マシロの告白
それは夕食を終えた後の事。
一騎は久方ぶりの入浴を済ませ、上機嫌で寮のリビングでくつろいでいた。
すでに結奈は家へと帰り、今はアリスがお風呂を使っていた。
浴室から響くシャワーの音が一騎の煩悩を燻る。
テレビの音量を上げ、シャワーの音をかき消し、煩悩退散! と念じてみる。
「それにしても……マシロちゃん、大丈夫かな?」
《ルートクロノス》で怪我を治癒するまではタオルで体を拭くぐらいしか出来なかった。
湯船にゆったりと浸かり、心身の疲れを癒した一騎はスウェット姿に首にタオルをかけたラフな格好で、この寮に住まう一人の少女の事を思い起こしていた。
極度の疲労で爆睡している結城はさておいて――
問題はマシロの方だ。
白亜の騎士との対峙で、マシロは過去の――異世界にいた時の名前を知った。
リア――と白亜の騎士はマシロの事を呼び、マシロと白亜の騎士はただならぬ関係だったのだ。
だが、《魔人》化を封印しこの寮に帰ってからはずっと部屋に引きこもっているのだ。
夕食にも姿を現さない程の徹底ぶり。
ろくに話も出来ない。
聞きたい事はあるが、それ以上に彼女が心配だ。
過去の記憶に苛まれ、苦しんでいるかもしれない。
敵と彼女の関係を問いたい気持ちはあるが……
「何にしても一度会わないと……」
一騎はリビングを後にして、二階にへと上がる。
『周防』は一階がリビングやキッチン、浴室やトイレ、洗面所などの共有スペースにかつてクロムやリッカが使っていた寮母室がある。
そして二階が一騎たち寮生の個室の部屋となっているのだ。
一騎が階段を上がったすぐの部屋。
その隣がイノリ。
一個空室を挟んでリッカが使っていた。
その他の空室を結城とマシロ、アリスが使っている。
二階に上がった途端、廊下に響くほどのイビキが木霊していた。
方向を察するに、恐らく結城の部屋が元凶だろう。
(どんだけうるさいんだよ……)
クロムも大仰なイビキをかいていたが、それに匹敵するほどだ。
《鬼族》と同じ音量のイビキ……考えただけで眩暈がする。
(寝る前には絶対に叩き起こそう……)
そして地下基地に押し込む――そうでなければ一騎もアリスも快適な睡眠をとる事が出来そうになかった。
中々、ひどい事を考えながら一騎は結城の部屋の前を通り過ぎ、その横のマシロの部屋の前に立つ。
息を整え、扉をコンコンッと叩く。
だが、反応はない。
――と言うか、イビキが邪魔でマシロの反応がわからない。
「……マシロちゃん、入るよ」
いつまで経っても反応がない。
深いため息を零しながら、一騎はマシロの部屋へと足を踏み入れいるのだった。
寮の造りはどの部屋もほとんど変わらない。
マシロの部屋は一言でいえば殺風景につきる。
部屋は最初からある設備のままで、ベッドにタンスなどの備え付けの家具のみ。
マシロはそのベッドの上で毛布にくるまって耳を塞いでいた。
まるでこの世界を拒絶するかのように、目をきつく閉じ、耳を塞ぐその姿は痛々しい。
一騎は悲痛な表情を浮かべ、マシロに一歩近づく。
「マシロちゃん……」
思い越してみれば、彼女が追い込まれるのも仕方がない事だった。
自分の過去――
そして、大切な人が傷つけられた痛み。
そして異世界から召喚された召喚者だという事。
どれも一人で抱え込むには大きすぎる問題だ。
そして、マシロはうめき声をあげるように、弱弱しく呟く。
「……イビキがうるさいッ!!」
そのあまりに悲痛な叫びに一騎は思わずずっこけるのだった――
◆
場所はリビングへと移る。
マシロの部屋では色々な意味で話を出来る状態じゃなかった。
加えて、マシロが空腹だったこともあり、リビングで食事をしながら話すことにしたのだ。
アリスもお風呂からすでに上がっており、寝間着の上から薄いカーディガンを羽織ったラフな格好だ。
アリスは呆れた表情を浮かべ、こめかみに手を当てる。
「……そんなにうるさいんですか?」
「うん」
「えぇ」
アリスも一騎もここ数日は地下基地で過ごしていた。
『周防』の自室で寝ていたのはマシロと結城の二人だけで、その惨状を今まで知らなかったのだ。
つまり――
「結城のイビキがうるさくて夜寝られなかったから、昼間に寝てたって事?」
「うん。そう」
「……今までずっと一緒にいたんでしょ? どうしていたんですか?」
呆れた様子でアリスが尋ねる。
マシロは至極当然といった様子で――
「《クロノス》を使って、トールのイビキを戻していたから……」
「能力の無駄遣いですね……」
アリスががっくりと肩を落とす。
つまり、マシロが力を使えなくなったから、夜寝る事が出来なくなり、生活サイクルが変わったと……
食事もみんなが寝静まっている間に済ませていたそうだ。
(何ともはた迷惑な……)
怒りを通り越し、もはや一騎も呆れるしかない。
だが、これでようやく話しが出来る。
「マシロちゃん、聞きたい事があるんだ」
「私の事……だよね?」
マシロが聡明な顔つきで一騎を見返した。
初めて見る彼女の姿に一騎とアリスの背筋が伸びる。
彼女の纏う雰囲気がそうさせたのだ。
聡明な顔つきはもちろんの事。
彼女が放つ雰囲気は厳かで気品がある。
まるで中世の上級階級のような煌びやかさと優雅さを兼ね備えた――王女や女王のような雰囲気を漂わせた。
「き、君は、いったい……」
喉の渇きを覚えながら一騎はマシロを問いただす。
マシロは小さな笑みを浮かべ、
「マシロ……だよ、トールの前では私はマシロでいたいの」
「結城の前では? それってどういう……」
「……記憶が戻ったという事ですか?」
「うん、そうだよ」
「きっかけは《クロノス》の封印ですか?」
「たぶんね。この世界に召喚されて、私が真っ先にしたのは暴走する魔力を巻き戻す事だったから。記憶まで巻き戻されたのは予想外だったけど」
《クロノス》が封印されたことで、力が弱まったのだろう。
時間遡行で巻き戻していたマシロの時間が動き出し、過去の記憶が蘇ったのだろうとマシロは語っていた。
マシロは肩を竦めて、料理を口に運ぶ。
「ここ数日は過去の記憶の整理に追われてたの。けど、ようやくわかったわ」
「わかった?」
「うん。ハクアの事、お兄ちゃんの事、そして私の事――全部思い出したの」
マシロは言葉を探すように逡巡しながら言った。
「私の本当の名前はリア。リア=レーベルト。エルメリア王国の第二王女だったの」
「え、エルメリア……王国?」
「聞いたことのない王国ですね。異世界の国ですか?」
「うん、そうだよ。異世界の小国だけどね。私とお兄ちゃん、そしてハクアは十年前のあの日、特使としてイリスメリス王国に訪れていたの。けど、その城下で事件に巻き込まれて――」
「この世界に召喚された、と?」
「うん」
聞きなれない情報が色々出てきたな……
一騎はマシロの言った情報を一度整理してみた。
異世界――《アステリア》もこの星と同じで様々な国があるのだろう。
エルメリアという国がマシロのいた国で、イリスメリスという国が恐らくイノリがいる国なのだろう。
「その、お兄ちゃんって?」
「トワイライト=レーベルト。あなた達にわかりやすく言えば、あの映像に出ていた《魔王》を名乗った仮面の人だよ」
「彼が?」
「うん。そして私たちを襲ってきた白い騎士がハクア――お兄ちゃんの近衛の人でエルメリアでは一番強い騎士だった」
「ハクア……」
それが凛音を攫った男の名前か……
一騎はその名前を心に刻み込んだ。
アリスも同じなのか、何度も二人の名前を呟いていた。
そして鋭い視線をマシロに向ける。
「マシロは二人の目的を知っているのですか? 彼らがこの世界で何をしようとしているのか……」
「それは……たぶんだけど、お兄ちゃんはこの世界を支配しようとしているんだと思う――」
そしてマシロは語り始める。
彼らの目的を。
この世界を巻き込んだ新世界への可能性を――