歪んだヒーロー
白銀の魔力に包まれた一騎。
イクスジャケットを袖に通しながら、アリスの言葉を思い出していた。
(よし、アリスちゃんが言った通り、ギアは纏える!)
◆
「――正気ですかッ!?」
アリスがよろめく一騎を支えながら、剣呑な眼差しを向けてきた。
魔力を察知した基地のアラートが鳴り響く中、一騎は額に汗をびっしりと浮かべながら、呟く。
「あぁ。僕が行かないと……」
「自殺行為ですよ! 死ぬ気ですか!」
鎮痛剤を打ってもろくに引かない痛み。
幻肢痛に苛まれ、高熱も引かない。
傷も完全には塞がっていないのか、腕に巻かれた包帯には血が滲んでいた。
「まだ、傷が塞がっていなんですよ? 戦える身体じゃありません!」
アリスの治癒錬成であらかたの傷を塞いでもらったが、右腕ばかりはどうしようもなかった。
腕が残っていれば繋ぎ合わせることも出来たそうだが、一騎の腕は粉々に破壊されていた。
治癒は絶望的だった。
今は無事だった皮膚と肉を繋ぎ合わせ、どうにか傷を塞いでいる状態だ。
だが、一騎が無理に動いたこともあって、切断面が盛り上がった筋肉の接合部からは血が滲んでいた。
一騎を止めるのはアリスだけじゃなかった。
「お願い一騎、行かないで!!」
「結奈……」
涙を流し、一騎の腰に抱き着く幼馴染。
肩が震え、嗚咽を漏らす結奈に一騎は胸が張り裂けそうになる。
僕を心配してくれる人たちがいる。
僕の為に涙を流してくれる人がいる。
けど……
一騎の意思は変わらない。
「ごめん、僕が行かないと」
「どうして!? どうして一騎が行かなきゃいけないのよ!?」
「僕しかいないからだよ」
この警報はただ魔力を検知したわけじゃない。
《魔人》の発生を知らせる警報だ。
《魔人》の存在はもう世界中の人達が知っている。
十年前の惨劇の真実もだ。
惨劇の復讐に燃える人達が《魔人》に戦いを挑むかもしれない。
そうなれば悲劇だ。
《魔人》の力はたった一人で街一つを簡単に滅ぼせる。
イクスギアでなければ太刀打ちできない。
たとえ、世界の敵になっていたとしても。
憎しみの感情を向けられていたとしても。
僕が戦わなければ大勢の人が死ぬ――
イノリ達と守ったこの世界がまた、二つの世界の戦いに巻き込まれてしまう。
そんなの、見過ごせない。見過ごせるはずがない。
「戦えるのは僕だけだ。なら行くしかないだろ」
「やっぱり、あなたはどこか壊れてる……」
一騎の独白を聞いて、アリスが細い声を零す。
「アリスちゃん?」
「異常ですよ、その考え。自分の命を大切にしない。死に行くような判断を平気で口に出来る。それは人としての何かが壊れてるとしか言いようがありません」
「僕が、壊れてる?」
「えぇ。しかもその自覚すらない。あなたには自分の命が見えてないんですよ。質が悪い死にたがり野郎ですね」
「……死にたいわけじゃないよ」
「なら、なぜ、涙を流す結奈を無視出来るんですが? なぜ、私の忠告に耳を傾けないんですか?」
「それは……手を伸ば助けられる命が目の前にあるからだ」
「立派な志ですね。けど、それは自分の命を一番にしてこそ、ですよ。自分の命も守れない人が誰かを助けられるわけがない」
「……ッ」
アリスの言った言葉は正論だ。
誰かを守るなら、まず自分を守れ――
その言葉は、結奈の流す涙は、一騎の心に直接訴えてくる。
一騎が死んで悲しむ人がいることを。
一騎の死を望まない人たちがいる事を。
「かも、しれないね。アリスちゃんの言う事は正しいのかもしれない」
「なら、今は寝てて下さい。《魔人》の相手なら私が……」
「でも――」
一騎はアリスの言葉を遮って、言い切った。
「僕は戦うよ」
アリスの瞳が驚愕で見開いた。
「正気、ですか? ここまで言っても、彼女を見ても、戦うと? 阿呆ですか!?」
「それは、今、君が言っただろ? 僕はどこか壊れているって」
戦いになれば、戦うと覚悟すれば、命を捨てられる――言われてみれば確かに異常だ。
たぶん、凛音も、そしてイノリも一騎の異常性には気づいていたのだろう。
だから、彼女たちは一騎を支えようとした。
自分を守ろうとしない一騎に代わって、一騎を助けようとしてくれていたのだ。
けど、今、戦場で一騎を助けてくれる仲間はいない。
今度こそ戦えば命を落とすかもしれない。
怖い気持ちはある。
戦えば痛いし、怖い。
誰かを傷つけるのも本当は嫌だ。
けど、それ以上に――
「だけど、僕は、それでも――戦う。だって、正義のヒーローだから」
それが一人の少女の為だけのヒーローであっても。
彼女の為に、彼女が救った世界の為に戦おう。
「みんなの笑顔を守る。その為なら、僕は何度だって立ち上がれるんだ!」
一騎の言葉を聞き、アリスが「はぁ~」と盛大なため息を零した。
「あなたは、私たち研究会の理想を歪んでいると断言しましたよね。そんなのは間違ってると。私も断言しますよ。あなたは歪んでいる。二つの世界によって一番狂わされたのは、間違いなくあなたですよ」
「……」
「不老不死も人類の革命もあなたの歪さを前にしたら、大したことありませんね。二つの世界に歪められたヒーロー、そんなの存在すべきじゃない」
「僕を、止めるんだね?」
今、アリスが実力行使に出れば、一騎は手も足も出ないだろう。
叩き伏せられ、ベッドまで直行だ。
けど、アリスはそうしなかった。
「止めませんよ。止めても無駄ですからね。もう一度、死にかけた方があなたの為だと判断しました」
「ちょっと、アリス、何言ってるの!? 一騎が死んじゃうのよ?」
「もともと私は彼の敵ですし、そこまで必死に止めるつもりもないんですよ。結奈には悪いですが……」
「私に悪いって思ってるなら、この馬鹿を止めてよ!!」
「無駄だってことは結奈にもわかるでしょ?」
「でも……!!」
「大丈夫だよ」
泣き叫ぶ結奈の頭を一騎は優しく撫でる。
こんな場所で死ぬつもりなんてない。
「必ず帰ってくるから」
死にたがり野郎だって言われても否定できない。
けど、死にたくないって気持ちがあるのは確かで。
結奈の涙を見たくないから。
一騎は泣き腫らす結奈の瞳を見つめながら、力強く言葉にした。
けど、その決意に水を差したのはアリスだった。
「よく言いますね。その体で……ギアもないのに」
アリスの目つきが怖くなっている。
激情を覗かせる双眸に一騎の言葉が詰まる。
「そ、それは……」
確かに、ギアはない。
ブレスレットは結城が持ち出しており、予備のギアなどという便利な代物もないのだ。
今、《魔人》の前に出ても一騎には戦う力がなかった。
「まぁ、暴走しているのは、その結城透みたいですけど」
「そ、そうなのか!?」
「ギアに位置を特定する機能があるのを忘れたんですか?」
「あ、そう言えば、あったね……そんな機能……」
ついでに言えば、映像の録音や録画も出来たはずだ。
アリスはその機能を知っていたのか、結城の現在の状況を詳しく知っていた。
「先ほどギアから送られてきた情報を解析してみたのですが、敵は白亜の騎士と芳乃凛音ですね。結城透がギアを纏い、白亜の騎士を撃退――したところまではよかったんですが……」
「あいつがギアを?」
信じられない話だった。
ギアを纏うにはイクシードが必要だからだ。
結城はイクシードを持っていなかったはず。
なのに、なぜ?
「暴走しているのは結城透ですね。恐らく貴方と似た境遇なんでしょう」
「僕と、似た?」
「えぇ。彼もイクシードをその身に宿している人間、という事ですね」
「あいつも?」
「えぇ、だから暴走し、《魔人》化している」
なら、結城の近くには一騎のギアがあるはずだ。
ギアの回収さえ出来れば、ギアの力で結城を助けられるはず。
「なら、急がないと。被害が出る前に……」
「一ノ瀬一騎、もう止めはしませんが、一つだけ。今のあなたにはギアを纏えるだけの魔力がない――それは理解していますか?」
「……え? でも、この前は纏えたじゃないか」
「それは、特別な力の使い方をしたからですよ」
アリスはそう言って、一騎に二つのイクシードを手渡した。
《銀狼》と《氷雪》のイクシードだ。
「いいですか? ギアを纏える力がないなら外部から補えばいいですよ」
「外部から?」
「えぇ。私は魔力の暴走を抑える為に『魔力炉』と呼ばれる外部バッテリーを装備しています」
アリスは服をたくし上げ、腹部に刻印された紋章を指さした。
「これが『魔力炉』です。使い捨ての魔力。だから暴走する心配もなく能力を使う事が出来るんですよ」
「それがなんだって言うの?」
「あなたも『魔力炉』としてイクシードを使えばギアを纏えるんです。ですが、『魔力炉』として使えるのはあなたの場合、《銀狼》だけですね」
「どうしてイノリのイクシードだけなんだ?」
「簡単な話ですよ。あなたに残った魔力の波長と合う魔力が《銀狼》だけなんです。そのイクシードを『魔力炉』として不足した魔力を補えばギアを纏える。けど、それで纏えるのは一つのイクシードだけ。ギア本来の力は使えないと思ってください」
イクスギアの本来の力。
それは二つのイクシードを掛け合わせ、力を相乗効果させる事だ。
かつて、一騎はその力を使い、芳乃総司を倒す事が出来た。
その力を使えないのは、手痛いが――
「ギアを纏えるなら、それで十分だよ。教えてくれてありがとう、アリスちゃん」