三十一
予想してはいたが、外に出る許可が下りず、護衛と称する見張りの兵士が部屋の前に立っている。
レガートは、いかにして外部との連絡を取るか策を練っていたところに、窓をこつこつと控えめに叩く音が響き、はっと顔を上げた。
すぐに窓を開け放つと、伝書烏が、ととっと二本の足で窓枠に止まった。
一族の飼う伝書烏は、伝書鳩より賢くて機転が利く。場所ではなく、人の顔を判断して書簡を届けるのだ。
足に紙が括りつけてあるので、フランからの返事を運んできたようだった。
食欲がなく、ほとんど手つかずだった昼食を烏に与えている間に、レガートは短い文を一読した。
援軍不要だと伝えたというのに、半数は国境で救援のために構えているという。
暗殺者に気をつけてるようしたためた手紙を、空腹を満たして満足げに羽を毛繕いしている烏へと託した。
伝書烏を空へと飛ばし、羽ばたきで落ちた黒い羽をながめて、レガートはため息をついた。
彼らの身を案じながら動けないというこの状況はつらい。
その時、こんこんと扉を叩かれ、レガートは警戒を強めて「はい」と固い返答をした。
「お花を替えに参りました」
この声は――――。
レガートはすぐさま扉を開いて、花束を抱えたその小さな女中を招き入れた。扉の両脇に立つ兵士に怪しまれないよう、気を張りながら。
扉を閉めると、レガートは困惑を浮かべて彼女の名前をつぶやいた。
「チリル……。なぜ……?」
レカルドに預けたはずのチリルが、この城で働く女中服姿をしてレガートの部屋に訪れたのだ。
驚くなという方が無理だ。
彼女は興奮を押さえきれないとばかりに花束をきつく抱きしめ、だが扉の向こうを気にしながら小声で叫んだ。
「リナさまにお会いしました!」
その報告に、レガートは弾かれたようにチリルへと問いかけた。
「それは本当か!?今どこにいるんだ」
「私と一緒に女中として働きながら様子を窺っています」
「リナが……?」
あの子に、女中の仕事が務まるのだろうか。
別の不安が頭をもたげたが、無事であったことに深く安堵して、寝台へと脱力して腰を下ろした。
「よかった……」
「旦那さまたちが先に逃げてくださいとのことです。リナさまは、その後に逃げると仰っていました」
チリルの言葉にレガートすかさず反論をした。
この場にいないフィリナへと。
「そういう訳にはいかない。リナを連れて帰らなくては、何のためにここまで来たのかわからないではないか」
あの日から、どれほどフィリナを無事この手に取り戻すことだけを望んでいたのか。
今すぐにでも、会いに走りたいという衝動に駆られる。
しかしまだ、やらなければならない事柄が残されている。
「あの罪人も、捕らえなくては」
事の発端である彼を。ジュンという、あの青年を。
「えっ!?だ、旦那さま!逃げることだけを考えてください!リナさまだって、いつ正体が明るみになるかわからないのですよ?」
「もちろん最優先すべきは逃げることだ。しかし、一族を拐われ、五人も失い、このままうやむやになどさせてはおけないんだ。一度、あの青年と話をしなくては」
刀を振るう覚悟で、彼と向き合わなくては。
「チリルには、すまないが連絡係りを任せる。とにかく、フィリナも共にこの城を出ることを納得させて欲しい。兵士に疑われてしまうから、もうそろそろ行きなさい」
こくりと神妙にうなづいたチリルは、手早く花瓶の花を生け替えて、扉へと向かおうとした。
「チリル」
呼びかけると彼女は赤毛を靡かせ振り返った。
その顔はどこか大人びた雰囲気を帯びていて、レガートは子供の成長の早さに苦笑した。
小さいが、誰よりも度胸と行動力のある彼女に、伝えなくてはならない言葉があった。
「誕生日、おめでとう。遅くなってしまったね」
途端、チリルはくしゃりと顔を歪めた。
泣き出しそうなのを堪える姿は、まだ子供そのもので、不思議とほっと安堵した。
お礼を告げたチリルは深々と頭を下げて、何事もなかったかを装い、さっと退室していった。
ふ、と息を吸って、吐く。
そして壁へと立て掛けられた大剣を腰へと携えた。
あまり使いたくない得物だが、これ以上に牽制となる物もないだろう。
エヴィルに一言告げるべきかと逡巡したが、止めておいた。
あの男と、二人きりで対峙しなくては意味がない。
エヴィルが、フィリナと彼の関係を頑なに口にしない理由は察している。だからこそ、だ。
レガートは見張りの兵士に、取り次ぎを頼んだ。
彼らはジュンへと報告することもなく、迅速にレガートをある一室へと案内した。
まるで初めからそう予定が組まれていたのではという疑念と、不快さを払拭出来ぬまま、その部屋へと足を踏み入れた。
室内を見渡し、彼しかいないことを確認してから、レガートは改めて彼の横顔へと目を向けた。
窓辺で庭を俯瞰しているさまは、それだけで一つの芸術作品のようで侵し難い空気を漂わせている。
先に口を開いたのは彼の方だった。
大剣を持つレガートに、あえてなのか半分背を向けたまま、語り始めた。
「――――昔、僕は父と二人、その日食べるのもやっとの生活をしてました。父は僕のために、罪を犯した。人を殺しました。そしてその父を、あなた方が殺した」
これは憎しみ、なのだろうか。
しかし彼からは、濁った澱のような怨嗟は感じられない。
風化した感情を、ただ言葉でなぞっているだけに聞こえる。
それもあくまで、表面上ではあるが。
「あの国には死刑制度がある。現状では私にも、どうすることもできない」
いくら廃止を訴えても、返って来る言葉はいつも同じ。代わり映えのしない、一言だけだ。――――否。
負の感情は連鎖する。断ち切る強さを人は持たない。
正当な理由として殺されたのだとしても、それは国の正義であり、個人の正義ではないのだ。
そして怒りの矛を受けるのは国ではなく、カメリア一族。ただの人間の、死刑執行人。
ふ、とジュンはレガートへと振り返り、美しく笑んだ。
「革新派の一族長。あなたがいくら声を張り上げようと、初めから聞く気がない人間には決して届きませんよ。彼らは保身と体裁のための政治を、国民のためだと平気で言える人間たちですから」
概ね同意見のレガートは、出鼻を挫かれた。――――罪人と、同じ考え。
「密偵容疑で捕まえた人間に対して、口封じのために断頭台送りにし、兵には牢で暴行を加えさせる。直接指示は出していなくても、見て見ぬふりをして嘲笑う。国に、グロッツに、あなたも憤ってるのでは?」
死刑になるほどの罪を犯していないと、情に訴えかけているのだろうか。
しかしそれにしては、淡々とし過ぎている。
「……その話が本当だとしても、フィリナを誘拐し、罪を重ねたことを忘れていないか?」
彼は無実を訴える上では、一番してはいけない方法を選んだ。
非難するレガートに、ジュンは肩を竦めるだけで、何も言わない。否定も肯定も。
そして話を、はぐらかす。
「――――三年前の、クルス大将のことを覚えてますか?」
忘れるはずがない。
ルゥナを失い、エヴィルを傷つけ、フィリナを絶望へと導いた、あの男を。
しかし、なぜここでその名が、ジュンの口から告げられたのか。
レガートの動揺などお構いなしに、ジュンは気ままに話を続ける。
「彼は当初監獄送りだったはずですよね。だけど、罪を重ねた。今回の僕のように。……いや、僕が模倣したことになるのかな。あなた方は当事者だから、あの違和感に気づかなかったようですが、僕からしてみれば随分と都合のよい結果に終わったな、と思いましたよ」
「君が何を言っているのか、わからないのだが。都合とは誰の――」
レガートは追求を止めて、自力で答えを模索すべく頭を巡らせた。
クルスに全責任を押しつければ都合のよい人間など、数え切れないほどいるではないか。
国だ。アルシェ中央国。王族貴族、そして――――国民たち。
戦争によって溜まった国民の憤懣を、一人を犠牲にすることで鎮めた。
結果としては、そう見えなくもない。
だがジュンの真意が霞みがかって見えてこない。
それとフィリナの誘拐と何が繋がるというのだろうか。
ジュンは手掛かりを一つ、レガートへと差し出した。
「牢から人が、簡単に逃げ出せると思ってますか?一人とはいえ、外部からの手引きなしに。さらには人質まで連れて。牢で兵士たちから暴行を受けていたはずのクルスが、一人で?おかしいでしょう」
ジュンの逃亡の仕方にはクルスのときと符合している点が多いことで、彼の言葉に真実味が増した。
ジュンを手助けしたのはレカルドとロトの二人。最低二人は協力者がいた――――?
いや、違う。そんな単純な話をわざわざするはずがない。
監獄送りのクルスを死刑にすることで、国民感情を押さえたかった人間は誰なのかが問題なのだ。
そしてそれが実行可能な人物――――。
レガートの心臓が激しく脈打った。
そんな恐ろしいことが、あの事件の裏で仕組まれていたというのか。
ならばルゥナは。政治的な陰謀に巻き込まれたルゥナはどうなる。
クルスだけが、悪だと思わされてきた一族は。エヴィルは。フィリナは。
蒼白な顔のレガートは、震える唇で問いかけた。
「君は、何を知っているんだ」
ジュンは話の重みなど歯牙にも掛けず、にこりと笑った。
「帰ってから、グロッツに尋ねたらどうですか?」
それが答えなのだ。
元々嫌いであったグロッツに、殺意にも近い憎しみの感情が芽生えた。
ジュンは密偵として優秀なのだろう。
秘匿すべき闇を抱え過ぎた彼を、その身ごと葬ろうと画策したのだとすれば――――。
レガートは激情に飲まれかけた精神を、まだ決まったわけではない、と自戒し落ち着かせた。
レガートがゆるやかに鎮静したことで、ジュンは的が外れたとでも言いたげに首を傾げている。
怒りに身を任せたレガートを、嘲笑うつもりだったのだろう。
「その件は帰ったら調べさせて貰う。だがなぜ、そのようなことを調べる必要があったのだ?」
クルスの事件に裏があろうと、それが情報としての価値を持つのは他国にではなくカメリア一族にだ。
ジュンは自分の行動を計りかねたように、自信がなさげにつぶやいた。
「……復讐、かな」
「君の父親を死に追いやったからなのか?」
そうかもね、と彼は言う。飄々としていて、抜け目がない。
「リナが執行したからか?」
フィリナの愛称を口にした刹那だけ、ジュンの眉が不快そうに寄った。
「リナと、どういう関係なんだ?」
あくまで家族として尋ねると、「さぁね」とまたぼかされた。
フィリナとの思い出は宝物だから、誰にも見せたくないというように、胸に手を当て、幸せそうに顔をほころばせている。
レガートの知らないフィリナがそこにいるのかと思うと、どうしても口調に棘が混じる。
「あの子に、何もしていないだろうな」
「もう子供じゃないですよ。親代わりの、兄さまが庇護しなくても平気です」
親代わり、とわざと強調された。
ジュンの牽制に、胸の内が掻き乱される。
彼女の隣に並び立てないレガートに対して、ジュンは優越に浸り目を細めた。
「リナが好きなのか?」
わかりきったことを、レガートは訊いた。
彼の口から紡がれたのは、恋煩うような言葉とため息。
「あなたが思っているよりも、ずっとね……」
相手を想う純真な恋心と、危うさの秘められた愛情が混在して見えた。
それが向けられている。大切な従妹へと。
レガートはより一層警戒心を強めた。
「それに、彼女は僕のものだ」
「フィリナはフィリナのものだ。君のものではない」
ジュンは途端に表情を一変させ、蔑みを含んだ眼差しでレガートを射貫いた。
「フィリナのもの、ね。彼女の心を無視して、人殺しなんてやらせてるのに?」
くっ、とレガート忌々しげに声をもらした。
どうにもならない血の呪いを、葛藤を、他人に易々口を挟まれるのは不本意だ。
一族にしか、この苦悩を本当の意味で理解できない。
「……君だって、ここでそうさせようとしているではないか」
「宰相が、ね」
彼は自嘲の混じる苦笑をこぼした。
まるで自分は無関係と、一歩引いたような響きがあった。
彼の目的は宰相とは異なっているのか。
ならばフィリナへの、この歪な執着は何なのだろう。
少し、鎌をかけるべきか。
「……フィリナが、執行人が嫌だと話したのか?家の者以外でそれを知るのは、おそらく君だけじゃないかな」
「さぁ?接する人が少ないから、必然的にそうなるだけでしょう」
「今のフィリナはあまり意思表現をしないからね。昔のフィリナならば、別だが」
レガートは明るかった頃のフィリナを思い出して、憔悴したようにぽつりと言った。
「……天真爛漫な子だったんだよ」
「…………えぇ」
ジュンが愛しさで溢れたうなづきをした。
やはり彼は、フィリナの子供時代を知っている。
しかしフィリナはいつも、レガートかルゥナの後をついて歩いていた。
都へと出る際は、片時も手を離しはしなかった。
ジュンの影などどこにも――――。
しかしエヴィルは彼と面識があるようだった。
お世辞にも仲のいい兄妹とは言えなかったのにだ。
三人に、何があったのだろうか。
接点があるとすれば、彼の父親が死刑になった時期のことでしかあり得ない。
執行人と罪人の家族が出会う機会など、限られている。
「君の父は、いつ……?」
父親のことを尋ねられるとは思っていなかったようで、訝りつつだが彼は答えた。
「……十一年ほど前に」
その頃に何か異変はあったかと考えなくとも、すんなり蘇る事件が一つあった。
フィリナがルゥナに初めて歯向かったのだ。
執行人にはなりたくないと泣き叫び、頬を打たれた。
そうなるまでに、何か原因があったはずだ。それが彼の父親の死刑執行だったのならばうなづける。
経緯は知り得ないが、彼と仲良くなった後で、その父親を自分の血縁者が殺したのであれば、当然の反応と言えるのではないか。
その後家出をしてもおかしくはない。
レガートの知る限り、フィリナには友達がいなかった。
だが一度だけ、友達と口にしたことがあった。裏切ったのだと。
「君はフィリナの、友達だったのか……?」
「友達……か」
優しく包み込む響きだった。
大切に大切に噛み締めて、誰の目にも触れない心の暗く深い水底へと沈めていく。
彼の心理がまるで掴めない。
好きなのか嫌いなのか、苦しめたいのか守りたいのか。
彼の心と言動は、支離滅裂で一貫性がない。
ジュンというこの男が、わからない。
「僕を、捕らえますか?」
「ああ、そのつもりだよ。連れ帰って中央で裁く。覚悟していてくれ」
それを聞き、どこか満足そうにジュンはうなづいた。
窓の外からかすかに、甘酸っぱい果実の香りが吹き込んできた。
ジュンが庭へと視線を向けて、無邪気に顔をほころばせる。
嘘ばかりの彼の笑顔に紛れて、それだけが本物に見えた。




