二十四
王宮裏の森を、警備の兵が彷徨いていることで、レイズは事態の深刻さを知った。
中央国内にいながら、内部情勢に気を配らなかった。
わざと目を、塞いでいたのかもしれない。
レイズは己の浅はかさを嘲笑った。
黒血城に近づくことは、どうやら無理らしい。
今後のために、なるべく中心部の人間に顔を知られたくはない。
レイズはフードを目深に被り、外套を翻した。
次は処刑場へと向かう。
不思議なもので、たいして意識しなくても足が勝手に広場方面へと動いていく。
この街は、どれだけ時が経とうと暗澹としていた。
あの頃の自分が路地裏から現れて、睨みつけてきそうだ。
レイズは俯き、足早に街並みを抜けた。
広場には、夜とは思えないほどの人が集まっていた。
処刑が行われる断頭台の周囲には、メヒが言っていた通りに陣取りがなされている。
寄り集まり円を描いている集団の中央には、硬貨らしきものが飛び交っていた。
賭けをしているようだ。
レイズは昔の記憶との相違に目を逸らし、現実へと切り換えた。
群がる人の輪を避けて、端から断頭台の上を仰ぎ見た。
そこには、縛られた男が一人。
くたびれ汚れ、血と苦痛に苛まれ、それでもぎらりと光る目をしていた。
罪人なのに、人を見下していた。
あらゆる拷問に耐え、まだそんな目をするのかと、レイズは素直に驚いた。
執行人たちが手を抜いたわけではないのだろう。
生に固執しているのとも違うのか。
彼の怨みや蔑みが、今にもどす黒い雨となって有象無象たちに降り注ぎそうだ。
そうして国を、呪っているのだろうか。
レイズは、ふぅと息をついた。
しかしこの場所に立っていると、過去からじわじわと痛みが呼び覚まされる。
「……帰るか」
踵を返しかけたときだ。レイズは自分と同じような格好をする人物を、目の端に捉えた。
断頭台を挟み、レイズとは反対側に佇む、黒い影。
長い外套が風で揺れ、黒々とした艶のある編み上げ靴が少し覗いた。
影は、フードで遮られて目視出来ないはずの罪人を見据えて、深い憎しみと痛切な哀しみをゆらゆらと立ち上がらせている。
死刑執行人だと、レイズは直感した。
翳っていた月が一瞬だけ叢雲から顔を見せると、罪人の瞳が生気を得たように輝いた。
己が敵を、見つけたとでもいうように。
すると影は、かすかに歌い始めた。
音階を一つ一つなぞるように、透明で繊細な、心の失われた声で。
その奏でられた音色は、きっとレイズにしか聴こえていないだろう。
レイズのためにでも、ましてや罪人のための歌でもない。
死んだ身内へと捧ぐための歌。
こんなに離れたところで、雑音にまぎれながら届くその響きに、レイズは心地よく瞑目した。
その声に、深く聴き入る。
誰にも邪魔されることなく、その美しい鎮魂歌を自分だけのものにした。
歌が終わると、柔らかな余韻に浸る。
――――リナ。
心の中で呼んだそのとき、同じ言葉を誰かが口にした。
レイズはそちらへと視線を移した。
金髪の男が彼女へと歩み寄り、きつく抱き締めた。
しばらくしてから体を離した男は、彼女の背中へとそっと手を添える。何か言葉を囁きながら。
彼女は促されて、遠ざかっていく。――――レイズから。
黒の、編み上げ靴で。
胸が、すっと冷めた。
真っ白な天使は、死神と同じ黒を身に纏っていた。
他の男と、歩いて行った。
なぜかくすりと笑ってしまった。
記憶を美化し過ぎていたのだ。
彼女はずっと真っ白で、笑顔で、レイズだけの少女であると勝手に思い上がっていた。
他の死神とは違う。彼女だけは憎まないと、心に決めていたのに。――――結局同じか、他の女と。他の死神と。
愛情を別の何かへと変えながら、レイズは処刑場を後にした。
◇
目が覚めると知らない女が布団の中にいた。
金の髪をそっと撫でると、女はゆっくりとまぶたを上げ、緑色の瞳にレイズを映した。
昨夜レイズが微笑んだだけでついてきた女だ。
こんなときも、あの子の面影に引かれている自分は滑稽だと苦く笑った。
「――――リナって、誰?」
「さぁ?」
「昨日わたしのこと、ずっとリナって言ってたじゃない」
またか、とレイズはため息をつきかけたとき、外側から無遠慮に扉が開け放たれた。
「遅いお目覚めね。早くしないと、始まるわよ」
メヒが腰に手を当て、呆れた表情で首を傾げている。
「いや、やめておくよ」
昨日のことで行く気が失せていたレイズに、メヒが珍しく強要する。
「行きなさい。見ておかないときっと、後悔するわ」
ずかずか入ってくるなり、レイズを布団から引き起こして、ぎょっとしている隣の女に聞こえないよう耳打ちした。
「東の次期宰相が訪れてる」
レイズはわずかに瞠目した。
そんな情報は、どこにも入っていない。
東西の要人が公的に訪れるのならば、多数の護衛を引き連れて堂々と来るだろう。私的だとしても、身の安全のため警護は欠かさない。
それだけで悪目立ちをし、噂が拡散されるはずだ。
ということは、秘密裏に――――。
メヒが胡蝶のようにひらりと部屋を出ていき、レイズは脱ぎ散らかした服を掻き集めて着込んだ。
「どこ行くの?」
「ん?ちょっと、――――処刑場までね」
レイズはにこりとして、名も知らないその女黙らせた。
昨晩歩いた朧気な道を、今度はしっかりとした足取りで通う。
空がまるで何かを暗示しているかのように、厚い鈍色の雲で王都を覆い尽くしていた。
メヒに囁かれたわずかな好奇心に突き動かされ、レイズは騒然とする処刑場へと辿り着いた。
広場から溢れそうな人の数だ。断頭台までは、かなりの距離がある。
誰かを押し退けたりはせず、最後列のまばらになった隙間で断頭台を仰いだ。
処刑が終わってから、小さな約束を果たそうかなどと考えていると、騒いでいた民衆が水を打ったように静まり始めた。
ごった返す人混みで、何が起きたのかわからない。
レイズはとりあえず、人々の凝望する方へと目を向けた。
するとふいに、こつん、と音が聞こえた気がした。
断頭台に、黒い影が揺らめき上っていく。
レイズにはそれが、フィリナであると妙な確信を持って見つめた。
そして、心のどこかで落胆した。
心の支えにするように、フィリナだけは大切な人形として、胸の奥深くへとしまい続けていたというのに。
冷めた瞳で、首元のリボンへと手をかけるフィリナを見続けた。
そんなレイズの背後から、神風が吹きつけた。
民衆の視線を集めて、断頭台へと吹き上げる。――――黒が、空へと浚われた。
人々と同じように、レイズは大きく目を見開いた。
その白い少女の姿に、心を奪われた。
無表情に、冷淡な口調。
それでもレイズは、あの頃のフィリナをそこに見出だした。
あの約束を、彼女が破る瞬間に、立ち会っていると自覚した。
まるで神の思し召しだ。
フィリナを殺せと、レイズに命じている。
振り下ろれた太刀筋は、風をも斬れるほどの美しさだった。
――――すとん。
まるで重力に従っただけのように、刀が下りた。
レイズが昔に見たものとは、全くの別物だった。
流麗で静穏。
処刑とは思えない様相に、ため息のような感嘆があちこちからもれた。
どれくらいそうして、見惚れていただろうか。
もしかしたら、瞬きをするほどささやかな時間だったかもしれない。
ぽつり、と落ちてきた雨粒で、レイズの意識はこちら側へと戻ってきた。――――そして、気がついた。
フィリナの真っ白な服に、血染みが一つもないことに。
遠過ぎて、目視できないだけだろうか。
しかし罪人を押さえつけている兵は、顔まで生々しく血に濡れている。
白い彼女を、血飛沫が避けていた。
汚してしまわぬように。穢してしまわぬように。
ふと、フィリナはほんの刹那、群衆をながめた。
レイズは目が合った気がして、すぐに笑い飛ばした。見えるはずがない。
案の定、金の髪を靡かせ断頭台を下りると、彼女は静かに去って行った。
「君は約束を、守りながらに破ったね」
幼き日の、柔らかな日溜まりのような温もりを、もう一度だけ味わいたいと思った。
帰り行く人の波をするする躱し、レイズは目的の人物へと声をかけた。
「お供もなしですか」
口に笑みを称えて振り返ったアーサーに、レイズは自ら接触を果たした。
あの約束を、胸に残したまま――――。




