第78話 フリード領のお荷物たち
「つまり、川沿いに監視を置く、ということか?」
フリード卿は面白くもなさそうに尋ねてくる。
「はい。川に沿って監視塔を整備し、川と魔獣の森を監視します。もし川を渡ろうとする狂化個体があれば、すぐさま狼煙を上げて商船の避難を促し、同時に各領の領兵隊に通報する、という算段です。集落近くで魔物を発見してから準備するより、迅速に対応できると思いませんか?」
「…………確かに、ある程度は狂化個体の被害を減らすことができるだろうな」
そこで伯爵はじろりと俺を見た。
「だが、誰がそれをやるんだ? 監視塔の整備と人員の手配、物資の補給、一体どれだけのカネが必要になるやら」
皮肉げに片頰を吊り上げる海賊伯。
ここからが正念場だ。
「誰が、どうやるか、という問題はもちろんあります。ですがその前に、水運がもたらすメリット、デメリットについて、ぜひ閣下のお考えをお伺いしたく」
「儂の考えだと?」
「はい。仮にテルナ川が水運に使えるとなった場合、上流四領の産物が貴領に集中することになります」
地図上に、各領からフリーデンに向かう矢印を書き込む。
「輸送コストの減少、一度あたりの輸送量の増加、輸送速度の高速化を考えれば、その取引量は、少なくとも現在の倍になるでしょう。長期的に流域の諸領が発展すれば、十倍以上に拡大する可能性だってあります。貴領ではそれを積み替え、海路で他領、他国に輸出することができる。フリーデンにおける交易量は大幅に増大します」
俺は顔を上げた。
「この水運の提案は、貴領にとても大きなメリットをもたらす内容だと私は思っていますが、閣下はどう思われますか?」
「…………ふむ」
フリード卿は目を細め、しばし思案する。
そして数瞬の後、俺の顔を見た。
「確かに、メリットだけ見れば非常に魅力的な提案だ。短期的にも、長期的にもな。単に経済的な話だけではなく、流域諸領とのつながりという観点からも望ましい」
よし。
「だが、」 「では、デメリットはどうですか?」
口を開いたのは、同時。言葉が被る。
伯爵が軽く俺を睨んだ。
「メリットについては、仰った通りだと思います。では、デメリットについてはどう思われますか?」
先ほどの質問を繰り返す。
なんとか、こちらから話を振る形をとりたかった。
「……魔獣の森の狂化個体への対処。貴様の言う監視塔の設置と維持の問題がある」
「それは、リスクとコストの話ですね。水運を発展させること自体の、貴領のデメリットはどうですか?」
伯爵は顔をしかめ、しばし考えこむ。
そして、呟いた。
「……ないな」
よし、よし!
やっとここまで来た! これで地ならしは終わりだ。
「よかった。そもそも水運自体に魅力を感じて頂けなければ、その先はないですから」
「確かに実現すれば、我が領にとって大きなプラスになる話だ。実現できれば、な。……それで、貴様の言う『リスクとコスト』については、どうするつもりだ?」
俺は軽く息を吸い込んだ。
そして、言葉を吐き出す。
「流域の五つの領地で協定を結び、監視塔の設置、管理を含むコストを共同で負担します。負担比率は水運の利用率による変動。監視人員については、貴領が抱えている『奴隷』の提供をお願いしたいです」
最後の一言で、伯爵が目を見開いた。
「監視に、あれを使うのか?!」
「……はい。素養の観点からも、適任かと」
むう、と唸る伯爵。
なんとか、検討の余地を作れただろうか?
フリード伯爵領が抱える奴隷。
スタニエフの父カミルや執事のクロウニーによる事前の調査では、その数は百人を超えているらしい。
この国でそれだけの奴隷を抱える領地、組織は、実は他にない。
フリード領は、王国最大の奴隷保有者なのだ。
では、なぜそれだけの数の奴隷を保有しているのか。
別に、伯爵が奴隷好きだから、という訳じゃない。
ちゃんと理由があって、ついでに言えば、フリード領では彼らの扱いに些か困っているらしかった。
そりゃそうだ。
何せ彼らは他国の准騎士にもかかわらず、海賊船に乗っていて捕まり、奴隷となった者たちなのだから。
エルバキア帝国。通称「帝国」。
東の大海を渡った先にある暗黒大陸の全土を掌握し、急速にその版図を広げつつある巨大帝国。
かつて異端とされオルリス教勢力圏から追放された者たちの末裔は、この二十年ほどでついにオルリス教の中心地であるナイセット海に到達しつつあった。
ターゲットとなっているのは、ナイセット海北東の島国、ブルターナ・イルラ連合王国。
古くから東の大海に進出し、各地に植民都市を築いていった連合王国は、東から膨張してきた帝国に次々に植民地を奪われ、今や私掠船の群れに本国周辺の航路を脅かされるまでになってしまっていた。
私掠船というのは、国家公認の海賊だ。
国が自国の商船に私掠状を発行し、敵対国の商船、街や村への略奪を奨励する。
商船の皮を被った彼らは通常は普通の商船として行き来し、沖合で敵対国の船を発見するや海賊となり襲撃する、という具合だった。
帝国はこの十年あまり、民間の私掠船団を使って連合王国の航路を破壊してきた。
そのため連合王国と貿易を行うオルリス教国家の船は、強固な護衛船団を編成して商船を派遣することを余儀なくされていたのだ。
もちろんフリード領が擁する商船団も、同じ。
ある時は船を沈められ、ある時は敵を沈める。
そんなことをしているうちに、奴隷の数がどんどん増えていったらしい。
王国法では、基本的に海賊は縛り首だ。丘の盗賊と同じ扱いである。
では、なぜ奴隷が増えるのか。
そこには、帝国が進めるある政策があった。
帝国の私掠船団は、民間船にも関わらずとても強力なのだという。
理由は簡単。
何人もの優秀な封術士たちを船に乗せているからだ。
火砲の発達していないこの世界で海戦と言えば、接舷切り込みによる白兵戦か、遠距離からの封術の撃ち合いである。
その中でも帝国私掠船の封術士は、オルリス教国側の船にとって、ずば抜けた脅威となっていた。
建国以来、帝国の封術技術はオルリス教国家群を上回り、逆転されていない。
帝国は卒業後の任官を条件に、騎士団附属の封術学校を無料で開放していた。
帝国では、封術は騎士に必須の素養とされている。
封術学校を卒業した者は騎士補として任官し、やがて准騎士に。
そして准騎士として際立った実績を残した者だけが騎士に昇格できるのだという。
私掠船への乗り込みは、短期間に実績を稼ぐ方法として准騎士たちに人気があり、帝国自体もそれを奨励しているのだった。
ようするに、私掠船の火力担当の封術士は、帝国の正式な准騎士なのだ。
彼らを捕らえた場合、いかに海賊行為を行っていたとはいえ、他の海賊たちと一緒に縛り首にする訳にはいかない。
さりとて解放する訳にもいかない。
結果的に彼らは、教会によって封術封じの奴隷紋を施され、フリード領で公共工事などに投入されているのだった。
一人や二人ならばそれほど負担でもないのだが、さすがに百人を超えると、食費、生活費も莫大なものになってくる。
今や彼らは、フリード伯爵領のお荷物に成り下がっていた。
考えこむ伯爵に、俺は話しかけた。
「狂化個体の監視には、ある程度、兵士の素養を持った人間が必要です。ですが各領から領兵を供出するのは、ちょっと負担が大き過ぎます。私の試算では、必要な監視塔の数は、約三十。それぞれに少なくとも三人程度の要員が常駐する必要があります。それを、貴領が抱える帝国出身の奴隷で賄うのです。彼らの食費や生活費を協定によって五つの領地によって共同負担すれば、貴領の負担も減るでしょう」
俺の言葉に再び考えこんだ伯爵は、しばらく熟考した後、顔を上げた。
「…………確かに。悪くない提案だ」
交渉の大勢が決まった瞬間だった。