第89話 天災少女の封術講義2
俺が引っ込むのを見たエリスは、再び昔語りに戻った。
『封力石は、魔石が本来持つ何らかの『力』を、オルリスの力を用いて特定の手順で使えるようにしたものである』
その結論は、若き封術士が研究を前人未到の領域に進めるきっかけとなると同時に、非常に深刻な事実を示していた。
それはつまり、オルリス教会による嘘と隠蔽。
教会は『封力石は創世神オルリスの力を封じたもの』と説明してきた。
例えオルリスの権威を高めるためとはいえ、創設以来数百年間、教会は嘘をつき続けてきたことになる。
この事実は、封術士と恋人、そして友人の神父を悩ませた。
恋人のシスターと友人の神父は、その信仰心ゆえに。
封術士は、研究の秘匿と、同士となる研究者をどう募るかということに。
いかに彼が優秀でも、生きている間にこの未踏の研究に道筋をつけるには、ある程度の人手が必要だった。
そのような葛藤を抱えながらも、ともかく新たな研究はスタートする。
封術士は自らの研究室で『表向き』の研究を行いながら、裏では封力石の研究を進め、見所のある若手研究者をメンバーに加えていった。
研究内容の秘匿には、恋人に使われていた契約紋を改良して使用した。
そして三年後。
研究は一つの成果にたどり着く。
『封力石の直接制御』。
既存の封術では、オルリスから与えられたと伝えられる詠唱と封術陣を用いて、封力石の力を変換・制御している。
封術陣の一部には、オルリスに引き渡すパラメータがあり、そこから先は不明。
そのため術の開発は、既存のパラメータをどう変えるか、ということに終始していた。
パソコンで例えるなら、オルリスというOSを使って封力石をコントロールしていた、という感じだろうか。
ところが彼らが開発した新たな方式では、オルリスを介在せず、直接封力石を制御することに成功していた。
言わば、自由度の高いオリジナルOSの開発に成功したわけだ。
魔石標準化の手順とその内容が明らかになったことが、ブレイクスルーに繋がったらしい。
この新方式により、封術の細かな操作が可能となり、複数の封術の同時・連鎖・複合発動などもできるようになった。
まさに歴史に残る発見と発明。
だが運命は彼らに、過酷な道を歩ませた。
ここから先は純粋に歴史の話になる。
恋人の妊娠と退職。
退職時に、契約紋に手を入れたことが露呈。
尋問の末に秘密研究が発覚し、異端認定。
恋人を奪還し、一味は逃走。が、逃走時の戦闘で恋人が死亡。
新型封術によりオルリス教会本庁庁舎半壊、死傷者多数。
神聖国からの脱出と、東方暗黒大陸入植・征服。
エルバキア帝国建国。エルバス正教会設立。
恋人を失った天才封術士は初代皇帝となり、異端に手を貸したとされた友人の神父は初代教皇となった。
「ざっとこんなところね。この話は、帝国では初等学校で教わる基礎教養らしいわ」
エリスの話が終わった時、聴いていた面々はなんとも言えない神妙な顔をしていた。
オペラにでもできそうな歴史物語。
エステルにいたってはちょっと涙ぐんでいた。
「どっちが正義か分かんなくなるな」
最初に口を開いたのは、ジャイルズ。
その言葉に、スタニエフが応える。
「分かりやすい『正義』があればいいですけど、残念ながら世の中そう単純じゃない、ということでしょう。その話が真実かどうかも分かりませんし、仮に本当だとしても、帝国の膨張政策や海賊行為を容認することはできません」
しばしの沈黙。
この場にオルリス教の熱心な信者はいないとはいえ、ショッキングな話には違いなかった。
俺はエリスに向き直った。
「ひとつ、基本的なことを訊きたいんだけど、いいか?」
「どうぞ」
「封術の詠唱と封術陣て、何なんだ?」
それはこちらに来て以来ずっと抱いていた疑問。
ゲーム内では詠唱のセリフなんて出て来ないし、当然細かい説明などなかった。漠然と『魔法みたいなもの』として扱われていただけだ。
カレーナに訊いてもいまいち明確な返事が返ってこなかったあたり、封術士自身よく分からず術を使っていることも多いんだろう。
だけど天災少女のエリスであれば、分かるように説明できるのではと思い、その質問をぶつけてみたのだ。
せっかくの機会だしね。
エリスはちょっと考えると、口を開いた。
「『詠唱』は、封術陣の描画とパラメータの設定、起動を行うもの。『封術陣』は封力石に宿る力を変換して制御するもの。……こんな説明で分かるかしら?」
「ええと、ちょっと待ってくれ。……つまり、実際に封力石を操作するのは『封術陣』の方で、詠唱は『封術陣をつくるためのもの』って解釈で合ってる?」
「ええ。合ってるわ」
なるほど。
やっと合点がいった。
だから封術陣が描かれたスクロールを使えば誰でも封術を使えるのか。
まあ、売られてるのは初級封術ばかりだけど。
…………あれ?
「素人考えだと、詠唱で封術陣を描くより、あらかじめ封術陣が描かれたスクロールを使う方がタイムラグが少なくて良いと思うんだけど、なんで初級以外のスクロールは売られてないんだろ?」
「なかなかいい質問ね」
にやり、と笑うエリス。
「カレーナ、答えられる?」
「え、なに? 私?!」
いきなり話を振られ、焦りまくるカレーナ。
「な、なんで私に振るんだよ!」
「復習よ、復習。卒業から一年近く経つわけだし、おさらいしといた方がいいでしょ」
さらっと応えるエリスに、カレーナは嫌そうな顔をした。
「復習じゃなくて、復讐の間違いじゃないか」
「……なにか仰ったかしら?」
エリスが満面の笑顔で訊き返す。
……怖い。
「な、何も言ってないよ。うん」
目をそらすカレーナ。
「それじゃあ説明をお願い。中級以上のスクロールが滅多に売られていない理由は?」
反論を許さない容赦なしの問いかけ。
怖い。
問われたカレーナは、さらにどもりながらなんとか答えた。
「……つ、作るのが大変だからだよ。難易度の高い複雑な封術陣ほど、細かく正確に描かなきゃ発動しない」
え、そうなの?
視線をエリスにやると、彼女は腕組みをして渋い顔で頷いた。
「うーん。まあ、正解としておきましょうか。封術陣は歪みなく精緻に描くほど正確に術を発動できるけど、中級以上の高密度な封術陣をきちんと描くのは、手書きでは困難なのよ」
「……つまり初級の封術陣はある程度ガバガバでもそれなりに発動するから手書きでいけるけど、中級以上の封術陣は精密に描かないと発動しないから、手書きしたものを使うのは難しい、ってことか?」
「その通りよ。詠唱で描く封術陣は、歪みなく精緻。だから中級以上の封術には必須なんだけど……詠唱に時間がかかるし、詠唱句を間違ってたら発動しないわ」
なるほど。
中級が中級たる所以か。
「さて。封術の大枠は大体説明したわ。他に何もなければ今日はこれで終わるけど」
「ああ、もう一つだけ聞かせてくれ」
「何かしら?」
「詠唱の言葉っていうのは、聴いてると最後の発動のキーワードだけオルリス共通語で、あとは違う言語を使ってると思うんだけど、あれはどういうものなんだ?」
俺の問いに、エリスはしばらくじっとこちらを見据えると、数瞬のあと、胸を張ってこう言った。
「そんなの分かんないわ!」
えええええ?!