第79話 ボルマンの叫び
その後、いくつかの事柄について意見を交わし、大枠を決めていった。
話し合った内容は以下の通り。
・初期費用はフリード家が中心となり、協定への融資の形をとる。
・融資には各領に本拠地を置く商会の参加も認める。
・各領領主への根回しは伯爵が行い、協定の立ち上げは春に王城で行われる叙任式に合わせ、王都で行う。
・監視塔の設置と運用は、遅くとも来年内に開始する。またダルクバルト領、フリード領の双方で、テルナ川の岸に少なくとも1ヶ所の波止場を整備する。
・監視塔への食料補給は、当面はダルクバルトが水運を用いて行い、協定からその費用を支払う。価格はフリード領における市場価格の七割とする。
・監視員として派遣する奴隷は三年から五年程度の任期制とし、定期的にローテーションを行う。任期が明ければ第三国にて解放することを約束し、任期中は幾ばくかの給金を支給する。
※帝国とは国交がなく、また宗教的対立からオルリス教圏で解放することは困難なため。
ざっと、以上のようなことが話し合われた。
もちろんこれは、うちとフリード卿との事前相談に過ぎず、実際の計画、ルールづくりは協定に参加する諸領との話し合いを経て決まる。
だけどまあ、参加が見込まれる領主たちの中に、伯爵に反対する人間はいないと思う。
王国最東端の諸領は、大なり小なりフリード領と経済的関わりがあるのだから。
自領のメリットが明らかになってからの伯爵との話し合いは、非常にスムーズに進んだ。
投資判断は慎重に、だけど「やる」と決めたことは迅速かつ果敢に進める、というのが海賊伯の信条のようだった。
フリード卿との舌戦は、こうして幕を閉じる。
伯爵は、俺とダルクバルトを自らの影響下に置くこととなり、目的達成。
俺も、フリード領との取引に道筋がつき、エステルとの婚約も死守。
まさにWin-Win!
言うことなしの結末だった。
…………と思った俺が、浅はかでした。
「テルナ川の水運開発については、その方向で進めることにしよう。貴様の提案は実に良い提案だったぞ、ボルマン」
「お褒めにあずかり光栄です、伯爵」
ニヤ、と笑う伯爵に、会釈する俺。
「……さて。こうして我がフリードとダルクバルトは、長期的、不可逆的に縁が深まる訳だ。実に喜ばしい。それに俺としては、貴様のような有能な人材はやはりぜひ身内に置いておきたい」
…………ん?
「そこでお前とエリスの婚姻だが、」
「「ちょっと待って(よ)(ください)!!!!」」
俺とエリスが同時に叫んだ。
「お父さま! その話は先ほど保留となったはずでは?!」
そうだそうだ!
もっと言ってやれ、エリス!!
「俺は『保留する』などと一度も言っていないが?」
「そんな……っ!」
唇を噛むエリス。
おい、そこで矛を収めるやつがあるか!?
隣のエステルを見ると、膝の上に置いた両手をキュッと握り、不安に堪えるかのように、じっとテーブルに視線を落としている。
くそ、ここまで来て負けてたまるか!!
俺は、声を上げた。
「ちょっと待って頂きたい。私はエリス殿との婚約について保留頂く代わりとして、先ほどのテルナ川水運を提案させて頂きました。保留の話を認めて頂けないのであれば、話の前提が崩れます」
俺の必死の訴えに、伯爵は目を細めて俺を見て、一度エステルに目をやってから、再び俺に視線を戻した。
「…………ふん。ボルマンよ。貴様、ミエハルの娘に惚れてるな?」
「いっ??!!」
思わず奇声をあげ、仰け反った。
ちら、と盗み見たエステルと視線が重なる。
不安。
恐れ。
戸惑い。
そして、信頼。
彼女の瞳に映る様々な感情が、俺を揺さぶる。
くそ!
ここで引いたら男がすたるだろうが!!
俺は目の前の伯爵に向き直った。
そして勢いよく、ダン! とテーブルに両手をつき、身を乗り出して大声で叫んだ。
「惚れてますが、何か????!!!!」
「…………」
「…………」
「…………」
部屋の空気が固まる。
……なんだ、この微妙な雰囲気は?
あ、エステルの顔が真っ赤だ。
数秒後ーーーー
「…………ぶっ」
伯爵が噴き出す。
「ブハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」
応接間にバカ笑いが響き渡った。
「潔いというか、愚かというか……貴様は実にバカだな!!」
「…………愚かでバカで悪かったですね」
顔を顰め、思いきり不機嫌な顔をして言い返す俺。
「まぁ、最初から一目瞭然だったがな」
ほっとけよ。
「まぁ、いい。色恋沙汰は他人にどうにかできるものではないからな。俺としても、余計なことをして貴様に恨まれる方がやっかいだ」
「では、エリス殿との婚姻は……」
「それは取り下げられぬ話だ。だが、今は貴様が言ったように保留にしてやろう。そこの娘との婚約にも介入はしない」
よし! よし!!
なんとか保留を勝ち取ったぞ!!!!
思わず傍らのエステルと顔を見合わせる。
ほっとしたような微笑を返す婚約者。
「ただし!!」
伯爵の大声に、慌てて正面に向き直った。
「貴様にはエリスとの婚姻について真剣に向き合ってもらう。その証として、成人するまでの間、エリスをこの屋敷で生活させる」
「「は????」」
またしても、エリスと俺の声がハモった。
「そんな……お父さま??!!」
「それが保留の条件だ。異議は認めん」
伯爵は、今度こそ引かぬ、とばかりに俺とエリスを睨みつけた。
「っ…………」
「そ、それは…………」
俯き、言葉を失う、エリスと俺。
これは簡単な話じゃない。
恐らく、エリスに俺の行動を監視させ、同時に首に綱をつけようということなのだろう。
だけど、未婚の伯爵令嬢がよその貴族の屋敷に住みこむというのはただ事じゃない。
事実がどうであれ、貴族社会では「キズモノ」扱いされかねないぞ。
「しかし、それではエリス殿は……」
「構わん!」
俺の言葉を、伯爵が遮る。
「俺が、許す。この地で娘の身に何があろうと、誰が何を言おうと、俺が責任を負おう。……まぁ、だからと言って『何か』あれば、貴様にも相応の責任をとってもらうがな」
獰猛な笑みを浮かべる海賊伯。
おいおい……。
何を期待してるんだ、このオヤジは。
しかし困った。
伯爵の様子を見るに、これ以上の譲歩は望めなさそうだ。
「えーと。そのぉ…………」
言葉に詰まる。
考える。
考える。
考える。
……困った。
これ以上、打開策が思いつかないんだけど?!
「あー、ええーと…………」
俺が頭を抱え、途方にくれた時だった。
隣から、聞こえるはずのない声が聞こえた。
「あの…………横から失礼致します。部外者が口を挟むことをお許し下さい」
それは、エステルだった。
この会談は、フリード伯爵家とダルクバルト男爵家の間で行われているものだ。
当事者から同席を勧められたとはいえ、本来部外者のエステルが、まだ成人もしていない可憐な少女が口を開いたことに、その場の全員が驚き、彼女を凝視した。
「わたしからひとつご提案があるのですが、聞いて頂けますでしょうか?」
膝の上で両手を重ねた彼女は、背を伸ばし、真っ直ぐ伯爵の目を見て、そう尋ねたのだった。