十八
フィリナの情報が欲しいレガートと、渡したくないレカルドとロト。
その間で、チリルはようやく一息つけた。
長きに渡る口論の末、公平なじゃんけんによって、レカルドたちと同室となった。
だったら初めからそうして欲しかった、とチリルは思う。
「チリル。何かあればすぐにこちらへ来るんだよ」
「はい、旦那さま!」
チリルはレカルドの小脇に抱えられながら、扉の向こうへと消えていくレガートにそう返事をした。
室内には二つの寝台があり、チリルはその一つへと置かれ、レカルドは隣の寝台にかけた。
ロトは迷うことなく、チリルの横へと腰を下ろす。
これはつまり、そういうことなのだろう。
体の大きいレカルドが一つの寝台を使用する。
チリルとロトは一つを分け合う。
簡単な話だ。
なのに、どうしてだか頬が熱を持っている。
理由はわからない。本当に。
「で?レイズは今、どこにいるんだよ?」
「わからんが、東に向かってるだろ。こっちの状況、知ってか知らずか逃げたようだな」
「え!?リナさまたちはもう先に行ってるんですか?」
チリルは驚いて話に飛び入った。
てっきり、そのうちどこかで合流すると楽観視していたというのに。
「……おっさん、何か隠してないか?」
チリルはすぐさまレカルドの顔へと目を遣った。
しかし、いつものニタニタ顔だ。
「隠してないぞ。思うところはあるが、確証がないからまだ言えんな。一つ言えるのは、レイズは逃げるためではなく、フィリナを連れて行くために東を目指してるんじゃないかってことだ」
「は?何で?」
「そこんとこが曖昧なんだ。東に入国したら、ちょっと調べてみるつもりだ」
チリルは難しく眉を寄せたロトと並んで、同じように考えてみた。
フィリナが東へ連れて行かれる、理由。
さっぱりわからない。
なのでチリルは、早々に思考の渦から脱却した。
「レイズって何考えてるか読めねーしなぁ」
ロトも諦めたのか、両手を後ろにつき、足を投げ出した。
「ちなみに、レイズさんっておいくつ何ですか?」
「俺の五つ上とかじゃなかったっけ?」
「そうなんですか?もう少し若く見えますね」
童顔という訳でもないのに。
あの微笑みのせいだろうか。
「昔からあんな感じだったんですか?」
「いいや、あいつの昔なんて酷いもんだったぞ?チビでガリガリに痩せてて、干からびたぼろ雑巾ってとこだったな」
しみじみと昔を懐かしむようにレカルドが言い、ロトはへぇ、と眉を上げる。
「今のレイズさんと全く違いますね。だって、はっと振り返るような、綺麗な顔をしているじゃないですか」
「おぉ?ちびも、ああいうのが好みか?」
からかい目線のレカルドに、チリルはきっぱりと、ないですと答えた。
子供でもわかる。子供だからこそ、かもしれない。
あの手の人間は、信用するときっと痛い目を見る。
しかしチリルが接していたレイズは、少しも辛い過去などにじませていなかった。
「そんなにひどい暮らしをされていたんですか?」
「レイズか?そうだと思うぞ。俺の見立てだと、あいつは流れ孤児だな」
その言葉に、チリルは大きく目を瞬いた。
流れ孤児とは、住む場所を求めてあちこち転々と移動していく孤児のことだ。
主に、言葉の通じる三国間を行き来する。
彼らが西国の人間ならば、レイズは中央国か東国出身ということだろうか。
「俺たちみたいなのは少なからず、ぼろ雑巾時代を経験してるんだ。ぬくぬく育ったやつらとは体のできも、心臓の強さも違うぞ」
バンッとレカルドが厚い胸板を握り拳で叩いた。
一瞬チリルの脳裏に、黒くて毛深い野生動物が過った。
気のせいなのだろうか。
チリルはそっとレカルドから目を逸らすと、隣でロトがむすっとした表情をしていることに気がついた。
「えっ、ロトさんもですか?」
「俺は、そこまで酷くはない。一応だけど、孤児じゃないし」
「そうなんですか?私もリナさまに拾って貰ったので、ぼろ雑巾にはなりませんでした」
「だから、リナさまリナさまなんだな」
ロトが感心したように言った。
「ちびぐらいの器量なら、花街に売られてたかもしれんぞ。もう客を取ってたかもしれんな」
腕組みをするレカルドは、眉を寄せなから瞑目し、深々とうなづいた。
そしてロトはチリルの肩を、ぽんと叩く。
彼から真剣な眼差しが注がれ、どきりとする。
「リナさまがいて本当によかったな、ちびっ子」
「はい!」
フィリナを褒められたようで、チリルは嬉しくなった。
客を取るとかは、意味がわからなかったが、フィリナの素晴らしさを彼らが理解してくれ大満足だ。
「そろそろ順に湯に浸かって寝るぞ。明日も早いからな」
最年長のレカルドの指示に従い、順番にお風呂に入り、チリルは寝台に潜り込んで眠りにつこうとした。
だがなかなか寝つけず、もぞもぞとロトに背を向け、いびきのうるさいレカルドの方へと顔の向きを変えた。
レカルドは大の字で口を開け、体のどこかから騒音を発している。
チリルの父親は、いびきなんてかいていただろうか。
そう思った途端、じわりと涙が溢れてしまった。
家族ごっこが、楽しかった。
ずっと忘れようとしていた、両親とのささやかな暮らしが、泡のように浮かんでは消えていく。
レカルドやロトも、いつかはいなくなってしまう。
せっかく、仲良くなれたのに。
くるりと反転して、チリルは寝入っているロトの腕へと忍び込んだ。
するととても安心して、ようやくうとうとしてきた。
まるで両親に抱っこされているみたいで、甘えてつぶやいた。
――――パパ、ママ。
深く眠りに落ちる間際、誰かが耳元で囁いた。
せめてお兄ちゃんとかにしてくれ、と。
それがとても呆れた声で、チリルは夢の中でくすくすと笑ったのだった。
◆◇◆◇◆◇
レイズがその民家の玄関扉を叩くと、若い女性が顔を出した。フィリナと同じくらいの年格好で、垂れ目が印象的だ。
「どちらさまですか?」
客人に対しての、少しばかりの警戒と好奇心に富んだ声調だった。
「東国を目指して旅をしているのですが、一晩泊めて頂けませんか?連れが、疲れてしまったようなので……。お願いします」
フィリナを背負ったまま、レイズは頭を下げる。
無作法と承知で、フィリナもレイズに倣った。
しばらくの間の後、彼女は一晩だけならと二人を招き入れた。
平屋建ての家は古民家を改装したのか、外観に比べると内装は新しく、可愛らしい家具や小物で溢れていた。
客間を一つ貸してくれることになり、彼女はフィリナに、同室で平気かと声を潜めて尋ねてきた。
その質問に首を傾げてから、うなずく。
いつしか一つの寝台を二人で分け合い眠ることに、すっかりと慣れてしまっていた。
彼女の名前はニカと言い、まだ新婚で、夫のバルクと二人で暮らしているという情報を、レイズが居間までの短い距離で世間話から引き出した。
「二人は恋人よね?」
その質問にレイズはにっこりとして、フィリナの腰を抱いてみせた。
否定はしていないが、肯定と取られる振る舞いをして、嘘を真実のように作り上げていく。
フィリナはぼろを出してしまわぬように、黙って彼らの聞き手に徹していた。
ニカは夕食の支度途中だったらしく、時計を確認すると、慌てて小さな台所へと駆けて行く。
居間でくつろぐには後ろめたく、フィリナはさりげなく彼女の後に続いた。
「何か、手伝います」
その申し出に驚いたのはレイズだ。
「君に料理は無理じゃないかな」
「できるわ。……たぶん」
自信なく言ったフィリナに、ニカは莢のついた豆が、山盛りになったざるを手渡した。
「出来ることからやりましょうよ。この豆を剥いて、こつちの鍋に入れてくれたら助かるわ」
フィリナはうなずき、黙々と豆を剥き始めた。
それをレイズが食卓机にもたれ掛かり、可笑しそうにながめている。
「彼に料理を作ったりしないのね?」
「料理、したことなくて……」
「え!?今までどうしていたの!?」
女中さんたちが作ってくれていた、とフィリナが正直に言いかけたところで、素早くレイズが割り入った。
「僕が食べさせてたんだよ。ね?」
食べさせると言う意味ではそうなのだが、料理を作って貰ってなどいない。
それでもうなづいておかないと不審がられてしまう。
フィリナが首肯すると、ニカはまぁ、と頬に両手を当てた。
それからこっそりと、耳打ちをする。
「素敵な恋人ね」
本当の恋人ならば、きっとそうなのだろう。
だがレイズにとってのフィリナは、ただの荷物にすぎない。東国へと運ばれ、そこでどうなるのかは、なるべく想像しないようにしていた。
フィリナは豆をどうにか剥き終えて、それらを鍋でコトコト煮込んだ。
トマトと香辛料がふやけた豆とほどよく絡み、食欲を煽る香りを立てる。
生まれて初めて作った料理だ。
感慨深く、フィリナは鍋を見続けた。
食事が食卓へと並んだ頃、夜の匂いとともに旦那のバルクが帰宅した。
ニカの表情が華やぎ、玄関まで、軽快な足音を立てて走って行く。
「今日一日だけ、お客さんを泊めることになったのよ。よかったかしら?」
ニカが事後承諾を取りながら、笑顔で彼の腕を引き戻って来る。
そしてそのまま彼をフィリナたちへと紹介した。
バルクは初め驚いたように目を見張っていたが、すぐに簡単に名乗ると席へと着いた。
「それでこっちがレイズさんと、リナさん」
揃ってお辞儀をすると、バルクは形式的に会釈を返した。
食事を始めてからも、よくしゃべるのはニカとレイズだった。
他愛のない世間話から、勝手に捏造したフィリナとの出会いまで色々と。
フィリナはなぜか、身分違いの恋に苦しみ駆け落ちをして来たことになっている。
レイズの、口からでまかせは淀みなく、フィリナは呆れてしまった。
「それで東国へ?大変ね。知り合いでもいるの?」
「はい。なので慎ましく暮らせば彼女と二人、やっていけます」
レイズの慈愛に満ちた眼差しが、フィリナへと注がれた。
本当に愛されていると錯覚させる、魔力でも持っているのだろうか。
それほど真に迫る表情だった。
「いつまでも二人じゃないでしょう?すぐに三人、四人になるわよ」
ニカが頬を染め、自分の腹部へと触れた。
大切な宝物でも守るかのように、ゆっくりと撫で擦る。
目立ってはいないが、赤ちゃんがいるのだとすぐに見当がついた。
フィリナは自分の後に生まれた子供がいないため、不思議な気持ちでニカの様子をながめていた。
人の死にばかり立ち合い、生の喜びを享受したことがない。
それがフィリナ自身のことなら、なおさらだ。
レガート同様、呪われた血族に生まれつく苦悩を、未来へと受け継ぐことは罪にも等しい。
それを乗り越えられるほど、愛する人など……。
フィリナはレイズをちらっと見遣ると、優しげに細められた彼の目と、視線が絡み合った。
「僕たちも、負けてはいられないね」
勝ち負けの問題ではないだろうに、レイズが勝手なことばかり言うので、どう答えればいいかわからずに俯いた。
恥じらっていると誤解されたが、レイズがそう仕向けているので沈黙で通す。
レイズとニカは会話を楽しみながら食事を進めていたが、バルクは口数が少ない。
やはり迷惑だったのだろう。
それを決定づけたのは、食事を終え、後片づけを手伝っていた時のことだった。
レイズとの会話が弾んでいたせいか、そちらに顔を向けていたニカが、机の脚に足を引っ掛け躓きかけた。
咄嗟にフィリナは腕を伸ばして、彼女を支えようとし――――、
「やめてくれッ!」
刹那、バルクが恐ろしい剣幕でフィリナの手を弾くと、ニカを自分の胸へと引き寄せた。
フィリナはその赤く色づき始めた手を胸の前まで戻し、目を伏せて、ごめんなさいと謝罪した。
余計なことを、してしまったらしい。
バルクは苦いものでも噛んでしまったかのような表情をしていたが、
「……いえ、すみません。妻が倒れそうだったので、つい動転して……」
茫然としていたニカも、はっとして自らの不注意を謝った。
「ごめんなさいね。ちょっとふらっとしちゃって。−−−−お詫びに葡萄酒でも空けちゃおうかな。座って座って」
ニカの好意を無駄にするのも雰囲気をさらに悪化させるだけだと、言われるがままにフィリナは席へとついた。
だがレイズは椅子に座りこそしたが、台所で仲睦まじく葡萄酒やグラスを用意する二人を、不躾に目で追っている。
「……レイズ?」
レイズがあまりにも彼らを注意深く見つめているので、フィリナは首を傾げて呼びかけた。
すると彼は柔らかな表情に切り換え、囁いた。
「嫉妬した?」
からかうように笑い、フィリナは「まさか」と顔を背けた。
レイズはいつもそうだ。本当のことは、何も言わない。
バルクが葡萄酒とグラスを、ニカがつまみの皿を持って来て、フィリナとレイズの前へと並べた。
普段酒類を飲まないフィリナだが、バルクが一口飲んだのに合わせて、申し訳程度に口をつける。
葡萄の甘みがほのかに口腔内を抜けた。
好んで飲むほどではないが、飲めないことはない。
レイズをうかがったフィリナだが、思い掛けず彼に見入ってしまった。
グラスを傾けているだけで、絵になっている。
「見蕩れてる?」
まさか、と返して葡萄酒を煽り誤魔化した。
「お二人は王都からいらしたんですか?」
バルクが珍しく質問してきて、レイズは、「ええ」と微笑んだ。
葡萄酒の飲めないニカは、頬杖をついて思いを馳せるようにつぶやく。
「いいわね、王都。行ってみたいな……。あなたは住んでたことがあったわよね?」
「……まぁ、あるけど。ここの方が、のどかで好きだけどな」
それにはフィリナも同感だった。
木漏れ日の下で微睡んだり、花を摘んだり、愛する人と一緒にいたり。
彼らは、そういう幸せに満ちた暮らしをしているのだろう。
だからフィリナのような人間は、温かな場所に長く留まってはいけないのだ。
レイズたちが話すのを聞いている内に、少しずつまぶたが重くなってきた。
背もたれに力なく体を預けて、頭を垂れる。
レイズがその様子に気づくと、苦笑しながら中座して、フィリナを抱き抱えた。
「すみませんが、先に休ませて頂きます」
「疲れてたのね……。お休みなさい」
フィリナは返事もできず、混沌とした意識の海へと、深く深く沈んでいった。
♦︎
ほの暗い静寂さの包む台所から、よく手入れをされた包丁が一つ、持ち出された。
二人が眠る部屋の扉が、音をたてないよう慎重に開かれていく。
男の腕に守られ、難しい顔をして眠る少女へと向かい、足音が密やかに近づいた。
そしてその繊弱な白い首筋を目掛けて、鈍色の包丁が振り上げられた瞬間ーーーー、
「奥さんが、悲しみますよ」
寝入っているはずのレイズが、その双眸に包丁を掲げるバルクを映して、悠々と微笑んだ。
強張っていくバルクを、彼は穏やかに諭す。
「子供が生まれるんでしょう。一時の感情で幸せな生活を壊すのはいかがかと思いますよ」
子供、と言う言葉が効いたのか、バルクは包丁を持つ手をだらりと下ろして、戦慄く唇で「……どうして」とこぼした。
「彼女の手を弾いたときの目で、すぐにわかりましたよ。――――死刑執行人が憎いんだ、ってね」
「……ああ、そうだ。この女の顔を見たとき愕然とした。……父親が処刑されたことはもう、忘れようとしていたのに、思い出してしまった。殺したのは、この女の一族だって……」
レイズはフィリナが頭を乗せている腕を動かさず、顔を起こしてバルクの心情に寄り添い、しばらく耳を傾けていた。
感情を第三者に吐露することで、冷静さを取り戻したバルクは苦笑した。
フィリナを殺しても、何が変わるわけでもない。
「ニカには話していないんだ。できれば明日、すぐに出ていってくれないか?あまり長く、いて欲しくない」
「あなた方が起きる前には、出て行くと約束します」
そうか、と安堵して部屋を出て行こうとしたバルクは、扉の手前で足を止めた。
「東国へ、何をしに行くんだ?もしかして、あの噂は――」
「さぁ?噂なんて大抵は、真実とは異なるものですよ」
バルクはレイズの笑みを一瞥し、諦めたのか今度こそ本当に、部屋を後にした。
何事もなかったような静謐な客間で、レイズがフィリナの髪を労る手つきで梳いてやった。現れた小さな額には、慰めの唇を落とす。
「君は眠り薬を盛られるのが得意なのかな」
葡萄酒に混入された薬に警戒したが、バルク自身が先に口をつけたので、毒物ではないと判断した。
眠気を誘発する類いの薬だろうと見当もつけて、少量飲んだ。
レイズはあらゆる薬に耐性がある。毒物に関しても、常人よりは効きが薄い。
それはどこの密偵もそうだろう。
レイズはよく薬の効いているフィリナをながめて、緊張感をほどくためのため息をついた。
フィリナだから殺しに来たというわけではなかったので、すぐに引いてくれたが、そうでなければ戦わなくてはならなかっただろう。
最低限の護身術で、勝てるわけがないのだが。
争いごとは避けて行きたい。
東国に入国したとしても、フィリナの身元は伏せておかなくては。
噂に信憑性が生じると、国民感情が高ぶりかねない。
あくまで極秘にことを運ぶ。
レイズはフィリナの頬を軽くつついた。
地下牢に囚われた罪人に待つのは監獄か死か。
ではこの腕の中に囚われた彼女に待つものは何だろうか。
生と死の、どちらが地獄か、レイズには想像もつかないが。
「誰にも君を殺させたりしないよ。――――誰にも、ね」
――――悪魔のように笑んで、口づけた。
♦︎♢♦︎♢♦︎♢
王宮内を闊歩する艶やかな女は、擦れ違う者一人一人の目を奪いながら、グロッツの政務室の前で、かつりと足を止めた。
こんこん。指の節で軽く叩く。
「――――入れ」
苛立たしげなグロッツの命令口調に従い、中へと入った。
それなのに、グロッツは執務机から腰を浮かせて戦慄き出す。
「……メ、メヒ。どうしてここへ……」
悪戯な猫のように目を細めたメヒは、歌うような声で言った。
「相手を確認せず入室を許可するだなんて、ご自由に暗殺してくださいって言ってるようなものよ」
メヒは気ままにソファへとかけ、眦を上げたグロッツを見て可笑しそうに笑う。
他人の意表を突くのは殊に愉快。
「売女風情が暗殺だと?馬鹿にしてるのか」
蔑みの言葉はメヒには通じず、微笑みを返すと今度は睨みが付加された。
かなりの警戒を、ひしひしと感じる。
せっかく持参した情報を、教えてやろうかどうしようか。
「うふっ。ところで逃げた罪人と、カメリアの娘は捕まったのかしら?」
メヒはグロッツの、今一番痛い部分を容赦なく貫く。
「……情報提供は恩を売るためか?兵を向かわせた時にはもぬけの殻。檻の床に白い服が落ちてただけだったそうじゃないか」
「兵が遅いからいけないのよ。せっかく手に入れた青い鳥は連れて行かれちゃったわ」
グロッツは眉を潜め、メヒの言葉の意味を探ろうとしているが、わかるはずがない。
メヒはしばし優越感に浸る。
「何の用だ」
痺れを切らしたグロッツに、にっこりとした。
これ以上焦らすと、追い返されてしまう。
「東国の議会で、ある法案が長年否決され続けている。法務管轄のその法案、噂では今国会で可決されるらしいのよ」
「それは信頼できる筋からの情報だろうな?」
「この私がわざわざ王宮にまで戯れ言を言いに来たと思う?」
「……信じられんな。例え可決されたところで、三国分裂以前の契約が生きているはずだ。あの契約書でも見つけん限り――」
そこでグロッツは停止した。
みるみる青ざめていく様は小気味好いが、残念ながら的はずれなので、メヒはそれを教えてあげることにした。
「どこにあるか国王ですらわからない文書を、どう盗むっていうのよ。絶対紛失してるわよ、あんな物」
グロッツも薄々そう思っていたのか、突っかかっては来なかった。
「だったら可決されようが、関係ないじゃないか」
「本当にそうかしら。重要な駒が、東へと向かっているじゃないの」
ネズミを追い詰めた猫のように、メヒは口角を上げて笑む。
「な……に?そ、それは……いや、しかし……」
事象が偶然重なるはずがない。
物事には決まって何かしらの理由があるのだ。
ようやくその老いた頭にも深く染み渡っただろう。
「そうなると大変ねぇ。うちがやってることを、そのまんま意趣返しされちゃうわよ?」
血管のぶち切れそうなグロッツは、大声でウィムを呼びつけた。
その命令は、王宮中に轟いた。
「カメリア一族全員に帯刀許可を出す!一人残らず東国へと向かわせろ!カメリアの娘、フィリナ・カメリアを全力で奪い戻せ!そして――――」
決断が下されるときにはメヒの姿はもう、どこにもなかった。
まるで初めから、いなかったが如く――――。
次の話の性質上、今回少し長めになりました。
ご容赦ください。




