二十一
烏が信じられない文書を持って来た。
一族全員に帯刀許可及び、フィリナの捜索命令。
フィリナがすでに東へと渡っていた場合にのみ、一時的な出国禁止の解除。
東国の人間には死刑執行人という身元が知れぬよう、すみやかな奪還をせよとのこと。
中央国最東端の街。
東国との国境に接し、唯一の出入国関門が置かれたその関所で、レガートは今しがた、ある噂を耳にしたところだった。
点と点が、瞬く間に繋がっていく。
元よりフィリナが出国したならば、レガートも身分を偽り東へと渡るつもりで手続きを済ませていた。
状況が状況なだけに、フィリナを連れ戻してから事後承諾させればよいと考えていたが、国側からの譲歩に一層、噂の真実味が増す。
中央国は東国の狙いに気がついたのだ。
レガートが茫然としていたからか、レカルドがひょいと紙を覗き込んでから眉を顰めた。
「俺の考えがどうやら現実になりつつあるようだ」
「それって、例の東に行ったら調べるって言ってたやつ?」
ロトが尋ねるとレカルドはうなづいた。
「そうだ。おまえも聞いただろう。東国で死刑制度に関する法案が通る。ただ死刑を行えるのはカメリアの血を引く人間だけだ。それがいないのなら――――連れて来ればいいんだ」
「それが……フィリナだなんて」
レガートは、紙をくしゃりと握り潰した。
「リナさまは、東国の執行人になるんですか……?」
事態を上手く飲み込めていないチリルが、不安げな表情を浮かべている。
彼女を気遣える余裕は、今のレガートにはなかった。
「……そうじゃない」
口に出来たのはそれだけで、顔を歪めて手で覆った。
そんなに簡単な話ではないのだ。
普段なら黙っているエヴィルが、嫌悪に満ちた言葉を吐いた。
その、耐え難い内容を。
「一人じゃ足りないから、増やそうとするだろうな」
カメリアの人間をまた連れて来るなんて、手の込んだことをする必要などない。
フィリナが一人いれば、十分なのだ。
血がカメリアなら――――片親が、カメリアならば。
「それってさ……つまり、次々に産ませるってこと?」
おそるおそる口にしたロトに、チリルが全てを理解をしたのか、血の気を引かせて絶句した。
レガートも、だ。もう何一つ、出て来ない。
罪人は初めからそのつもりでフィリナを拐ったというのか。
フィリナは、知らないのだろう。自分が利用されるということを。
逃げた先で同じことを、いや、それ以上の屈辱を受ける。
あの純粋な従妹が、また傷つけられる。
審査のため、東へと入国を待たされているこの時間が惜しい。
早くフィリナを見つけ出して、この手へと取り戻したい。
無事でありさえすれば、それだけで……。
焦燥に駆られながら、レガートはフィリナの身を案じ続けた。
レガートの傍で、しばらく静かに思考していたレカルドが顔をしかめて問いかけてきた。
「今、最悪な想像しちまった。一族全員、こっちに向かってるんだよな?」
「おそらくは」
「東の人間はそこを狙ってないか?一族を根絶やしにすれば、中央国は死刑を廃止にするしかないだろう。そして一族はフィリナを餌に一網打尽。東はフィリナで新カメリア家創設。――――どうだ?俺の考えは、笑い話か?」
レガートに笑えるはずがなかった。
フィリナの誘拐の裏に、政治的な陰謀が隠されていたなんて、誰が予想するのだ。
「……あなたたちは、どちらの味方ですか?」
牢から逃げたあの罪人は、全てを知った上で行動を起こしている。
ならばレカルドたちはそちら側につくはずなのに、こうして助言を与えてくる。
レカルドは無精髭を撫でながらつぶやいた。
「俺らは西国の人間だからな。それに、あいつにはもっと全うに幸せになって欲しいからだろうな」
彼の言うあいつが、フィリナなのか罪人の男なのか、レガートには判断がつかなかった。
もしかしたら、二人ともだったのかもしれない。
レガートは烏に文書を託して、空へと飛ばせた。
たった一言。――――援軍不要。
それだけを持って、黒点が遠ざかっていく。
「入国の準備が整いました。皆さま、こちらへどうぞ」
案内係の女性に導かれ、レガートは、東との隔たりを表す堅牢な門扉を見据えた。
その扉が、押し開かれていく。
レガートは、誰よりも先に、一歩を踏み出した。
フィリナの救出だけを、胸に。
こうして五人は、東国へと入国を果たした。
◆◇◆◇◆◇
「う……ん?」
フィリナはうっすらと見えた視界に、ここはどこだろう、と思った。
だるい体と、少しの頭痛。
カタカタと揺れ動く体を起こして、地の厚い窓掛けを捲った。外の景色は、ゆるゆると過ぎていく。
「馬車、初めて乗った?」
声のした方へと顔を向けると、レイズが可笑しそうに笑い座っていた。
馬車が珍しいのではなく、なぜ馬車に乗っているのかをフィリナは知りたいのだ。
街並みの雰囲気が、明らかに中央国のものではない。
建物自体はさほど変わりはなくとも、あちこちに掲げられた国旗が違う。
紫を基調とした中央国に対して、東国は緑と黒の二色だ。
フィリナには、入国した記憶がない。
一体いつから眠っていたのかも定かではなかった。
「……レイズ、これであなたは逃げ切れたの?」
「そういう意味ではそうかな。でも、いくつか仕事をかけ持ってるから、ここでもやることがある。君に、会いたいという人がいるからね」
「私は別に会いたくないわ」
フィリナはさりげなく目を落として、手や足に枷がないかを確めた。
「出来れば、もう少し眠ったままでいて欲しかったね」
レイズは苦笑し、ため息をついた。
体調の悪さの原因は、また薬で眠らされていたせいなのだと気づいた。
「もう少しって、どれぐらい?」
「それほどかからないと思うけど。お腹すいた?」
そこまで食いしん坊ではない。起きたばかりで食欲どころか、胸焼けがしているほどだ。
フィリナは街並みをながめながら、言った。
「初めて来たから、少し街を歩いてみたいの」
「逃げようと思ってるみたいだけど、すぐに捕まるよ?土地勘ないんだし」
先手を打たれて沈黙した。
このまま誰とも知らない相手と、面会させられるようだ。
そしてフィリナはふと、服を見下ろした。
あちこち土がついて、汚れてしまっている。寝汗でかすかに臭いもしていた。
「逃げない代わりに、服だけ替えさせて。私今、かなり汚いわ。きっと私に会いたい人も、会いたくなくなると思うの」
レイズは仕方ない、というように肩を竦めると、しばらく走ったところで馬車を止めさせた。
街はたくさんの人が行き交っていて、東の方角に小さくだが、王城の尖った屋根が臨める。
先に馬車を降りたレイズが、フィリナの手を取る。
それは優しい拘束具のように、しんと冷たい手だった。
馬車が止まったのは服屋の店先だ。
硝子の向こうに飾られた服は、中央国のものとは意匠が異なっていた。
それを横目に見つめながら、レイズに促されて店内へと進んだ。
高級店なのか、整然としていて品数も最小限のものしか並べられていない。
店員はすらりと手足の長い女性で、レイズの姿を目に止めると破顔して近づいて来た。
そしてその長い腕をレイズの首へと絡め、フィリナの目の前で濃厚に口づけ合う。
フィリナは驚き、繋いでいた手を思わず離した。
ちゅっ、と音を立てて唇を離した女性は嬉しそうに、
「久し振りじゃないの、ジュン!てっきり死んじゃったと思ってたわぁ!」
ジュン、と呼ばれたレイズは、彼女にまぁねと口にしながらフィリナの手を握り直した。
フィリナはもう一度、振り払うように離す。
それから無表情で、女性へと瞳を据えた。
「もしかして、妬いてる?」
レイズが顔を覗き込んで笑うので、そっぽを向き、別に、と端的に答えた。
妬くわけがない。
「新しい彼女?果てしなーく残念な格好をしているところを見ると、二人とも服を買いに来たのね。うちはお高いわよ。大丈夫?」
フィリナはレイズを見上げた。
彼はなぜか、余裕の笑みを浮かべている。
お金なんて、いつどこで手に入れたのだろうか。
フィリナには甚だ疑問であった。
「大丈夫だよ。この子には白いドレスを頼む。他の男に見られたくないから、肩とか胸とか隠れる服で」
レイズはわざとそう発言した。フィリナの体にある、椿の花や傷跡を気遣ったのだとすぐに察した。
女性はくすくす笑いながら、レイズの注文通りの白いドレスを選んで持って来た。
「結婚式でもするのかしらねー」
と、からかいながら。
試着室で服を脱ぐと、スカートのポケットから、ころんとレイズの歯が転がった。
本物そっくりで、中に毒薬が仕込まれているとは誰も思わないだろう。
しばらく逡巡し、新しい服のポケットへと突っ込んだ。
中央国の服は、被って着てしまえるものか、前開きでボタンで止めるものが主流だが、フィリナの着た服は背中にファスナーがついているものだった。
どうにか自力で上げたフィリナは、鏡に正面から映り込む。
腰をきつく絞られているせいで胸が強調され、わずかに顔をしかめた。
フィリナが試着室を出ると、すでに着替え終えていたレイズがやや首を傾げて、上から下までじっくりながめてから感想を述べた。
「腰が抱きやすそうだ」
他にもっと言うことがないのだろうか。
レイズは悠々とフィリナの腰を抱いて、自分の予想通りだとでもいうように一つうなづいた。
女性に馬車まで見送られ、フィリナは逃げることも叶わず、レイズと手を繋いだまま乗り込んだ。
服屋がみるみる遠ざかっていく。そして馬車の揺れが落ち着いたところで、まっすぐレイズを見て尋ねた。
「誰が私に会いたいの?」
「待てない?」
「待てない。教えてくれないと、行かない」
視線がぶつかり合い、レイズが先に折れた。
そして思いもよらないことを口にした。
「東国宰相」
フィリナには、ますます話が見えなくなった。
「私を、どうする気……?」
「それは着いてからのお楽しみ」
レイズはそれ以上は何も口を割らず、馬車は無情にも、ごとごとと着実に王城へと向かって行った。
◇
城内の大理石の床を、フィリナはレイズに導かれ歩いた。
同じ頃、中央国の王宮を、メヒが艶やかさを振り撒き闊歩していたということは、フィリナにはもちろん知り得ないことだ。
レイズは慣れた足取りで回廊を進んで行く。
まるで住み慣れた家の廊下を歩いているようだ。
フィリナはそんな彼に対して、一歩引いた距離を保っていた。
彼は今、東国の人間の顔をしているから。
レイズはある一室の扉の前で、歩みを止めた。
扉を軽やかに打ち、名を名乗る。
レイズではなく、ジュンと。
扉を開けたのは、凜然とした佇まいの若い女性だった。
彼女が二人を速やかに室内へと招き入れると、執務机から男性が立ち上がり、ソファへと移動した。
彼に座るよう勧められ、フィリナがレイズと並んで腰掛ける。
女性は立ったまま、ソファに端然と座る彼の背後に控えていた。
フィリナは初老の人物を想像していたのだが、目の前の男は四十前後だろうか。
片頬だけ上がる笑みを見せて不安を煽り、落ち着かない気持ちにさせる男だった。
まるで蛇に品定めをされている蛙のような心地だ。
「東国宰相のアーサー・ハドラスだ。こっちは秘書のネイル。――――ようこそ東国へ、と言うべきかな?」
フィリナは返事をしなかった。
だがアーサーは気に止めることなく、話始めた。
「カメリアの人間を一人、連れて来ることを頼んだのはこの私だ。君は知っているな?中央国が先の戦で捕らえた兵を、返還することなく、殺したことを」
その口調はフィリナを責めていた。
手を下したのはおまえたち一族だろうと。
彼はそれが極秘裏に行われたことを承知で、問いかけている。
「……その通りだわ」
フィリナが認めると、アーサーは目を細めてソファの背に深くもたれかかった。
「物わかりのいい女だな。だが、死んだ兵は帰って来ない。それなのにこちらは同じように兵を殺処分することができない。――――わかるな?」
フィリナは一瞬眉を寄せた。
兵をまるで人間として扱っていないような、アーサーの発言に嫌悪感を抱いた。
彼にとって歩兵など、盤上の駒に等しいのだろう。
彼は殺された兵の命が惜しいのではない。そうならばとっくに手を打っていたはずだ。保釈金を払っていたはずなのだ。
フィリナがうなづかずとも、アーサーは続ける。
「カメリアの人間が、この国にはいないからだ。ならばどうする?――――簡単だ。連れて来ればいい」
「それが……、私を連れて来た理由……?」
それはあまりに予想外な答えだった。
フィリナはアーサーではなく、隣で一言も口を挟まないレイズへと目を向けた。
しかし彼は黙ったまま、フィリナを見ようとはしない。
「私にここで、執行をしろと……?でも、ここは死刑が――」
「今国会で可決される。西国にいる中央の兵も東へと移送し、こちらで処分すると、すでに密約を交わしているからな」
ふっ、とアーサーが笑う。
フィリナは背後にある扉の方ばかりを気にしていた。
今すぐ逃げ出したい。
一体何人殺せばいいのだ。
逃げた先が、さらなる地獄だなんて。
「だが安心しろ。施行されてから実際に死刑を実行出来るまでに数年はかかる。おまえにはそれまでの間、別のことをして貰うつもりだ」
震えてしまいそうな手を、必死に膝に押しつけた。
怯えを見せればつけ込まれる。
アーサーはフィリナをいたぶるように口を歪めているのだから。
「何を、させる気?」
「大したことではない。――――数人、子供を産めばいいだけのことだ」
「嫌よ」
考えるよりも早く、言葉が滑り出た。
それだけは絶対に受け入れられない。
逃げないと、と思った瞬間、レイズに手を掴まれた。
「僕が相手でも、嫌?」
刹那、フィリナの瞳が揺らいだ。
だけど、すぐに表情を消した。
「嫌よ」
吐き捨てたフィリナの様子に、アーサーがレイズを責めるように言った。
「何だ?ここまで素直についてきたから、すでにそうなっていたことを期待していたんだがな」
レイズは苦笑して謝った。
フィリナにではなく、目の前の男へと。
「まぁ、いい。裏の塔に部屋を用意してある」
それだけ告げると、話は終わったとばかりにアーサーは立ち上がり執務机へと戻って行った。
ネイルに追い払われるように退出させられたフィリナは、握られた手を力任せに振りほどこうとした。
なのにほどけず、レイズを冷たく見据える。
「離して」
「逃げる気だろう?何もずっと閉じ込めるわけじゃないさ。君がいい子にしていたら、街にだって連れて行くよ」
フィリナは引き摺られて、王城の裏手にそびえ立つ灰色の塔を登らされた。
レイズの手は固く、どうしてもほどけない。
最上階にある一室にフィリナは入れられ、レイズが後ろ手に扉を閉めた。
不思議と黒血城の自室によく似た部屋だった。
違うのは窓に嵌められた鉄格子と、扉の鍵。
外には青空しか見えず、覗けば街並みが臨めるのだろう。
机と椅子と寝台が一つずつ。壁は冷たい石だった。
「レイズ、私に近寄ったら舌を噛み切って死ぬわ」
フィリナは本気でレイズから距離を取った。
壁に背がとんと触れ、ひやりとした部分から怖気が立つ。
「リナ。言うことを聞かないと、一族の人間が皆、暗殺されてしまうよ?」
フィリナは舌に突き立てていた歯を離して、微笑するレイズへと尋ねた。
「暗殺?」
「そう。中央の人間も、今頃慌てて一族全員を君の救出に向かわせているだろうね。だけど、いくら死刑執行人でも多勢に無勢。あっという間に殺される。中央のカメリア一族が絶えれば、あの国での死刑は行えなくなる。それも目的の一つだよ」
まず初めにレガートの顔が浮かんだ。次に、エヴィル。
一族が絶えると言うことは、フィリナの願望でもあった。
しかしそれは、今生きている人が死ぬという意味ではない。
この血を、後世に残さないということだ。
「……皆を助けてくれるの?」
「君がいい子ならね」
レイズが優しい顔で近づいてくる。
フィリナはその場から動かず、腕の中へと閉じ込められた。
覚えさせられた温もりが溶け合う前に、体の隙間に両手を差し込んだ。
「レイズ。嘘をつかないで。皆に手を出さないという保証がない」
レイズはフィリナの真摯な瞳にに小さくため息をついてから、名残惜しいそうに離れた。
「わかった。手を回して来るよ」
やれやれと肩を竦めて、フィリナの額に口づけてから出ていった。
鍵の掛かる音と、遠ざかる靴音。
フィリナに落ち込んでいる暇なんてなかった。
逃げる機会はきっと、今しかない――――。




