第88話 天災少女の封術講義
皆がテーブルを囲んで着席したところで、エリスは口を開いた。
「さて。封術のことだけど、みんなどの程度知っているのかしら?」
彼女の問いに、最初に口を開いたのはカレーナ。
「私の知識は、封術院の短期コースを卒業したところで止まってる。詠唱と手順は覚えてるけど、理屈はちょっと……。とりあえず初級冒険者として働ければよかったし」
「それは好都合ね」
「え?」
講師の意外な返事に、カレーナが聞き返す。
「王国をはじめオルリス教圏で教えられている封術は宗教色が強いのよ。すべての研究が『封力石に宿る創世神オルリスの力を利用する』という常識に囚われてる。そのせいで長く封術を研究している人ほど凝り固まって、違う考えを受け入れられなくなってるわ。これからする話を理解するには、余計な知識や先入観はない方がいいと思うのよね」
……え?
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
俺は声をあげた。
「封術って『そういうもの』じゃないのか?」
ユグトリア・ノーツのストーリーでも、封術は今エリスが言った『常識』のように説明されていた。
それを疑うような話はなかったはずだけど???
俺の問いかけに、エリスは口角を上げた。
「オルリス教圏ではそのように理解されてるし、今の私にはそれを完全に否定するのは難しいわ。正直、知らないことが多過ぎる。でも、少なくとも帝国は、違った解釈で封術の研究を進めてるみたいね。実際、私はこちらの一般的なやり方とは異なる手法で術を発動してるし」
違った解釈?
異なる手法??
「つまり、どういうことなんだ? 分かりやすく言ってくれ」
俺の言葉に、エリスは顎に手を当てちょっとだけ考えると、こう言った。
「……封力石に宿る『力』って、本当にオルリスの力なのかしら?」
「「え???」」
その場にいた全員が固まった。
以前カレーナが言っていた。
『魔物の体内から得られた魔石は、オルスタン神聖国で浄化され創世神オルリスの力を封入されたのち、封力石として売られる』と。
それが、この世界の常識。
そしてそれは、俺がユグトリア・ノーツを通して知っているゲーム知識、
『封術は、オルリスの力が宿る「封力石」から力を引き出し、火、水、風、土の各属性に変換、操作する術』
……という定義とも一致している。
それが、間違いだと?
そんなーー
「バカな」
ゲーム中ではオルスタン神聖国を訪問するイベントもあったし、オルリス教会の総本山には、封力石を作っている立入禁止のフロアもあった。
もしゲームの設定と違うなら、この世界は一体何なんだ?
目の前のテーブルを睨み、考え込んでいると、肘掛けに置いた左手の甲に、温かいものが触れた。
綺麗な指先。
細い腕。
俺は顔を上げた。
「エステル…………」
婚約者は穏やかな表情で俺を見つめていた。
「ボルマンさま。まずはエリスの話を聞きましょう」
…………そうだ。
俺は何を焦ってるんだ。
まだエリスは何も話していないじゃないか。
エステルの手に、そっと右手を重ねる。
「ありがとう、エステル」
彼女は何も言わず、微笑んだ。
「すまない、エリス。先を続けてくれ」
俺たちのやりとりを見ていた天才封術士は、ふっと笑った。
「ちょっと歴史の話をしましょうか」
そう言ってエリスが語り始めたのは、エルバキア帝国の捕虜から聞いたという昔話だった。
かつてオルスタン神聖国に、一人の若い封術士がいた。
彼は封術士としても研究者としても非常に優秀で、オルリス教会の封術研究機関に属し、日々封術の研究と開発に取り組んでいた。
当時、彼が発表した数本の論文は、その革新性からオルリス教圏の封術研究者の間で議論の的になったという。
そんな彼が封力石そのものに関心を持ったのは、ある意味で当然のことだったのだろう。
封術の詠唱と封術陣について一定の成果を得た彼は、さらに研究を進めるため、封力石の製造法を研究しようとした。
だが、封力石を作るための魔石の浄化法、オルリスの力の充填法は、教会本庁でも秘中の秘。
いくら彼が教会の研究者と言えど、その方法へのアクセスの扉は固く閉ざされていた。
さて。
彼には恋人がいた。
その女性は教会本庁のシスターで、当然交際はおろか私用で男性と会話することも禁じられていたが、彼が封力石製造法の公開を求めて足しげく本庁に通う中で、いつしか恋仲になったのだった。
二人は教会の敷地の中で密かに逢瀬を重ね、やがて将来を約束するまでになった。
そして、機会がやって来る。
封力石製造部門への転属を願い出ていた恋人の希望が通ったのだ。
彼女は希望の部門への配属と同時に、腕に秘密保持の特殊な契約紋を施された。
それは、作業フロアを出ると、封力石の製造法を思い出せなくなるという代物だった。
封術士の若者は、神聖魔法に通じた友人の神父の助けを借りてその契約紋を解析。
まもなく恋人の契約紋の解除に成功する。
そして知った、封力石の製造法。
『魔石に神聖魔法をかけ、封力石にする』というのは予想通り。
だが友人とともにその神聖魔法を解析してゆくと、どう考えても足りない工程が一つあった。
それが『オルリスの力の封入』。
更に調べると『浄化』と思われた前工程は、むしろ『標準化』に近いものであることが分かってきた。
つまり封力石というのは、魔石が本来持つ何らかの『力』を、オルリスの力を用いて特定の手順で使えるようにしたもの、ということになる。
「ちょっと待った」
俺は小さく手を挙げた。
「何かしら?」
話を中断されたエリスは、じろりとこちらを睨む。
「ひょっとして封力石が再使用できない理由って、そういうことか?」
「再使用?」
「ああ。前にカレーナから聞いた。『魔石は封力石の器にすぎない。だけど封力石は一度使うと、ただの石のようになってしまう』……それって、魔石が本来持っていた『力』を使い切るからじゃないのか!?」
やや興奮気味に叫ぶ俺に、だがエリスはあっさりと頷いた。
「そうね。そう考えることもできるわ」
あれ?
反応が薄い???
エリスは、ふふん、とこちらを見た。
「私がその程度のこと、気づかないと思った? 帝国の封術解釈なら、確かに封力石が再利用できないことに理由づけができる。……もっとも、説得に足る明確な証拠はないけどね」
「……スミマセン。失礼シマシタ」
俺はしょぼんと肩をすくめて、イスに引っ込んだ。