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執行人の逃亡  作者: 名紗すいか
前編
4/40


 オーウェン侯爵邸にある執務室で当主のグロッツは最近手離せなくなった老眼鏡をかけて、信書を読んでいた。一字一句見逃すことなく読み終えてから、――――丸めた。


 差出人はレガート・カメリア。死刑執行人一族の長だ。

 毎回毎回飽きることなく同じことを求めてくる。

 神聖な議会に死刑執行人などと言う低俗なものの席があるというだけでも腹立たしいのに、口を開けば死刑の廃止。

 その手で幾人もの人間を葬ってきた者の言うことではない。


 死刑を廃止にすれば国に不具合が起きかねない。国内においては重犯者の割合が増え、ただでさえ詰め込みぎみの監獄が溢れ返る。

 悪人が集まれば集まるほど、ろくなことが起こらない。やつらは虎視眈々と脱獄の機会を狙っているに違いないのだ。

 そんなことがもし起きでもしたらグロッツの威信に関わる。


 対外に関して言えば先の西国との戦で捕らえた捕虜や間諜を合法的に始末できない。

 捕虜を返還しないことで、後に再び戦が起こるだろう。西国もこれまで黙っていたくせに、今更事実を確認するために間諜を送り込んできた。

 地下牢に捕えた間諜は、数日の後に処刑だ。


 グロッツは老眼鏡を外し、布で拭きながらほくそ笑んだ。

 もうとっくに、伝令は届いているだろう。

 国民が求めているのはフィリナの処刑だ。


 一度も血を浴びることのない呪われた娘。

 無表情の人形めいた白い少女。


 レガートが長として引退してる今、若い執行人はもはや三人しかいない。カメリア一族に新しい子供が生まれない限り、フィリナが最後の死刑執行人になるという切迫した状況だ。

 カメリア一族は脈々と汚れ仕事を引き受けてきた。 その代償のように、仕事をこなす者ほど短命だった。グロッツの脳裏に、三年前の光景が過ぎったその時――――。

 

 ひゅう、と風が吹き抜ける音がした。


 尋常じゃない雰囲気の足音がグロッツのいる執務室まで一直線に向かってくる。扉はノックさえされずに乱暴に開かれた。

 血相を変え、飛び込んできたのは事務官のウィムだ。普段なら非礼を責めるグロッツだが、彼の取り乱し振りに、不穏なものを感じ取った。

 グロッツは目を眇め、問う。


「どうした」


「罪人が!逃亡しました……」


「何、罪人……だと?どの罪人だ」


「西国の間諜として捕まった男です」


 グロッツは血が頭に昇っていくのを感じながら、歯軋りをしてウィムを睨み上げた。

 ウィムは怯むことよりも、もっと切迫した何かに突き動かされるように口を開いた。


「それと……その男は人質を攫ったらしく……」


「何だと!!」


 グロッツはカッと目を剥いた。執務机を怒りにまかせて殴りつけた。

 それでは罪人を見つけ出したとしても、人質の安否保護を優先させなくてはならず、迂闊に手を出せないではないか。

 

「人質の身元はわかってるのか!」


 激しい剣幕で問い詰めるグロッツに、ウィムが悲痛な面持ちで答えた。


「金の髪に、白い服の少女だと……」


「……おい、それって、まさか」


 グロッツが真っ先に思い浮かんだのは彼女だった。 しかしそれではまるで、あの日のようではないか。


「おそらく……。地下牢に出入り出来るのは我々か兵か、死刑執行人だけです」


 ウィムは一度区切って、茫然としているグロッツに、その名を告げた。


「フィリナ・カメリア嬢と思われます」




◆◇◆◇◆◇



 ――――ドンドンドンッ…………!


 激しく叩きつけられる音が黒血城に轟いた。


 うとうとしかけていたチリルは、びっくりして飛び起きた。何かあったのだろうかと、寝巻き姿のまま部屋を出て、先輩たちの後をついていく。

 廊下を足早に進み、広い玄関に出る手前、太い柱の影に女中たちが集まり不安な表情を浮かべていた。

 彼女たちの視線の先には開かれた大扉と、背の高いかっちりとした服装の男性。彼はひどく焦ってここまで来たのか、髪は乱れて仕立てのよい服には葉っぱがついていた。


「レガート様はまだですかッ!」


 男性が切迫した様子で、チリルたちに問う。

 誰かが呼びに行っているのか、女中たちは申し訳なさそうに顔を見合わせるだけだった。

 騒ぎを聞きつけ、普段あまり顔を出さない一族の人たちまでが、何事かと顔を覗かせている。


「――――ウィム?」


 レガートの怪訝な声が響き渡り、彼が見える位置へとチリルは移動した。

 レガートは雨に濡れて着替えたときと、全く同じ装いで、主よりも使用人たちの方が就寝時間が早いことは一目瞭然だった。


 ウィムはレガートに駆け寄ると、早口で捲し立てるように言った。


「フィリナ嬢が、拉致されたとの情報を持って参りました」


 その言葉に、チリルは全身から力が抜け落ちていくのを感じた。上手く立っていられず、とさっと床に尻餅をついた。手がカタカタと震えて、足は曲がったまま伸ばすことさえできない。

 昼間からずっと捜していたフィリナ。結局帰って来ず、いつものことだからとあまり心配していなかった。

 絶対大丈夫なんて言葉、ありはしないのに。

 チリルの内側は、罪悪感で埋められていく。


「拉致……って、まさか……」


 張り詰めた表情のレガートは、チリルが知らない顔をしていた。


「地下牢の罪人が仲間と共に逃亡しました。負傷した兵の話では、居合わせたフィリナ嬢を連れ去ったと」


「その罪人は」


「現在王都内を全力捜索中です。ですが……何の情報も得られておりません。西国の者なので、そちらの街道にも兵を向かわせているところです」


 レガートがどうにかして感情を押さえようとしているのが、チリルにはよくわかった。さっきからずっと、拳がきつく握り締められている。


「その罪人は、フィリナの執行対象者か?」


 ウィムが首肯し、レガートが額に手を当てぎりぎりと頭皮に爪を食い込ませた。

 チリルにはそれがどういう意味なのかわからなかった。フィリナが裁く相手だと、何があるのか。

 張り詰め、静まり返った空気を、妙におっとりとした声が吹き抜けの二階から下りてきた。


「それじゃあ、もうだめね」


 チリルが顔を上げると、艶やかな女性がゆったりとした足取りで、中央にある螺旋階段を下りてくるところだった。気怠げに、肩掛けを羽織りながら。


「レイチェル叔母様ッ……、何てことを!」


「あら、だって本当のことじゃないの。忘れたの?――――ルゥナのこと」


 それはチリルの知らない名前だった。だけど、誰かはすぐに察しがついた。誰もが言葉を濁す、フィリナの――――。


 レガートがレイチェルにひどく冷たい一瞥をくれると、今度は人のよさそうな金髪の青年が慌てて駆け出して来た。


「母さん!ルナのことは……」


 息子のフランがたしなめながら、鼻を鳴らすレイチェルを引っ張って行く。その名前を口にして、辛そうに顔をしかめていたフランは、何かを訴えるようにレガートを黙って見つめた。


「わかってる、フラン。リナとルナは違う。それでももし、万が一のことがあったら、その時は……リナがそうしたように、罪人は私の手で裁く」


 チリルは何も言えなかった。黙ってい周囲に顔を巡らせた。

 


 異を唱える人間は、一人もいなかった。




◆◇◆◇◆◇



 庭の木々が花を咲きほころばせ、桃色の花びらがくるくると軽やかに宙へと舞い上がっていった。

 十五になったフィリナは、そろそろ本格的に仕事を始めなくてはならない年となっていた。

 ――――だが。


「絶対やらない!私は人殺しなんて絶対にしませんから!」


 ふいっとそっぽを向くと、にっこりとしたルゥナに平手で頬を打たれた。


「人殺しじゃなくて、神の代わりに裁くと言いなさい」


 フィリナは頬に手をあて、涙でぼやけるルゥナを見上げた。黒い艶のあるまっすぐな長い髪、目を逸らせないほど強い意思のこもった黒曜石の瞳。すらりとした体躯に真っ白な肌。

 フィリナが似ているところは、一つもない。

 ぽろりと涙がこぼれ、側で庭の風景画を描いていたレガートへと抱きついた。


「姉さまがぶったぁ……」


 筆を止め、レガートはよしよしとフィリナの頭を撫でる。ルゥナよりも、従兄であるレガートとの方が髪や瞳の色が同じな分、端からは兄妹らしく見えていた。

 フィリナはレガートにしがみつきながら、ちらっとルゥナを盗み見ると、呆れ顔の彼女がそこにいた。


「兄さま。甘やかさないでください。リナは私たちの仕事を侮辱したんですよ?」


 年下のルゥナに、レガートはすまないと謝りフィリナを引き渡した。ルゥナに敵う人間なんてどこを探しても見つからないだろう。あるとすれば、と三階にある図書室へとレガートは振り仰いだ。開け放たれた窓へと、花びらが流れていく。


 フィリナはルゥナと向き合うが凛とした気迫に負けて、首をすくめながら反論を試みる。


「侮辱じゃないです……」


「あなたはこの仕事の必要性を全く理解していないわ。大切な人を殺された人に、泣き寝入りしろと?殺された人は?復讐でまた人が殺されたら?罪人を裁くことができるのは、私たちだけなのよ?」


 ルゥナにとっての正義は、フィリナには重すぎた。裁かなければいけない罪人たちがいることは、フィリナにだってわかっている。ただ、


「なぜ私たちがそんなことをしないといけないの?」


「それは私たちがカメリアの血を引いてるからよ」


 ルゥナはいつも、それだ。

 逃れられない血の呪いがかけられているからと決めつける。自分と同じ道を歩かせたがる。フィリナの弱さを知りながら、強くあれと叱り続ける。


「私は、恐い。人の命を奪うことが。人を殺すことが普通になってしまうのが、恐いの……」


『――――血に汚れたりしないで』 


 その願いにフィリナは応えたい。叶うはずない約束にすがるしか、心の支えがなかった。約束した次の日に、決定的に閉ざされた希望は、大切に抱いたまま手放さずにいる。


 うつむいた足下に、桃色の花びらか降りてきた。ルゥナの黒い編み上げ靴が、それを優しく踏みつける。潰れて、草と混じりあった。


「恐いのは、わかるわ。私だってこの血に飲み込まれそうになる。だけど、自分を見失わなければきっとわかる」


 ルゥナの手が頬に触れた。温かい手のひら。美しい音色を奏でる指先。人を殺め続ける手とは思えないほどに柔らかだった。


「それでも私は、できません。それをすれば、私が私でなくなる……」


「リナ。人を殺すのではなく、裁くの。決して己の感情で断罪するのではない。それにあなたも、カメリアの娘よ。いつか断頭台があなたを呼び、そのときは大剣を携えている」


 その予言めいた言葉を、フィリナは首を振って否定した。それしか、できなかった。これ以上ルゥナを否定しても、何も変わらない。最後はいつも――――、


「リナ、これは運命ではないの。宿命なのよ」


 ルゥナは悲しそうな目をしていた。

 正義と信じることでしか、もはや自分を保つことができないのだ。誰も彼も。


 一歩踏み出してしまえば二度と後戻りなど望めず、ひたすら進み続けなくてはならない、宿命。


 フィリナは信じなかった。信じないことで、逃げていた。これからだって、逃げ続ける。


 血に汚れぬと、友に誓った。


 それなのに――――。




 このたった数日後、ルゥナは罪人に殺される。


 フィリナは――――。


 


◆◇◆◇◆◇



 賑やかな喧騒の中を歩かされながら、フィリナは戸惑っていた。星が見えぬほど明るい繁華街というものを初めて知った。暗さに慣れている目が、疲労してきた。

 フィリナが街に出ること自体が稀だ。死刑執行人として名が売れてしまった今は特に。

 街の人の反応は二つに一つ。白い目で遠巻きに見られるか、目も合わせず避けられるかだ。


 幼い頃は、石を投げつけられることもあった。その時にはわからなかったが、一族の誰かに裁かれた人の家族だったのだろう。


 手枷が、ぎしりとフィリナの腕に絡みつく。

 男物の薄い外套を頭から被せられ、両手は前で戒められている。

 深い緑の外套は流行遅れで古臭く、旅人を装うにしても、もっと他になかったのだろうかと思わせた。 

 それでも、酩酊して道に転がる人や、やたらと露出の多い目が痛くなるような服装の女性たちをながめていたら、そんなことはどうでもよくなった。

 街に出ても、繁華街にだけは決して近づいてはいけないと、レガートに厳しく言いつけられていたことをフィリナは思い出した。無法地帯で、何があってもすぐに対処できかねる、と。


 レイズが逃げたことはもう知れ渡っているだろうか。

 助けはきっと、望めない。


 死刑執行人の、死因の半分は他殺だった。

 罪人の家族や恋人、友人の手で殺されることもあれば、罪人本人に殺されることもある。

 威厳を持ち断頭台へ上がる執行人たちも、地面に下りればただの人だということだ。


 身内の無惨な骸を、幾度も見てきた。 

 拷問され、首を落とされ、辱められた姉の最期の姿が過り、フィリナは胃の腑ごと吐き出しそうになった。


「……おっさん。この子、すげぇ顔色悪そうだぞ」


 血の気のないフィリナの顔を覗き込んで、若い男――――ロトが言った。


「メヒの店まであと少しだ。動けないようならまた担ぐぞ?」


 肩を回しながら、大男――――レカレドがにやにやと笑う。


「というか、未だにこの子がアレだって信じられないんだけど。虫も殺さん顔してるし」


「刃物でも持たせてみる?」


 からかうようにレイズが口を挟むと、ロトはばっと首筋を手で押さえた。自分の頸動脈から血飛沫が飛び散る様子でも想像したらしい。

 フィリナも首以外狙うところを知らないのだが、人に刃物を向けることはないだろう。フィリナの得物である大剣を除いては。

 その得物も、城に置き去りにされたままだ。


 そうして歩いている内に、一軒の店の前でレカレドが足を止めた。

 派手な外装の他の店とは違い、開店しているのかわからないほど目立たない店だ。店内の明かりをもらすことない、浮き彫りの施された重圧の扉。くすんだ金色の取っ手をレカルドがためらいなく掴んで引いた。

 フィリナはレイズに背中を軽く押されて、躊躇いながら足を踏み入れた。

 内装は落ち着いていて、薄暗いが、客同士互いの顔が見えづらいことで、ゆったりと酒を楽しんでいる様子だった。艶やかな衣装で客の男たちに御酌していた一人が、フィリナたちに気がつき席を立った。


「メヒは」


 レカルドが潜めた声で尋ねると、彼女は紅い唇の端を上げ、「お仕事中」といたずらっぽく笑った。

 レカルドが、むぅと唸っている間に、レイズとロトに促されてフィリナは二階へと続く階段を上がり始めた。

 断頭台を上る罪人たちはこんな気持ちだったのかと、フィリナは重い足を乗せ、一段一段軋ませながら進んだ。

 二階に着くと漆喰の壁を伝うようにして、ある部屋へと入った。整った寝台と本棚と洋服掛けしかないその室内は、あまり使われることがないのか、ひっそりとしている。

 黒血城の空き部屋と似たような、掃除をしているのに埃っぽい匂いがした。四人も入ると、かなり手狭だ。

 最後のレカルドは戸を閉めると、本棚の右側の隙間に手を差し込んで左へと一気に滑らせた。本がカタカタと揺れて二、三冊ぱたんと倒れた。

 本棚のあったところには扉があり、そこをレカルドが開けると向こう側には飲み込まれそうな闇があった。


 ここに来てフィリナの心が躊躇いをみせ、足がすくんだ。恐い、と叫びたくなった。

 人質ではなく、見せしめのように殺されるのだろうか。

 立ち尽くすフィリナは外套を外され、詰め込まれるように暗闇の門を潜った。


 カチッと音がして、フィリナの目が眩んだ。煌々とした明かりが灯り、室内を照らし出した。

 室内は窓がなく、さっきの部屋よりはかなり広い。簡素な寝台が一つあり、ロトがそこに怪我人のレイズを下ろした。肩を揉みながら、ふぅと息をつくロトは床へと腰を下ろして胡座をかく。


 フィリナの視界は部屋の隅にある、それに釘づけされた。

 そこには天井につきそうなくらいの、大きな鳥籠。人一人入る大きさのそれは、針金ではなく馴染みのある鉄格子で、牢を悪趣味にも鳥籠として作り変えたものだった。

 中身は空っぽで、餌を待つようにぱっくりと口を開けている。


 フィリナをじっと見据えながら、それは大口を開けていた。



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