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執行人の逃亡  作者: 名紗すいか
幕間
21/40

二十・追憶(後)


 翌日も男の子は地下牢へとやって来ていた。


 勝手に牢に入っていたのか、岩の陰から出てきた男の子は、そこに立っていたフィリナと鉢合わせてぎょっとして声を上げた。


「リナ!その顔は!?」


「顔?」


「頬!腫れてる!……もしかして、怒られた?」


 男の子が視線を落として、何かを堪えるように唇を結う。

 フィリナは自分の頬に触れてみた。

 そこは熱を持ち、膨らんでいる。さらには触れたことで痛みがぶり返して来た。


「エヴィル兄さまがぶったの」


「……ごめん」


「何で謝るの?エヴィル兄さまはリナにしか怒ってないよ?手を繋いで帰った気がするから、たぶんもう怒ってないの」


 実際は泣きじゃくっていて、あまり覚えてはいない。

 目が覚めたときに部屋にいたので、あのままエヴィルが送ってくれたのだろう。


「それでね、さっき起きたの」


 男の子は首を傾げてから、森を禍々しく染める夕影を一瞥した。そして縺れた髪の向こうから、フィリナを見つめ言った。


「もうすぐ夜だよ?」


 フィリナは目を瞬き、きょとんとした。

 泣き疲れたせいか、すっかり寝過ぎたらしい。

 普段から夜ふかししているせいで、おかしいことという感覚が欠落していた。


「夜しか森の奥で遊べないからいいの。今日はどうしたの?」


 男の子は申し訳なさそうに頬をながめながらも、フィリナへと端的に尋ねた。


「リナ、食べ物ってどこにある?」


 フィリナはにっこりとして、近くのプラムの木へと男の子を誘った。

 短い道のりを手を繋いで並んで歩いていると、男の子がその手に目を落として、自嘲するようにつぶやいた。

 

「リナはよく平気で、この汚い手を握れるよね……」


「汚いの?」


「汚いよ。ごみとか漁って来たし、もうしばらく洗ってないから。皆、近づくどころか避けてくよ?」


 辺りはほの暗くなっていて、フィリナにはその汚れを見つけることは出来なかった。

 元より、そんなものを気にする性格でもない。


「リナは石を投げられるの。それと一緒?」


「うーん。……ちょっと、違う」


 フィリナには難解な問題で、首を傾げている内にプラムの木の下へと着いてしまった。


 昨日いくつかもいだが、大振りの赤い果実はまだ、数えきれないほどたわわに実っている。

 ここは森の木々に覆われて、日があまり当たらないせいか、とても酸っぱい実が生るのだ。

 だから、いくらも減りはしない。食べるのはフィリナか、物好きな鳥か虫だけだった。

 持って帰っても誰も食べてはくれずに、結局腐る直前にジャムに加工されてしまうのだ。


「あの酸っぱいのか……まぁ、いいか」


 男の子はプラムの木の枝を掴み、幹に足をかけると、するする頂上まで登っていった。

 男の子は目を凝らしながら、よく色づいたプラムを選別してもぎ採ると、フィリナへと落とす。

 慌ててスカートを広げ、降ってくる実を一つ一つ収穫した。


 ある程度溜まった頃、男の子はすとんと下りてきたので、フィリナは成果を見せるためにスカートの端をさらに掲げた。


「いっぱい採れたね!」


 喜びをわかち合うつもりのフィリナだったが、男の子は気まずそうに目を逸らした。


「どうしたの?」


「いや、見えてるから」


「何が?」


「スカート下げて。……下着、見えてる」


 フィリナは顔を赤くして、言われた通りにスカートを下ろした。

 プラムが落ちてしまわないように、そっと。


「……これ、どうするの?父さまに?」


「父さま……いや、父さんに」


「父さまじゃないの?」


「そんな呼び方してるんだ?」


「うん。リナの父さまは、絵の中にいるの。母さまと一緒に」


 レガートが描いた二人の肖像画。

 それだけが唯一フィリナに残された、両親の面影。


 怪訝そうに、男の子は「絵……」と小さくつぶやいた。


「絵の中にいて、いつもリナを見てるの」


「……そっか」


「行こう」


 フィリナはたくさんのプラムを抱えて、にっこりと笑った。




            ◇




 その次の日は、薬草を探して歩いた。


「これ?」


 フィリナはしゃがみ込み緑色の葉っぱを指差して尋ねた。

 白い花のようなものが咲いてるが、匂いがきついので、いかにも薬草らしいと目をつけたのだ。

 

「必要なのは血止め用の草だって言っただろう。それは解毒とか利尿用」


「りにょう?」


「……リナには関係ないよ、たぶん」


 男の子は紫を帯びた白い小花をたくさんつけた、丸い艶のある葉っぱを摘み取っている。


「それをどうするの?食べるの?」


「……これは揉んで、血が出ている部分に当てると、血が止まるんだよ」


 フィリナはまた一つ、賢くなった。

 しげしげと葉っぱを観察していると、


「何にも知らないんだな、リナは。あの地下牢で、執行人たちが何をしてるか知ってる?」


 あれだけ密かに出入りしていれば、彼らのしていることがどういうことなのか、幼くとも察しがつく。

 フィリナは膝に顔を埋めて、男の子の表情を見ないようにした。


「……うん。リナのこと、嫌いになる?」


「リナのことは嫌いじゃない。よくしてくれるし、友達だから」


 フィリナは、はっとして顔を上げた。

 

「――――でも、リナもあいつらみたいになるんだよな……」


 哀しいような、どうしようもないと諦めるような言葉に、フィリナの胸がズクンと疼いた。


「リナはしないよ。絶対、ごーもんなんてしないよ」


 男の子がこのままフィリナを見捨てて行ってしまいそうで、すがる思いで手を取った。

 その手は振り払われることなく、繋いだまま、地下牢へと歩いた。

 岩に辿り着くと、葉っぱを持った男の子は一人、暗がりへと消えていった。


 フィリナがいては邪魔になる。それに、エヴィルに殴られたことを気に病んでいるようでもある。

 フィリナは大人しく、座って待つことにした。

 不思議と待つ時間も楽しい。

 相手が友達だからだろうか。

 男の子といると、いつもよりも早く時が過ぎる。

 月がゆったり遠ざかり、フィリナはこくりこくりと船を漕いでいた。


「……リナ?」


 呼ばれて、まぶたをそっと開くと、すぐ目の前に男の子の顔があり、お互いに仰け反った。

 心臓が走った後のように、とくとくと鳴っている。


「……こんなところに寝てると、風邪引く」


 目を逸らした男の子は、まだ少しぼんやりとした様子のフィリナを起き上がらせた。


「家まで送る?」


 もっと遊んでいたかったが、お昼寝ばかりしていたら、夜更かしを疑われてしまう。

 そろそろ帰った方がいいかもしれない。

 フィリナは一人で帰れると言ったが、彼はついてきた。

 暗夜の森を子供二人、並んで歩く。


 ずっと歩いていられる気がした。

 いつまでも歩いていたい気がする。


 触れた指先から絡めるように手を繋がれて、フィリナはどきどきしながら、囃し立てる月の下を家へと帰る。


 帰りたくない、とフィリナは思った。

 わざと少し、遠回りをした。


「――――カメリアの家は最悪だけど、リナみたいなのもいるんだな……」


「リナは執行人なんてやりたくないの。でも姉さまが、やらないとだめだって言うの」


「リナは何がしたいの?」


 改めて訊かれると困ってしまう。

 フィリナにあるのは、やりたくないことばかり。


「したいこと……?」


「例えば、美味しいものをお腹いっぱい食べたいとか、大金持ちになりたいとか、優しい恋人が欲しいとか、そういう普通のこと」


「リナは、……わかんない。難しい」


 哀しいほどに、思いつくことが何もなかった。


 黒血城の玄関の大扉が見えてきて、彼は歩みを緩やかに止めた。


「それはリナが幸せだからじゃない?生きることすら叶わない人だっているのに」


 彼はとても嫌な言い方をした。

 この逃れられない宿命を、無理矢理背負わされているフィリナに、幸せなどと言う。


 心が、粉々に砕かれる音を立てた。


「幸せじゃないッ!リナはッ、人殺しになんか、なりたくないッ……!」


 うわーっ、と泣き出したフィリナに、彼は弱りきり、慌てて宥めにかかった。


「ごめん!泣かないで……」


 何度も繰り返し頭を撫でてもらい、フィリナが嗚咽を飲み込んで最後の涙の粒をこぼし終えると、彼は深々とした吐息をもらした。


 描かれた涙の跡を、頬を包み込んで親指で拭う。

 その仕草は彼の父親そっくりだった。

 罪人だけど、彼には優しい父親だったのだろう。


「リナは……ただの人間になりたい。執行人でも罪人でもない、人間になりたい」


 死神などと言われるのは、もう嫌だった。


 彼は噛み締めるように、フィリナの切なる願いを受け止めた。


「……リナがずっと、リナのままだったら人間になれる。だから、リナは、――――血に汚れたりしないで」


 ぎゅっと抱き締められて、フィリナはその真摯な想いを胸へと刻みつけた。

 こくりとうなづき、幼けない未熟な心で誓った。


 いつしか破られてしまうその誓い。それは、呪いのようでもあった。


「約束する。リナがそのままだったら、いつかここから逃がしてやる」


 それが慰めの言葉だとしても、フィリナは嬉しかった。

 その約束だけで、この先生きていけそうなほどに。


 ずっとこのまま、この日のフィリナで居続ける。

 彼が来るまで、――――例え、来なくとも。


 血の呪縛に、逆らえるだろうか。


「もし、リナが変わってたら?」


 抱き竦める腕に、力が込められた。


 そして彼は言った。大人のような声で――――。


「そのときは、殺す。リナが、人間に生まれ変われるように」





 またね、と言うフィリナに、彼は答えず、ただ手を振った。


 さよならを、しているみたいだった。


 そしてフィリナの不安は次の朝、形となった。



 彼の父親が、断頭台へと連れて行かれたのだ――――。




            ◇




 処刑場の空気が、フィリナは嫌いだ。

 断首を見ようと集まる好奇心たちが嫌いだ。

 遺族の涙も嫌いだ。


 何もかもが、フィリナへと重たくのしかかる。

 いくら逃れようともがいても、再びこの場所へと引き戻す、この、ーーーーカメリアの血が大嫌いだ。


 通常の死刑執行には、数百人集まれば多い方と言える。


 有象無象が犇めく広場。

 断頭台の上で、彼の父親はすでに息をしていないかのように、ぐったりとしていた。

 それでも、生きていた。


 何の安らぎにもならない言葉を、教戒師たちがのたまう。


 皆そうなのだ。嫌なことは人に押しつけ、高みの見物。

 自分たちは安全地帯で、正義という名の刃を振りかざす。


 手を汚すのは、穢れた血の死神ばかり。


 国も、神すらも、フィリナは大嫌いだ。


 断頭台に上がったのは、カメリアでもフィリナとは遠い血脈の者だった。

 名も膾炙されていないような親戚。保守派の末端。


 黒衣は義務ではなく、汚れた血が目立たなくさせるため。

 そして、畏怖の対象であると誇示するため。


 ならば黒も嫌いだ。

 白だけ身につけ、鎧としよう。


 罪人は嫌いだ。フィリナを苦しめる。

 なぜ罪を犯さなければいけないのか。

 世の中が悪いと言うのならば、それも嫌いだ。


 レガートの信念が、正しいことだった。

 死刑制度は廃止にするべきだと言う、従兄が。


 あどけなく拙い頭の中で、フィリナは全てを罵った。


 一生分の嫌いを使い果たした。

 純粋な少女はもう、どこにもいない。


 そして、ーーーーその瞬間が訪れた。


 フィリナは処刑場の一番後ろで、それを見据えた。


 執行人は刀を二度、振り下ろした。

 下手で雑な手際に、悲鳴が上がり、野次が飛ぶ。ーーーー彼の声は、聞こえない。


 フィリナは後で、あの執行人を詰ってやることを決めた。

 二度と刀を持てないほどに。


 何が保守派だ。執行一つ、まともにできなくてよくそんなこと口を叩ける。


 フィリナはそんなやつらが大嫌いだ。


 そしてどんどん自分が嫌になる。

 彼の望んだ、フィリナが薄れていく。

 

 気持ちがささくれて堕ちていく最中、人垣の向こうに彼を見つけた。


 どろどろと蜷局を巻いていた感情が、一瞬で霧散した。


 断頭台から運ばれていく亡骸を、彼はぼんやりと生気のない瞳でながめている。

 見物人に肩をぶつけられ、罵声を浴びせられても、ずっとその場で立ち尽くしていた。


 人がまばらになっていく景色の中で、彼の周りの時間だけが停止したように動かない。


 初めて、日の当たるところで姿を見た。

 だけど、遠い。


 フィリナには近づくことはできなかった。


 だって、名前も知らない。


 呼びかけることのできないフィリナに、何ができるというのだ。


 彼の父親を殺したのは執行人――――フィリナの体に流れる、血だ。


 合わせる顔なんて、ない。


 罪人の子供と友達になるということがどういうことなのか、理解していなかったのだ。


 忘れていたエヴィルの声が、唐突に蘇ってきた。


『罪人の子供となんて、友達になれるはずないだろう』


 今さら、嫌われることが恐くなった。


 フィリナは後退し、身を翻してその場から逃げ出した。




 走り去るフィリナが最後に振り返り見たのは、彼の頬を流れた、透明な涙だった。





 あの涙が目に焼きついて、今も離れない――――。



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