなは召喚者やこの世界を守る為に十年も戦い続けてきた。
彼らに敵と呼べる存在がいるなら、それは世界を混沌に陥れようとした芳乃総司をはじめとした一部の巨悪だけのはずだ。
同じ召喚者でありながら、敵同士だった――
マシロの口にした言葉が一騎の中で上手く噛み合わない。
だが、その話を横で聞いていたアリスは違っていた。
腕を組みながら、聡明な顔つきを浮かべ、「なるほど」と口ごもる。
「つまり、エルメリア王国とイリスメリス王国は敵国だった――と言うわけですね」
「うん、アリスの言う通りだよ」
「え? 待ってくれよ、敵国って?」
「驚く程の事でもないでしょう。この世界にもある話です。異世界にだってあると考えてもおかしくないでしょう」
「そ、そうかもしれないけど……」
アリスの話は理解できる。
それはこの世界にだってある話だ。
敵国や戦争、紛争、テロ――上げればきりがない。
でも、それを――
「異世界のいざこざをこっちの世界にまで来てやるのか?」
あくまで、戦争や紛争などの戦いは、元の世界だけに留まる話だ。
それを異世界に召喚されてまで持ち込むのは馬鹿げている。
禍根を理由に武器を手にするくらいなら一刻も早く元の世界へと戻る方法を探すべく手を取り合うべきだろう。
召喚者にはこの世界で《魔人》というイクシードの暴走を抱えているのだ。
争っている暇なんてなかったはず――
「バカじゃないのか? 異世界の戦いをこの世界に持ち込むなんて……」
一騎の一言にマシロは苦笑いを浮かべ、アリスは渋面を覗かせ、ため息を吐く。
何か間違った事を言っただろうか? そんな不安が去来する。
アリスは狼狽える一騎を見据えながら、口を開く。
「前にも言ったでしょう。少しは考えてくださいと、その頭は飾りですか?」
「……久々に聞いた気分だよ、その罵倒」
「あなたが考えもなしに思った事を口走るからでしょう? 異世界のいざこざを召喚された世界にも持ち越す――それはただの愚行ですよ、けれど、トワイライトはそうせざる終えない理由があった。そうでしょう、マシロ?」
「さすがはアリスだね、私が話した情報の断片だけでお兄ちゃんの考えを見抜くなんて……私はすぐには思いつかなったよ」
「……あなたのお兄さんは想像以上に聡明な方なんですね。私が同じ立場でもまず、特派に合流しようとは思わないでしょう」
「え? な、なんで……」
訝しんだ表情を浮かべ、問いかける一騎にアリスは仕方ないとばかりに深いため息を吐き、小馬鹿にするような冷めた視線を一騎へと向けた。
「一ノ瀬一騎、そもそもの前提が間違っていたんですよ。
召喚者は偶然《門》の力が暴走してこの世界に召喚されたわけじゃなかったんです。
敵国の王子と王女であったトワイライトとマシロを抹殺する為に、わざと力を暴走させ、周囲の人達を巻き込んで異世界へとマシロ達を追放した――
これが召喚者がこの世界に召喚された本当の真実なんですよ」
「は……?」
一騎は間の抜けた声を出し、息を詰まらせた。
絶望が肺腑を満たし、アリスの言葉を一騎の本能的な部分が拒絶する。
だが、それと同時に――違和感の一つが氷解していくのを一騎は感じていた。
心のどこかで最初からおかしい――……とは思っていたのだ。
クロムがかつて一騎に話したこの世界に召喚された話。
《門》の力を持つ召喚者のイクシードが暴走し、その力に巻き込まれ、この世界に召喚された――と言う話。
確かにクロムの話は真実の一部を話していたのだろう。
だが、真実の一部を一騎に話す事はなかった。
それは、暴走の原因だ。
この世界でイクシードが暴走するのは、そもそも魔力が存在しないこの世界で魔力の源たるイクシードが歪な存在であるからだ。
世界の持つ修復能力――本来あるべき姿へと戻そうとする回復能力がイクシードの存在を否定し、この世界に《魔人》を産み落とす。
だが、それはこの世界に限った話だ。
異世界にはその話は通用しない。
イクシードの存在が受け入れられ、共存する事が、魔力の存在が許された世界――
その世界で、イクシードが暴走するなど本来ありえない話なのだ。
だが、一騎はこれまで、脳裏に幾度も過ぎるその違和感を見て見ぬ振りをし続けてきた。
イクシードの暴走はきっと偶然が引き起こしたもので、
それが誰かの意思により、故意的に引き起こされた悲劇だということを直視しないようにし続けていたのだ――
けれど、その違和感は消え去り、一つの真実となって眼前へと突き付けられた。
偶然――なんて優しい言葉はこの世界にはない。
この悲劇は悪意によって引き起こされた結果でしかなかったのだ。