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執行人の逃亡  作者: 名紗すいか
後編
31/40

三十


 夜明け前、女中たちの眠る大部屋を抜け出したフィリナは、物置部屋へと身を潜めた。

 雑多な小物が積み上がった箱の裏でしゃがんでいると、音を立てずにクラウサが忍んできた。


 彼の情報は一つ。カメリア一族の来訪と滞在。


 レイチェルがいるのならば、フィリナの伝言を受けてなお、乗り込んできたということなのだろう。

 素直に逃げてくれなかったことに、落胆した。

 まだ家族だと思ってくれているのか。この出来損ないの従妹を、姪を、妹を。


 国の上層部に囲われたレガートたちに、迂闊に接触は出来ない。

 フィリナは顔を見られてしまえば全て水の泡となる。


「何とかして兄さまたちに、わたしがここにいることを伝えないと。……あなたでも無理?」


「こっちもあんまり派手に行動できないんだよね。密偵ってバレたら元も子もないしさ。とりあえず今は、それなりにもてなされてるらしいって噂」


 カメリア一族を一気に三人も手に入れ、アーサーは喜んでいるに違いない。反対にレイズは――――。


「ジュンのことは?何かわかった?」


 クラウサは埃の被った動物の置物へと腰を預けてから、戸の方へと一瞥して話し始めた。


「密偵から言わして貰えば、同業者を探るのが一番厄介なんだよねぇ。ジュンは、優男で城内においては悪評なし。貴族の令嬢にも女中にも手をつけてないけど、外では不明。宰相の傍に姿を見せ始めたのがおよそ三年前で、以後第三秘書の肩書きが与えられている。宰相はお気に入りばかり囲ってるから、一時二人の関係を疑う噂も出たらしい。――――もちろん、デマだったよ」


「……ねぇ。もっと、ちゃんとしたのはないの?」


「辛辣だな……。その男を探るより、身内との接触の機会を窺っときなよ。こっちは王都であんたの目撃情報を小出しにして、兵を攪乱させることぐらいはしとくからさ」


「ありがとう。帰れたらあなたの助力を報告しておくわ」


 にっと笑ったクラウサにもう一度礼を言って、腰を上げたそのとき。戸についた小さな硝子窓に影が差した。

 瞬時にクラウサの表情が鋭いものへと転じ、フィリナを物陰へと押しつけ、庇うように胸へと抱いた。

 息を殺して、人が通り過ぎるのを早くと願いながら待つ。

 壊れた時計の音が不規則に、チクタク刻み、ゆっくり心で百を数えてから、二人は安堵とともに離れた。

 先にフィリナが戻ることに取り決め、クラウサに頭を下げると、彼はひらひらと手を振った。

 真似てフィリナも手を振り、物置部屋を後にした。




            ◇




 着替えを済ませたフィリナは朝礼に参加し、今日の予定を頭の中へ叩き込んでいた。

 すると突然、先輩である少女たちが色めき立った。

 どうやら誰か来たらしい。

 最後尾で俯いていたフィリナは、少女たちの頭の隙間から垣間見えたその人物に動揺した。

 このような場所にいるはずのないレイズが、少女たちを隔てた向こう側にいる。


 フィリナを連れ戻しに来たのではないかという焦りは、彼の後をからひょこひょこ赤毛を揺らしつき従うチリルを目にして混乱へと変わった。


 なぜチリルが、レイズといるのか。

 だが今は、レイズに気づかれないよう、怪しまれない程度に隠れなくては。


 フィリナは背が高めの少女影へとじわじわ移動した。

 瞳の色までは変えられなかったので、長いまつげを伏せてその奥へと潜めた。

 どうやらレイズは、チリルをここで働かせるつもりのようだ。

 脅されているといった様子ではなく、チリルからは恐怖心は感じられなかった。

 フィリナがそっと胸を撫で下ろしていると、レイズの視線が一度だけ掠めた。


 だが、それだけだった。


 気づかれなかったことに安堵したが、胸の底を冷たい風が吹きつけてざわざわと水面を揺らしていった。

 レイズは女中頭にチリルのことをお願いしますと預け、室内から出ていく間際、にこりと微笑みを残して、皆の心を奪って去っていった。

 茫としていた女中頭は我に返ると、きりっと表情を引き締めてチリルを見下ろし言った。


「随分小さいけれど、経験者のようですし、期待していますよ」


 チリルが元気よく返事をすると、女中頭の目元が和らいだ。


「この間入った新人はどこのお嬢さまだったのか、何もできない子だったから、新人同士気兼ねせず指導してあげなさい」


 その使えない新人であるフィリナは、すみませんと肩を竦めた。

 皆がくすくすと笑い、フィリナへと目を遣る。

 道が開かれるように、チリルとの間に隔たりがなくなった。

 必然的に、彼女の瞳には黒髪で女中服姿のフィリナが映し出され――――。


「え……あ、リ、リナ……さま?」


 大きな目をこぼれそうなほど見開き、チリルはかすかな声で、そうつぶやいた。




◆◇◆◇◆◇



「カメリアの三人は大人しくしているか?」


 アーサーのわかりきった質問に、レイズは「えぇ」と答え、にこりとした。

 言うまでもなく、貼りつけた笑みだ。


「死神たちを飼うつもりで?もう、フィリナは用なしですか?」


 彼が欲しいのはカメリアの血で、フィリナ個人ではない。

 従順な死神が一人でもいれば、拒絶し逃げたフィリナなど簡単に殺してしまうだろう。


 レイズは目線をずらし、窓からプラムの木をそっとながめた。

 もう少ししたら、鳥たちに食べ尽くされてしまう。

 枝から羽ばたいた鳥が向かう先では、薄い雲で包まれた水色の空が、やたらとのんびり流れていて、さらにレイズを失望させた。

 天にまで見放されてしまったらしい。


 レイズに見向きもせず、仕事に勤しむアーサーは、書類に判を押しながら言う。


「そんなことを心配しているのか。捕らえても殺しはしない。あれは交渉材料になるしな」


「そうですね。あの三人も、すんなりと要求を受けるつもりはないでしょうし」


「逃がさないよう見張っておけ。返さなければこっちのものだ」


 彼らが素直に従うとは思っていないのだろう。

 レイズは狂わされた予定の帳尻を頭で合わせながら、自分が望む形の結末を思い描いた。

 それはいつか彼女が言っていたものとそっくりで、笑みがこぼれた。レイズはすぐに引き締める。


「三人以外がこちらへと来なかった場合はどうしますか?」


「さほど数はいらないはずだ。一人ずつ見せしめに殺しても言うことを聞かないようなら、一人残して全て消す。どれだけ時間をかけようともな」


 その一人は、フィリナなのだろうか。

 そうだったらいい。

 レイズの手でフィリナを――――カメリアを終わらせられる。


 レイズはついさっき目にした黒髪の少女の姿が目に浮かび、心底残念そうにつぶやいた。


「金の方がよかったな……」


 アーサーの怪訝そうな顔が窓に映り込み、レイズは苦笑しながら首を振った。




◇◆◇◆◇◆



 井戸で水を汲み上げ、石の洗い場に大量のシーツを浸した。

 水は冷たく、力を入れて擦らないと汚れが落ちない。

 女中頭にまた叱られてしまうので、フィリナは手が赤く痛みを宿しても真剣に洗い続けた。

 これまでの旅の話を、チリルと大まかに伝え合っていたせいで仕事が遅れている。

 手慣れているチリルは、手を動かしながら何度も同じことを切に言う。


「リナさまはもう逃げてください。旦那さまには、私から無事をお伝えしますので」


「いいえ。兄さまが先。兄さまたちが逃げ切れたのなら、私も逃げるわ。チリル、あなたは兄さまたちと一緒に行きなさい」


 彼らと一族の安全を確かめるまでは、動くつもりはない。

 チリルはレガートが守ってくれるはずだ。

 しかしチリルの反応は芳しくない。

 手元に複雑な感情の絡む視線を落とし、首を横に振った。


「私は、レカルドさんたちと行きます。あの、実は……レカルドさんの息子さんの、お嫁さんになる約束をしてて……」


 フィリナの手からはシーツが滑り落ち、水の中へと沈んでいった。

 今チリルは、何と言ったのか。

 横でしゃがみシーツを洗う娘をまじまじと見つめた。

 まだ十三歳のあどけなさの残る少女だ。

 さっきいの一番でおめでとうを言うと、目に涙を溜めていたあの小さな女の子が、結婚。

 しかもその相手が――――。


「レカルドの息子って――」


「そこの新人!口じゃなくて手を動かしなさい!何度言えばわかるの!」


 また叱責を受け、フィリナは口をつぐむと、手のひらでごしごしを再開した。

 女中頭が眼鏡の奥の瞳を光らせ、凝視している。

 フィリナは昼食までの時間をひたすら黙々とシーツを洗い続けた。



            ♢



 人気のない城の裏手で、木々に隠れるようにして、フィリナはチリルと食事をとっていた。

 誰にも話を聞かれないために二人で探した場所だけあって、深々としている。

 昼休憩は短く、チリルはほとんど詰め込むようにパンを頬張っていた。

 食事を済ませてから、レガートへと伝言を届けに行くと言う。

 迷わず行って来られるか心配であったが、


「大丈夫ですよ!任せてください!」


 と自信満々なチリルに押されてうなづいておいた。


 あっという間に平らげ、意気揚々と立ち上がりかけたチリルを、フィリナは一旦引き止めた。

 言える内に伝えておかなければ、この先どうなるかわからない。

 黒血城の玄関の大扉を、生きて自分の足で踏み入れることは難しい予感がしていた。

 折角用意しておいた贈り物を、自分の手で渡せないのは心残りだが、渡らないままよりはいい。

 チリルの喜ぶ顔を想像して選んだ物なのだから。


「家に帰ったら、私の部屋の引き出しを開けて。そこにピンクのリボンが掛かった箱が入っているから、持っていきなさい。……誕生日には、遅れてしまったけど……」


「あ、ありがとうございます!」


 中を見てもいないのに、チリルは泣きそうになりながらお礼を言って、顔をほころばせた。


「本当は誕生日に直接渡したかったけど、喜んでくれれば私も嬉しいわ」


 これまでのような、ぬいぐるみや児童書ではないので、本心では開けてほころぶその顔が見たかった。


「ありがとう。チリル」


 チリルは頬を赤くし、照れたようなはにかんだ笑みを見せた。

 行ってきます、と城へと走るその小さな背中を、フィリナは立ち尽くしてながめていたが、逡巡してからクラウサのように手を振った。

 チリルの姿はもう彼方だ。

 レガートのいる部屋までは距離があるというのに、今から全速力で走って、体力は持つのだろうか。


 フィリナが手を静かに下ろすと、計ったかのように雲が日差しを妨げ、翳りを落とす。

 木々のざわめく音に紛れて、背後にかすかな人の気配がした。

 すっと伸びてきた腕に、フィリナは柔らかく閉じ込められ、耳朶に彼の息遣いを感じた。


 彼の真名でない名で、彼を呼ぶ。


「――――レイズ。……それとも、ジュン?」


 くすりと笑う音がした。

 どちらも彼で、彼でない。


 二人重なり合う影が薄く地面へと下り、黙ってフィリナを見上げていた。

 見透かされた心を映し出しているようで、フィリナは目を逸らした。


「兄さまたちを帰して」


「宰相が納得しないよ」


「レイズ。――――何でもするから」


 レイズがフィリナのうなじから顔を起こし、可笑しそうに続けた。――――昔をなぞりながら。


「何でも?」


「何でも。……レイズの言うことは何でも聞く。友だちにだって、恋人にだってなるわ」


「本当?――――恋人になってくれる?」


 過去のフィリナと、望んだものは違った。

 フィリナは友を、レイズは愛を。


「なるから、お願いだから、兄さまたちを助けて」


 いいよ、とレイズは囁いた。

 どんな嘘も、真実にしてしまいそうな声色だった。


「今夜、彼らの警備を手薄にする。裏門には馬も用意しておくよ。リナも一緒に逃げる振りをしないと、動いてくれないだろうね。だからリナは裏門で待ってればいい。彼らとのやり取りはあの子を使えばいいしね」


 即興で思いついた計画にしては、すらすらと流れるように唇を滑り落ちている。

 初めからこうなると予測していたのだろうか。

 思案していると、レイズがそっと離れながら言った。


「リナ。全て終ったら、もう一つの約束を叶えるよ」


「もう一つ?」


 振り返るとレイズはいつもの微笑みで、二人とも生きてたらね、とかすかに苦笑して踵を返した。


「レイズ……?」


 彼の後ろ姿は、死期を悟った猫のように、ふらりとどこかへと消えてしまいそうで胸が切なく疼いた。

 呼び止めてしまいそうになった。

 だがきっと、そんなことにはならないのだろう。

 彼がフィリナを手離すときは、死が二人を別つ時だ。


 フィリナは彼に背を向け、真逆の道へと踏み出した。


 


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