イヴまでのモノクローム
ジャ、と重たいカーテンの開く音がした。
この部屋に勝手に入ってきて布団を引っ剥がすのは一人だけ。腐れ縁のカミラだ。
見目麗しい美女だが、歳は三桁を超えている。老若男女分け隔てなく愛するところは、尊敬してやってもいいのかもしれない。
ドアの外でノックしようとして動きを止めたのはナナ。
ハロウィンに縁あって知り合いになったモノホンの十九歳。とてもいい匂いのするジャパニーズガール。
カミラの知り合いというだけで、冴えないおっさんの俺に警戒心も見せない危なっかしい娘だ。
適当に着替えながら、カミラの話(俺所有の城でスッポン鍋付きの一泊ツアーはどうかと)を聞いていたが、どうも雲行きが怪しい。いつまでもノックしないナナを怖がらせようと、『すっぽん料理』の話を妙に誤解を生む単語を選んで話してる。
別に、カミラならそのままの意味でも本当にやりそうなんだが。
いいかげんなところで黙らせて、俺はナナを迎えに行った。
急に開いたドアに驚いたのか、腰を抜かしたナナに手を貸して、誤解を生ませた張本人に後始末を任せる。文句を言ったって俺は知らん。『吸血鬼のお城で生き血を啜る乱交パーティー』なんて却下だ、却下!
こんなだが、カミラは医師免許を持っていて、雇われ医師をやってたりする。評判も良いらしい。「食いっぱぐれなくていいわよ」と少しずつ採血を多めに採って作った血液パックを分けてくれたりするのだが、そのバイタリティーには感服するばかりだ。
こっちはもう血を吸うのも面倒臭くなってるっていうのに。
血を摂取しなくとも、別に死ぬわけじゃない。アルコールの類と一緒だ。気分が高揚したり、肌つやが良くなったりする。その程度。
ただし、欲しいと思う欲求はかなり強いものがあるわけで。美味しそうな、好みの匂いなら余計。
人間の世に紛れ込んでこそこそ血を求めるのも面倒になって、血液断ちをしてもうずいぶんになる。それでもぼんやり生きていけるのだから、吸血鬼とは頑丈な生き物だ。
シンクに寄りかかって飲んでいたコーヒーが無くなる頃、『すっぽん料理』をグロテスクに誤解していたナナも落ち着いたようで、興味津々の顔で『お城』について聞いてきた。
隠すことでも無いので一通り説明する。曰く、親から譲り受けた遺産で、不動産屋に管理を丸投げして観光地化し、その賃料で暮らしているのだと。
「へぇ、へぇ! 実家がお城なんて素敵ですね! わぁ、行ってみたいなぁ。ツアー申し込めば行けるんですよね?」
キラキラした瞳で手を組んでそう言われると、なんだか悪い気になる。
「いや、金払うほどのことは……城っていっても有名どころと違って小さいしな」
「あら。良かったわね、ナナちゃん。イェジィが連れて行ってくれるって」
「えっ! 本当ですか?!」
「……はぁ?」
カミラを睨みつけると、ナナがとたんにしょんぼりする。
「……あ、やっぱり、迷惑ですよね」
「あ、いや、迷惑じゃ、別に。その、こんなおっさんと出掛けても楽しくないだろう? 誰か他の友達も誘って行くか? 車も無いからレンタカーになるけどな」
他の友達……と呟いて、ナナはちょっと天井を見上げた。
カミラがにやにやしてこっちを見てる。腹立たしいのでもう一度睨みつけてやった。
「……なんか、一人誘ったらみんな行きたいって言いそう。それなら、みんなでツアーで行った方がいいですよね。イェジィさんもそれで暮らしてるんですもんね」
「まぁ、急に行っても中は見れないかもしれないからな。これからはライトアップとかイルミネーションで人を集めるって言ってた気がするし……だよな?」
確認をカミラにしなけりゃならないというのは、多少悔しいものがあるのだが、彼女の方が詳しいので仕方が無い。
「そうそう。宿泊客入るとどうしても中は時間が限られるから、外見を見栄え良くして売店でも出そうかって」
「イルミネーション……」
また、ナナの瞳がきらめいた。
「ツアーはツアーで行けば良いじゃない。私、組んであげるわよ? たまにこの怠け者を外に連れ出してよ。会話に困りそうって言うなら三人で行きましょうか」
「それ! それ、いいですね! えっと、イェジィさんは……」
おずおずとこちらを見るナナに反対出来るわけもない。一息吐き出して、肩を竦めた。
「お姫様達がそれでいいと仰るのでしたら」
後はもう、女性二人できゃいきゃいと、日程からドライブコースまで楽しそうに決めていた。
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ジャ、と重たいカーテンの開く音がした。
布団を引き上げる前に引っ剥がされる。
「行くわよ」
どこへ? 今日は予定なんかなかったはずだ。
寒さに体を丸めて呻いていると、どさどさと着替えが降ってきた。
文句を言うのも面倒臭くなって、機械的に着替えをこなす。そのまま引きずられて行ったのは床屋だった。それからカミラ御用達のブランド店のメンズ服売り場。値段? ばかばかしいから見ない方がいい。
ようやく頭が起きてきたのは、大荷物を抱えてクリスマスマーケットに向かう人混みを掻き分けながら帰路につく頃だった。
「で? 今回は何に付き合わされるんだ?」
つるりとしてしまった顎を撫でながら聞くと、カミラは呆れた顔をした。
「明日、ドライブ行くでしょう? しゃんとしてよ」
確かに城まで行くことになってるが、それと床屋と買い物が結びつかない。首を捻ってるとカミラがイライラと目を吊り上げた。
「あ・の・ねぇ。クリスマスは流石に無理だったの! でも、イブイブは確保できたのよ。褒めてくれてもいいんじゃない?」
「はぁ?」
「私、明日は用事あるから」
「……は、あ!?」
「残念だなぁ。私もナナちゃんとお城でしっぽりしたかったなぁ」
くるくると長い巻き髪を指に巻き付けながらそう言うカミラは、全然残念そうじゃない。
「お前、何考えてる!?」
「一泊くらいしたら、ヤル気になるかなぁって」
「やめてくれ! おとなしくひっそり生きてくのの何が悪いんだ。お前の邪魔はしてないだろう?」
「だぁって」
カミラは甘ったるい声を出して、身を寄せてきた。
「ナナちゃんはあなたがいいみたい。あなたも、ナナちゃんがいいんでしょう? そういう匂いがするもの。応援するのの、何がいけないのかしら」
「何をどうしたって面倒なことになるじゃないか。いいんだよ。ほっといてくれ」
「イェジィ。ここ十年で一番生きてる顔してる」
カミラのしなやかな手が頬を撫でていく。
「この顔にするのが私じゃないのが悔しいわ」
赤い唇が近付いて、重なる。
両手に荷物を持ってるし、押し退けるのも拒否するのも面倒臭い。カミラのキスに大して意味なんてない。挨拶以下だ。
そこで目ん玉ひん剥いて凝視してる彼にしてやればいいのに。
冷めた頭でそんなことを考えていたら、離れようとしたカミラの視線が背後に向いた。
「あ、ナナちゃん」
ぎょっとして、振り返る。どこ――どこにも、いない?
はっとして向き直る頃にはカミラは笑いながら先に行ってしまっていた。
あんにゃろ。
一瞬追いかけようかと思って足を踏み出したが、逃げに入ってるカミラを掴まえられたことはない。舌打ちをひとつ派手に打って、そのまま家に足を向けた。
次の日、予定通りにナナを迎えに行って、一応カミラが来られないことを報告した。ナナは笑って連絡来ましたとスマホを振っている。
「やめてもいいぞ。また今度で……」
きょとんと不思議そうに首を傾げて、ナナは助手席のドアの前に移動する。
「せっかくだし、連れて行って下さい。カミラさん、ディナー付けといたって言ってたんです。行かないと、もったいないじゃないですか!」
「……ディナー……?」
聞いてねぇ。
「いや、それだと遅くなる……」
「飲み会で遅くなるのとそんなに変わらないですよ? あ、イェジィさん、私の事やっぱり子供だと思ってるでしょ! そりゃ、カミラさんみたいに大人っぽい色気はないかもしれないけど……」
拗ねるその顔はまさに子供っぽい訳で。だけど、それが悪いという訳じゃない。どうしようもない葛藤を俺は一旦脇に捨てて、結局、助手席のドアを開けた。
城のある湖畔までは真直ぐ行って2時間程度。雪はさらりと積もった程度だが、気温は冷え込んでる。暖まった車内で帽子とマフラーを外しながら、ナナは運転席に座った俺の顔にふと視線を止めた。
「イェジィさん……髪、切りました?」
「ん? あぁ、昨日カミラに床屋に放り込まれて。風邪ひきそうだ。そんなに変わらないだろう?」
「似合ってますよ? さっぱりして……モテそうです」
ミントガムを口に放り込んで笑いながらハンドルを切る。
「寄ってきたヤツには同じだけ愛想もつかされてきたな。面倒見きれないって」
「残ったのが、カミラさんなんですか?」
「カミラは……残ったというか、最初からというか」
「やっぱり、お付き合い……してました?」
一瞬だけナナを向いて、すぐに視線を戻し軽く肩を竦める。
「そんな時期もあったっていう程度だ。あいつは誰を相手にしてたって変わらない。解るだろう? 誰かといたって誰のものでもない。だから、片手間に俺の面倒を見続けられる。ちょっとしたスパイスなんだとさ」
「スパイス……」
「俺達はずるい大人だからな。決めないことでのらりくらりと生きているのさ。こんな大人になるなよ? どっちもダメな見本だ」
両手を軽く上げてにやりと笑ったら、ナナは慌てて横からハンドルを掴んだ。
「あ、危ないじゃないですか! ちゃんと握っててくださいっ」
「な? ダメな大人だろう?」
道はしばらくストレートで、離したのは一瞬だったから、どうということはない。実は膝で押さえてもいる。ナナを乗せてるからスピードだって出してない。
ぷりぷり怒るナナをまたからからって、途中のドライブインで飲み物を奢るまで許してもらえなかった。
湖に到着する頃にはちょうどイルミネーションが灯り始め、まだ明るいものの、雪景色をバックに赤や黄色や青い明かりが点滅する様子は、ナナを喜ばせるのに充分だったようだ。
イルミネーションが良く見えるようにと城の対岸の展望台に来てみたのだが、いつの間にやらこちらにも屋台のような簡易販売所が並んでいて、飲み物やつまみ、お土産品にも事欠かない。
どこまで不動産屋が絡んでるか知らないが、俺はもう少し分け前を要求してもいいんじゃないだろうか。ちょっと、カミラをつついてみよう。アイツ、絶対中抜きしてる。
暖かい缶コーヒーをナナに渡すと、開けもしないで両手で挟み込み温かさを堪能している。帽子もマフラーも手袋も、完全防備してるのにその鼻の頭と頬は赤く色づいていた。
「湖……なんですよね?」
目の前に広がっているのは、真っ白な雪原に見える。狐や野ウサギの足跡が横切っていて、確かに湖には見えないかもしれない。
「冬場は乗っても大丈夫なくらい凍りつくからな」
「お城も、思った以上にお城でびっくりしました。確かに、ここに一人で住むのは寂しいですね」
「今は観光客がいくらでも来るけどな」
「吸血鬼の住んでたお城って、本当ですか?」
ガイドブックか何か見たのか、ナナがくすくす笑いながら聞く。
「もちろん、本当だとも。地下に彼等の眠っていた棺も残ってる」
役者ぶってそんな風に言ったら、黒い瞳が好奇心に輝いた。
「イェジィさんも、棺で寝起きを?」
「俺? そう見える? 美女の血をいただきましょうか?」
調子に乗って肩など抱いてみたが、拒否の気配がなくて逆に焦る。うっかり近くなった距離では、まともに彼女の『いい匂い』がするわけで……
「あんなにお布団好きそうでしたから、棺は想像つきませんね」
はにかみながらちょっと下を向く仕草に、俺は慌てて手を離し、踵を返した。
「そ、その節は失礼。城、見るんだろ? 行こうか」
俺は寝る時一糸纏わない。それを、ナナは偶然にも知ってる。
足早に車に向かう俺を追ってナナが小走りになる気配がした。あんまり急がせちゃ悪いかと振り返ろうとしたら、小さな悲鳴と共にナナが俺の腕にしがみついた。体ごと持って行かれそうになるのを何とか堪える。
「ご、ごめんなさい。凍ってたみたいで……滑っちゃって……」
「……危ないからな。掴まっとけ」
ナナが体勢を戻してからポケットに手を突っ込み直して、ぐいと肘を張りだした。ナナは躊躇いつつもそこに掴まる。車までのほんの短い距離だってのに、彼女の触れた場所だけ妙に温かい気がした。
ちかちかと電飾瞬く城に着いてみると、執事の格好をした年配のスタッフが出迎えてくれ、この城の新しい主という体で案内してくれた。
カミラが仄めかしてたようにどうやら貸切にされてるらしい。
アイツ、本気で一泊させるつもりだったんだろうか。ナナが頷くとでも思ってるんだろうか。
映画のセットのように、まさに吸血鬼の城になっている自分の家を斜に見ながら、俺は老執事の話を聞き流していた。
地下の並んだ棺から吸血鬼の人形が起き上がるという、アトラクションさながらのパフォーマンスに苦笑し、そんな子供だましでうっかりしがみついてくるナナにも笑った。
君がしがみついてるのがホンモノだよと囁いてみたくなる。
後はディナーを食べて帰るだけ、と階段を登れば老執事が恭しく頭を垂れた。
「こちらで、お着替えを」
「は?」
聞いてない。
あれよと言う間に別々の部屋に連れ込まれ、正装させられる。燕尾服のように上着の後ろの裾が長いタイプのフォーマルで、サイズがぴったりなところを見るとカミラの差し金だろう。手慣れたスタッフに髪までセットされて連れ込まれたのはバーカウンターのある広めの一室だった。
中央には大きめの丸テーブルが置かれていて、すでに何品か料理がセットされている。ナナはまだ時間がかかるだろうと踏んで、カウンターの中へ入ってみた。
一通り酒も器具も揃ってる。氷も……用意されてる。空のシェイカーを手に取り、くるくると回しながら放り投げ、背面で受け取る。意外と忘れてない。
何で辞めたんだったか。
多分、理由なんてない。
ある日急に何もかもが面倒臭くなって、全部放り投げた。
あの、全てから色の抜けた感覚をどう表せばいいのか。
ドアが開く。空気が動く。メイドの格好をしたスタッフに手を引かれてナナがゆっくりと入ってくる。
色が、そこから戻ってきたような気がした。
裾の長さに歩くのにも難儀しているそのドレスは、深い深いボルドーの赤。ぴたりと肌に沿ったビスチェ状の胸元をふんわりと隠す、丈の短い白いファーのボレロ。ウエストから流れるようなラインのスカートはバラの花びらを身につけているようだ。
同じ色の唇も悔しいことに似合っている。その黒い髪と瞳に、恐ろしいほど。
俺なら絶対に選ばないカミラのセンスに怒りさえ沸いてくる。
だって、ほら、無意識に身体が動く。気付いたら彼女の目の前で、メイドは黙って一礼して下がっていった。
歩くのに必死で、ようやく顔を上げたナナの瞳が俺を捉えて、少しだけ見開いた。
「裾は軽く持ち上げて、蹴り上げるようにして歩け。気に入らない奴を思い浮かべてな」
「……気に入らない?」
ちょっと笑った彼女の手を取って席まで先導する。椅子を引いてどうぞと示したら、照れ隠しなのか口を尖らせた。
「イェジィさん、慣れすぎ」
「年の功だな。幸い誰も見てない。作法は気にせず旨いものを味わおう」
シャンパンで乾杯して、口はつけずに炭酸水へ替える。飲みたいのは山々だがカミラの思惑にこれ以上乗りたくない。後であそこに並んでる酒をいくつか持ち帰ってやる。
「飲まないんですか?」
不思議そうなナナの顔に少し脱力する。そこまでの信用があるというのは喜ばしいのか、哀しいのか。
「帰れなくなるだろう? 俺はご馳走を前に我慢できるほど紳士ではないからな」
ご馳走? と目の前の料理に視線を落として首を傾げるナナに苦笑した。
「カミラのセンスには脱帽する。似合ってるよ。食べちゃいたいくらいだ」
ナナはようやくその意味を理解して、あわあわと赤面した。
「に、肉付きが足りないチキンレッグですよっ」
その返事では、取りようによっては食べてもいいということになるが。きっと自分で何を言ってるのか解ってないに違いない。俺は全てを笑って誤魔化した。
食事が終わると、俺はナナをカウンターまで誘導して自分は中に入り、上着を脱いで袖を捲った。
「折角だから何か作るよ。これだけ揃ってれば何でもできる。何がいい?」
「え。ええっと……詳しくなくて……甘目の気分? かも」
「了解」
材料を手早く揃えてシェイカーに注ぎ、左肩の前で構える。そういえば、この時ばかりは猫背も治るなと変なことが頭を過ぎった。
ゆっくりと振り始め、だんだん早く、ラストはまたゆっくりと。カラカラと氷が刻むリズムが心地よく響き、すでにアルコールの入っているナナの瞳がうっとりとして見えた。
カクテル・グラスに注がれる淡いペパーミント色の液体は、ホワイトチョコレートリキュールと生クリームで甘く、飲むデザートのようだ。ペパーミントの爽やかさが食後でもしつこくないだろう。
「どうぞ」
期待を込めて口元に運ぶ仕種をじっと見つめて、綻んだその顔にこちらもつられる。
「チョコレート! これ、うっかりしたら危ないヤツじゃないですか?」
「そうだな。ゆっくり飲めよ? あと、煙草、いいか? そろそろ死にそう」
「煙草やめて死ぬ人はいませんよ。でも、どうぞ。イェジィさんはなんか煙草似合うから、やめてって言いづらい」
「身体の一部だからな」
笑って遠慮なく火を点ける。
煙草を咥えたまま、だらしなく自分の分をシェイクすると、ナナがびっくり顔で凝視していた。表情がころころ変わるのが面白くて口元がにやける。
「それ……」
「俺の。ちゃんと、ノンアルコール」
赤に近いオレンジのカクテルは最後にソーダを注いで軽くステアする。ライムの香りが甘ったるい気持ちを少しだけ引き締めてくれた。
「う。そ、それも飲みた……」
最後まで言い切らなかったが、ロンググラスに向けられるじっとりとした視線に全てが現れている。
俺は一口飲んでしまったそれに煙草の灰が入り込んでないか確認してから、ナナに差し出してみた。
「飲んじまったけど、味見するか? 別に、新しく作ってもいいんだが……」
好みもあるし、と続けようとした俺にお構いなしに、ナナはぱっと顔を綻ばせてグラスを受け取った。何も言わずとも、輝きを増す瞳は実に雄弁だ。
「ナナ、新しく作るから」
返せと手を出して、きょとんと見つめる瞳に首を傾げた。
「……あっ。すまん。ナナ、ちゃん」
自然すぎて、自分で気付かなかった。今の格好は「ちゃん」なんて呼ぶのが悪いような気になる。
「いいですよ。ナナで。やっと少し子供扱いから前進した気がします!」
ずいとロング・グラスを差し出して、ナナが生意気に笑った。
「ついでに連絡先も下さい。今度から行く前に連絡しますから! カミラさんはつかまったりつかまらなかったりするし」
「……はぁ? こんな怪しい男の家にほいほい来たらダメだろう」
「じゃあ、呼び出しますからっ」
「いや……そうじゃなくて……」
新しく作ったカクテルを差し出したら、グラスではなくその腕を両手で掴まれて無言の圧力をかけられる。
ああ、もう!
尻ポケットからスマホを取り出して、投げやりに放り投げた。
「……好きにしろ」
本体が来るとは思ってなかったのか、ナナは慌ててそれをキャッチして少し途方に暮れていた。
「え……っと。ロックとか……」
「ない。面倒臭い」
電話帳だってカミラと城の管理を任せてる不動産屋くらいしか入ってない。困ったらカミラに言えば大抵のことは解決する。
「……チャットアプリとか、入れてないんですね」
「カミラが一旦入れてたが、見ないからな。そのうち切れられた」
「……なるほど」
ナナにも苦笑されると、なんだか自分が酷い人物に思えてきた。別に、普通だよな?
するすると流れるように二つの端末を操作して、あっという間に登録は終わったようだ。はい、と端末を返される。
「確認に、かけてみて下さい」
「俺が?」
こくりと頷かれたので、渋々戻ってきた端末を操作して新しいアドレスをタップする。画面にコール中のアニメーション表示が出て、ナナのスマホが軽やかな音楽を奏でた。
「大丈夫だな」
切ろうとしたら、ナナがそれを耳に当てる。
「もしもし」
一瞬、他の誰かからタイミングよく電話が入ったのかと思ったが、よく見ると自分の端末も通話中になっている。
ナナと目を合わせながら、ゆっくりとそれを耳に当てた。
「今日のドライブもお食事もお酒も、すごく楽しかった。メリークリスマス……ちょっと早いけど」
目の前から聞こえる声と、少しずれて耳元で聞こえる声。どちらも甘く響いて、くらりとした。
聖夜なんて俺達には関係ない、けれど。
「ナナ……」
「はい」
呼んでしまってから、言うべきことが見つからなくて現実に引き戻される。咳払いひとつで誤魔化して、通話を切りながら続けた。
「帰ろうか」
・・・ Happy Marry Christmas ! ・・・
ナナに作ったカクテルは「グラスホッパー」のイメージ。
味はチョコミント。
イェジィのノンアルコール・カクテルは「サマー・デライト」。
ライムジュースとグレナデンシロップなどにソーダを注いだ物。
緑と赤で一応クリスマスカラーということで……
(どうもクリスマスっぽくないのはクリスマスマーケット部分をまるまるカットしたせいにしておこう)
二人の出会いは前作「It’s time for a 「coffin」 break」ハロウィンに上げた短編で。
関連(カミラが語る「すっぽん料理」の話w)に「吸血鬼達の晩餐 (妄想お食事会ボツ作品)」なんかがあります。
どちらも欄外にリンク貼っておきますので覗いていただけると喜びますm(__)m