第189話 愛と書いてラヴと読む②
ミスター・アハーンはごくりと唾を飲むと、しばし逡巡したあと口を開いた。
「……彼が死刑になることはないのね?」
「約束はできないがな。そいつが騙されたんじゃなくて、自らの思想と意志で犯行に関わっていたなら、公にはしなくともどこかで責任を取らせなきゃならん。命をもってな」
「そんなっ」
「仕方がないだろう。生かしておいたら更に多くの犠牲が出かねないんだ。だがまあ、単に騙されてただけなら命をとるまではしねーよ。多少の償いはしてもらうがな」
俺の言葉を不安げに聞いていたアハーンは、やがて「はぁ……」とため息を吐いた。
「アイツは、また危険なことに関わってしまったのね」
「『また』ってことは、前科があるのか?」
俺の問いに、首を横に振るアハーン。
「その時も口のうまいやつに騙されたのよ。5年前、ご禁制のものを掴まされて、ご両親から受け継いだお店を潰しちゃったの」
……ん?
5年前?
ご禁制??
店を潰した?????
どこかで聞いたことのあるキーワード。
それらの言葉が、俺の中のある記憶と結びつく。
まさか、そんな……?!
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
「?」
首を傾げるオネエ。
「ひょっとして今の話って、フリード伯爵領で起こった『帝国小麦密輸事件』のことか?」
俺の問いに、目を丸くするアハーン。
彼は驚いた顔で俺に言った。
「よく知ってるわねえ? あの事件があった当時、アナタたちはまだ年端も行かなかったでしょうに」
思わず顔を見合わせる俺とカレーナ。
俺は彼に説明する。
「俺の身内にも、あの事件のせいで店が潰れたやつがいるんだ」
「ああ、それで知ってるのね……」
アハーンは身をすくめるようにして床に視線を落とした。
「……そうよ。『帝国小麦密輸事件』。おバカなヤーマシは怪しい仲介人の誘いでエルバキア帝国産のギフタル小麦に手を出して、洋品店を潰しちゃったの」
その瞬間、俺とカレーナは追いかけていた相手の尻尾を掴んだのだった。
☆
「ヤーマシと私は幼なじみでね。彼は気が弱くていじめられっ子だった私をよく助けてくれてたわ」
アハーンはどこか寂しそうな目で、問題の『彼』との馴れ初めを語り始めた。
「大人になって、彼は実家の洋品店を継ぎ、私はこっちの世界へ……でも、ヤーマシはこんな風になった私とも変わらず仲良くしてくれた。さすがに想いには応えてくれなかったけどね」
ふふっ、と笑うアハーン。
「彼は強くて、優しくて、でもちょっとだけ上昇志向が強かったの。それで帝国小麦に手を出して負債を負って……彼が洋品店を手離すことになったとき、私がお店を買い取ったのよ」
国を揺るがした大事件に関わって潰れた想い人の店。
何年も経ってそれを調べる者が現れたら、警戒もするか。
「なるほど。それで洋品店の名前に反応してたのか」
「ええ。私がお店を買い取って彼に貸し出すことも提案したんだけど、『自分の店を持つのがお前の夢だっただろう。応援するから頑張れ』って断られちゃったわ。私が店を出したあとも、軌道に乗るまでよく通ってくれたものよ」
そう語るアハーンは、確かに恋する乙女……いや、漢だった。
「その後、彼は知り合いの商会で働き始めて、結婚して子供もできて……今は地道に暮らしてると聞いてたわ。それなのにアイツは、また怪しいものに手を出してしまったのね?」
アハーンは悲しげな、しかしどこか怒りの混じった目で、俺を見た。
「彼の罪は、そんなに重いものなの?」
「ああ。公になれば一族郎党、まとめて縛り首になるくらいにはな」
アハーンの顔色が変わる。
「アイツが何かしたとしても、奥さんと子供に罪はないわ! なんでそんな……」
「それだけ不味いことに関わってる、ってことだ。……まあ俺も、罪のない人間がとばっちりを受けるようなことにはさせないつもりだ。さっき言ったように、止むに止まれぬ事情が出てこない限り、この件を公にするはない」
俺の言葉に、アハーンはほっとしたようにため息を吐く。
「私が知ってることは全部話すわ。協力しますから、アイツとアイツの家族には、できるだけ寛大な措置をお願いします」
そう言って、深々と頭を下げたのだった。
☆
その日の深夜。
テンコーサの宿で、俺とカレーナ、そしてひだりちゃんは、作戦の最終確認をしていた。
「日中確認したように、ターゲットの部屋は共用住宅の2階だ。同じ部屋で家族が一緒に寝ている可能性があるから、光も音もご法度になる。……二人とも、できるか?」
俺が尋ねると、先に答えたのは謎生物だった。
「ひだりちゃんはだいじょぶけぷよ〜」
ふよんふよん、とその場で漂うひだりちゃん。
続いてカレーナが口を開いた。
「静かにやるなら、正面玄関から鍵を開けて入るのがいいと思う。窓や扉を破ると音が出るし。集合住宅だから共用部を通ることになるけど、なるべく気配を消して行くよ」
「よし。俺は近くの路地で身を潜めてるから、もし荒事になるようなら、呼び笛を吹いてくれ」
「まあ、そうならないように気をつけるよ」
「自分の安全を確保することを最優先にしてくれよ。作戦は成功して欲しいが、お前の命には変えられないからな」
「……わかった」
頬を染め、頷くカレーナ。
「よし。それじゃあ他に何もないなら、行こうか」
俺がそう言った時だった。
意外なやつが、待ったをかけた。
「ちょっとまつけぷよ。でかけるまえに『それ』をなんとかしないといけないけぷ!」
そう言ってひだりちゃんは、俺とカレーナの腕を指し示した。