第180話 エステルの試行錯誤〜久々のトゥールーズ
エステルが勧めた三つ目の瓶。
そのジャムは、明らかに前の二つと比べ、頭一つ……いや、二つや三つは、抜きんでたものだった。
「甘いけど、甘すぎない。これなら甘いのが苦手な人でも食べられるわ」
感嘆の声をあげるエリス。
「中に入ってるりんごのかけらも、ちょうどいい大きさだね。食感も風味も素材の良いところが残ってる。元の材料の良さがよく感じられるよ」
続いて俺が絶賛すると、エステルは恥ずかしそうに頰を染めた。
「この土地の良さを食べる人に感じて欲しくて、色々工夫してみたんです」
「なるほどな。それにしても最初のジャムから始めて、わずか二日でここまで作れるなんて。大したもんだよ、本当に」
「そんな……褒めすぎです。それに私は、まだまだ工夫の余地があると思ってるんです」
「「えっ、まだ美味しくなるの?!」」
俺とエリスは声を上げて、カエデは無言で目を見開いて、エステルの顔を見た。
「このジャムは、実は二つ目のジャムから煮る時間とお砂糖を少しだけ増やしたものです」
「えっ、でも二つ目のに比べて、全然汁っぽくないわよね」
エステルの説明に、首をかしげるエリス。
「ひょっとして、その辺が工夫の成果かな?」
俺の言葉に、婚約者は嬉しそうに頷いた。
「そうなんです! 風味と食感を残しながら、どうやって汁気をなくすのか。それがこのジャムで工夫したところです」
エステルは、一つ目のジャムを指し示した。
「一つ目のジャムは、煮る時間が長いために風味がとんでしまい、煮崩れて食感も悪くなっていました。これは逆に言えば、煮る時間を短くすれば、風味も食感も保てる、ということです」
エステルの説明に、うんうんと頷く俺たち。
次に、彼女は二つ目のジャムを指し示した。
「二つ目のジャムは、逆に煮る時間を短くしてみました。その結果、りんごのかけらには風味と食感が残りましたが、全体的に水っぽくなってしまいました。そこで……」
エステルは、三つ目のジャムを指し示した。
「この三つ目のジャムでは、火力を上げ、短い時間で水気をとばすようにしました。火が通りやすいようにりんごを四角く小さく切って、お砂糖を十分にまぶして水分を吸わせて……その代わり、お鍋に入れるお砂糖の量を減らしたんです」
俺は膝をたたいた。
「なるほど! それで全体としては甘さが控えめなのに、水っぽくないのか」
「そうなんです。……ちょっとだけお鍋の底が焦げついちゃいましたけど」
そう言いながら、嬉しそうに笑うエステル。
可愛い。
「さすが、私の妹ね!」
ドヤ顔のエリス。
なんでお前が威張るんだ。
エステルは「はい」と笑顔で頷くと、こう締めくくった。
「このジャムで、どう作っていけばよいのかが少し分かりました。でもまだ、火力も、煮る時間も、お砂糖の量も、工夫する余地があるんです。どのくらい日持ちするのかも確認しないといけません。できればイチゴやベリーのジャムも締結式に間に合わせたいですし。あと一ヶ月、できる限り頑張っていきたいと思います!」
ぎゅっ、と両のこぶしを握るエステル。
おお、という感嘆の声とともに拍手する俺とエリスとカエデ。
恥ずかしそうに微笑む婚約者の顔は、少しだけ誇らしげで、これまで以上に輝いて見えた。
☆
翌日の午後。
エチゴール家本邸の談話室に、仲間たちが集まっていた。
いや、俺が集合させたんだけどね。
部屋には仲間以外に、久しぶりに見る二人の顔。
そのうちの一人が、慇懃に頭を下げた。
「ご無沙汰しております、ボルマン様!」
爽やかに挨拶してきたイケメンは、タルタス領からやって来たアトリエ・トゥールーズのヘンリック・ジートキワだ。
彼は昼前にうちに到着し『ひと仕事終えて』ここにいる。
有り体に言えば、うちの母親に贋作を売りつけ、その代金をそのまま俺のポッケに入れてくれた訳だ。
もちろんその際には、トゥールーズの生活費と製作費として、決まった金額を渡している。––––スタニエフが。
今やアトリエ・トゥールーズとの金銭のやり取りも、オネリー商会が代行する形をとっている。
「初めての人もいるから、紹介しとく。俺がパトロン……というか、オーナーをやっている芸術家集団『アトリエ・トゥールーズ』のヘンリックとルネだ」
「ご紹介に預かりました、ヘンリック・ジートキワと申します。数ヶ月に一度、タカリナ様に私たちの作品をお売りしに伺ってますが、本業は画家となります」
「同じく、ルネと申します。装飾細工師です」
ヘンリックの隣に立つボブカットの女性が、緊張した面持ちで挨拶をする。彼女はたしか、平民の出だ。
「あなたがパトロン?! 嘘でしょう???」
驚きに目を見開き、そんなことを言うエリス。
いやまあ、俺だって柄じゃないって自覚はあるさ。
「嘘のようだが、本当の話だ。まあ、色々事情があるんだよ」
「事情ねえ……。本当、あなたって底が知れないわね」
エリスは、やれやれ、とばかりに首を振った。
「まあ、俺の底は追い追い知ってもらうとして、今日はルネに依頼ごとがあってわざわざタルタス領から足を運んでもらったんだ。その件で、皆にも意見をもらいたくて集まってもらった」
俺の言葉で、ボブカットの細工師に視線が集まる。
こういう場に慣れないのか、ルネは顔を引きつらせて硬直していた。