第84話 天災少女の封術研究
しばし考え込んだ後、俺はエリスに向き直った。
「研究に時間を使ってもらうのは構わない。魔物討伐のとき以外は自由に過ごしてもらっていいし。問題は場所と道具と材料だけど……エリス自身で調達できるものはある?」
俺の問いに思案顔になるエリス。
「実家からいくらか送金してもらえるはずだから、一般的な消耗品の類いはなんとかなると思うけど……。一番のネックは『場所』かしら」
「具体的には?」
「エステルの家に住まわせてもらってる身で、その部屋で爆発騒ぎやボヤがあったら困るでしょ?」
おい。
それ、うちの屋敷でやられても困るんだけど。
「……何よ、その目は」
「ナンデモナイヨ?」
「あのね。封術の研究ってのはそれだけ危ないものなの! 封術院の連中みたいに封術紋とだけにらめっこしてりゃあいい、って訳じゃないのよ。帝国とやり合うには、術式の改良と試験が不可欠だわ。その過程では制御の失敗、暴走なんてしょっちゅうよ」
ドヤ顔で語るエリス。
これはあれか。マッ◯サイ◯ンティスト的なやつか。
さすが「嵐呼ぶ混沌」……。
てか、今とんでもないこと口にしたな、こいつ。
「帝国とやり合うのか?」
俺の問いに、天災少女は『しまった』というように顔をしかめる。
「…………悪い?」
「悪くはないけど、無理だろ」
その言葉は、地雷。
俺がそう言った瞬間、エリスの顔がみるみる赤くなり、いつも不機嫌そうな眉がさらにつりあがる。
そして突然椅子から立ち上がり、叫んだ。
「無理じゃない!! やってみなきゃ分かんないでしょう!!??」
その剣幕に、思わず仰け反る。
「どいつもこいつも、やる前から諦めて! 王国がそんなんだから、兄様は…………」
目尻に光るものを浮かべ、こぶしを握りしめて俯くエリス。
「エリス姉さま……」
そんな彼女に、エステルが寄り添った。
何を言えばいいのか。
彼女の言葉を否定するのは簡単だ。
そのくらい帝国の力は突出している。
だけど否定からは何も生まれない。
大体、彼女はそんなことは承知の上で、ひとり封術の研究を続けているんだろう。
その姿は、誰かと重なる。
誰かの背中を守ろうと、周りから後ろ指をさされながら慣れない武器を手に取った少女。
絶望的な世界の運命を変えようと、バッタや犬相手に七転八倒する愚か者。
だから俺は、俺たちは、彼女を否定しちゃいけない。
「不可能に挑むなら、必要なものがある」
投げかけた言葉。
顔を上げるエリス。
強い意志を持つエメラルドのような緑の瞳が、きっ、と俺を睨む。
「……なによ?」
そんな彼女に、俺は自分の頭を指で、とんとん、と叩いてみせる。
「戦略と」
今度は自分の胸を示す。
「仲間だよ」
涙目になっていた天災少女の顔が歪んだ。
「あんたが仲間って……なんの冗談? 全っ然、笑えないんだけど!!」
涙ぐみ、怒り、憎々しげに頬を引きつらせながら、叫ぶエリス。
俺は即座に怒鳴り返した。
「冗談なんて言ってない! 俺には力が必要なんだ。魔獣の森の魔物が暴走して襲ってきても、この地を守り抜けるだけの力がな!! 」
叫びながらイスのひじ掛けを拳で叩く。
固まるエリス。
「……なによ、それ?」
理解できない、という顔で呟く彼女に、俺は続けた。
「遠くない未来、この領地は魔物の大暴走に見舞われる。あることが原因になってな」
怪訝な表情で俺を見るエリスと、不安そうな顔のエステル。
「俺にはそれを退けるだけの戦力が必要なんだ。だからお前の封術を、その知識と技術を、うちに提供して欲しい。その代わり俺がお前の研究をバックアップする」
エリスは目を細めてこちらを睨んだ。
「ただでさえお金がなくて困ってるあんたが、一体どうやって私を支援するのよ」
「さっき自分で言ってただろう。『場所が必要だ』って。うちの敷地の中に封術研究所用の土地を、練兵場の隣に封術試験用の土地を用意する。だから研究所の建屋は、フリード卿に何とかしてもらえないか?」
俺の言葉に、エリスは俯き、沈んだ顔で呟く。
「……駄目よ。こっちに来る前に父に頼んだもの。『封術の研究に援助をお願い』って。……即座に却下されたわ」
ん?
「ちなみに、伯爵は何て?」
「『お前の道楽に援助などできん。ダルクバルトの息子にでも相談するんだな』って言われた」
「ぶっ!!」
思わず吹き出す。
「うわっ! 汚っっ!!」
どん引きするエリス。
「ボルマンさま、大丈夫ですか?」
気遣わしげにハンカチを渡してくれるエステル。
優しい。そして可愛い。
「……ごめん。大丈夫だよ、エステル」
口の周りと服を拭き、ハンカチは洗濯して返すとエステルに礼を告げる。
とんだ醜態を晒してしまった。
でもまあ、分かった。
あのヒゲオヤジ、なかなかやってくれる。
「エリスさあ……」
俺は肘をつき、生温かい目で天災少女を見た。
「なによ、その目は?」
「お前、愛されてるな」
「はあ? どこがよ???」
食ってかかるエリス。
そんな彼女に、とりあえず座るようイスを指差す。
しぶしぶと腰を下ろした彼女に、自分が感じたことを話し始めた。
「親父さんがお前のことを本当にどうでもいいと思ってるなら、適当に小金を渡して終わりにするだろうさ。安易な援助を断ったのは、お前に学んで欲しいからだろう」
「学ぶって、何を学ぶのよ?」
「さあ?」
ガクッと崩れ落ちる伯爵令嬢。
ああ、こっちの世界の、しかも貴族でも、こんな反応するのか。
エリスは頰をぴくぴく引きつらせた。
「偉そうに知ったような口を利くのに『さあ?』はないでしょう!」
俺はまじまじと彼女の顔を見た。
「なあ、エリス。なんで親父さんがお前の研究のことを『道楽』って言ったか分かるか?」
俺の問いにしばらく考え、ぼそり、と応える天災少女。
「…………わかんないわよ」
「お前の頼み方は『パパ、私これが欲しいの。買って』って頼み方だ」
「そんなこと言ってないわ!」
気色ばむエリス。
俺はすぐに言い返す。
「言ってなくても、そう言ってるんだよ。……要するにおねだりだ。『私は封術研究をしたい。だから援助して』 これだと伯爵はお金を出すだけだろう?」
「でも、私の研究成果はフリード領の封術士団に伝えているわ。私が開発した封術を取り入れてもいる。……充分役に立ってるじゃない!」
「それはたまたまエリスの研究がフリード領の役に立っているだけだろ? 伯爵が求めているのはそうじゃなくて『事業として投資するに足る提案を持って来い』ってことだよ。だから俺に相談しろ、って言ったんだ」
そう。
俺ならそれが分かるだろう、という期待のもとに伯爵は俺に相談しろ、って言ったんだ。
つまり出血大サービスの大ヒント。
これを「愛されてる」と言わずに何というのか。
全く、タルタス男爵にしてもフリード伯爵にしても、俺のことを買いかぶり過ぎだ。
っていうか、他人を家庭教師がわりにしないで欲しい。
エリスは黙って考えている。
まあこいつなら理解できるだろうし、うまくやるだろう。
俺は彼女に告げた。
「ダルクバルトとフリードで、封術の共同研究開発の覚書を交わす。一週間やるから、俺とフリード卿が『乗れる』提案を作って来い。あと、時間がある時でいいから、俺に封術について簡単にレクチャーしてくれ」