第35話 他領の騎士に郵便配達をさせてみよう
奴隷契約を終えると、もう昼前になっていた。
一人増え、三人になった子分たちを引き連れ、屋敷に隣接する守備隊の演習場に向かう。
午前中に済ませてしまいたい用事が、もう一つあるのだ。
小学校の運動場くらいの大きさの演習場に着くと、早速、目的の人物を探す。
「お、やってるやってる」
目的の人物は、予想通りそこにいた。
演習場の真ん中に、人だかりができている。
皆、この領の領兵たちだ。
人だかりの中心では、二人の人物が剣を打ち合わせていた。
二人とも、俺が知る人物だ。
「さすがフリード伯爵家の騎士殿。やりますな!!」
激しい剣戟の中、我らが領兵隊の隊長、クリストフが叫ぶ。
「なんの。そうおっしゃるクリストフ殿も全く衰えがない。嬉しいですよ!!」
相手のイケメン……エリスの護衛、ケイマンが叫び返した。
二人の打ち合いは、加速する。
それは激しいダンスのように。
剣速、剣筋、技、応じ技、反撃、受け流し、再反撃。
ハイレベルの打ち合いは、凄まじい勢いで局面が変化してゆく。
あまりの激しさに、二人を見守る領兵たちは、言葉もなく圧倒されている。
正直、俺も度肝を抜かれていた。
まさかクリストフがここまでの剣士とは。
「ジャイルズ。お前の親父スゲーな」
二人から目を離さず、隣のジャイルズに話しかける。
僅かな間の後、返事が返ってきた。
「……全盛期のオヤジは、王国騎士団最強と言われてたからな」
複雑そうな色が混じった言葉。
息子として色々思うところがあるのだろう。
猛烈な打ち合いは、ある瞬間、ふっと火が消えるように止まった。
クリストフが距離をとり、剣を下ろしたのだ。
「降参させて頂こう。これ以上は体力がもたん」
そう言って笑うクリストフに、ケイマンが剣を構えたまま顔を顰める。
「何をおっしゃる。まだまだ戦う体力がおありでしょう?」
クリストフは首を振った。
「我々は午後にはこの街を発ちますからな。貴殿との勝負は名残惜しいが、儂にも護るべき方がいるのだ。ここで体力を使い果たす訳にはいかぬ」
そして若い騎士に笑いかける。
「それに、このまま続けても負けるでしょうからな。潔く降参するのもまた生き方ですな」
ケイマンは、はぁ、とため息を一つ吐いて剣を下ろすと、空を見上げた。
「やれやれ。私もそれなりになったと思っていましたが、貴方にはまだまだ敵わないな。私は楽しさのあまり、本来の在りようを忘れるところでした」
「はっはっは! それも若さ。伸び代がまだまだあるのは素直に羨ましいですぞ」
二人は剣を収めて歩み寄ると、ガッチリと握手を交わしたのだった。
「ケイマンさん、ちょっと構いませんか?」
領兵たちに囲まれ、握手と挨拶攻めにあっていたイケメンに、俺は声をかけた。
「おお、これはボルマン様。私に何かご用ですか?」
周りを囲んでいた領兵たちを手で制止すると、騎士ケイマンは俺のところにやって来た。
ちなみにクリストフも握手攻めにあっている。
うちの領内では絶対見られない光景だな。
「ケイマンさんに、頼みたいことがありまして」
「私にですか?」
首を傾げる騎士ケイマン。
エリスではなく、自分に声をかけて来たことが不思議なようだ。
「ええ。伯爵令嬢たるエリス殿にお願いするのは気が引けますから」
そう言って苦笑してみせる。
これは半分嘘だ。
今回のミッションを進めるにあたり、エリスとケイマン、どちらが信用できるかを考えると、貴族の少女より主人に忠実な騎士の方が確実だと判断した。
「この手紙をフリード伯爵にお渡し頂けますか」
俺は懐から手紙を取り出し、ケイマンに手渡した。
「ああ、そのくらいなら喜んでお引き受け致しますよ」
ケイマンは爽やかな笑顔で頷く。
「一つお願いなのですが、この手紙は今回の盗賊襲撃の報告をされた直後にお渡し頂きたいのです。できれば、エリス殿とケイマンさんが報告を行い、タルタス男爵がお詫びの挨拶に行くまでの間だと有り難いです」
タルタス男爵もエリス達に一日遅れてフリード伯爵に詫びに行く、と言っていた。
「つまり、渡すタイミングが重要、ということですか」
「そうです。同じ内容でもタイミング次第で意味合いが変わることは、往々にしてありますから」
ケイマンは「なるほど。確かに」と納得顔になり、郵便配達を引き受けてくれたのだった。
「坊ちゃん、なんで手紙を渡すタイミングまで指定したんです?」
タルタス男爵の屋敷に戻る道すがら、スタニエフが尋ねてきた。
うむ。良い質問だ。
「あの手紙は、伯爵がどの段階で読むかで印象がかなり変わるんだよ。盗賊襲撃の報告前に読めば『男爵家の跡継ぎごときが何言ってんだ』になるし、タルタス男爵と会った後だと『遅すぎる』。一番きちんと効果を発揮するのは、その間のタイミングなんだ」
条件は二つ。
一つ目は、盗賊襲撃の報告で俺達の吶喊とエリス救助の話が伝わり、ボルマンの評価が上がっていること。
二つ目は、タルタス男爵への処置が確定していないこと。
この二つの条件を満たしている状態で、あの手紙は最大の効果を発揮する。
「へえ。あんたも色々考えてるんだな。わたしには、さっぱりだけど」
カレーナが少しだけ感心したように呟く。
「そうだろ。せいぜい尊敬しやがれ」
得意げに胸を張る俺。
「子豚鬼にも、考える頭があったんだな」
封術士の少女は、にやりと笑った。
うわー、ムカつくー。
昼食後、俺達ダルクバルト組はタルタスを出発した。
屋敷の前には、タルタス男爵だけでなく、エリス嬢やケイマンも見送りに顔を出してくれていた。
フリード組は、死者の弔いやら何やらで出発が一日遅れるらしい。
「兄の結婚式が終わったら、父とそちらに挨拶に行くことになると思うわ」
茶髪の天才封術士、エリスが声をかけてきた。
「そんな、気にしなくていいのに」
俺の言葉にエリスが嫌そうな顔をする。
「気にもするわよ。あなたに借りを作ったままにしておくと、後でとんでもない利息を要求されそうだもの」
「ソンナコトナイデスヨ?」
「うわ、嘘くさ! 吐くならもっと真面目に嘘を吐きなさいよ。まったく。子豚鬼の噂も、周りを油断させるためにわざと自分で流布したんじゃないか、って思えてくるわ」
「ソンナコトナイデスヨ?」
いや、マジで。
「……まあいいわ。ダルクバルトの長男は油断ならない奴、というのが分かっただけでも収穫ね。うちと敵対関係にならないことを祈ってるわ」
「いやいや、うちとフリード伯爵のとこでは、勝負になりませんよ。同じ東部の領地同士、仲良くさせて頂けると嬉しいですね」
エリス嬢は額に手をやって首を振った。
「はいはい、分かったわ。……とにかく、今回の件では助かりました。正式には改めて挨拶させて頂きます」
「分かりました。ご連絡をお待ちしてます」
そうして俺達は新たな仲間を増やし、方々に色々な布石を打って、タルタスを後にしたのだった。









