拒絶する世界
白亜の騎士が固有結界である《白世界》を解除して数秒後。
イクスギア《ルート》を纏った結城に異変が訪れた。
「え……?」
痛みは最初こそなかった。
結城の蒼い魔力の中に紛れる漆黒の魔力。
それが何であるか結城はわからなかった。
ドクンッ――……と黒い魔力が脈打つ。
漆黒の魔力が蒼い魔力を飲み込むように全身に広がり、蒼が黒に塗りつぶされた直後。
ドクンッ――……と漆黒の魔力が激しく脈打ち、
結城の体を蝕む猛毒となって暴走した魔力が襲いかかったのだ!
「う、ぐおおおおおおおおおッ!?」
黒い魔力が結城の体を喰らう。
暴風のように荒れ狂った魔力が内側と外側から結城をズタズタに引き裂く。
途轍もない痛みとなって蹂躙する魔力の暴走を前に結城の理性が一瞬にしてはじけ飛ぶッ。
「確かに君は強いよ」
悲鳴を上げ、痛みにのたうち回る結城を見下しながら、白亜の騎士は砕かれた鎧を魔力で修復。
ダメージを癒しながら、淡々と告げた。
「その特殊な能力はもちろん強力だ。けど、一番の脅威は君のその魔力量。俺すら凌駕するほどの魔力だ。けど、その力はこの世界では猛毒になる。今、君はこの世界に殺されようとしているんだよ」
暴走する魔力にギアが耐えきれず、結城が纏っていたイクスギアが強制解除される。
暴走する魔力を制御する為にギアの封印機能が黒色の魔力を抑え込む。
だが、一度暴走した魔力を再び制御するのは困難だ。
《魔人》としての力を弱めない限り、暴走したイクシードを封印することが出来ないからだ。
ギアの封印を上回る勢いで暴走した魔力がは結城の体を侵食していく。
結城の瞳が《魔人》の独特の深紅の瞳へと変貌し、異形の姿へと体が変質を始めた。
「あ、がぁあああああああッ!?」
《魔人》への変身。
それは、ただの人間から異形の怪物へとなる現象。
人としての骨格が崩壊する激しい痛みが結城を襲う。
魔力が全身を侵食する痛みは時間が経てば経つほど激しくなる。
耐えがたい痛みに結城は地面をのたうち回った。
「トールッ!!」
マシロが涙を流し、叫びながら白亜の騎士の横をすり抜け、駆け寄る。
「しっかりして、トール!」
「無駄だよ、リア。ここまで《魔人》化が進めばもう手遅れだ。あとは堕ちるところまで堕ちるだけだ」
そう告げた白亜の騎士だが、その瞳には僅かな動揺が浮かんでいた。
驚くべきは、結城が《魔人》化している現象そのものだ。
そもそも《魔人》化は体内にイクシードという異能の力を秘めた召喚者が暴走した姿のはず。
この世界の人間が魔力の暴走で《魔人》へと堕ちるはずがないのだ。
イクシードを持たない人間の魔力が暴走した場合、肉体が崩壊し、死に至るだけ。
あるいは、芳乃総司のように肉体を消滅させるかだ。
だが、肉体の消滅は二つのパターンに別れる。
芳乃総司のように限界以上の魔力を使い、魔力切れで肉体を消滅させるパターン。
そして何度もイクシードを暴走させた場合だ。
かつて一ノ瀬一騎が封印したユキノ=ヴァレンリがこれに当てはまる。
二度目のイクシード暴走によって、体がイクシードそのものに変貌した《魔人》が辿る末路だ。
だが、結城透はそのどれにも該当しなかった。
死に至ることなく、その身を《魔人》へと堕とそうとしている。
その理由はただ一つ。
(彼も一ノ瀬一騎と同じようにイクシードに目覚めているのか?)
それしかありえない。
一ノ瀬一騎がかつて《魔人》として戦えたのも、その身にイノリ=ヴァレンリの《銀狼》のイクシードを秘めていたからだ。
なら、結城透が《魔人》化するのも同じ理由。
その身の内にイクシードを宿しているから。
(それがあの力の源か――……)
イクスギア《ルート》の世界改変の力。
それは白亜の騎士にとって、まさに未知の力だった。
不自然な体捌き。ありえない状況からの反撃。高練度な魔力の練り具合――
どれも戦いにおいて素人丸出しの結城には想像も出来ない芸当だ。
まるで、定められた未来に体が導かれるような動き。
機械を相手にしているような感覚だった。
それが、結城の中に宿るイクシードの力だとすれば――納得だ。
(あの力――使えるか?)
魔王が目指す世界改革。
それに必要な鍵はすでに揃っている。だが、成功率は少しでも上げるに限るだろう。
《魔人》はギアと同じでイクシードを鎧として纏っている状態。
鎧として纏っているイクシードの欠片を封印して奪う事が可能だ。
白亜の騎士はその機会を狙い、腰に吊るした剣に手を伸ばす。
だが、その未来は訪れなかった。
「お願いッ! しっかりして、トール!!」
リア――マシロがこの場にいたからだ。
結城に触れたマシロの両手が光り輝く。
その直後、それまで結城の体を蝕んでいた魔力の暴走がピタリと止まったのだ。
マシロから魔力が溢れ出し、結城の体を包み込む。
マシロの能力――その本来の力が発揮され、結城を蝕んでいた魔力が逆再生のように巻き戻る。
異形へと変質した肉体が人の形を取り戻し、漆黒の魔力が再び蒼い輝きを取り戻したのだ。
「え? ……え?」
窮地から脱した結城は元に戻った体を何度も触り、異常がないことを確認する。
先ほどまで体を蝕んでいた痛みが嘘のように引いている。
何が起こったのかわからず、困惑する結城を無視して、白亜の騎士がマシロを睨んだ。
「《時間遡行》の力を使ったのか? なんて無茶なことを……ッ!!」
「あ、あなた……には、かん……けい、ないッ!」
「わかっているのか? 君がその力を誰かに使う時、君は自分に力を使えなんだぞ!?」
「し、しら……ない!」
「リア!!」
結城の横で膝をついたマシロの表情は土気色で生気がまるでなかった。
体は凍えたように震え、瑞々しい肌が乾燥したようにカサカサになっている。
髪は艶がなくなったように萎れ、何歳も年老いたような姿に、結城は唖然としていた。
直後、マシロの体が漆黒の魔力に覆われる。
まるで先ほどまでの結城のように、黒い魔力がマシロの体を造り変えていく。
「ま、マシロ……大丈夫なのか?」
「だい……じょう――」
「無事なわけないだろ!!」
マシロの喘ぎを遮り、白亜の騎士が叫んだ。
怒りに染まった双眸が結城を睨む。
「わからないのか? すべては君たちの――この世界のせいだ!」
「俺……たちが?」
「そうだ! リアの能力は、時間を巻き戻す力……けど、君を癒す為にその力を使えば、魔力の暴走を巻き戻していたリアの体が今度は《魔人》に侵される! そんな事もわからないのか!?」
「そ、そんなの……」
わかるわけがなかった。
結城は魔力の操作や肉体を鍛えてきただけで、《魔人》の事やイクシードの事に関しては全く知識がない。
マシロが黒い魔力に侵されていても、助ける術を知らないのだ。
「……ま、マシロ! 俺を助けた時みたいに戻せないのか!?」
「やっ……てる。でも……」
どうやら自分の暴走した魔力を《時間遡行》の力で巻き戻す事が出来ないようだ。
それは当然の事だった。
巻き戻す力を持つイクシードそのものが暴走しているのだ。
暴走した力で暴走を鎮静させる――そんな力の使い方は出来ない。
「君のせいだ! 君がリアの側にいたから、リアが苦しむ、リアが泣いているんだぞ!!」
「俺のせいで……?」
「そうだ! お前がいるから……ッ!!」
「ち……がう!!」
マシロが暴走する魔力に抗いながら、声を荒げた。
すでに《魔人》化が進み、リアの体は異形の姿へと成りかけていた。
深紅の瞳が剣呑に輝き、人の肉体を離れ、黒い異形の姿へと変貌をはじめていた。
それでもリアは理性を無くさず、《魔人》化に抗い続けていた。
「トールは……何も悪くない! わ、『ワタシ……アノ日の事……後悔シテナイ』からッ!」
「マシロ!」
「リア!!」
声が途切れ始め、異形の咆哮が混じり始める。
いよいよマシロが《魔人》へと堕ちる――その瀬戸際だった。
「しっかりしろ、マシロ!! くそ、どうすりゃいいんだよ!!」
マシロを元に戻す方法がわからず、結城は頭を掻きむしる。
白亜の騎士も動けずにいた。
手を出すことが出来なかったのだ。
ネオイクスドライバーには《魔人》を封印し、暴走したイクシードを取り出すことが出来ない。
出来る事は、《魔人》を殺し、鎧となったイクシードを奪うことだけだ。
けど、白亜の騎士にとってリアの存在はかけがえのないもの。
《魔人》の苦しみから解放する為に命を奪う――など出来るはずがない。
可能性があるとすればイクスギアだけ。
けれど、結城透はギアの性能を全く知らない。
鎧としてギアを纏う為の起動認証コードを知ってるだけだ。
彼女を助けられる人間はこの世界でただ一人――イクスギアの真の纏い手だけ。
「……そんなの決まってる。封印しかないよ」
そして、その纏い手は負傷しながらも戦場に舞い戻る。
誰かの明日を。みんなの笑顔を守ると誓った少年の姿にその場にいた全員の視線が吸い寄せられる。
喪失した右腕を庇い、脂汗を浮かべながら、ふらつく足取りで一騎が結城からイクスギアを取り戻す。
「悪いけど、これは渡せないよ。イノリから貰った大切な絆なんだ」
一騎はイクスギアを放り投げ、空中でギアを左腕に装着。
さらにポケットから取り出した二つのイクシードを投げ、イクスギアに装填。
ギアから白銀の光が溢れ出し、一騎の体を包み込む。
右腕の激痛に耐えながら、一騎は叫んだ!
「イクスギア――フルドライブッ!!」