過去の可能性
「俺が一騎を助けられるって本当かッ!?」
ドタドタッ! と血相を変えて医務室へと駆け込んだ結城。
その慌てふためいた結城に冷水を浴びせるように、彼を諫める声が響く。
「うるさいよ」
「え? か、一騎……?」
ポカン……とした表情を浮かべ、結城はベッドで半身を起こした一騎を眺める。
全身に包帯を巻いた痛々しい姿だ。
右腕の包帯は薄っすらと血で赤く滲んでいた。
だが、一騎は痛みに僅かに表情を陰らせるだけで、発狂などはしていない。
「目が、覚めた……のか?」
「あぁ、ついさっきね」
恐らく喋るだけで相当痛いのだろう。
一騎の額には球粒上の汗がびっしりと浮かび、土気色の肌はまるで生気がない。
口数が少ないのは少しでも痛みを和らげる為か。
「アリスちゃん、続きを頼むよ」
「えぇ。そうですね。結城もいるので好都合でしょうから」
アリスはチラリと結城を見ると、横に座れと開いた椅子を叩く。
一騎を気遣うような視線を向けながら、ゆっくりと腰を下ろす。
その横には結奈が座った。
「マシロちゃんは?」
「マシロなら部屋で寝てるよ。呼んでこようか?」
「……いや、後で二人っきりで話すよ。彼女にとってもそれがいいはずだから」
「は? どいうことだよ?」
「二人じゃないと喋りにくいこともあるってことだよ」
一騎はこれで話は終わりだ。と言いたげに話題を変える。
「アリスちゃん、結城の能力についてだけど……」
「そうでしたね。一ノ瀬の傷を治すには彼の力が必要不可欠という話をしたところでしたね」
「あ! そう、その話だ! 俺の力なら一騎を助けられるんだろ!?」
「恐らく……ですが」
アリスはそう言って、机の上に置かれていたノートパソコンに手を伸ばす。
パソコンは基地のネットワークと繋がっており、アリスが開いた画面はこの前の戦いで一騎のギアが収集した戦闘記録の一覧だった。
「これは?」
「一ノ瀬のギアが取り込んだイクシードの情報ですね」
「僕の?」
「えぇ。これを見てください」
===================================
イクスギア《ルート》
能力: 平行世界へのアクセス権限を行使。
アクセス出来る平行世界を現実世界へと上書きする。
現在、第一から第九世界の平行世界へとアクセス可能。
魔力総量、熟練度に応じてアクセスできる世界が増える。
===================================
「これは?」
見慣れないイクスギアの情報に首を傾げる一騎。
結城は「あッ!」と思い当たる節でもあるのか、声を上げて驚いていた。
「ギアを纏った結城のデータですね」
「結城の?」
「えぇ。全体のスペックが一ノ瀬のシルバリオンのスペックを上回っていますね」
そう言って、アリスは二つの画面を表示させる。
それはイクスギア《シルバリオン》を纏った一騎のデータとイクスギア《ルート》を纏った結城のデータだ。
===================================
イクスギア《シルバリオン》
適合者: 一ノ瀬一騎
打撃攻撃力: C
魔法攻撃力: なし
物理防御力: D
魔法防御力: E
魔力量: E
魔力制御: D
能力: 装備したガントレットの魔力噴出による速度、攻撃力上昇。
*纏うイクシードの能力により、能力値は変動する。
===================================
一方。
結城の纏う《ルート》の能力は……
===================================
イクスギア《ルート》
適合者: 結城透
打撃攻撃力: A
魔法攻撃力: なし
物理防御力: B
魔法防御力: D
魔力量: A
魔力制御: B
能力: 《ルート》《ルートクロノス》《ルートハザード》
*装備できるイクシードは《クロノス》のみ。
===================================
「……なに、これ?」
一騎は震える声で二つのデータを見比べた。
どう見てもこれ、結城の方が力が上だろう……
AやBといった評価項目……結城のギアの方が圧倒的に多い。
そもそも一騎の最高ランクが打撃攻撃のCランクだが、その項目にしたって結城のギアはAランクを叩き出している。
いや、それにしても……
「《シルバリオン》ってこんなに弱かったのか?」
声が震えていた。
よくこんな弱い状態で芳乃総司に勝てたものだ。
「ち、ちなみにこの能力値って今現在の僕たち?」
「結城のデータはそうですが、一ノ瀬は三か月前の――最終決戦時のデータですね」
「ま、マジか……」
この能力値が《シルバリオン》の最高値?
本当によく勝てな、僕……
「ちなみに、ですが……」
アリスがデータを見比べながら補足する。
「一ノ瀬のデータはこの世界の限界値に近い状態ですよ」
「へ? これで?」
「えぇ。そもそもイクスギアに設定された最大出力はCランク程度なんでしょう。それ以上の出力だと魔力が暴走し、体が崩壊する――この基地に残されたギアの記録にはそう書かれていますね」
「ギアの記録?」
「えぇ、一ノ瀬が寝ている間暇だったのでこの基地のデータベースにアクセスしてみたんですよ。そしたらギアに関するデータが出てきました。イクスギアで出せる出力の限界はCランクまで。なので、そう悲観する事ないですよ」
「ちょっと待って。Cランクの以上の出力を出せば魔力が暴走するって……それじゃあ結城のギアは……」
「理論上、この世界では纏うことが出来ません」
「はぁ!?」
異議を唱えたのは黙ってデータを見ていた結城だった。
「ちょっと待て! 俺はギアを纏えたぞ!!」
「えぇ。ですから結城のギアはある特殊な条件が揃えば纏うことが出来る――特別なギアなんでしょう」
「特殊な条件って……」
「《白世界》だね」
「えぇ、一ノ瀬の言う通りです。魔力暴走を抑える事の出来る結界の中でなら結城はギアを纏うことが出来る。もしくはマナフィールドが施されたこの基地でのみ――ということになるでしょうね」
「ふむ……」
「マジかよ」
結城は絶句していたが、一騎は納得の表情を浮かべる。
確かに凄まじい能力値だ。
だが、イクスギアの本来の役割を考えるとアリスの説明は納得できる。
イクスギアの本来の役目は、魔力の封印。
暴走する魔力を抑え、《魔人》化を防ぐ事だ。
魔力値が低く封印する魔力に余裕がある若いイノリや一騎だからこそ、ギアを鎧として展開することが出来ていた。
だが、結城の総合能力は恐らくギアを纏える限界値を超えているのだろう。
ギアを形成するには魔力暴走を抑えるフィールドが必要になる。
だから、白亜の騎士が《白世界》を解除した途端に結城は魔力暴走に襲われた。
実践で扱えるギアではないな。
「話を戻しますね。注目すべきは《ルート》の能力の一つ――《ルートクロノス》という能力ですね」
「《ルートクロノス》?」
「名前から察するに、《ルート》の力に時間遡行の《クロノス》の力を掛け合わせた能力なのでしょう。その力を使えば、一騎の傷を治すことも可能だと思います」
「お、おう?」
「……」
結城は話についていけなくなったのか、困惑気味に頷くだけだ。
一騎はもう一つの能力。
イクシード《クロノス》の項目を眺めていた。
===================================
イクシード《クロノス》
能力: 時間を巻き戻す。
*戻った時間は再び元の時間へと歩み出す。
===================================
戻った時間は元の時間に戻る……か。
能力だけを見れば目を惹かれるが、注意事項が気になる。
元の時間に戻るということは巻き戻しの能力は一時的な力ということになる。
一騎がもし、この力を使って傷を完治させたとしても、イクシードの能力が切れると同時に再び傷が開くということだろう。
一時的な応急処置くらいにはなるだろうが、根本的な問題を解決できない。
完全な状態の《クロノス》なら、恐らくこの注意事項は存在しなかったのだろう。
これはイクシードの一部を欠片として封印したから出来た制約と見るべきだ。
「《クロノス》の力だけじゃ傷を治す事は出来ないと思うけど?」
「そうでしょうね。これが封印される前の状況なら話は変わっていたのでしょうが……」
「アリスちゃんも同意見か」
「えぇ。でないと説明が出来ませんからね。マシロがこの力を使っても、時間は別の未来へと歩み出していた」
「あぁ」
結城の魔力暴走を巻き戻た時の事を言っているのだろう。
もし、能力通りの力なら、魔力暴走を《クロノス》の力で回復させても、能力の効果が切れればまた結城の力が暴走したはずだ。
けど、結城の魔力暴走はあれ以降一度もないとアリスは語っていた。
なら、《クロノス》の本当の力はただの時間遡行じゃない。
「アリスちゃんはマシロちゃんの力をどう見てるの?」
「……そう、ですね……」
アリスは思案するように腕を組む。
そして、言葉を選ぶように考えながら囁く。
「恐らく、《ルートクロノス》の上位版と見るべきでしょうね」
「《ルートクロノス》?」
そういえば、《クロノス》の能力ばかり考えていたから《ルート》の力の派生技は見ていなかった。
確か、《ルートクロノス》と《ルートハザード》か。
一騎はその項目の詳細を見ようとする。
だが、その二つともまだ詳細なデータがないのか閲覧することが出来なかった。
「能力がわからない……」
「当たり前です。まだ使ったことのない能力ですよ。ギアにその戦闘データがなければ詳細を見る事が出来ないんでしょう」
「なら、なんでアリスちゃんは《ルートクロノス》の上位版だって思ったの?」
「これは、推測でなんですが、恐らくマシロの本来の力はこの世界の時間軸だけでなく全てのパラレルワールドの時間軸すら巻き戻す力なのでしょう」
「え? それってどう違うの?」
今まで辛うじてアリスの話についていけていた一騎だが、この説明には首を傾げた。
アリスは「はぁ~」とため息を吐く。
こんな簡単なこともわからないのか? と見下すような視線にムッとなるが、ここで怒っても意味がない。
傷に障るだけだ。
「いいですか? 過去は確定された出来事なんです。過去があるから今がある――これはわかりますか?」
「ま、まぁ……」
「《クロノス》の欠点はそこですね。確定した今を変える事――未来を変える事が出来ないから過去の時間を遡っても同じ未来を辿ることになる。それは、この世界が確定した未来だからです」
「つまり、過去に戻っても絶対に未来は変わらない?」
「えぇ、タイムパラドックスと呼ばれる現象ですね。世界は絶対に変える事の出来ない不変の存在――だから、その矛盾を正そうと正しい未来へと進む。ですが――すべてのパラレルワールドの時間を巻き戻せば?」
「巻き戻せば?」
「……なにオウム返しで聞き返しているんですか? そこは自分で考えてくださいよ」
「む……」
アリスのバカにするような視線に怒りが湧き上がる。
ここで、アリスから答えを聞くことは簡単だろうが、アリスを見返す為に少し考えてみるか……
「えっと……すべての平行世界を巻き戻す……?」
それでどうなるんだ?
知恵熱が出そうなほど考えを巡らせる。
だが、どうしてもタイムパラドックスが引っかかり、答えが出ない。
「う~ん」と唸る一騎たちの横で話を聞いていた結奈がぽつりと零す。
「それって、未来がなくなるって事じゃないの?」
「え?」
「いい点に気づきましたね、結奈」
「はぁ? ちょ、ちょっと待って! 未来がなくなる? そんなバカな……」
「いえ、それこそが《クロノス》の本当の力なんですよ。確定した全ての世界を巻き戻す事で新しい未来を歩むことが出来る――それが時間遡行《クロノス》の真の力だったんでしょう」
「バカげてる……」
想像を絶する能力に脱力するほかない。
未来を全て巻き戻す?
確かにそうすればタイムパラドックスは起こらない。
だって、《クロノス》を発動した段階で、全ての未来は消失しているのだから。
どのような時間を進もうとそれはもう新しい時間軸。
別のパラレルワールドの時間軸だ。
時間の矛盾は起こらない。
「限界はあると思いますよ。《クロノス》の範囲は制限があるのでしょう。マシロ本人か、マシロが触れた人の時間を操る事しか出来ない。だから、私たちの記憶には結城が暴走した別の未来の記憶がある」
「……この世界がすでにパラレルワールドの一つって事?」
「そうでしょうね。そう考えるのが妥当でしょう。そして、《ルートクロノス》の力は恐らく――
《クロノス》の力で時間遡行を行い、《ルート》の力で別の平行世界の過去に上書きする能力――そう判断しています」
「……つまり、別世界の過去をこの世界に上書きするって事か?」
恐る恐る口にする《ルート》の能力にアリスは無言の肯定をした。
「この力を使えば、過去の重症を負わなかった一ノ瀬を今の一ノ瀬に上書きする事が――その傷を治す事が出来るはずなんです」