第80話 エステルの提案
エステルの問いかけに、フリード伯爵は口角を上げた。
「ほう。なかなか勇敢なお嬢さんだ。俺を相手に提案とは……。面白い。聞くだけ聞いてやろう」
伯爵のドスのきいた声に顔を強張らせながら、それでもエステルは前を向いて話し始める。
「わたしのような者に発言の機会を頂き、ありがとうございます。閣下の広い御心に感謝致します」
彼女はそこで一度ゆっくり会釈すると、再び口を開いた。
「わたしからのご提案は、エリス様の滞在場所についてのお話です」
「滞在場所だと?」
「はい。結婚前の女の子が、望まぬ殿方と同じ屋根の下で生活するというのは、些か酷でございましょう」
やんわりと、淡々と語るエステル。
「話を聞いていなかったのか? 俺は『エリスにこの屋敷で生活させるのが、婚約保留の条件だ』と言ったのだぞ」
伯爵の鋭い視線がエステルに突き刺さる。
しかし、婚約者の少女は怯まなかった。
それどころか、彼女はこの伯爵の圧迫面接に、本日最大の爆弾を投下したのだった。
「はい。伺っておりました。ですから、こちらのお屋敷の『離れ』。つまりわたしが結婚まで住まわせて頂くことになっている建屋で『わたしの友人として』一緒に住まわれてはいかがでしょうか? というご提案です」
「へっっ????!!!!」
あまりの衝撃発言に奇声をあげたのは、誰あろう俺だった。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って、エステル。一体、なんの話????」
あまりに動転してどもりながら尋ねる俺に、エステルは恥ずかしそうに頬を染めモジモジしながら話し始めた。
「クルスでボルマンさまとお会いしたあと、お父さまに相談して、結婚までこちらのお屋敷に住まわせて頂くようゴウツークさまにお願いしたのです。ゴウツークさまもご快諾下さって、こちらの敷地に『離れ』を建てさせて頂くことに……」
なんじゃそりゃあ!?
初耳なんですけど??!!
ってか……。
「ち〜〜ち〜〜う〜〜え〜〜〜〜!!??」
ぎぎぎ、と首をまわし、豚父を睨みつける。
「『離れ』ってなんですか!? いつからそんな話になってたんです!!??」
「い、いや、ほれ。本邸の斜め向かいで工事をしとっただろ?」
俺の剣幕に、顔を引攣らせながら答える豚父。
工事って…………あれか?!
俺の部屋から見えた、よく分からない工事!!
父豚が「秘密だ。今にわかる」とか言ってたやつ!!!!
※第40話参照。
「……なんで隠してたんですか?」
ギロリと豚を睨む。
「い、いや、ほら。……そう、サプライズだ。サプライズ!!」
慌てて弁解する豚。
……悪ガキか!!
俺は今度はエステルを振り返った。
びく、と固まる婚約者。
俺はため息を吐いた。
「エステルも。なんで言ってくれなかったの?」
「え……と。ボルマンさまも、たまには驚いてくださるかな、と思いまして……」
もじもじと、両手の指をくっつけたり離したりするエステル。
おーい。
同レベルな子がいたよ。
まぁ、気持ちは分からないでもないけど。
ってゆーか、可愛いけど!!
「あの…………ご迷惑でしたか?」
不安そうにこちらを見つめるエステル。
うっ…………。
その瞳は反則だ。
「嬉しいですよ。決まってるでしょう」
俺の返事に、少女は安堵の笑みを浮かべる。
「よかった。ボルマンさま……」
「エステル…………」
彼女と俺の視線が重なった。
「ゴホン!!!!」
フリード伯爵の咳払いに、慌てて正面を向く俺とエステル。
「……話はついたか?」
「は、はい! すみません」
何やら居心地悪そうに顰めっ面をする伯爵に、コクコクと頷く俺たち。
伯爵の隣に座っているエリスはあきれ顔だ。
「それで、そちらのお嬢さんが住む離れに、うちのエリスが一緒に住むという話だったか」
フリード卿の言葉に、エステルは首肯した。
「はい。離れが建て終わるのは三ヶ月後と聞いておりますが……。あの、いかがでしょうか?」
「ミエハル卿がそれを認めると?」
「わたしがダルクバルトに住むにあたっては『今後は自分のことは自分で解決しろ。ミエハルの名を汚すことはするな』と言われております。お友だちであるエリスさまを離れにお泊めすることは、ミエハルの名を汚すことにはなりませんから、問題はありません」
そう言って柔らかく微笑むエステル。
……あれ? エステルって、こんなにタフな交渉する娘だっけ???
「むう…………」
伯爵は目を細め、しばし思案しているようだった。
そしてーーーー。
「エリス」
「はい。お父様」
呼ばれたエリスが少しだけ顔を傾けた。
「当分の間、お前の身をダルクバルトに預ける。滞在中はエステル嬢の邸宅で生活する。……異存はあるか?」
「……承知致しました。異存はありますが、そのように致します」
じろり、と自分の父親を睨むエリス。
睨まれた父親は口角を上げた。
「生意気なやつだ」
「父の指導の賜物です」
「ふん」
鼻を鳴らす伯爵から視線を外したエリスは、正面に座るエステルに向き直った。
「エステル様、ご迷惑をおかけして申し訳ございません。不粋な父に代わってお詫びしますわ」
「お気になさらないでくださいエリス様。……あと、わたしのことは『エステル』と気安くお呼びください。一緒に暮らすのですから、気遣いをしていては疲れてしまいます」
微笑むエステル。可愛い。
エリスはつり目がちな瞳を見開くと、相好を崩した。
「それなら私のことも『エリス』って呼んで。私も堅苦しいのは苦手なの。エステルは歳はいくつ?」
「十二になります」
「あら、嬉しい! 二つ下ね。……ねえ、あなたのこと、妹のように思って接していいかしら? 私、末っ子だから、ずっと弟か妹が欲しかったのよ」
エリスの言葉に、エステルは笑顔で頷いた。
「もちろんです! あ、でも、わたし、封術のこととかよく知らないのですが……」
「『妹』にそんなもの求めないわ。よろしくね、エステル!」
「はい、エリス姉さま!」
きゃっきゃうふふと盛り上がる少女たち。
置いてけぼりをくらう男性陣。
……あれえ?
茫然としていると、同じく固まっていたフリード卿と目が合った。
「ご、ゴホン!!」
仕切り直すように咳払いする伯爵。
「ま、まあ、うまくやっていけそうで何よりだ」
うん。そんなコメントしか出てこないよね。
分かるわ〜〜。
こうしてフリード伯爵との会談は、何かよく分からないまま幕を閉じる。
いや、収穫はあった。
エステルとの婚約を守りきれたこととか、テルナ川の水運交易にフリード領を巻き込めたこととか。
収穫はあったはずなんだけど、なんだろうね。この釈然としない感は……?
結局、エリス嬢までうちで預かることになっちゃったし。
預かるといえば、エステルがダルクバルトに住むなんて、そんな大胆なことを準備してるなんて、思いもしなかった。
こっちは嬉しい誤算だ。
三ヶ月我慢すれば、エステルと毎日会えるようになる!!
それぞれが色々な思いを抱えながら、その日の夜は更けていった。