(ボツ話) 第76話 リスク2
☆今話は色々と穴や間違いが多く、読者の皆さんにご意見を頂きまして、ボツ話とすることにしました。
せっかく書いたのを消すのももったいないのでそのままにしておきますが、特にご興味のない方は次の77話にお進み下さい。
『リスク』というものをどう捉えるか。それがこの提案の本質なのかもしれない。
前世の金融の世界では、不確実性とか変動の幅とか呼んで、投資リスクを管理する様々な手法を開発し、応用していた。
ローレンティア王国の人々に刻み込まれた、魔獣の森への恐れと忌避感。
漠然としたその不安をどう解消するかを考えた時『数値化する』というのは、非常に有効な手段のように思えた。
とはいえ、前世の自分は文系出身のしがない設備営業に過ぎなかった訳で、リスクマネジメントやら金融工学やらという単語は聞いたことがあっても、当然のこと中身はさっぱり分からない。
確率の計算といえば、大学の基礎科目で統計学は嚙ったけど、E○celで表を作ったことしか覚えてないし。
パソコンどころか電卓すらないこの世界で俺ができることと言えば、紙とペンで足し算、引き算、掛け算、割り算を計算するくらい。
うん。小学生レベル。
素晴らしいね、日本の教育!
でもまあ、出来ないものはしょうがない。
出来ることをするしかないと腹を決め、俺はこの場に臨んでいた。
「一つ伯爵にお伺いしたいのですが、よろしいでしょうか?」
俺の問いに、フリード卿は怪訝な顔で返してきた。
「なんだ?」
「フリード領内では、どのくらいの頻度で魔獣の森の魔物が確認されてますか?」
「……頻度、か。正確な数字が必要か?」
「いえ、感覚的なもので構いません」
「二年に一度だな」
その数字は、少し意外なものだった。
「……そうですか。ダルクバルトとあまり変わりませんね。念のためお訊きしますけど、狂化個体ですよね?」
「そうだ」
魔獣の森の間引きの規模を縮小しているダルクバルトと、まじめに間引きをしているであろうフリード領で、出現頻度が同程度とは、これいかに?
てっきりうちの方が頻度が高くなっていると思ってたんだけど……。
ちなみにうちもフリード領も、面積で言えば同じくらいの広さで、テルナ川に接している距離も同じくらいだ。
ただ、ナイセット海に面して二つも港町を持つフリード領は、ど田舎のダルクバルトに比べると十倍以上の経済規模を誇っている。
立地の優位ってズルいなぁ、と思う。
……話を戻そう。
「テルナ川流域には、フリード領とうちを含め、五つの領地があります。ちょっと大雑把ではありますが、他の三つの領地でも、同じくらいの出現頻度だと仮定して話を進めてみたいと思いますが、よろしいですか?」
そう言って、皆を見回す。
伯爵とエリスを含め、誰も異論はないようだ。
「五つの領地それぞれで、二年に一体、問題の狂化個体が現れるとすると、テルナ川流域全体では二年に五体、年に二・五体程度が川を渡っていることになります」
テーブルに広げた地図のテルナ川のあたりに、二・五体/年、と書き込む。
「計算のスパンを一年365日として、狂化個体の渡河日数を2.5日とすると、365÷2.5で、146日に一度、流域のどこかに出現していることになりますね。……ここまではよろしいですか?」
「些か乱暴な計算だがな。テルナ川周辺に数日魔物が留まることは考えないのか?」
伯爵が茶々を入れる。
「確かに川周辺に魔物が留まる可能性もありますが、そもそも人里を狙わなければ、わざわざ川を渡って来ないでしょう。我が領の過去の例では、魔獣の森の狂化個体は例外なく人里を襲っています。目的地が集落であるならば、川周辺に留まることはないと思いますが?」
「確かにうちの例でも、集落を目指して移動しているな。奴らは人が集まっている場所が分かるらしい」
にやり、と笑う伯爵。
このおっさん、分かってて言ったな。
「……さて。146日に一度、流域に出現する狂化個体ですが、近くに現れなければどうということはありません。飛行系のワイバーンでも、探知距離はせいぜい五百メートル程度。一キロ離れれば、まず安全と思って良いでしょう」
そう言って、地図上のテルナ川の上に小さな円を描く。
「フリード領にある河口から、我がダルクバルトのテナ村の東に到るまで、テルナ川は約百キロの長さがあります。この間を半径一キロの円で区切っていくと、五十のエリアに分割できます」
俺は顔を上げ、フリード伯爵を見ながら、指でコツコツと地図を叩いた。
「つまり、出現時の遭遇確率は五十分の一。146日に一度現れる狂化個体との遭遇確率が五十分の一であれば、146×50で、7300日に一度。二十年に一度しか遭遇しないことになります」
「…………数字上はローリスク、か。前提をどう置くかによってかなり変わると思うけど」
エリス嬢が呟く。
さすが王立封術院の俊英。理解が早い。
「では、少し厳しめに『遭遇すると全滅』という条件で被害予想をしてみましょうか。年間の出現回数は2.5回、但し遭遇率は五十分の一、つまり2%ですから、年間の遭遇回数は2.5×0.02で0.05回と計算できます。三隻で商船隊を組んだ場合を考えると、テルナ川水運における狂化個体による船の損失数は、3×0.05隻で、年間0.15隻を失う計算となります」
俺は地図に数字を書き込んだ。
「一方で、フリーデン発着のオルスタン神聖国向け商船は、片道一週間、港での積み降ろし一週間で、往復一ヶ月程度の航海が一般的かと思います。単純に一年に十二往復、三隻の商船隊を組むとすると、同航路の損失率は5%ですから、年に3×12×0.05隻、つまり1.8隻の船を失う計算となります」
地図にその数字を書き込む。
そして、顔を上げて微笑んだ。
「さて、いかがでしょう? かたや0.15隻、かたや1.8隻。船の損失率では十倍以上の開きとなりました」
「「「……………」」」
なんとも言えない空気が部屋を支配した。
皆、微妙な顔をして固まっている。
あれ?
失敗????
「……………………」
しばしの沈黙のあと、伯爵が口を開いた。
「…………まるでペテンだな」
微妙な表情のまま伯爵が呟いた。
うん。自分でもいい加減な理屈を展開したと思ってるさ。
でも仕方ないでしょ。こちとら私立文系で数学捨てた人間だぞ?
これ以上どうしろと???
「…………」
……などと言えるはずもなく、ただ言葉を失う。
そうして嫌な汗をかいていると、斜め前に腰掛けたエリスが口を開いた。
「……確かに穴だらけね」
うぐ……。
「でも、あながち外れてるとも言えないかも」
「……へ?」
意外なコメントに、思わず間抜けな声を出してしまう。
エリスは一度目をとじ、額を二、三度指で叩くと、目を開け、考えるようにして話し始めた。
「あなたが今私たちの前で披露した計算は、確かに非常にラフなものだわ。数字はいい加減だし、本来考慮すべきことも考慮していない。……だけど、考え方と方向性は間違ってない気がするのよね。ツッコミどころは満載だけど、根本の部分には異論を挟めないわ」
おいおい、まじか?
「これは勘だけど、仮に計算に使った数字に多少の誤差があっても、計算を進める中で丸められて、最終的には二割程度の誤差に落ちついている気がするわ」
その言葉に、全員がエリスの顔を凝視した。