夢の中の再会
蒸し暑い夏の夜風に、一騎は寝苦しそうにうめき声を上げる。
シャツは汗でぐっしょりと濡れ、荒い呼吸を繰り返す。
だが、それは夏の暑さとは無縁と言えるだろう。
なにせ、室内の冷房は十分すぎるほど寝室を冷やしている。
一騎の眠りを妨げているのは、この夏の暑さではなく――
その夢の中身にあった。
◆
空も地面もない真っ暗な世界。
それが一騎の夢の舞台だった。
真っ暗な波に揺られ、一騎はこの夢の世界を漂う。
一騎の視線はある一点に注がれていた。
闇の世界であっても輝く白銀の髪。
きめ細かくミルクのように白い肌。
線が細く華奢な体は、一騎の視線を一瞬で釘付けにした。
掠れた声が口から漏れる。
「い、イノリ……?」
その名は一騎の心を躍動させる。
あの日――
一騎が最後にギアを纏い、戦ったあの日から三ヶ月と少し。
季節は夏を迎えていたが、一騎の心はいつまでも冷え切ったままだった。
夢の中ではとはいえ、彼女の姿を、名を口にするだけで、一騎の鼓動が速くなる。
目尻からは自然と涙が流れた。
少女がゆっくりと一騎に視線を向ける。
一騎はゴクリと生唾を呑み込んだ。
それは彼女の視線を目にして。
彼女に向けられた底冷えするような冷酷な視線に晒されて、だ。
「イノリ……か」
久しく聞いていなかったイノリの声。
だが、その声音はどこか寂しげであり――
怒りに満ちたものだった。
「オレをその名で呼ぶな。鬱陶しい」
「え……?」
「オレはお前だ、一騎」
「僕は、君?」
「あぁ、自覚くらいはあるだろう?」
イノリの声をした彼女はニヤリと口角を吊り上げる。
彼女の口調。そして語る言葉。
一騎は一つの憶測を思い浮かべた。
「まさか、君は――僕の中の死神……なのか?」
「死神、ねぇ~」
どこか感傷に浸るように彼女は呟く。
「それも少し違うな。オレはお前の中の『力』そのものだから」
「僕の中の?」
「今まで不思議に思わなかったか? なぜ、お前はイクシードを使わず《シルバリオン》を纏えたのか。そして、どうして、お前にだけ《魔人》化のリスクがあったのか」
「それは、僕の中にイノリの力の欠片が――ってまさか!?」
「あぁ、そのまさか。だよ」
彼女は好戦的な笑みを浮かべ、深紅の双眸を一騎へと向けた。
それだけでわかる。
彼女こそが一騎の能力。
ギアを纏った時、一騎の表層に現れる意識そのもの。
一騎の中に宿る――イノリのイクシードだ。
「でも、どうして、君が……」
一騎の中に数々の疑問が浮かぶ。
なぜ、純粋な力であるはずのイクシードが意思を持つのか。
どうしてイノリの姿をしているか。
どうして今になって、一騎の前に現れるのか。
「あぁ、もう! ごちゃごちゃ考えるなよ!」
「え……僕の考えがわかるの?」
「当たり前だろ? ここはお前の世界。そしてお前はオレだ。考えなんて筒抜けなんだよ。ったく、こんなヤツがオレの生みの親なんて信じられねーよ」
悪態つくように彼女は髪を掻きむしる。
そして、面倒臭げに鼻を鳴らすと。
「まぁ、今日は別れの挨拶みたいなもんだよ。お前のおかげでオレは力を得たんだ。もうお前の中に留まる理由もねぇ」
「え? ちょっと待って。どういう事? 僕の中に留まる理由って?」
「ぶっちゃけ、今のお前は退屈なんだよ。オレが覚醒してから、あの日までずっと戦い続きでそれなりに楽しかったのに、今は何だ? 毎日学校に通ってくだらねぇ授業を受けて――」
「いや、それが僕たち学生の本分だよ?」
むしろ《魔人》と戦っていた事が非日常なのだ。
「それはいいんだよ。けど、どうして戦わない? オレを使わない?」
「戦いのない世界? だから?」
「違ぇな」
一騎の答えを彼女は斬り捨てる。
「お前は気付いていないだけだ。違うな。気付かないふりをしているだけ。戦って失うのが怖いからだ。イノリのようにな」
「――っ」
「芳乃凛音はすでに動いているぜ? なのにお前ときたら不抜けて、戦う覚悟すらもうねぇ。だからお前にオレはもう必要ないんだよ」
「だから、出ていくのか?」
「あぁ。顕界に必要な魔力も貯まったしな。長いする必要もねぇ。だから、これは警告だ。その半端な力と覚悟でもし、戦場に足を踏み入れるなら、容赦なく、オレがお前を殺す」
「君が僕を?」
「あぁ、そうだ」
イノリの姿をした彼女の姿が変貌する。
黒い軍服のような装束に身を包み、柄も刃も黒い刀の切っ先を一騎に向けてきたのだ。
「最後に教えてやるよ、オレの名を」
ゆっくりと遠ざかる影に一騎は手を伸ばしていた。
だが、その手が届くことなく――
「オレはメア。もう二度とオレをイノリと呼ぶなよ、一騎」
その言葉を残して、一騎の中からメアが消え去ったのだった。