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執行人の逃亡  作者: 名紗すいか
後編
34/40

三十三


 レガートとエヴィルは罪人を捕らえるなどと言って勝手な行動をするので、レイチェルは長い迷路じみた回廊を、一人で歩かなくてはならなかった。

 裏門へ向かうように言われていたが、さすがは城と呼べる芸術品が数多くあり、それらをながめて気の向くままに進路を変える。

 窓から差し込む月光と、回廊に点々と灯る角灯でどこもほの明るい。

 だけど見回りの兵に見つからずに罪人を捜し出すなんてできっこないわ、と独白をもらして外へと続く扉を開けた。

 だがその扉は、裏門とは正反対に位置する扉であり、城の前庭にレイチェルは出てしまった。

 城壁に添って半周すれば裏門へと着くなどと具体的な案もなく、なんとなくで正解の道を歩き始めた。


 左塔あたりまでのんびりと進んだ時だった。

 遠くに光っていた小さな角灯の明かりがいつの間にか大きさを増していることに気づき、レイチェルは仕方なく身を潜めた。

 何でこのあたくしが、とぼやきながら左塔の石段脇から顔だけ出してやり過ごすはずだった。

 しかし予定通りにはいかず、角灯の灯火はレイチェルの顔を映し――――。


「ギャーー!!」


 絶叫にあわせて橙色の火が宙を舞った。

 まさか自分自身が石段の上から生えた生首に見られていたなどとは露知らず、逃げていく腰抜け兵をレイチェルは、失礼ねと睨めつけた。

 あんな情けない兵ばかりなら、レガートたちは罪人を捕らえて来るかもしれないわね、とレイチェルは呆れながら裏門へと再び歩みを進めた。



 その背後で下生えに移った焔が、じわじわと輝きを増していたことになど、もちろん知るよしもなく。




◆◇◆◇◆◇



 罪人であるジュンを捕らえるという指針が自らを隘路へと導き、レガートは一向に城内から脱け出せずにいた。

 折に触れて出くわす見回りの兵を躱して、エヴィルと手分けして捜すも、城内に彼の姿はどこにもない。

 急がなくてはならないというのにだ。


 定期連絡の烏が一向に戻って来ない。国境付近の一族たちに、何かよくないことが起きているのではと胸騒ぎがしている。

 フィリナはすでに待っているであろうか。

 彼女を連れて、早く一族の元へと向かわなくてはと、気持ちがばかりが急いで空回りしていた。


 月が夜の真上に掛かるまでが、ジュンの捕縛のために行動できるわずかな猶予だ。

 それを過ぎれば潔く諦めることをエヴィルにもしつこく言い聞かせておいた。

 かなり渋ってはいたが。


 城の内部は隅々まで捜索を終えたところで時間切れ間際にさしかかり、レガートは当初の予定通りにジュンから手を引き、裏門へと向かうことに決めた。

 だがふと、ジュンが前塔の正面の草木萌える悠々とした庭を窓からながめていた光景が過り、踵を返した。

 そちらを確認してからでも、まだ間に合うだろう。


 そして足早に駆けつけたその先で、ようやく彼を見つけた。

 ジュンは一本の木を見上げて、ひっそりと佇んでいた。

 足音を立てないよう背後から近づいたが、


「僕を捕らえに来たんですか?」


 ジュンは振り返り肩を竦めた。


「無益な殺傷はしたくないんだ。一緒に来てくれないか?」


「断ったら?」


「無理にでも連行するしかないだろうな」


 苦笑めいたレガートの言葉を真摯に受け取り、だがジュンは逃げる素振りは見せなかった。

 油断しているのとも、どこか違う。

 何を考えているか読めないのは相変わらずだった。


「そちらこそ、逃げたら殺されますよ。宰相の手の者に」


「君ではないのだな」


「僕は、人殺しだけはしませんよ。あなたたちと違ってね」


 ひやりとした口調に、一族への憎しみが垣間見えた気がした。

 レガートには、言葉もない。

 人殺ししかしない者には、何も。


 刹那の沈黙は、巻き起こった疾風が切り裂いた。

 レガートの脇を何かが掠める。――――エヴィルだ。

 死刑の執行時のみにしか人目に晒されない大剣の刀身が、レガートの眼前で月の光を浴びて閃く。

 エヴィルの眼光は鋭く、獲物であるジュンしか映していないようだった。


 レガートが止めに入ると同時に薙がれた迷いない一閃を、ジュンはかろうじて身を引き躱す。

 だが頬から一筋の血がにじみ出て、涙のような滴がぷくりと浮かび上がると、つぅっと伝い落ちた。

 体勢の崩れたジュンの首筋に、エヴィルが触れぬぎりぎりに刃を添えた。

 力を加えずとも、少し引くだけで血飛沫が辺り一面を赤く染めるだろう。

 自分の生死を握るエヴィルへ、ジュンは頬を拭ってから気丈にも問いかけた。


「殺さないんですか」


「ここは処刑場じゃない。――――レガート、確保しろ」


 エヴィルに命じられて、少々情けない思いを抱えたまま、レガートはジュンを後ろ手にした。

 どこでくすねてきたのか、刀を鞘へとしまったエヴィルが縄を放って寄越す。

 それでジュンを拘束し、ようやく目的の一つを達成させた。

 後はフィリナの無事な姿を確認するだけだ。

 抵抗しても無駄だと諦めたのか、それとも従うふりをして機を窺っているのか、ジュンは大人しくエヴィルの手で連行されていく。

 罪人だというのに、ジュンはレガートたちに護衛をさせている風情で、そこから恐怖や失望は微塵も感じられなかった。


 三人言葉もなく黙々と歩き、薄暗さに溶けた裏門だけがうっすらと見え始めてきた頃、見計らったかのようにジュンが口を開いた。


「彼女が変わったかって、訊きましたよね?」


 それはいつかのエヴィルが、彼へと投げかけた問いへの確認だった。

 なのでレガートは聞き耳を立てず、代わりにはっきりし出した人の輪郭に、集中をした。

 大きなのはレカルド小さいのはチリル、地面にしゃがんでいるのがロト、そしてこちらを一心に見つめているのは――――。


 エヴィルがジュンの質問に、「ああ」と答えた直後、レガートは違和感を覚え足を早めた。

 次第に明らかとなったフィリナの姿に、エヴィルがはっと息を呑んだ。レガートも、驚きに目を見張る。

 フィリナの豊かな金の髪が、艶やかな黒に染まり暗闇に紛れていたのだ。


 一瞬だ。ルゥナのようにも、エヴィルのようにも見えた。

 だがその白い服が、フィリナだと告げている。

 レガートたちを映す緑黄翠の瞳は、間違いなくフィリナのものだった。


「リナは変わって――――」


 ジュン――――レイズの言葉を最後まで聞くことなく、走り出したレガートの耳からは、彼の声がふつりと途切れた。




◆◇◆◇◆◇



 三人の影に、フィリナは自ら駆け出しかけて踏鞴を踏み、足を引いた。

 いるはずのレイチェルの姿がなく、代わりにレイズがそこにいる。

 訳がわからず立ち尽くしていると、レガートが安堵を浮かべて、フィリナをきつく抱き締めた。


「リナッ……!よかった……本当に、無事で……よかった」


 もう二度と失ってしまわぬように、息苦しいほどに抱き竦めた。

 どれほど心配をかけたのかをまざまざと見せつけられ、それを痛いぐらいに感じ取り、フィリナはレガートの腕の中で何度も謝り続けた。


「兄さま……ごめんなさい。ごめんなさい……」


「こうして会えたんだ。そんなに謝らないでくれないか……。リナが生きているというだけで、十分なんだから……」 


 頭にかかる涙を堪えた掠れ声に、フィリナは胸を衝かれた。

 こんな遠方の地まで、フィリナの生存を信じて来てくれたレガートへ、心からありがとうと伝えた。

 そして抱擁を解くとすぐ傍に、いつの間にかエヴィルとレイズの姿があった。

 チリルがエヴィルの大剣を見つめてびくっとしたので、フィリナは大丈夫だと目配せをした。

 レガートに肩を抱かれて守られたままではいけないと、フィリナから勇気を振り絞って一歩踏み出した。


「兄さ――」


「今すぐにルゥナの靴を脱げ。お前には不相応だ」


 エヴィルは表情一つ変えず、淡々とした口調で、フィリナを見限った。

 とうとうルゥナの形見を手離さなくてはならないところまで来てしまったのだ。

 俯いたフィリナは、一足づつ編み上げ靴を脱ぎ、胸に抱えたままだった黄色い靴へと履き替えた。

 くたりとした靴が、フィリナを最後まで苛み続けた。


 エヴィルは、後ろ手に縛られたレイズの腕を片手で掴んだまま引っ張り、何も言わずにルゥナの靴をもう一方の手で揃えて持ち上げた。

 彼はもう、目も合わしてくれない。だからフィリナも、そっと視線を外した。

 代わりにレイズの顔が視界に映り、頬につけられた真新しい傷跡に気がついた。


「その傷……」


 フィリナが手を伸ばして触れようとすると、エヴィルに鋭く睨みつけられ、引っ込めた。

 エヴィルによって切りつけられた傷のようだ。

 それでもその乾いた血糊の跡を見続けていると、レガートに引き寄せられて、レイズから距離を取らされてしまった。


「彼は罪人だ。中央へと連れて帰る」


 背後でレカルドとロトがくつくつと笑う声がし、レイズは肩を竦めている。

 彼らは徹底して関係を明かさない。互いに声一つかけず、他人の振りを貫き通す。

 苦笑していたレイズだったが、レカルドたちからフィリナへと顔を向けると、わずかに首を傾げて見せた。

 不思議と言いたいことが伝わり、フィリナはレガートから少しだけ離れると、彼は満足そうに目を細めた。

 しかしレイズが捕まっていては、フィリナはこの先どのような行動を取ればよいのかわからない。

 

「――――レイチェルはどうした」


 一人欠けていることをエヴィルが怪訝そうに問いかけ、皆顔を見合せてから首を横に振った。

 誰も彼女の行方を知る者は、この中には誰もいない。

 また災厄を撒き散らしていないかと懸念していると、予期せぬ方角から噂のレイチェルがのんびりと歩いて来るのが見えた。

 彼女は予定外の大所帯に軽く眉を顰めてから、遅れてきたことに対する謝罪や言い訳の一つもなく、自らの愛馬へとさっさと跨がり、上からレガートへと声をかけた。


「あら?行かないの?」


 一番最後に来た彼女が平然とこの場を仕切り、レガートは複雑な心境をそのまま表情に出して答えた。


「……そうですね」


 馬はレガート、エヴィル、レイチェルが乗ってきた三頭とさらに、レカルドとロトのために二頭が用意されていた。

 レカルドにひょいっと持ち上げられて馬へと乗せられたチリルは、彼と二人乗りしていくようだった。

 高いところがやはり恐いのか、彼女は言葉なく震えている。

 手綱を握るのがレカルドなので、馬の扱いに慣れているか心配なのかもしれない。


 フィリナはレガートに促されるまま、彼の馬へと上がった。

 そして後ろにレガートが乗ってから、顔だけ見返り尋ねた。


「レイズはどうするの?」


「レイズ?」


 フィリナはレイズへと目を向けながら、もう一つの偽名を口にした。


「ジュンは?エヴィル兄さまと乗って行くの?」


「……エヴィル」


 レガートが声をかけると、仕方ないとばかりにエヴィルがため息をついた。


「縄をほどいてくれたら、門を開けますよ」


「逃げる気だろう」


 エヴィルに睨みつけられたレイズは、門を一瞥して言った。


「僕以外に、門の開け方のわかる人はいますか?」


 それに対しての返事はない。彼の言う通り、誰も知り得ないことだった。

 エヴィルに付き添われる形でレイズは門の前まで歩き、縄を外して貰うと、まずは扉の両側にかけられた太い閂を抜き去った。

 そして門の脇にあった滑車装置のてこ部分をキュルキュルと回し始めた。

 ギギギ……と不快な軋みを立てて、門扉が外側へと開いていく、その時だった。

 左塔のある方角で、何か爆発するような轟音が耳をつんざいだ。


 全員が音のした方へと揃って視線を投げた。

 目に映し出されたのは、橙の燃え盛る炎が柱となり夜空へと黒煙を上げる恐ろしい光景だった。


 あちらから歩いてきたレイチェルは、果たして無関係なのだろうかと、カメリアの血を引く三人の非難めいた視線が彼女へと集まった。

 しかし本人は爆発などお構いなしに、先陣を切って悠々と門を潜っていってしまう自由さだ。


 火の爆ぜる小さな音がいくつか風に流され聞こえてくると、レカルドとチリル、そしてロトが乗った馬は順に外へと飛び出していった。


 クラウサは平気だろうかと思ったが、彼はフィリナの指示通りに、今頃王都の街を駆けずり回っているはずであり、その事実にそっと胸を撫で下ろした。

 

 レガートはエヴィルが馬へと乗るのを待ち、フィリナは茫然とした様子のレイズを見つめた。

 後ろにいるレガートが、その眼差しに胸を痛めているとは、思いもせずに。

 レイズは情けない表情で苦笑すると、鎮火のために走り回る兵たちを一瞥している間に、エヴィルに腕を前にして縛り直され、引き摺られるままに馬へと同乗させられていた。


 二頭の馬が開かれた裏門にいることに気づいた一部の兵が追って来たのを合図に、レガートとエヴィルは馬を走らせた。

 今捕まれば、火災の責任も負わされるかもしれない。

 馬は速度を加速させていった。

 顔に吹きつける風と不安定な揺れで、無理をしてレイズの方へと顔を向けようとしたフィリナはふらつき、慌てたレガートの腕によって支えられた。


「リナ、じっとしていてくれないか」


「……はい、兄さま」


「……彼が、気になるのか?」


 ぽつんとしたつぶやきは、あっという間に風に浚われた。

 だがフィリナの胸を疼かせるには十分な響きを持っていた。


 嘘をついても意味がない。フィリナは揺れとは別の、しっかりとしたうなづきをして見せた。

 レガートからは、沈黙以外の何も返って来ない。

 きっと怒らせてしまったのだ。

 実兄だけでなく、いつだってフィリナに優しかった従兄までも失望させた。

 罪人と、心を通わせたのだ。それが当然の反応だった。

 だけどフィリナにはやはり、レイズを切り捨てることなどできなかった。

 レガートたちを逃がしたら、彼とあの悪夢のような城に残るつもりだった。

 レイズもそのつもりでいたのだろう。

 あの火災がなければきっと、レイズは上手く逃げることができ、フィリナは走る馬から飛び降りてでも彼の元へと向かったはずだ。


 家族を逃すことさえ叶えば、それで――――。


 だけど、家族を助けたいというのは建前で、レイズと共にいたいという身勝手な想いこそが真の望みなのではないかと、胸の奥深くで悪魔が囁く。


 先を行く三頭の後ろにつけると、馬の走りが緩やかに減速した。

 クラウサが手を回してくれたお陰で、街で兵に遭遇する心配はなさそうだ。

 しかし逃亡を目撃された以上、視界に入らなくとも追手は確実に後方にいる。

 五頭の馬は休むことなく、一気に国境までの道を疾走し続けたのだった。



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