二十二
レガートたちが東へと入国する半日前――――。
出国の審査を終えたレイチェルは、次は入国の許可を待つため、東国側の関所に設けられた待合室で、不遜な態度で椅子に座っていた。
手続きなどの面倒ごとは配下任せ。
フィリナも見失ってしまったし、せっかくなので東国へちょっと観光にでも行こうかしら、という感覚であった。
黙っていればグロッツも気づかないだろう。
お土産は買わない方が無難かしら、とレイチェルは頭を悩ませていた。
そこへ手続きを滞りなく終えた配下の一人が戻って来て、周囲を見渡し訝しげに尋ねた。
「もう一人はどこへ行ったんですか?」
レイチェルは瞬き、配下を一人ずつ目で数えた。一、二、三、――――四人しかいない。
「まあ?気づかなかったわ。どうせその辺でさぼっているのよ。放っておきなさい」
レイチェルはどうでもいいとばかりに足を組む。
配下といえど死刑執行人。だが、さほど名の知れぬ彼らが狙われる可能性など塵ほども考えてはいない。
そんなことよりも、この待ち時間の長さに文句を言ってやりたいぐらいだった。
しかし淑女はそんな無粋な真似をしない。
とりあえず事務員の女性を見据えるに留めた。
あたくしの方が綺麗よね、などと思っていると、外に繋いでおいた馬が一頭、急に暴れて逃げ出した。
配下の一人がすぐさま追いかけていき、レイチェルはそれをながめながらため息をついた。
所詮は畜生よね、と。
嫌だわ全く、とつぶやくと、いつの間にか配下の数が二人にまで減っていた。
「あら、あいつはどこへ言ったのかしら」
困り顔をしたのは一瞬で、すぐに女の尻でも追いかけて行ったのだと悟った。
馬の尻を追いかけるのと同じね、とレイチェルは呆れながら緩く首を振る。
どうせ時間はまだかかる。
それまでは何をしていても個人の自由よね。
一人が確認のために、どこか外へと呼ばれて行った。
それから半時と経たず、今度は案内係がレイチェルの元へとやって来た。
「入国の準備が整いました。皆さま、こちらへどうぞ」
「意外と早かったのね」
そう言ってレイチェルは馬を連れて、配下の一人と門へ向かった。
「後から四人来るわ」
「かしこまりました」
恭しく案内係が頭を下げ、門が音を立て開かれた。
レイチェルは颯爽と馬に乗り、東国の土を軽快な歩調で駆け抜けた。
なので、後ろから誰もついて来ていないことに、かなりの間、気づくことはなかった――――。
◆◇◆◇◆◇
門が見えなくなった頃合いを見計らい、レカルドがレガートへと問いかけた。
「職業欄に、何て書いたんだ?」
それはチリルも、密かに気になっていたことであった。
チリル自身は正確に奉公人と記した。備考に女中と付け加えることも忘れずに。
レカルドとロトは、薬草売りとあながち嘘ではないことをさらさら書いているのを見ていた。
「私は議会に、末席ではありますが席もあるので議員と。――――エヴィルはピアノが弾けるのでピアニストにしておきました。……本人は嫌そうでしたが」
チリルはエヴィルをこっそりとうかがうと、険しい顔つきで馬を引いていたので、すぐに目を逸らした。
危うく石化するところだった。
普段チリルたちに見せる顔は、無表情か煩わしそうなものが多い。
口にはしないが、本気で不快そうだ。
「へぇ。皆そういう、別の仕事があるんだ?」
「いや、そうというわけではないのだが。身元を明かすなと命令されているせいもあるが、私は引退をしているので正確には元執行人、というところだろうか。――――レイチェル叔母は女史とでもしているだろうが、他は素直に執行人と書くかもしれない……」
レガートは一族の身を案じている。それはチリルにもひしひしと伝わってきた。
文書が早く届くといいのだけれど。
チリルは一度空を見上げてから、改めて周囲を見渡した。
黒血城から国境まで、色々な街を通って来たが、まさか門を潜ってすぐに王城が臨めるとは思いもしなかった。
とても小さく米粒ほどだが、城に違いない。
天辺しか出ていなくとも、あんなに高い位置にある緑の尖り屋根は城だろう。
「ここは東国の王都なんですか?」
誰にともなく尋ねると、レカルドが城をながめながらうなづいた。
「王都だけど、少し外れの方だな。城の側は三国ともあまりかわらないぞ。――――ただ、城に向かって歩くのはやめた方がいいな。敵が侵入して来たときのために、城へ向かえば向かうほど、逸れてどんどん遠ざかる設計をされた街だからな」
「え?じゃあ、どうすればお城に辿り着くんですか?」
「まず城を目印にしないことと、大通りに騙されないことだ。それから太陽の位置を時間ごとに確かめる。後は音をよく聞くことだ。人の声がする方に、自ずと街は現れる!」
物凄いしたり顔のレカルドに、チリルはお愛想の感動をしておいた。
根が真面目なレガートは、真剣にその話を聞き入っていたが。
すっかりと旅仲間になりつつあるレガートとレカルドの二人は、高尚なのか判断し難い話を続けている。
エヴィルは後方で一人黙って歩いているので、チリルはロトと会話することが多くなるのだ。
もちろん他意はなく。
「今はお城に向かっているんですよね?」
「政治絡みならそうなんじゃない?」
「あの、急いだりとかしないんですか?」
門を過ぎてから不思議なほど、皆慌てず悠々としている。
ロトはさりげない仕草で、チリルへと耳打ちするように屈んで顔を近づけた。
「入国からずっと、つけられてるんだよ。しばらくは観光客を装うんじゃない?」
「えっ?」
内容に驚き、ぱっと横を向くと、ロトの顔が間近にあり、チリルは真っ赤になってあわあわとした。
「そ、そそうだったんですか……!」
「うぉっ、お、おう……!」
気まずげに離れる二人を、レカルドが振り返ってニタニタしている。
「ちびが気にしている年の差なんて、些細なことだと思うぞぉ?」
「その点に関しては私も同意ですが、チリルが苦労するような男の元へとは、考えかねますね」
「な、ななな……」
真っ赤に熟れたチリルは、口をぱくぱくとさせるだけだ。
「人で遊ぶなよ!――――ちびっ子も迷惑だって言ってやれ!」
共闘すべくロトはチリルの肩に、ぽんと手を置いた。
その触れ合いに、チリルは全身で飛び跳ねようにびくついた。それにぎょっとしたロトが、手を退ける。
ふるふると震えたチリルは彼らに渾身の叫びを浴びせかけた。
「結婚なんてまだ早いですーー!」
ぽかんとする一同を置き去りにして走り出した。
もちろん、全く、前も後ろも見てはいなかった。
♦︎♢♦︎♢♦︎♢
中央国でグロッツが血圧をこれでもかというほど上昇させている頃、東国の宰相は執務室から王都の街を、人の営みを窓から見下ろしていた。
「もうすぐカメリアの人間がこの東国へとやって来るんだな、ジュン?」
ジュンことレイズは、アーサーが目的のためならば手段を選ばない、冷酷な性格を承知で煽るように言った。
「彼らの目的はリナを無事に奪い返すことですから、捕らえたところで素直にこちら側の要求を飲むことはないでしょうね。――――お姫さまを取り返される前に、殺さないと」
フィリナに言ったこととはまるで正反対な台詞を、レイズは一切の躊躇いもなく口にした。
どの道フィリナが知ることはない。
レイズは美しく酷薄な笑みを称えた。
「あの女はこちらに隷属することを受け入れたんだな?」
「いえ、もう少し説得と――――脅しが必要でしょうね」
アーサーが窓からレイズへと視線を移した。
冷暗な瞳と嗜虐のにじむ口元に、レイズは肩を竦めた。
彼はレイズが思っている以上のことをするだろう。
「カメリアの首でも集めて部屋に飾るか?」
「それでもいいですけど、一族長と彼女の実兄は残しておかないと、脅しの材料になりませんよ。――――後で、殺すにしても」
苦笑すると、アーサーはかすかに笑んで椅子へとかけた。両肘を執務机に突いて、眼前で指を組む。
そして、捕食者の目でレイズを見上げた。
「何が目的か、そろそろ白状しないか」
「利害の一致だけでは不満で?」
「裏切り者を何人も葬ってきたからな。他人は信用しない主義だ」
アーサーは然もないことだとばかりに歪んだ笑みを浮かべた。
薔薇の下にも土の下にも、レイズは埋められるつもりはさらさらない。
「明確な目的はありませんよ。ただ昔、ある人と交わした約束を果たそうと思っただけです」
「約束か。そんなものを守る者の気が知れんな」
レイズも概ね同感だった。
三年前に気まぐれを起こさなければ、ただの戯れ言で済んだはずだった。
妄執に、囚われることもなかっただろう。
あんなものを、見さえしなければ――――。
「向こうが覚えてるかは疑問ですけどね」
ため息めいたつぶやきに、アーサーは興がるようにレイズを見遣る。
「過去に縛られている人間は、目先の利益に走らない。そいつが求めるのは救いか、死だ。――――おまえは、どっちだ?」
許し許され救われるか、突き進んで死ぬか。
レイズは端正な顔で、柔らかく微笑した。
アーサーが訝り眉を顰める。
「救いなんてこの世にはありませんよ。人間に待つのは死、のみ。奪うか奪われるか、それだけです」
「……望みは何だ?」
「そうですね。あなたに望むことは一つだけですよ。大事な人形を丁重を扱ってくれさえすれば、それで。――――間違っても傷つけたり、壊したりしないでくださいね。あれは、僕のものなので」
にこり、とするとアーサーは鼻を鳴らした。
もう話は済んだとばかりに書類へと判を押し始める。
レイズは丁寧に頭を下げて、執務室を後にした。
入れ違いで待機していたネイルが入室し、その甘い香水の香りに苦く笑った。
レイズは込み上げてくる可笑しさを耐えて、裏塔へと向かった。
本当はお転婆なあの子が、何もせず黙って待っているとは思えない。
ようやく逃げるという選択肢を思い出したフィリナだ。
どうやって逃げたか、楽しみで仕方なかった。
そして、どう捕まえようかと考えながら塔を登る。
もしこの頂上に、フィリナが大人しくいたのなら。レイズを未だ信じて、待っていたら――――。
そのときは彼女を愛そう。
一晩中、屈辱と、ほんのわずかな歓喜で揺れる瞳をながめて、壊すほど優しく。
他の誰にも触れさせはしない。決して。
「まぁ、逃げたとしても、同じだけどね……」
捕まえてから、きっと愛すだろう。
愛されるという痛みを、深く深くフィリナへと刻みつけてから、一族最後の執行人を、殺す。
愛しい彼女を。――――そして……。
鍵を掛けた扉は、窓から吹き抜ける風でゆらゆらと動いていた。
足取り軽く中へと入ると、壁に赤い文字が記されていた。
その足元には、血に濡れた硝子片が散らばっている。
「書くものを置いておけばよかったな……」
扉は内側から何度も蹴りつけられたのか、めり込んで破損している。
レイズは笑った。その惨状を面白おかしく。
それから愛おしげに、血文字へと指を触れさせた。
乾いた赤黒い欠片が、はらりと落ちた。
――――さようなら、
「まだ少し、早いよ」
とうせまた、会うことになる。レイズはそう、確信していた。
だんだんと伸びていく影の角度が変わっていく。
どれくらい経った頃か、次の言葉を噛み締めるように、胸へと沁み渡らせた。
心臓に手のひらを置くと、温かくて笑みがこぼれる。
穏やかに目を通した。フィリナの声で、再生する。
――――さようなら、私の初恋。
「いつから、気づいてたのかな」
レイズは歌うように、フィリナの幻影へと問いかけた。




