第86話 伝承を調べる二人
中年考古学者ラムズの言葉に内心動揺しながら、俺はそれを顔に出さないよう平静を装って告げる。
「ああ、その噂なら聞いたことがあるな。湖の中にこの世ならざる景色が見えるとか。……それが『天界』ですか?」
「いえいえ。あくまで旅行記に書かれた伝承ですから。私どもは去年の春から夏にかけてテナ村に滞在し、テルナ湖とその周りを調査しました。ですが残念ながら、一度もそんな光景には出くわしませんでしたね。心が汚れているんでしょうな」
頭をかきながら、ははは、と笑うラムズ。
こいつら、もう湖の周りを調べたのか。
ということは、祠の存在はバレている可能性が高いか。
…………。
この二人、ユグトリア・ノーツのシナリオに何か関わりがあるのか?
そんなことを考えていると、目の前の考古学者が俺たちに質問を投げてきた。
「ボルマン様やエステル様は、あの湖で何か不思議な現象に遭遇されたことはありませんか?」
「不思議な現象ねえ……」
俺はテルナ湖デートの時の風景を思い出す。
「テルナ湖には昨年の秋に彼女と行ってるけど、普通に紅葉が綺麗だったな。ねえ、エステル?」
「はい。森の木々の朱や黄色が湖面に映り込んで、とても素敵でした」
笑顔で見つめ合い、アイコンタクトを交わす。
「ははは。こりゃあ無粋でしたかな」
ラムズは俺たちに当てられたように宙を仰ぐ。
その時、珍しくエステルが口を開いた。
「お二人の調査で、何か面白そうなことは分かりましたか?」
いかにも興味津々の天使の微笑。
可愛い。
それに、いいタイミングで、いい質問だ。
俺が尋ねれば探っているようにも見えるだろうが、彼女が訊けば単なる好奇心だ。
「そうですね……。ひょっとしたらご存知かもしれませんが、村から湖に向かう途中の横道に、古い祠がありましたね」
「まあ、祠ですか?」
食いつくエステル。
「ええ。土着の古い精霊を祀ったもののようです。ひょっとしたら伝承と何か関係があるのかもしれませんが、まだなんとも。実は今回この地を再訪したのは、その祠の再調査も兼ねているのですよ」
やっぱりか。
まぁ、史実通りなら何もないはずだけど。
でも、あの祠に手を出されるのは困るな。
「すると、またしばらくはテナ村に滞在して調査するわけですか?」
俺の問いにラムズは首肯する。
「はい。ひと月からふた月ほど。……ああ、領主様にもお約束しましたが、祠を含め史跡や環境を壊すことがないよう細心の注意を払って調査致しますから、どうかご安心を。私どもも貴重な史跡や景観は保存しなければならないと考えております」
こちらの警戒心が顔に出ていたのか、ラムズは慌ててそんな言葉を付け足した。
秋口に俺が初めて祠に行った時には、すでに彼らによる一回目の調査が行われていた訳だが、確かに目立った損傷などは見られなかった。
今後もそうとは限らないが、少なくとも今は彼らの言葉を否定する理由がない。
「なるほど。いずれにせよ父が許可を出しているのであれば、私は何かを言う立場にはありませんね。とりあえずお二人が当領地に滞在される目的は分かりました。それで……」
ラムズとジクサーの顔を順番に見る。
「私と婚約者に会いに来られたのは、なぜですか? 雑談をしに来た訳じゃないですよね?」
そう。調査がらみの話であれば豚父相手でいいはずだ。
なぜ彼らは俺たちに挨拶に来たのか。
俺の言葉に、ラムズはばつの悪そうな顔をした。
「いやまぁ、その……。ゴウツーク様には、伝承とテルナ湖の調査の件はご快諾を頂けたんですが、もう一つのお願いについては断られまして……」
「もう一つの頼みごと?」
「はい。この地へのオルリス教会の建立です」
その一言で、今まで学者然としていた目の前の二人が、急に宣教師に見えてくる。
先入観ってこわい。
だがまあ、ことが教会の建立となれば、それは豚父も断るだろう。
伝承の調査など山吹色のお菓子で一発承認だけど、宗教介入となれば話が別だ。
うちにはオルリスのオ字もないし、戒律の遵守を求められれば、今までのような放蕩生活はやりにくくなる。
第一、現状維持を求めるなら、外部勢力を招き入れるなど百害あって一利なし、だ。
ついでに言うなら、俺にとってもメリットはない。
「それは、私がどうこうできる話じゃありませんね。領主たる父の専権事項です」
「ええ、ええ、もちろんそうだと思います」
相づちをうち頷くラムズ。
「では、なぜ私たちに?」
俺の問いに、眼鏡の男は苦笑いして話し始めた。
「実は今日ご挨拶に伺ったのは、本庁からの依頼なんです。『どうせ調査に行くなら、次期領主様にもちゃんと挨拶をしておいてくれ』と。要するに未来への種まきですね。現領主のゴウツーク様には断わられましたが、二十年後、三十年後に代がわりされた時に、少しでも風向きが変わるように、ということです。幸いエステル様のご実家のクルシタ家とは懇意にさせて頂いてますから、ご挨拶にあがるのにちょうど良い機会だと考えました」
なるほど。将来に向けた布石ということか。
確かにエステルの実家はオルリス教会と仲が深い。
ギフタル小麦の栽培方法は教会が握っているからな。
「では、今日は具体的な用件は特にない、ということですか?」
「はい。あくまでご挨拶です。……もちろんお二人から教会に『ご要望』があれば、できる限りのことはさせて頂きますが」
そう言って、眼鏡の奥の目を細めて微笑を浮かべるラムズ。
つまり、あれだ。
山吹色のお菓子的な話。
まぁ、受け取らないけどね。
首に縄をつけられるのなんてまっぴらごめんだ。
「要望ね。俺は特にないけど……エステルは何かある?」
「いいえ、わたしもございません。わたしはボルマンさまの良いと思われることを応援させて頂きますね」
にっこりと笑みを返すエステル。可愛い。
「……と、いう訳だ。教会建立のお話は、追い追い考えていくよ」
俺の言葉に、一瞬ポカンとする来客の二人。
ラムズは再びばつが悪そうな顔をした。
「そうですか。いや、これは失礼致しました。まあその、教会の話は、しかるべき時に別の者が正式にお願いにあがるでしょう。その時はぜひよろしくお願い致します」
「ええ。検討しておきます」
許可するとは言ってないけどね。
「それでは、今日は貴重なお時間を頂きありがとうございました。さきほど申し上げた通り、我々は一、二ヶ月の間、テナ村に滞在して調査を行う予定です。何かありましたらご連絡下さい」
「分かった。記憶に留めておこう」
俺が返事をすると、二人はソファから腰を上げた。
そしてこちらを見て、何かを思い出したかのように尋ねてきた。
「ああ、そういえば、そちらのメイドの方は外国から来られた方ですかな? オルリス教圏ではあまり見ない風貌ですが……」
カエデさんのことか。
俺はエステルと目を合わせる。
カエデさんはエステルのメイドだ。この質問の回答は、彼女がすべきだろう。
エステルはちょっと考えると、口を開いた。
「カエデは遥か西方の出身です。縁があって私に仕えてくれておりますわ」
「ああ、なるほど。それで合点がいきました。西の海を越えた先の土地、例えばアキツ国などには、綺麗な漆黒の瞳と髪を持つ民が暮らしているとか。……私も実際にお目にかかるのは初めてですが」
うん、うん、と笑顔で頷くラムズ。
「それでは今後とも、よろしくお願い致します」
こうして二人の考古学者、兼、宣教師は、慇懃に礼を告げると帰って行った。
ユグトリア・ノーツのゲームに登場しない、テルナ湖の伝承を調査する二人のオルリス教会関係者。
ゲームシナリオに直接の関係はないだろうけど、油断はしない方がいいだろう。
あの湖の遺跡に潜るには俺たちはまだレベルが足りていないけれど、いずれ必ず探索し、まだ見ぬ秘宝の正体を確かめるのだから。
翌日。
朝食を終え、子分たちを召集していた俺のところに、エステルの居館から使いが来た。
どうやらエリスが俺に用事があるらしい。
ちょうどいい。
彼女にも子分たちを紹介しておきたかった。
俺はエステルとエリスにうちの屋敷に来るよう使者に言付けた。









