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執行人の逃亡  作者: 名紗すいか
後編
35/40

三十四


 中央国の入国管理事務所は夜更けにもかかわらず開いていた。

 チリルはその皓皓とした明るさの手前で、レカルドに馬から下ろして貰った。


「じゃあ、俺たちは国境を沿って海路で西へと戻るからな」


 ぽん、とレカルドに頭を撫でられ、チリルは首を竦めた。

 のらりくらりと躱してははいたが、一応彼らも黒に近い灰色の罪人だ。

 ロトへと目を向けると、彼は困った顔でチリルを見下ろし言った。


「またその内会えるって。だから泣くなよ」


「泣いてないですよ!」


 抗議は涙声だったので、説得力に欠けていた。

 ただレイズが再び捕らわれたことで、助けに来る可能性を示唆しての発言かもしれず、チリルは複雑な思いでロトを見つめ続けていた。


 レガートが皆の分の手続きを終えて戻って来ると門が微動し始めた。

 人の出入りの少ない夜間だからか、待ち時間がなく、チリルには別れの言葉を考える暇もなかった。

 二国間を断絶する門の重厚な響きが、地面をかすかに振動させる。

 中央国の風が一気に流れ込んで来た時だ。悲痛な叫びのような声が聞こえ、場に緊張が走った。

 背後からではなく、扉の向こう。中央国側からだ。

 曖昧だった言葉が警告となり、東国へと扉の隙間から突き抜ける。


「――――レガート兄さま!フィリナをつれて来てはいけませんッ……!」


 この声は、フランだ。

 あの控えめで優しいフランの声とは思えない、痛烈な叫声だった。

 徐々に中央国への道が開かれていき、その恐ろしい光景が明らかとなった。

 フランを含めた一族たちが皆、兵に周囲を固められ身動きが取れない状況に陥っていた。

 レガートが瞠目して、息を呑む。

 なぜこんなことになっているのか、誰にも見当がつかずに硬直した。


 警告を発したことを咎められたフランは、階級の高い記章をつけた兵の男によって両腕を拘束された。

 それを目にしたレイチェルが、血相を変えて国境を跨いでいく。


「何をするの!その手を離しなさい!」


 しかしフランを盾にされては、レイチェルも動きを封じられて睨みつけることしかできない。

 そしてその兵が、高らかに宣言をした。


「フィリナ・カメリアには反逆罪の容疑がかけられている!逃亡した罪人及びその協力者と共に、速やかなる引き渡しの要求をする!」


 チリルは唖然とした。フィリナは被害者であり、罪など何一つないと言うのに。


 この状況を冷静に見極めていたレカルドは、ロトへと目配せをして、じりじりと馬を後退りさせて後方へと下がっていった。逃げる準備をしているのだと察したが、チリルはそのまま見過ごすことにした。


 名指しされたフィリナは蒼白な顔で言葉を失っている。

 レガートは彼女の乗る愛馬の前へと庇い出ると、凛とした声で言い放った。


「フィリナは人質であった!そのような罪を着せられる謂れはない!今すぐフランを解放し、道を空けろ!」


 だが兵たちは身じろぎ一つせず、障壁を崩す気配はなかった。

 チリルは焦れた。早く中央国側へと渡らなければ。後ろからは東国の兵が刻一刻と迫って来ているのだ。

 カメリア一族と兵が互いに譲らず意見が平行線を辿っていたところで、とんっと軽やかな音がした気がして、チリルはそちらを向いた。

 フィリナが馬から地面へと降り立ち、ふわりと髪が空気を含んで静かに背中へと流れたところだった。


「リナ」


 レガートの制止をするりと翻って躱し、兵などには一瞥もくれず、エヴィルの後ろに乗せられたまま静観していたレイズの元へと行くと、そっと手を差し出した。

 不思議なことに、レイズの両手を前で拘束していたはずの縄が、するりと滑り落下した。

 レイズは縄の跡が生々しく残る手で、恭しくフィリナのたおやかな手を取ると、馬を降りて彼女の隣へと並び立った。

 レイズは指を絡めて、フィリナに小さく微笑む。

 この場にいる誰もが、二人を恋人同士だと認識したはずだ。

 それがフィリナにとっては、罪人と通じた不利な証拠となる。 

 だがそんなことなど気にもとめず、フィリナはレカルドたちに一つ視線を投げてから、レイズと共に兵たちの正面へと、まっすぐに歩き出した。

 茫然としていたチリルは、擦れ違った瞬間目にしたフィリナの唇の動きに我に返り、その背中を必死に視線で追いかけた。


「リナ!彼らの命令など、聞く必要はない!」


 フィリナは儚げな顔だけで振り返り言った。


「フラン兄さんが、捕らわれているのに?」


 フィリナはずるい言い方をした。

 レガートが人の命、ましてや家族の命を天秤にかけられるほど器用な人間でないと知っていて、比べさせているのだ。


「潔白を証明すればいいだけだわ」


 フィリナははっきりとした口調で言い切った。

 そうだ。フィリナは何も悪いことなどしていない。誤解はすぐ解けるものだと、チリルは思った。

 だが事態はもっと深刻なものなのだと、静観を止めて口を開いたエヴィルによって知らしめられた。


「……フィリナ。おまえは投降した時点で罪を認めたことにされる。それを、わかっているな?」


 実兄が身を案じ問いかけたことに、フィリナが嬉しそうに目を細めた気がした。

 実際は感情を消して、誰にも臆さぬ振る舞いをしているというのに、チリルには不思議とそのささやかな心の機微が表情となり脳裏に浮かんできたのだ。


「兄さま、私の罪は一族を巻き込んだことそのものです。その責任は、取ります」


 フランがフィリナの毅然として言った言葉に顔をしかめた。自分のせいでと、思いつめているのが痛いほどに伝わってくる。

 フィリナはレガートから目を離し、フランを拘束する男を見据えて怯むことなく告げた。


「フラン兄さんを離しなさい。そうしたら彼を連れて、そちらへと行くわ」


 この拮抗状態を打開する方法は、もうそれしか残されてはいなかった。

 男は警戒しながらもフランから手を離し、同時にフィリナはレイズと一歩踏み出した。

 肩を並べて、二人は国境へと近づいていく。

 その歩みに迷いはなく、チリルは立ち尽くしたまま、二つで一つようなその美しい後ろ姿を黙ってながめていることしかできなかった。


 あと数歩。兵らが確保のために陣形を乱したその時、機を待っていたかのように突如として馬の嘶きが夜空を駆けた。

 一瞬の出来事だった。チリルの目に焼きついたのは、フィリナとレイズの絡んだ指が、宙で脆くほどけていくその様だった。

 フィリナの指先が切なげに、レイズを求めてわずかに伸びる。


「リ……」


 フィリナを呼ぶチリルの声は、脇を抜けた疾風によって掻き消された。

 フィリナの手を離して走り出していたレイズが手を伸ばし、並行するように駆けてきた馬から身を乗り出したレカルドの腕がそれを掴んだ。

 不安定に揺れる馬を巧みに操り、レカルドは危なげなくレイズを引き上げた。

 そして嘶きを上げて先を行くロトの馬を追い、国境の壁沿いを暗闇に紛れていく。

 二頭分の蹄の跡だけを残して、彼らは消散していった――――。


 瞬く間の逃亡劇を、フィリナ一人が満足そうに見つめていた。

 レイズに離された手を、大事そうにそっと胸へと当てて。

 フィリナは初めから、レイズを逃がすつもりだったのだ。

 レイズがフィリナを見捨てて去ったように見えるが、チリルはそうでないと確信している。

 なぜならあの時、フィリナの唇はこう、言葉を紡いでいたたからだ。


 ――――私は、行かない。……と。



「――――ッ!追えッ!!」


 半数以上の兵が中央国側から逃亡した三人を追って行き、残りはフィリナにまで逃げられてしまわないようにと、乱暴な手つきで彼女の腕を掴んだ。そして後方へと捻り上げて、重ねた合わせた手首へと手枷をかけた。


「リナさまッ!」


「リナッ……!」


 駆け寄ろうとしチリルとレガートの前には、屈強な兵士たちが立ちはだかった。

 その隙に、粗末な檻車へと無抵抗のフィリナは引き摺られていき、扉が開かれると同時に突き飛ばされて詰め込まれた。

 その勢いを殺せず、狭い檻車の鉄格子にフィリナは額を打ちつけた。

 あまりの仕打ちに、チリルは涙が溢れ、堪らず俯いた。

 チリルなんかよりもフィリナの方がずっと泣きたいはずなのに、次から次へととめどなく滴が頬を伝っていく。

 チリルは誰にも気づかれないように、下を向いたまま袖口でそれらを拭い去った。


 本当にフィリナは無実なのだ。なぜ誰も耳を貸してくれないのだろうか。どうして無視をするのか。


 フィリナは鉄格子の籠の中で、血のにじむ額を押さえることもせず、ぼんやりと一族の顔をながめ見ている。

 レイズたちに連れ回されていた初めの頃のように、歯向かいもせず、じっとして。


 檻車が馬に引かれて、動き出した。

 

「――――ッ!……チリル、来なさい」


 チリルはレガートによって馬に乗せられた。

 兵がたちが厳重に周囲を固めた檻車には近寄ることさえ許されず、闇色の霧雨に覆われた王都への道のりを、黙々と続くしかなかった。




♦︎♢♦︎♢♦︎♢




『――――一緒に逃げる?』


『……私は、行かない』


『じゃあ、さよならだ』


『さようならね』




 淡白で味気のない会話が蘇り、フィリナは鉄格子へと頭を預け、嘆息をもらした。

 あれだけ執着していたのに、実際の別れなんて想像以上に呆気ない。

 悲嘆に暮れることもなく、ただ現実を受け止めていられるのは、またいつか彼が会いに来てくれると、心のどこかで期待しているからだ。

 それが檻車で移送されているフィリナの、慰めであった。


 どうせ殺されるのならば、レイズの手で終わらせて欲しかった。

 そうすれば、人間になれたかもしれないのに。

 それがフィリナの心残りで後悔だ。


 だがこれからフィリナを待ち受けるのはおそらく、死という名の解放などではない。

 グロッツがみすみす死刑執行人の数を減らしたりはしないだろう。

 牢から処刑場へと行き、また牢へと戻る未来を想像して、フィリナは震え出した体を腕で抱き締めた。

 それは肉体ではなく、精神の死であった。


 揺られて街を通り過ぎていくと、レイズと過ごした穏やかとは言い難いが優しい日々へと戻されていくようで、フィリナはそっと目を伏せた。


 レイズの持つ、あの眠り薬が恋しい。

 何も考えることなく、眠ってしまいたかった。


 そしてフィリナは、スカートの布地越しに、ポケットの底に沈んだ小さな塊へと触れた。

 ここに、毒薬がある。永遠という眠りにつくことができる、薬が一つ。

 魔が差しかけたが、すぐに手を離した。

 こんな場所で一人命を絶つのは寂し過ぎた。

 レイズに背負われたあのとき、彼になら殺されてもいいと伝えた後、本当はこう続けるつもりだった。


 ――――できることなら、私は、あなたと死にたい。


 いつからレイズがあの少年だと気がついていたのだろうか。

 フィリナはこれといった確証もなく、共に逃げる内に漠然と彼を彼だと意識していった。

 レイズの方はフィリナに思い出して欲しかったのか、わざと木の実を自分の手から食べさせたり、手を握ったり、抱き締めたりと、さりげない仕草で過去の片鱗を見せようとしていた。

 それに、彼は一度だけ秘密の暴露をしている。

 フィリナが最初に別れを告げたあの崖の上で、「また、殴られるかもしれないよ?」と言った。――――また、と。

 前にエヴィルに殴られたことを知っていたのは、あの少年だけだ。

 核心に触れることなく、一緒に過ごすことで新しい関係を築きたかったのかもしれない。

 友達としてではなく、別の何かとして――――。


 レイズはきっと、フィリナを殺すつもりなどなかった。少なくても、牢で再会した後は。

 彼が傷ついた顔で浮かべた困惑や躊躇いは、そのせいなのではないか。

 カメリア一族が絶え、フィリナ一人になったら、今度こそ死神の名から逃してくれるつもりだったのだ。

 フィリナ・カメリアという死刑執行人を殺して、フィリナという一人の人間を解放しようとした。――――そう、思うことにした。


 売られていくという意味も知らない家畜のように、フィリナは流れゆく時に、黙って身を委ねた。




           ◇




 王都に近づく頃になると、フィリナは頭から外套を被せられ、顔が衆目に晒されないよう何度も言い聞かされた。

 罪を裁く死刑執行人が罪人では、国民に示しがつかないからだろう。

 道中、不安と焦燥の瞳を一心に向けていたレガートの顔には疲れが見え始めた。

 フィリナは外套の下から気遣わしげに彼を見つめていることしかできない。

 兵らが一切の接触を許さず、声をかけることすら叶わなかった。

 



 王都の街を人通りの少ない道を選んで進んだ檻車が向かった先は、王宮であった。

 その敷地の一角に、地下牢へと続く扉と階段がある。

 子供であったレイズが入り口を見つけられなかったのは当然の話だった。王宮に出入りを許可された人間にしか、地下牢へは辿り着けないのだから。


 牢の入り口付近で檻車が引き摺り下ろされたフィリナは、長期間の移動のせいで足腰が鈍り、よろめき地面へと手のひらと膝を突いた。

 そのフィリナの両腕を兵士たちが強引に掴み立たせると、レガートがたまらず口を挟んだ。


「フィリナはまだ罪人ではない。扱い方に気をつけてくれ」


 隊長である兵の男は嘲るように鼻を鳴らした。彼らに対応を改める気はないようだ。


「カメリア一族の方はもう、お帰り頂いて結構ですが」


「そういう訳にはいかない。私もグロッツに積もる話があるので」


「兄さま……」


 レガートは自身が持つ権限を最大限に利用し、不愉快そうな兵らの後を続いて、フィリナが地下牢へと入れられるところまで目を光らせていた。


 偶然なのか、フィリナが入れられたのは、レイズがいた牢だった。

 その鉄格子の内側から、辛さを出さず気丈に微笑むレガートを見上げると、彼は大丈夫だとフィリナの頭を撫でた。


「グロッツと話をして来る。――――きっとすぐに釈放されるから、安心しなさい」


 優しい声音に、フィリナはこくりとうなづき謝った。


「兄さま、迷惑ばかりかけて、ごめんなさい」


「リナ……。大丈夫だ。行ってくるよ」


 後ろ髪引かれながら階段を上がっていくレガートの背は、蝋燭の灯火が届かなくなると完全に視界から消えてしまった。

 フィリナは鉄格子を握り締めて、無人の牢で言葉にならない息を吐き出した。


 ――――疲れた。


 レイズはちゃんと逃げ仰せただろうか。


 フィリナは冷たい鉄格子に背中をもたれて座り、少しの間だけだと決めて目を閉じた。


 そのまましばしの眠りへと、落ちていった。




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