抗う牙
「こ、これは……」
起動認証コードによって、体内に宿る僅かな魔力がギアの姿を形どる。
だが、ギアの姿は見慣れたかつての姿からかけ離れた姿だった。
鎧と呼べる装備は一つもない。
かつて、唯一の武器とさえ呼べた白銀のガントレットも、身を守る堅牢な鎧さえ、身に纏っていないのだ。
服装も変わっていない。
服はギアによって粒子に分解されることもなく、普段のまま。
イクスジャケットの形成にすら失敗している始末。
ただ変化があるとするならば――
「《銀牙》……なのか?」
一騎の目の前に現れた剣だろう。
銀狼族の牙によって生み出された剣。
僅かに反り返った剣は刀を連想させる。
ただ、かつてイノリが振るった《銀牙》とは姿が大きく異なる。
イノリの剣はそのその名に恥じない白銀の剣だった。
だが、目の前の剣は姿こそ一緒だが、その色は黒。
柄も鍔も刀身すら黒に染まった剣だった。
一騎はおもむろにその剣を手に取る。
その瞬間――
「――ッ!?」
途轍もない衝撃が一騎を襲う。
剣から放たれる圧力。
剣圧とも呼べる衝撃が体を貫いたのだ。
その衝撃は一騎の核ともいえる何かを正確に貫き、あまりの痛みに涙がこぼれる。
「こ、これが……」
ギアを介さずに扱うイクシードの暴走。
黒色に染まった《銀牙》の原因はまさにそれだ。
今の一騎にギアを纏える魔力がないのはアリスに散々言われ続けてきた。
頼りない身体強化が限界だった。
その僅かな魔力で、欠片とはいえ、イクシードを解放したのだ。
《銀牙》が放つ剣気――
使い手の命すら飲み干し、この世界で存在を保とうとする生存本能――《暴走》が一騎を蝕むのは当然と言えるだろう。
けど――
それがどうした!?
今、手を伸ばさないと助けられない人達がいる。
明日に笑えない人達がいるんだ!!
誓っただろ、僕は!!
みんなの笑顔を。
たった一人の女の子の笑顔を守る為に戦うって。
イノリはもう、この世界にはいない。
彼女の笑顔はもう見れない――
「だからって……」
それが戦わない理由にはならなかった。
知っているだろ。
イノリがこの世界の為に自分を殺して戦ってきたこと。
大切な人達の為に多くの血と涙を流したこと。
一騎に向けた笑顔の数々を。
彼女の守りたかった世界がここにある。
それを壊そうとする存在――敵がいるんだ。
守るんだ。
彼女の笑顔の為に。
それがみんなの笑顔につながるから――
僕は変わるんだ。
もう一度。
「……僕は……戦う。その為に、今、力が必要なんだ」
目の前の剣が人の身に余る存在であること、破滅をもたらす魔剣であることは理解出来ている。
だが、同時に今の一騎にとって唯一の力なのだ。
だから、もう迷わない。
逃げない。
目の前の現実から。
背けてきたこの三か月を、一騎は今――超えた。
「行くよ――イノリ」
柄を握る手に力が籠る。
その直後。
一騎を覆っていた白銀の輝きが爆散したのだった。
◆
ずっしりと重みのある手ごたえが片手に伝わる。
黒刀を手にした一騎は脱力した状態でゆらりと名もない剣を構える。
魔剣が発する衝撃が悲鳴のように大気を鳴らす。
白銀の銃口を一騎に向けていた戦乙女は、剣の放つ異質な魔力に引き金にかけた指先が僅かに硬直した。
その僅かな時間を一騎は見逃さない。
剣呑な瞳が戦乙女の僅かな隙すら見逃さない。
瞳だけじゃない。
今は大気を感じる肌も。音を聞き分ける耳も。嗅ぎ取る嗅覚も。
一騎を構成するすべてが、鋭敏になっている。
ギアを纏えなくてもわかる。
気づけば一騎は無音で数メートル近い距離を踏破し、戦乙女に肉薄していた。
己の身に生じた変化を、肉体が理解し、脳に伝播する。
これは、変化だ。
魔剣が及ぼす能力。
確かに一騎はギアとして《銀狼》を纏うことが出来なかった。
だが、全ての能力を纏えなかったわけじゃない。
暴走した能力はこの魔剣として一本の剣に形成され、能力の全てが込められた。
銀狼族が有する危機察知能力――
あらゆる危険を察知する第六感とも呼べる《銀狼直感》がこの力の源だ。
あらゆる感覚を鋭敏すぎるほどに強化する《銀狼直感》は戦乙女の呼吸を聞くことや毛穴の一つ一つを見極めるほどに強化していた。
だが、その代償はあまりにも大きい。
「ぐ……ッ」
剣を構えた一騎は痛みに顔を盛大にしかめる。
あまりにも膨大な情報量が一度に脳に叩きこまれ、頭に激痛が走る。
不要と判断したあらゆる情報を脳が自動的に遮断するが、処理速度が追いつかず、常に激痛が走っているのだ。
魔力による身体強化を脳の一点だけに絞りたかったが激痛がそれを許さない。
かち割れそうな頭痛に意識が飛びそうになるのを繋ぎ止め、驚愕に目を見開く戦乙女を睨んだ。
「おああああああああああッ!!」
その雄たけびは痛みに耐えかねての叫びだったのか。
あるいは剣を振う自分を。
戦乙女の体を切り裂く――皮を裂き、肉を斬る感触を。骨を両断する感触を。肌に飛び散る大量の返り血を――そのあまりにも鮮明すぎる感触を払拭するための鼓舞する叫びだったのか。
おそらくはその両方だろう。
涙を流し、声が枯れるまで叫んだ一騎は、そのたった一振りを振うだけで、全ての力を使い切り、意識を失うのだった。
◆
「あちらも終わったみたいですね」
黄金の髪の少女がぽつりと呟く。
アリスは戦乙女から捥ぎ取った片腕を見つめながら掠れるような声で呟いた。
「……あなたは、いったい……」
それに応える声は今にもこと切れそうなか細い声音で、アリスはゆっくりと視線を戦乙女へと向ける。
「いったでしょ? 私は錬金術師だと」
「……ありえない。ただの人に、私を……殺せるだけの力が……奪えるだけの力がある、なんて……」
「そういえば、言ってませんでしたね、なぜ、私が一ノ瀬一騎の抹殺を命じられたのか、理由はこれですよ」
アリスが体内の魔力を稼働させ、捥ぎ取った戦乙女の腕を圧壊する。
ブシャアと肉塊が弾け、アリスの金色の髪を鮮血が染める。
腕を圧壊された戦乙女の顔色が青白く凍る。
だが、戦乙女にとって、本当の恐怖はここからだった。
潰された腕が光の粒子となって、アリスの体内へと吸収されていく。
血も肉も骨も。その全てが魔力の粒子となって彼女の中に消えていくのだ。
その光景に戦乙女は言葉を失う。
「これが、理由ですよ」
戦乙女の腕を吸収したアリスは嘲笑するように言った。
「魔力を錬成し直し、使い捨ての魔力路として体内に錬成し直す。それが出来るからこそ、私は一ノ瀬一騎の抹殺に命じられたんです」
アリスは服をめくりあげる。
おへその下には赤い痣があり、戦乙女にはその痣の模様が己のイクシードである《剣》に見えた。
「わかりますか? これが今、あなたから奪った魔力を魔力路として錬成し直した証拠です。私は私自身に魔力は一つも流れていません。当然ですよね、もし魔力があれば、暴走し、自我を失う危険もある。そんな力、誰も欲しがりませんよ」
なら、どうするか。
暴走の不安もなく、安全に能力を使うにはどうするか。
そうして、辿り着いた答えの一つがアリスと呼ばれる試験体だった。
「なら、体の外にイクシードを起動できる魔力を用意すればいい。イクスギアのように力を纏える力にすればいい。私はそうして出来上がった存在なんですよ。人工的に造ったイクシードを核に人の皮を被った生物兵器、それが私です」
それが錬金術師。
人造人間として生み出されたアリスの絡繰りだ。
この世界ではイクシードの放つ魔力は異物。
存在することすら許されない。
イクシードが発する魔力はその力を暴走させ、持ち主を破滅へと追いやる。
なら、どうするか。
解決策は簡単だった。
アリスは人為的に発現させたイクシードと一騎に説明していたが、それには誤りがある。
正しくは人工的だ。
なんの魔力も宿さない疑似的なイクシードを人の肉に埋める。
魔力がないから、暴走する心配がない。
ユキノのイクシードによって魔力が凍結させられていた一騎と状態は全く同じだった。
そして、疑似能力を発現させる為に必要なのは外部バッテリー。
つまり、使い捨ての魔力路だった。
アリスの核となる疑似イクシードは敵のイクシードを奪い、魔力路として錬成し、能力の使用の時の一時的な魔力として敵から奪ったイクシードを魔力として使い捨てる。
戦乙女の体は《複製》のイクシードで生み出された魔力の塊だ。
アリスにとっては格好の獲物。
だからこそ、アリスは一騎との接触で消費した魔力を補う為に――
「ありがとうございます。あなたが私の前に現れてくれてよかった。あなたの全てを頂きます」
倒れ伏した戦乙女の全てを喰らいつくすのだった――