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執行人の逃亡  作者: 名紗すいか
後編
26/40

二十五


 裏塔を脱したフィリナは、下働きの男が運ぶごみに目をつけた。

 焼却炉へと無造作に捨てられた衣類には、まだ着られそうなものが多くある。

 この白いドレスとも呼べそうな服と、左腕から流れる血液を隠さなくては。

 一定量が溜まってから焼却するようで、男はそのまま立ち去っていく。

 フィリナはその姿が見えなくなると、すかさず焼却炉の蓋を開けて中を探った。

 全身が隠れそうな灰色の外套拾い上げると、ポケットに黄色い靴を突っ込んだ。

 髪は一つに纏めて、男物の帽子へと詰めた。

 これで、遠目からなら、少し小柄な男に映るだろう。


 フィリナはルゥナの編み上げ靴で、緑生い茂る庭園をひた走った。

 城を囲う城壁を伝いながら、土と壁との境目をくまなく探る。

 人の手が加えられ美しく整えられた庭園の草木の根元に、小動物の噛み跡があった。

 彼らが高い壁を登ってくるとは思えない。

 ならば外部から穴を掘って侵入しているに違いない。

 草を掻き分け、蔦を剥がし、ようやく小さな抜け穴を見つけた。

 予想通り壁の下には、野うさぎがぎりぎり潜れそうな穴が、ひっそりと空いている。

 フィリナは外灯の袖を捲り、土に爪を立て、掘削し始めた。

 

 ほの明るさを保つ城の庭園には、角灯の明かりがちらほら浮かんでいる。

 レイズがフィリナの捜索のために、人をまわしたのだろう。急がなくては。


 手首まで土にまみれ、汗を拭うと額が茶色く汚れたが、気にせず作業を続けた。

 肩が通れそうな大きさになったところで、その穴へと頭から捻り込ませた。

 まだ狭い。胸が苦しいが、少しの辛抱だ。

 顔だけをまず出して、周囲を確認する。

 小動物が通うだけあって、人気のない鬱蒼とした森が薄暗い道を挟んだ向こう側にそびえていた。


 フィリナは胴を穴の角度に合わせて反り、腕の力で這い出して、何とか城の外へと脱出を果たした。

 そして森の奥へと駆け出そうとして、ふと足を止めた。

 追われている人間が行きそうではない場所へと逃げなくては。レイズたちのように。

 フィリナならば森へ潜むと、レイズは考えるだろう。ならばその裏をつくことで、時間を稼ぐことが可能なのではないか。


 早くレガートに、報らせなくては。


 フィリナは方向を改め、王都の街へと身を翻した。



 外套についた土を払いながら、人通りの激しいそうな道を選んでは進んだ。

 背筋は伸ばし、顔はやや俯き加減で固定する。追われていない風を装い、歩調はゆったりとさせた。

 だけど心臓は動揺で速度を増していく。

 馬車で来た道を戻ろうとしても、それが右なのか左なのかさえ覚えていない。

 見知らぬ他人と擦れ違い、フィリナは急に自分が一人であると、気がついてしまった。

 頼れる従兄もいない東の地で、茫然と立ち尽くした。


 逃げたいと思っていたはずなのに、黒血城のあの黒檀の家が無性に恋しい。

 殴られてもいいから、エヴィルに会いたかった。

 たった一人の、実兄に。

 会えば殺されてしまうかもしれないが、一人は寂しい。孤独が、気丈だったはずの心をじわじわと蝕んでいく。


 振り返れば王城がある。

 今戻れば、レイズが優しく抱き締めてくれるだろう。

 きっとフィリナ殺すその瞬間まで、彼は優しいはずだ。

 触れた温もりも、穏やかな眼差しも、紡がれる言葉も。


 だがレイズの心が、わからない。

 フィリナを殺すことが目的のはずなのに、なぜ東国でカメリアを血を続ける手伝いをしているのか。

 レイズは誰よりも、死刑執行人を恨んでいる。

 一族の血を絶やそうとするのならば、理解が出来る。

 人殺しと成り果てたフィリナは、レイズに殺される覚悟はしていた。

 まさか道具として生かされるなど、考えもしなかった。

 このまま、この名も知らぬ街でのたれ死ぬのが運命なのだとしたら、潔く認めてもいいとも思った。

 だが、家族はだめだ。巻き込んでしまった責任は、この手で取らなくては。

 だからまだ、死ねない。


 フィリナは、きゅっと唇を結った。

 思えば、そこにレイズの口づけを受けたのは、薬を飲まされる時だけだった。

 そのことが、ひどく切ない。


 裏塔にあのまま残っていたら、どうなっていたのだろうか。


 フィリナは外套の襟を立てて、そっと顔を上げた。

 月明かりに茫と浮かぶ、灰色の塔。


 殺されていたのだろうか。それとも――――。


 自嘲するように、小さく首を振る。

 そうだとしても、そこにあるのは正しい愛情ではない。

 歪んだ、何かだ。

 フィリナが変わってしまったように、レイズも変わってしまった。

 初恋の、あの少年はもう、どこにもいない。


「……帰ろう」


 フィリナは城に背を向け、二度と振り返ることなく人波へと紛れていった。




◆◇◆◇◆◇



「逃げただと?鎖に繋いでおかなかったのか」


 アーサーに冷ややかな眼差しで貫かれ、レイズは肩を竦めた。

 胸中で呆れながらつぶやく。動物でもあるまいに、と。


「振られてしまったようですね」


「あの女の相手など別に、誰でも構わない。おまえでなくともな。……そのことをしかと覚えておけ」


 レイズは微笑みを絶やさず、だが心なく淡々と告げた。


「よくわかっていますよ。ですが、そちらもよく覚えておいた方がいいですよ」


「何をだ」


 眉を顰めたアーサーに、レイズは然もないことのように言った。


「無理矢理犯そうとすれば、あの子、舌を噛みきって自害しますよ」


 フィリナならば間違いなく、死を選ぶだろう。

 あの時の目は、本気の覚悟で溢れていた。

 レイズにでさえあれだ。他の誰が、彼女に触れられるというのだろうか。

 他の誰にも、髪一本触れさせたりはしないが。


 フィリナに死なれては、これまでの計画が水の泡だ。アーサーの表情からは、苛立ちが見え隠れしている。


「どうにかできるんだろうな」


「ええ。兵がしっかりと捕まえて来てくれたのなら」


「首尾よく捕らえたのならば、今度は牢に入れる。また逃げられては困るのでね」


 言われっぱなしで不満だったのか、アーサーはにやりと非情な笑みを作った。


「手荒に扱わないでくださいね。壊れものなので」


「それなら自分で捜せばいいではないか」


 レイズは衒いなくにっこりとして言った。


「捕らえられた姫を牢から救出する方が劇的ですからね。弱っているときにつけ入れば、確実なので」


「……杞憂だといいが、性格の捻た子供が生まれそうだ」


 余計なお世話だ、とレイズは胸の内でのみ反論しておく。


 子供は皆、純真だ。

 周囲に毒され、擦れていく。

 傷つけられ、踏みつけられ、荒んでいく。

 今のレイズのように。


 しかし一瞬、想像してしまった。

 フィリナの幼い頃をそのまま写し出したような、レイズとの子供を。

 三人で手を繋ぎ、嘘ではない笑顔で笑い合う。そんな未来を。


 顔がほころびそうになる。――――叶わぬ夢だと、知りながらも。


「……出来るだけ、早く見つけてあげてくださいね。たぶん一人で、震えていると思うので」


 知らない土地できっと、心に涙を溢れさせて小さくなっているはずだ。

 今すぐにでも、駆けていきたいとレイズは思う。


 だが兵がすでに、フィリナの行きそうな場所へと向かっている。

 どのみちレイズが行くより、早く捕まるだろう。

 人を隠すなら人。レイズが植えつけておいた種が芽を出す。


 朝日が昇る頃には帰って来るはずだ。


 ここまで全て、思い通りに進んでいるのだから。





 レイズはそう信じて、疑わなかった。




◆◇◆◇◆◇



 逃亡の方法こそ即席であったが、森で一夜を明かす方法ならばいくらでも思い浮かべることが出来る。


 フィリナは、街並みを彩る街路樹の、頑丈な枝に座っていた。

 真下を時折兵士たちが行き交う。

 あえて薄暗い道にそびえた木を選んだのは正解だった。

 下から覗けど、フィリナの姿は夜の陰を纏う幾千の木の葉の一部に飲み込まれてしまい、肉眼では目視不可だ。


 それに人は、無意識に目線より高い位置の捜索を疎かにする。

 事実兵士たちが探している場所は、下の方ばかりだ。

 今のところ、木を見上げた者は皆無だった。


 このまま朝までここで息を潜め、街が起き出してきた頃を見計らい、人に紛れて国境を目指す。


 フィリナは当面の目標だけ立てると、太い幹に寄りかかり、しばしの眠りについた。




            ◇




 日が登り、誰にも見つかることなく目を覚ましたフィリナは、そっと視線を落とした。

 市民が普段通りの朝を向かえ、忙しなく活動を始めている。

 晴れやかな空を、仰ごうという人はいないのだろうか。

 未だにフィリナに気づく者がおらず、困惑していた。

 しかしいつまでもこの場に留まっているのは得策ではない。

 フィリナは意を決して、跳んだ。


 とすん。とした着地の音はすぐに、雑踏に掻き消された。

 外套が空気を含み、膨らむ。

 突然出現したフィリナに、数人の目撃者たちはぎょっとして足を止めた。

 それでもフィリナが何食わぬ顔でいたためか、首を捻りながらも通り過ぎて行った。


 よかった。誰にも咎められずに危機を掻い潜ったのだと、安堵の息をついたその時だった。

 誰も知るはずのない、名前を呼ばれたのは。


「――――フィリナ?」


 フィリナは身構え、草を薙ぐような速さで振り返った。

 逆光で、人と馬の体を持つ怪物のように映るが、この声は――――。


「お、叔母さま……?」


 信じられないことに、レイチェルが平然とした顔でそにいた。

 一度擦れ違って以来の邂逅だ。


「やっぱりフィリナじゃないの。こんな街中で、そんな汚い外套なんか羽織って彷徨いていたの?信じられないわ」


 レイチェルにとっては、罪人に誘拐されたうんぬんよりも、フィリナの格好の方が重要なようだ。

 それでこそレイチェルなので、フィリナは驚きはしなかった。


「仮にもあたくしの姪が、何てみっともない。どこかに服屋はあるのかしら……」


 視線を巡らせるレイチェルは、もはや服のことしか頭にないよいなので、フィリナは自分から問いかけた。


「叔母さま、なぜこちらに……?もしかして、私を捜しに?」


 フィリナは周囲を警戒したまま、馬に乗ったレイチェルの横へとつけた。

 彼女は、「そうだったわ!」と、たった今本来の目的を思い出したように、軽く手を打った。

 フィリナのことなど、ほとんど念頭になかったのだろう。

 

「心配していたのよ?ルゥナのときのようにならなくてよかったわ。それで、罪人はどこにいるのかしら?」


 道行く無関係の人間を一人ずつ一瞥していくレイチェルに、フィリナは腕を擦り感情のない声で、嘘を告げた。


「ここに、置いていかれて……」


「そうなの?罪人に捨てられるなんて、全く可哀想な子だわ。それなら早く家に帰るわよ。もうあたくし、疲れたわ。服だってあっちの方が質がいいでしょうし」


 この自分中心の発言が懐かしい。

 レイチェルが無事であったことに、一つ肩の荷が下りた。


「叔母さま、お一人でいらしたんですか?」


「違うわよ。五人連れて来たはずなのに、皆どこかへ行っちゃったわ。あたくしを放っておくなんて、帰ったらお仕置きよ」


 フィリナはその言葉に、ざわりとした胸騒ぎを覚えた。

 黒い霧が立ち込めたように足元がおぼつかず、馬の茶色い毛並みへと手をついた。


 レイチェルの配下たちは、もう……。


 直接親しくしていたわけでもないのに、血が泣いている気がした。


 そして、はっとしてレイチェルに尋ねる。


「叔母さま、レガート兄さまたちは……?」


「まだこっちへは来てないんじゃないかしら」


 それならば、まだ間に合うかもしれない。

 

「叔母さま。すぐにこの国から逃げてください。東国は一族の暗殺を目論んでいます。すぐにレガート兄さまへと報らせて!」


 捲し立てるように言ったフィリナに、レイチェルは戸惑いながらも馬の方向転換をした。

 普段のフィリナらしくないことに動揺して、従ってしまったという様子だ。


「えぇ?あなた、どうかしちゃったの?」


「私も後から必ず追いかけます。だから、行ってくださいッ……!」


 レイチェルはフィリナの剣幕に圧されて、何も理解しないままに馬を走らせて行った。

 レイチェルならば、運よくレガートと出くわす可能性が高い。彼女はそういう星回りなのだから。

 内容をしっかりと伝えてくれるかが気がかりではあるが、馬の脚ならば徒歩のフィリナよりも格段に早く報らせがいくだろう。


 一刻も早く、一族の人間をこの国から逃がさなければ。

 

 揺れて小さくなっていく馬の尻尾をながめながら立ち尽くしていたフィリナは、背後から何者かに口を塞がれた。



 路地裏へと引き摺り込まれ、必死に抵抗を試みる。

 だが相手は男で敵うはずもなく、それでもレイチェルがレガートに伝言を届けてくれる間だけはと、諦めずにその手へと歯を突き立てたのだった。




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