第87話 エリスとカレーナ
我が家の談話室に、自分を含め七人の少年少女が集まっていた。
言うまでもなく俺の関係者一同で、言い方を変えればこれから共に命をかける仲間たちだ。
まあ、カエデさんはエステルの護衛だけど。
談話室はうちの屋敷でも比較的大きな部屋で、小学校の教室一つ半くらいはあるのだけれど、それでもこれだけの人数がいると、さほど広くは感じなかった。
三人の子分たちが一列に並び、その向かいにエリスが立つ。
俺とエステルはエリスの隣に立ち、子分たちを彼女に紹介していた。
それぞれの名前と、戦闘時の役割を説明してゆく。
ジャイルズ、スタニエフ、と紹介して、カレーナの番になった時、微妙な空気が漂った。
当然といえば当然。
誤解があったとはいえ、互いに封術をぶつけ合った仲だしな。
いざ自分の番となっても、カレーナは視線を俺たちから逸らして目を合わそうとしない。
一方のエリスは、思案げに相手の顔を眺めていた。
「カレーナ・サラン。知ってると思うが、騙されて盗賊団にいた封術士だ。戦闘では封術のほか、投石や回復アイテムの使用などを担当してくれてる。優秀な冒険者だ。思うところはあるだろうが、仲良くしてやって欲しい。……ほれ、カレーナ」
俺に催促され、カレーナが気まずそうにチラチラとエリスを見ながら口を開いた。
「…………その、あの時は悪かったよ」
ぶっきらぼうな謝罪の言葉。
だけどまあ、よく頑張った。
だがそれに対するエリスの反応は意外なものだった。
「あなた、髪を切ったのね」
「「え?」」
俺とカレーナが同時にエリスの顔を見る。
今のカレーナは、出会った頃より幾分か髪が伸びている。
確かに髪を揃えたりはしているだろうが、『切った』というほど短くはなっていない。むしろ長くなっている。
なのになぜエリスはそんなことを言ったのか。
その疑問は、彼女の次の言葉で解消された。
「封術院で見たときは、今よりも髪を伸ばしてたと思うのだけど、違ったかしら?」
「わ、私のこと、覚えてるのか?」
カレーナが驚き、尋ねる。
「もちろん。あの頃は名前を知らなかったけど。私が上級生に絡まれてた時、助けてくれたことがあったでしょ?」
「あ、え? あれ?! 知ってたの??!!」
ん?
この二人、封術院時代に何かあったのか?
「エリス。カレーナと話したことがあったのか?」
「いいえ。話したことはないけどね。……というか、お礼を言おうとして探したけど見つからなくて、結局言わずじまいになってしまってたわ」
エリスの話 (一部カレーナが補足)によると、こんなことがあったらしい。
それはカレーナたち短期生の卒業の日。
学校の廊下を歩いていたエリスは、上級生の女子数名に囲まれ、無理やり寮の裏に連れて行かれた。
曰く、先生や先輩に対する態度が生意気だとか。
なんか、どこかの世界で聞いたような話だ。
上級生たちはあれこれあげつらった挙げ句、エリスに『這いつくばって謝罪する』ことを要求してきたそうな。
……って土下座じゃねーか。
この国にもあるのかよ。
主犯格は王国西部の有力な侯爵家の娘で、周りの取り巻きは彼女の家と関わりの深い貴族子女たち。
どうやら東部の伯爵家の娘が『天才』と持て囃されるのが気に食わなかったらしい。
間の悪いことに、その時ほとんどの生徒や教師は卒業式の関係で講堂や校舎の周りに集まっていて、周りには誰もいない。
これは困った、と思った時に、たまたまその光景を目にしたのが、寮に忘れ物を取りに戻っていたカレーナだった。
エリスたちの様子を見て状況を察した彼女は、たまたまポケットに入っていたオレンジを取り出すと、力いっぱい主犯格の上級生の後頭部に投げつけたらしい。
少女の頭にヒットし、潰れるオレンジ。
あまりの威力に頭を抱えて蹲る侯爵令嬢。
慌てて介抱しようとする取り巻きたち。
その隙に逃げ出すエリス。
既にトンズラこいていたカレーナ。
こうしてエリスは難を逃れたらしい。
ちらっ、と見えた長い金髪を頼りに、翌日から『オレンジの恩人』を探し始めるも、カレーナは卒業しているため、当然見つからず。今に至る、と。
「あの時の恩があるから、盗賊の話は相殺でいいわ。これからよろしくね、カレーナ」
「あ、ああ。よろしくお願いします。エリス……様?」
そう言って差し出されたエリスの手を、カレーナがおずおずと握り返す。
と、エリスが顔をしかめた。
「敬語はやめて。同級生じゃない」
「いや、でもさ……」
「私が『良い』って言ってるのよ。一緒にパーティーを組むのに、いちいち敬語じゃ面倒くさいでしょ?」
言葉を遮り強引に話を進めるエリスに、カレーナは一瞬『うわぁ』という顔をして、その後ため息を吐いた。
「……分かった。よろしく、エリス」
「ええ。よろしくね、カレーナ」
こうして懸案だった二人の面通しは、無事終わっ……
「あなたたちも敬語はやめなさいね!」
「「は、はいっ!!」」
可哀想にジャイルズとスタニエフは『嵐呼ぶ混沌』の迫力に直立不動になるのだった。
「ところで、どうしてポケットにオレンジなんて入ってたんだ?」
俺の何気ない問いかけに、カレーナの顔がみるみる赤くなる。
「な、なんでもいいでしょ?! 私はオレンジが大好きなんだよ」
「へー」
「ほ、本当だからね!」
「わかったわかった」
俺は手で彼女に落ち着くようジェスチャーした。
何か訊かれたくないことでもあるようだ。
「…………」
そういえば、カレーナは孤児院に弟がいるんだったか。
まぁ、ここはサラッと流すのが優しさだろう。
だがここで、一人空気を読めないやつがいた。
「しかしあれだな。わざわざ外で買って学校に持ち込むなんて、お前よっぽどオレンジが好きなんだな!」
脳筋である。
「俺も王都の幼年学校に行ってた時は、早弁用のパンとか持ち込んでたなー。あと逆に、休んでるやつのランチのデザートを同級生と奪い合って持ってかえっ……ギャーッ!!!!」
突然悲鳴をあげる脳筋。
隣に立っていたスタニエフが突然よろめき、ジャイルズの腕に掴まったのだ。
……靴の踵で、ジャイルズの足の甲を踏みつけながら。
「ちょっ! 何すんだスタニエフ!!」
「ああ、すみません。昨夜ちょっと夜ふかしをしてしまいまして」
そう言って苦笑いしながら腕を離し、踵を上げるスタニエフ。
うん。さすが商人の息子。
グッジョブだ!
「あ……」
その時、エステルが何かを思いついたように口を開いた。
「今度、オレンジを使ったお菓子を作ってみましょうか! きっと爽やかな酸味で美味しいと思います」
「おお、それは美味しそうだ! ぜひ食べてみたいな」
エステルの言葉に乗っかる俺。
「そうね。私も食べてみたいわ」
さらに乗っかるエリス。
「分かりました! では、ダルクバルトでの初めてのお菓子づくりは、オレンジを使ったものに致しましょう」
エステルの笑顔が尊い。
こうしてポケットのオレンジの話はうやむやとなり、万事解決となったのだった。
「そういえばエリス。なんか俺に用事があるんだったか?」
全員が着席し、テーブルを輪のように囲んだところで、俺はエリスが持ってきた用件について切り出した。
「ええ。昨日、封術のことを教えるって言ったでしょ。荷物も片付いたし、早速さわりだけでも教えとこうと思って」
「って、早っ!?」
思わず仰け反る。
正直、討伐なんかを通して、追い追い教わっていけばいいと思ってたんだが……。
「なによ、その反応は? うちの父への提案の件もあるし、早い方がいいでしょ!?」
「ま、まあな……」
「それに封術士同士、カレーナとは討伐に行く前に意思疎通も図っておきたいし」
「……はい。全くもってその通りでございます」
こうして『嵐呼ぶ混沌』による封術講座の第一講が始まったのだった。