十七
レカルドとロトがフィリナたちと合流するはずだと、レガートとエヴィルが監視の意を込めて後ろをついて来る。
チリルは彼らをちらちらと、窺いながら道を歩いていた。
新しい石畳の公道は、幅が広く、馬が二頭並んでいてもまだ余裕がある。
チリルたちに合わせて、馬もぽくりぽくりとのんびり進む。
青々とした草原には目もくれず、レガートの視線はまっすぐ前を向いていて、振り返るたびにチリルはびくりとした。
結局フィリナのことを話さぬまま今に至るので、心苦しい。
昨夜の大雨が嘘のような晴天で、気ままな蝶がチリルの脇を追い越していった。
頭をもたげた赤い花で羽を休めると、今度はチリルが追い抜くこととなった。
前を行くレカルドとロト。そして後ろから来るレガートとエヴィル。
その間でどっちつかずのチリルは、途方に暮れて肩を落とした。
「チリル。疲れたのなら、馬に乗るかい?」
レガートが気遣い、声を掛けてくれた。
しかし使用人が主の馬に乗るなどあってはならないと、チリルは丁重に辞退を申し出るべく振り向こうとした。
だが、いつの間にか体をひょいっと持ち上げられて、レカルドの固い背中へと乗せられてしまっていた。
チリルを問答無用でレカルドに託したロトは、未だ彼らに不信感を抱いているようだ。
「馬よりも熊の方が頑丈なんで」
熊じゃない、という反論はどこからも出なかった。
「嫌われてしまったかな……」
苦笑めいたつぶやきに、チリルは慌てて顔を後ろへと向けて叫んだ。
「嫌いじゃないです!旦那さまのことは大好きです!」
一瞬虚を突かれたレガートは、いつもの優しい微笑みで、ありがとうと言った。
つられて顔をほころばせると、ロトがじろりと睨み上げてきた。
「あっちに行きたいなら、行ってもいいからな?」
「それは……うぅ、……いつかは帰りますけど、今は……こっちにいます」
その方が、フィリナと再会する可能性が高いのだから。
「何か、ちびっ子に利用されてるなー」
「そんな、利用なんて……」
「ちびよ。男を利用してこそ、立派な女だ」
「おっさん。子供を変な道に引きずり込むなって」
呆れるロトに、レカルドはにやりとして小突く。
「おぉ?何だ?ちびを自分好みに仕上げたいなら、最初からそう言えばいいのに」
チリルはドキッとしてロトを見つめた。
彼はレカルドに弄られて、不貞腐れながら小突いてくる肘を避けている。
「一人くらい常識派がいないと、子供に悪影響が過ぎるって。俺の周りには変態しかいねーし」
レカルドと、おそらくレイズのことだ。監視の二人がいる手前、上手く名前を伏せている。
言われてみれば、レイズもフィリナを変な嗜好に付き合わせていた。
確かに変態ばかりだと、チリルはやや戦慄した。
彼らに比べたら、ロトは間違いなく常識人だ。
「変態とは失礼なやつだ。おまえなんぞに娘はやらん!」
「娘じゃないじゃん」
「娘じゃないです」
チリルとロトの声は、綺麗にぴたりと重なった。
「……仲いいな。ふむ。――――時にロト。おまえ今いくつだ?」
突然話の方向が変わり、ロトは訝しみながらも答えた。
「十八。……というかそれぐらい普通は、……や、何でもない」
ロトは口籠り、煩わしそうにレカルドから距離を取った。
フィリナと同じ年頃だとは思っていたが、その通りだったらしい。
六つも離れているのか、とチリルはちょっぴり肩を落とした。
子供にとっての六年は途方もなく長い歳月のように感じられる。
「それなら六つか……。まぁ、なくはないな。なくはないぞ。というか全然ありだ」
がはは、と笑うレカルドにチリルは首を傾げていると、黙って会話を聞いていたレガートが難しい表情をして口を挟んだ。
「チリルを身元の不確かな男に嫁がせる気はありませんよ」
ぎょっとしたチリルは混乱を極めて固まった。
嫁ぐだなんて、まだずっと先の話だ。
だが中央国の法律では、あと三年もすればチリルも成人となり、結婚もできる。
「ちびのことより、大事な従妹の心配をしたらどうだ?」
悪い笑みを浮かべるレカルドに、レガートが絶句してしまった。
フィリナがレイズの毒牙に掛かっていないかチリルでさえ憂いているのだから、レガートはもっと胸を傷めているだろう。
チリルはそろりとレカルドの背中から下りて、レガートの横へと並んだ。
「旦那さま、私じゃあまり力になれないと思いますが、一緒にリナさまを捜しましょう」
レガートが、ふっと強張りを解き、苦笑いしながらチリルの頭を撫でた。
「チリルに慰められるとは、私もまだまだ子供だな」
和やかな空気の二人の傍で、エヴィルが誰にも聞こえないほどかすかな声で、「子供って年じゃないだろう」と密かにつぶやいたのだった。
◆◇◆◇◆◇
一足先に次の街へと辿り着いたフィリナは、甘い香りの漂うその景観に見入っていた。
見渡す限り、花の海。
鮮やかな赤や黄の花の中に、ぽつぽつと屋根が頭を出している。
進もうとして、道にシロツメグサが絨毯のように広がっていることに気づき、フィリナはレイズに靴を交換して貰った。
黄色い靴で一歩踏み出すと、妖精にでもなった気分だ。
「この街の花は生花として都に出荷されるけど、染色にも用いられているんだ。その、リナお気に入りの黄色靴も、ここの花で染められたものだね」
フィリナは靴をじっくりと見下ろしていると、レイズが道端に咲いていた赤い花を摘んできた。
種でも飛んできたのか、その花だけが寂しくシロツメグサの中に紛れていたのだ
顔を上げたフィリナの髪に、レイズは花をすっと差し込んだ。
小首を傾げて花に触れると、彼は指の節を口元に当てて苦笑した。
「ちょっとした独占欲」
「この花が?」
「そう。王都でいう、アクセサリーみたいなものだね」
男性が女性に贈るアクセサリーは、この人は自分のものだという意味が隠されているのだと、女中たちから聞いたことがある。
しかし全てがそうというわけではないはずだ。
誕生日にレガートから贈られた、ペンダントのように。
それは無くしてしまわないように、引き出しの中へと大切にしまってある。
その隣には、チリルへの誕生日の贈り物が並べて入れられているのだが、渡す機会があるか今の状況では何とも言えない。
市街地の方へと足を進めていくと、花束や乾燥させた花びらの袋詰めが売られているのを多く見かけた。
乾燥させると、香りが弱くなるらしい。
「何だか、レガート兄さまが喜びそうな街ね……」
従兄の名前が自然と唇から滑り出て、フィリナは心を締めつけられた。
会いたいのに、どんな顔をして会えばいいのかわからない。
絵を描くレガートが、フィリナは一番彼らしくて好きだった。
最近は忙しそうで、百日紅の木が花をほころばせても、筆を取ることはなかった。
「……君はレガート兄さまが、好きなんだ?」
従兄としてではなく、男として。
レイズの問いに、フィリナは目を伏せ正直に、わからないと告げた。
レイズは、ふうんとだけ相槌を打ち、繋いだ手を離すことなく東へと黙って歩き続けた。
「この町で待ってなくていいの?」
レイズは足を止めると、にこりと笑った。
不思議と怒っているような目で、フィリナを見下ろして言う。
「わざわざ待ってたらすぐに追っ手に捕まってしまうよ?東国へと渡ってから合流しても、別にいいんだ。元々あの国に用があるのは僕と――――君だけなんだしね」
「……私、も?」
「本当に、道中の暇潰しだけのために、連れて来られたと思ってる?」
「それは……」
置いていかなかった時点で、何かあるのかもとは思っていたが。
しかし東国にどのような用件があり連れて行かれるのか、皆目見当もつかない。
死刑制度のない東国に行ったところでフィリナが役に立つどころか、存在自体を否定されるのではないか。
入国を拒否もありえる話だ。
「誰が私に……?」
「それはまだ教えない。君が逃げないとも限らないし」
「逃げたら、どうするの?」
真意を探るように目を見て尋ねた。
レイズは微笑んでいたが、握る手の力を強くした。
少し、痛いくらいに。
「捕まえる。……痛いのは嫌なんだろう?大人しく一緒に来ないと、また眠らせるよ?」
「レイズは、暴力とか振るわないのね」
彼が浮かべたのは酷薄な笑みではあったが、美しかった。そして、哀しそうでもあった。
「……。いつかは、傷つけるかもしれないよ。今は、必要がないだけで……」
「あなたに殴られても平気そうだわ。エヴィル兄さまやルゥナ姉さまの方が痛いと思う」
レイズに格闘は逆立ちしても無理だ。
その代わり、言葉と仕草で人を惑わす。痛むのはきっと、体ではなく心。
「否定はできないかな。君が殴った方が強そうだ」
「私は誰も殴ったりしないわ。そうじゃなきゃ、あなたたちに連れ去られそうになったとき、戦ってでも逃げたはずよ」
レイズが可笑しそうにそれもそうか、と笑った。
繋ぐ手が、優しくなる。
◇
名残惜しくも花に溢れた街を通過した。
それでもしばらくは道の風景が彩られ、淡い香りも風で運ばれてきた。
「ねぇ、東国へは後どれくらい?」
「歩きだと、まだもう少し掛かるかな。狭い国とはいえ、ね。……もしかして、疲れた?」
フィリナは無言でうなづいた。
朝から歩き通しで、足は棒になっているし、空腹だ。
「休ませて貰えるか、民家に一つずつ当たってみるか……。まだ歩ける?背負おうか?」
歩ける、と言い張ったが、レイズはにっこりとしてフィリナを背負った。
そして時折、道を逸れては食べられそうな木の実や葉を集めていく。
蔓植物の葉をもぎ、縄状にすると、編み上げ靴を括りつけた。フィリナはそれを肩からかけると、レイズの肩に両手を戻した。
荷物はなく、二人はまるで近場に散歩しているかのような軽装だ。
大振りの果実を二人で半分こしながら、泊めてくれそうな民家を探す。
いつもは食べさせて貰うフィリナだが、レイズの手が塞がっているので、今回は逆に食べさせていた。
皮を剥いた肉厚な白い果実を、レイズの口に持っていく。
彼が口をつけると、フィリナの胸がどくりと脈打った。
「……何か、心臓の音がすごい早いね。僕のこと、意識してる?」
からかうレイズに、フィリナはそっけなく、別にと返した。
心を覗かれたくはない。想いを、晒すことなど……。
彼はフィリナを救ってくれる騎士ではない。もっともフィリナも、姫ではないが。
「……レイズは、好きな人とかいる?」
一拍置いてから、レイズは苦く笑んで言った。
「昔は、いたかもね」
「……初恋?」
「さぁ、どうかな。それに、たぶん君がびっくりするぐらい女の子と付き合ってきたよ」
「……」
「嘘、って言わないんだ?」
ちらっと振り向いたレイズに、フィリナは真顔で、
「どうせ嘘じゃないもの」
「……どうやら君の中で僕は女たらしの称号がついてるようだね。――――だったら君はどうだ?初恋は、レガート兄さま?」
「違うわ。初恋は……」
そこでフィリナは言い淀んだ。
一瞬の淡い感情は、おそらく初恋であった。
名前も知らない、顔も朧気。
覚えているのは言葉と、あの透明な涙。
彼はフィリナに好意を持たれていたなんて、知りたくないはずだ。絶対に。
こんな、呪われた血の、人殺しなんかに……。
だから――――、
「言わない。言いたくない」
「そう言われると逆に、気になるな……いくつのとき?」
「言わないって言ったわ」
「頑なだね。……それほど、大事な人?」
どうだろうか。
フィリナは遠くを見つめた。
白い雲が、何も気負わず流れていく。
風に身を任せ、緩やかに。
初めて本気で執行人という仕事をなじった。
ルゥナにぶたれて、レガートに哀しい表情をさせた。
嫌だ、と言えるきっかけを作った人。
大切な、生きる糧を、くれた人。
「……そうね。私がもし殺されるとしたら、その人がいい。その人になら、殺されてもいいわ。……きっと、私を恨んでいるから」
「本当に殺しに来たら、……それを甘んじて受け入れる?」
「……その人が、一族から報復を受けるのは、嫌……。できることなら、私は――――。いえ、何でもないわ。あなた、人をしゃべらすのが上手いのね」
皮肉と感心が、半分ずつ。
レイズは、ふっと笑った気がした。
「――――家を見つけた。ようやく休めるかもね」
レイズも疲れていたのだろう、その声はとても安堵に満ちていた。
◆◇◆◇◆◇
花が至るところに咲き乱れる街で、男二人が宿を取ることに決めた。
レガートは、フィリナと合流しないことにやきもきさせられている。
しかし彼らが罪人の仲間であることは確信していた。レガートも、エヴィルも。
彼らが囮になる可能性も捨てきれないが、結局同じ宿を取った。
今は、子供をどちらが引き取るかで揉めていて、エヴィルはうんざりとしながら、その場を抜け出した。
宿の外で、土にめり込んだ石造りの台座に目を止めて、そこへと腰を下ろした。
三つ葉をひたすら食んでいる馬たちを視界の片隅に、片膝を抱えて、茜雲を仰ぐ。
こうしてフィリナを捜すのは二度目だ。
一度目は、レガートが発見して連れ帰って来た。
何でも、海をながめて呆けていたとか。
エヴィルは、ほとほとフィリナに愛想を尽かした。
もっとも、情などなかったが。
それでも一応捜しはした。
一族の誰もが、ルゥナにぶたれて家出したと思っていたからだ。
フィリナが真剣に家を出たと、誰も思っていなかった。
だから、森や都の一部という子供の行動範囲しか捜索していなかった。
それさえも、フィリナが夜間遊び歩いていた範囲よりも遥かに狭かったのだ。
エヴィルは仕方なくレガートに、フィリナはもっと遠くに行っていると伝えた。
理由を尋ねられたが、勘と答えた。
すぐに信じたレガートに、呆れもした。
本当は勘などではない。エヴィルは何もかも、知っていたのだ。
前日に、ある罪人の死刑が執行された。
執行人は一族の内でも、さほど名の知られていない末端の者だった。
罪状は強盗殺人。
罪人はくたびれた中年の男だった。
子供を食わすために入った家の人間と鉢合わせして死なせてしまったという。
それは後にエヴィルが調べたことであり、当時はただの小汚ないおっさんという認識だった。
その男が地下牢に収監されたことが、事の始まりだった。
フィリナは昔から牢に出入りしていた。
罪人と必要以上に親しくしていたのなら、もっと早くに殴り飛ばしていたが、いつも同じ質問をするだけだったので放置していた。
――――何か、言いたいことはある?
何と返して欲しいのか今でもわからないし、興味もない。
罪人が喚こうが、すすり泣こうが、怒鳴られたとしても、一切の同情を持ち帰って来なかった。
だからエヴィルは誰にも告げ口せず、見て見ぬふりをしていた。
だからまさか、罪人の子供をこっそりと牢に入れるなんて、思いもよらなかったのだ。
見つけたときの怒りは凄まじかった。初めてフィリナに手を上げた。
わんわん泣くフィリナを引き摺って帰った。
エヴィルはルゥナと違い、説教するほど優しくないので、部屋に放り込んで終りだ。
たぶんフィリナは覚えていないだろう。
よせばいいのに懲りもせず、その子供と会っていた。
夜の、森で。
友達が欲しいなら別の場所で探せばいい。
わざわざ罪人の子供を選ぶなんて愚かしいにもほどがある。
真性の馬鹿だ。
そしてエヴィルが危惧した通りのことになった。
男の死刑が執行されたその晩、フィリナは黒血城を出ていった。
もう帰って来ないと思った。
フィリナは執行人に向いていない。
どこかで野垂れ死んでいてくれればよかったのだ。
なのにエヴィルはまた、フィリナを捜している。
そんな姿を、いつの間にか夜空にぽっかりと浮かんだ月が、嘲笑うかのように煌めいていた。
フィリナを愛してはいない。そして、嫌ってもいない。
ただ、そう――――。
「……哀れんでいる、か」
たった一人の、末妹を。
エヴィルは目を閉じて耳を澄ませた。
どうやら揉め事は、終結したようだ。




