襲撃
じりじりと照りつける太陽の日差しが容赦なく一騎たちの体力を奪っていく。
額に汗をびっしりと浮かべながら、一騎と友瀬結奈の二人はバツの悪い表情を浮かべていた。
「だぁっ! もういちいちついてくんじゃねえよ!」
二人の視線の先では、不機嫌な表情を浮かべ、大きなトランクを転がしていた芳乃凛音が二人を追い払うように手をしっしと振っていた。
「で、でも……心配だし」
「そうよ、一週間も留守にするんだから見送るに決まってるじゃない」
言い淀む一騎に代わって結奈が二人の心情を代弁する。
学生にとっての癒しといっても過言ではない夏休み。
その初日に凛音は海外に赴くために大きな荷物を背負っていたのだ。
夜のように黒い髪を一房のポニーテールに纏め、勝気な表情を浮かべる凛音。
その装いはこの蒸し暑い夏の陽気に反旗を翻すがごとく、真新しスーツを着込んでいた。
馬子にも衣裳とはよく言ったもので、スーツを着込んだ凛音はまさにキャリアウーマンといった感じだ。
数か月前に一騎たちの通う高校に編入してきた時も思ったが、スタイルの良い凛音は制服やスーツがよく似合う。
学校の制服姿を結奈と二人で褒めちぎった夜はしばらく寮の部屋から出てこないという事件が起こったので、今回は二人とも自重して凛音のスーツ姿を褒めるような言葉は口にしていない。
だが、気持ちは新生活を見送る凛音の親同然だ。
なにせ一週間も海外に行くのだ。
当然、旅先の心配もある。
だが、一騎たちが心配しているのは単なる旅行の心配ではなかった。
一騎の視線は自然と凛音のトランクに吸い寄せられる。
「本当に一人で大丈夫なの? 今からでもついていくよ?」
「邪魔だ」
ぴしゃりと言い切る凛音。
その表情にはやるせない思いが浮かんでいた。
「今の腑抜けたお前がいても迷惑なんだよ。いいからここで大人しくあたしの帰りを待ってろ」
「……ごめん」
しばらく押し黙った一騎はただ一言、そうこぼす。
凛音はだたの旅行としてではなく、『特別災害派遣部隊』
通称――《特派》のメンバーとして海外任務に赴くのだ。
その任務は半年前の戦いで一騎たち《特派》が《魔人》と呼ばれる異世界の召喚者から封印した異能の力――《イクシード》を海中の奥深くに沈めることだ。
異世界とこの世界を巻き込んだ十年にも及ぶ戦いの日々が終わり、世界には平和が訪れた。
黒幕であった芳乃総司の支配から解放された日本政府は解体された《特派》を再編成。
名実ともにメンバーに加わった一騎と凛音の初任務こそが、新たな火種を生み出しかねない《イクシード》の封印だった。
各国がイクシードの譲渡を求める中、封印を選んだ日本政府。
それは力を誇示し、世界への影響力を取り戻すのではなく、手を取り合って共に歩んでいきたいという強い思いがあったからだと政治家の娘である結奈が教えてくれた。
そして、その日本の意見に世界が従ったのは一騎と凛音の存在があるからだ。
二人とも、《イクシード》の力を鎧として纏って戦う戦士だった。
イクスギアと呼ばれる魔導装甲に身を包み、《魔人》と戦ってきた。
通常兵器では傷一つつけられないギア装着者が二人もいるのだ。
しかも、現状でギアを纏えるのは一騎たちだけ。
日本が本気で一騎たちを戦火に投入するようなことがあれば世界情勢はひっくり返るだろう。
もっとも、一騎や凛音にそんな意思はないのだが、抑止力としての力は計り知れない。
こうして世界がイクシードの封印に本腰を入れているのが何よりの証拠だろう。
そして、この重要な初任務の大役を担ったのが凛音だった。
一騎は学生寮と《特派》の地下基地を兼ね備えた《周防》で留守番。
当初は一騎も同行する手はずだったのが、凛音がその要望をはねのけた。
理由は誰もが察している。
当の本人ですら自覚しているのだ。
今の一騎は戦えない。
それが理由。
半年前の戦いで大切な恋人と離れ離れになって以来、一騎は腑抜けた。
無気力で、行動力もなく、ろくに眠れていないのか、肌の色も悪い。
幼馴染の結奈が心配でちょくちょく部屋に訪れるほどだ。
この半年で少し痩せぼそり、見かねた凛音が一騎を残すことを決めたのだろう。
(たく、心配させやがって……あのバカもお前のこんな顔を見たくないだろうに)
覇気のない一騎の顔を盗み見て、凛音は小さなため息をこぼす。
脳裏に過ぎったのは銀色の髪の少女や旧特派のメンバーたちだ。
彼らとの別れは必然であり、一騎もその別れを受け入れていた。
だが、いくら納得しようが、心まではそうはいかない。
この半年、ずっと一騎の側で見守ってきた凛音は痛いくらいに理解していた。
(時間が解決してくれるとも思えねーしな……)
こればかりは一騎の中で決着をつけなければいけない問題だ。
今、一騎に必要なのはその為の時間だ。
なら、この夏休みはうってつけのはず。
そう思って凛音は特派の仕事から一騎を出来るだけ遠ざけたのだった――
◆
迎えの車に乗って凛音が旅立った。
その影が見えなくなるまで見送った一騎は小さな吐息を吐き出す。
「行っちゃったわね」
「うん」
結奈がどこか寂しそうに呟き、一騎も同調する。
慣れ親しんだ右腕のブレスレットをさすりながら踵を返す。
「帰ろうか?」
「うん」
どこか気の抜けた一騎の物言いに結奈は歯に物が詰まったような返事を返し、背中を追っていく。
◆
結奈を家まで送り届け、一人『周防』へと戻る一騎。
周りに誰もいないからだろう。
ぽつりと求めていた言葉が漏れる。
「……イノリ」
もうこの世界にはいない一騎の恋人。
異世界へと戻った少女の名をつぶやく。
決壊したように気持ちが溢れ、こみ上げてきた感情がそのまま一騎の口から漏れ出す。
「会いたいよ……」
この半年ずっと探し続けた。
異世界へと渡る方法を。
異世界召喚の方法を。
けど、どれだけ調べてもその答えは出てこない。
本来なら交わることのない二つの世界だ。
当然、世界を渡る方法なんて簡単に見つかるわけがないと思っていた。
だが、ここまで痕跡がないと心が先に悲鳴を上げる。
イノリに会いたいという思いだけが呪いのように胸に巣食い、活力を奪っていくのだ。
「そんなに会いたいですか? イノリ=ヴァレンリに?」
そして、その出会いは突然だった。
一騎の背後から不意にその言葉が届き、ビクンと肩が震えた。
恐る恐る振り返った一騎。
一騎の視線の先には一人の少女がいた。
腰まで届きそうな金色の髪。
ルビー色の瞳が一騎を射抜く。
年はそう離れていないだろう。
一騎たちの通う学校の制服に袖を通したその少女の見た目は一騎と同じか年下くらい。
夏休みなのになぜ制服? という素朴な疑問よりも先に一騎の心を掴んで離さないのは彼女が口にした言葉だ。
「……どうして、イノリの名前を?」
イノリも一騎と同じ学校に通っていた事がある。
だが、その時は名前を偽り、正体を隠していた。
学校の生徒たちが知るイノリの名前は『周防イノリ』
間違っても『イノリ=ヴァレンリ』と呼ぶはずがない。
一騎の中で彼女に対する警戒心が跳ね上がっていく。
じりじりと靴底を削りながら彼女との距離を離す。
「なぜ? そんなの簡単でしょ?」
金髪の少女がゆっくりと虚空に手をかざす。
その直後、一騎を圧倒する威圧感が少女から放たれる。
かざした手には光の粒子が収束し、みるみるうちに光の形が変わっていく。
それは着飾った装飾などが皆無の武骨な大剣だった。
華奢な少女には不釣り合いなほどの巨大な大剣は彼女の背丈を超えている。
だが、大剣が放つ禍々しさよりも一騎の目を奪ったのは、その大剣を生み出す現象だ。
「まさか……イクシード?」
そんなバカなと即座に否定する。
何せ、この世界にはもう召喚者はいない。
イクシードは凛音の手にあるはず。
疑問は尽きない。
だが、考えている余裕などないだろう。
ごくりと一騎は生唾を飲み込む。
その直後、彼女が動き出した。
「世界の敵として、あなたを排除します、一ノ瀬一騎!!」
巨大な大剣を振りかざし、その重さを感じさせない速度で少女が地面を蹴り上げたのだった――