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執行人の逃亡  作者: 名紗すいか
前編
16/40

十五


 フィリナは椅子に座ったまま、自分の足に履かれた黄色い靴を、身を乗り出して見下ろしていた。

 青と緑の蝶が、仲良く舞っている。

 レイズがフィリナのために買ってくれた靴。心も足も温かだ。


 しかし片隅に置かれた黒い編み上げ靴は、そんなフィリナを責めるように、壁へともたれて怨めしそうに睨みつけている。――――死刑執行人のくせに、と。


 普通の娘の振りをしたところで、おまえは人殺しだと編み上げ靴が囁いた。


 塞ぎ込んでいると、後方で扉が開き、雷鳴の轟きがフィリナの背を打ちつけた。

 驚きに振り返ると、雨で髪が濡れそぼった男が二人、フィリナを見て動きを止めた。

 彼らは霊にでも出会ったかのように、瞠目をする。


 それもそのはず。廃墟に少女が一人、佇んでいるのだ。

 霊と見間違えて当然だった。


 見知らぬ男たちの背後からレイズが濡れながら入って来て、彼らと二言三言、言葉を交わした。

 それから髪を控えめに振り、フィリナを椅子から立たせると編み上げ靴を片手に二階へと上がった。


「彼らには一階を譲ったよ」


 着いた二階も、主を失い朽ちかけていた。

 雨漏りのなさそうな部屋へと入り込み、何も物が置かれていない床へと、フィリナは静かに座る。


 レイズは床に布を敷き広げ、外で入手してきた食料を、外套の懐から取り出した。

 小麦パンといくらかの果実、それと瓶入りの牛乳を置き、フィリナはまじまじと彼を見つめた。


「お金は?」


 レイズは外套を脱ぎながら苦笑し、フィリナの隣りへと腰を下ろした。


「盗んできたと思ってる?手持ちの薬草と物々交換してきたんだよ。今日の売り上げはレカルドが持ってるし、所持金はリナの靴になったしね」


「……ごめんなさい」


「そこは、ありがとうだろう?――――ほら」


 顔を彼の両手に捕えられたフィリナは、やや頬を染めながら、ありがとうと言った。

 レイズは満足そうに手を離すと、パンの一つをフィリナへと手渡した。


「雨、止みそうにないから、合流は明日以降になりそうだ」


「場所は決めてあるの?」


 フィリナはパンに小さく噛みつき、レイズは平然と首を左右に振る。

 もぐもぐと噛んで、きっちり飲み込んでから、どうするのかを尋ねた。

 都ほどは広くない街とはいえ、レイチェル叔母たちの彷徨く隙をついて、彼らと再会しなくてはならない。

 果たしてそんなことが、可能なのか。

 フィリナの憂慮はレイズの美しい微笑みで、さらに深まった。


 そのとき外で轟音がして、フィリナは思わず肩を揺らした。

 近くで雷が落ちたようだ。


 それら全てが、レイチェルのもたらした災いだと、フィリナは思った。


 ほの暗い窓の向こうで地面を殴りつける豪雨に、フィリナは離れ離れとなった人たちの身を案じた。




◆◇◆◇◆◇



 一方、チリル、ロト、レカルドの三名は雨の直撃によってずぶ濡れで、情けないことになっていた。

 雨宿りをしながら、レカルドがどこかから持ってきた毛布を羽織り、くしゅんとくしゃみを一つ。


「風邪引くなよー」


 ロトが勝手に暖炉へと木屑を放り込みながらチリルに向かって言った。

 彼は火をつけようと試みるが、外で拾ってきた木はすでに雨で湿っており、沈黙を続けている。

 見かねたレカルドが恐ろしいことに、長椅子の一つを破壊して、暖炉へと投げ入れた。


「な、な何てことを!罰当たりなっ!」


「おー!よく燃える」


 長椅子だったものはあっという間に炎に包まれ、勢いよく炭化していった。


 何て勝手な、と憤慨しているチリルの目の前で、今度はロトが服を脱ぎ始めて、慌てて叫んだ。


「ちょっと!何してるんですか!」


 上半身裸になったロトは、その服を暖炉の側へと放った。

 それは、びちゃり、と切ない音を立てて床に張りついた。


「濡れたままじゃ気持ち悪いじゃん。恥ずかしがってねーでちびっ子も脱げよ」


 真っ赤になったチリルは、断固として拒否した。

 反抗心で、濡れた服を着たまま暖炉にあたる。


 パチパチと爆ぜながら、木はよく燃えている。橙色の炎がチリルを染めていく。

 そして背後では衣擦れの音。

 レカルドも脱いでいるらしい。


 チリルは、二度と振り向かないことを心に誓った。


 暖炉の正面は温かくはあるが、服から立ち上る湯気で、気持ちが悪い。

 せめて新しい服でもあればいいのに、とは口にも出来ず、膝頭に顔を埋めた。


「何だちび、拗ねたのか?――――おい、ロト。俺の娘を苛めるなよな」


「娘じゃなーい!」


 チリルは言い慣れてしまった言葉を吐き、そして毎度の如くレカルドに大笑いされる。


 く、不甲斐ない、とチリルは恨みがましくつぶやいた。


「じゃあ調達行ってくる。――――ちびっ子、きちんと親父の言うこと聞いてろよ?」


「親父ちがうっ!」


 またからかわれ、チリルはぷんすかと唇を結った。


 ロトが出ていってしまうとレカルドど二人きりだ。少々、気まずい。


「おい、ちび」


 呼ばれてびくりと肩が跳ねた。


「少しだけ、真面目な話をしよう」


「真面目な話、ですか?」


 背後からそうだとうなづく気配がした。

 真面目なんて、レカルドと対極すぎて結びつかない。

 チリルは曖昧にだが、了承した。


「カメリアの家に奉公にきて、どれぐらいなんだ?」


「えぇと、もうすぐ二年です」


 チリルは背後を決して振り返らず、考えるように斜め上を見つめて言った。


「そうか。――――例えば、カメリアの血を引く父親と普通の母親の間に出来た子供は、カメリア一族になるんだよな?」


「はい。リナさまがそうです。ただ、一族長にはなれないみたいですけど」


「逆でもか?母親がカメリア一族で、父親が違ってもいいのか?」


「はい、そうですよ。血が薄まっていくので、権力とかは持てません。だけど、執行人です」


 ふむ、とレカルドが何やら考え始めた。


 質問の意味をチリルがわかるはずもなく、次の言葉が来るのを黙って待つ。


「――――ちび。例え話だから怒るんじゃないぞ」


 その前置きに、首を傾げつつ、チリルはうなづいた。


「例えばだ、フィリナとレイズに子供ができたら、そいつは執行人になるんだろうか?」


 何をっ、と怒鳴りかけて、例え話であることを思い出し、しばし考えてから自信なく答えた。


「たぶん、そうなると……思いますけど……?」


「レイズが罪人でもか?」


「うっ、そこまではちょっと……わかりません」


 チリルが肩を落とすと、レカルドは気にするなと労いの言葉を掛け、再び考え込んだ。


 いくらかして、ぽつりと「……そういうことか」と、ひどく難しい声でつぶやいた。


 チリルには何が何だかわからない。

 もっと大人になれば、他人の機微がわかるようになるのだろうか。

 そんなことを思っていると、雨に打たれながらロトが帰ってきた。

 てっきり上半身裸で街を歩き、変態扱いされたと思っていたが、きちんと外套を着ていったらしい。


 ロトは外套の内側から、パンの入った袋を取りだしレカルドへと放る。

 二本の牛乳瓶を床へと置き、それからチリルへと布を投げた。


 頭に被さった布で視界を奪われたチリルは、ぶつぶつ抗議しながらそれを取り払った。


「何なんですか、もうっ……?」


 布の塊を広げると、それは一枚のワンピースだった。

 この街特有の布地で、白い襟に小さく花の刺繍がしてある。

 しかも大きさからして、子供服ではなく婦人服だ。

 浅葱色のそれを、チリルはまじまじとながめた。


「濡れた服着っぱなしじゃ、風邪引くだろ?さっさと着替えて飯にするぞー」


「えっ、あ、はい。……ありがとうございます」


 チリルは赤くなった顔は暖炉の炎のせいにして、毛布に埋もれていそいそと服を着替えた。


「俺の娘をたぶらかす気だな?」


「はぁ〜?風邪引かれたら困るからだって」


「でもあれ、おまえの趣味で選んだだろう」


 毛布の中にいるチリルには二人の表情は見えないが、ロトがやたらと焦って否定するのは聞こえていた。


 こういうのが好きなのかと、着替え終えた服を摘まみ見る。

 華やかさには欠けるが、刺繍が可愛い。


 そしてチリルはご機嫌な笑顔で毛布から飛び出した。


「どうですか?似合いますか?」


 人から新品の服を貰うなんて初めてのチリルは、顔をほころばせて二人の前へと立つ。

 毛布を羽織る彼らは、チリルをしげしげとながめた。


「うむ。さすが俺の娘だ。数年後が楽しみだな」


 今回だけはレカルドの娘発言を大目に見ることにして、褒められたことだけを大事に受け取っておいた。


「その髪型が子供っぽいんじゃないか?」


 ロトがそう言って腕を伸ばし、チリルの一つに結ばれた髪からリボンを、シュルリとほどいてしまった。

 はらっと耳を隠すように髪が下りてきて、顔を近づけていたロトが、おっと目を丸くする。


「十二歳に見えるようになった」


 それは褒め言葉なのかとチリルが悩んでいると、外に繋がる唯一の扉が開かれた。――――教会の、扉が。




 チリルは大きく目を見開いて、雨音とともに入って来た、レガートとエヴィルを茫然と見つめた。





            ♦︎





 レガートは滴を払い、協会の中へと踏み込むと、先客がいることに気がついた。


 熊のような大男が胡座で座り、裸の上半身には毛布を掛けていた。


 その横では、若い男が毛布被り、赤毛の少女と向き合っている。


 少女はレガートを目に止めると、驚愕をその顔へと浮かべ、硬直したまま、掠れた声を絞り出した。


「だ、……旦那、さま……?」


 教会の内部に、その慣れ親しんだ声が響いた。


 レガートは、まさか、と数歩進み出た。


「チ、チリルか……?なせ、ここに……。一体、何が……?」


 チリルは連れの男たちを躊躇いがちに見遣り、申し訳なさそうに顔を俯けた。

 エヴィルは興味がないのか、さっさと長椅子へと掛けてしまう。

 事態を把握しきれず、レガートはチリルの傍に寄り、肩をしっかりと掴んだ。


「チリル。黙っていては、わからない。怒らないから、話してみなさい」


「……リナさまを、捜して……」


 信じられない言葉に、レガートは俯くチリルの顔を思わず覗き込んだ。


 こんなに幼い子が、黒血城から歩いて来たというのか。

 確かにチリルはフィリナを慕い、よく後をついて回っていた。

 だが、それとこれとでは話がまるで違う。


 フィリナは連れ拐われたのだ。宛もなく、この場所へと行き着くはずがなかった。


 気まずそうにしている男たちを見据え、レガートは厳しく問いつめる。


「あなた方は?」


 何かを察したのか、チリルの肩が、びくりと揺れた。そして早口に捲し立てるように叫ぶ。


「この人たちは、偶然に会った人たちです!それで、ここまで一緒に旅をしていただけなんです!」


 必死に庇い立てるチリルからは、何かを隠そうとしていることが、痛いほどよくわかった。

 新しい服を着せて貰い、可愛がられていたのだろう。

 後先考えずに城を飛び出すチリルのことだ。

 フィリナがどこにいるかわからない状態でレガートに会ったのならば、真っ先にこう聞くはずなのだ。


 ――――リナさまは見つかりましたか!?


 レガートは、チリルを男たちから引き離し、威厳を込めて問い質した。


「――――フィリナはどこにいる」


 口を開いたのは大男だった。


「何の話だ?」


 あまりにも自然に首を傾げてみせるので、レガートは一瞬、惑わされた。


「俺たちはそこのちびと一緒にここまで来たが、見ての通り三人だ」


 大男の言う通り、他の人間の気配はない。


「チリル、本当のことを言うんだ」


 怯えた様子のチリルに、レガートは後ろ暗いことをしている自覚はあった。しかし、フィリナの居場所を知るためにはやむおえない。


「チリル」


 鋭く名前を呼ぶと、黙っていた若い男が髪をくしゃりと掴みながら近づいてきた。

 そしてチリルの傍らに立つと、レガートを睨みつけて口を挟んだ。


「雇い主だか何だか知らねーけど、子供を苛めるなよ。――――おい、ちびっ子、おまえこっちに来い」


 若い男は兄のように、戸惑うチリルの手を引いて、大男の広い背中へと彼女を隠してしまった。

 さらに若い男までもが大男の陰へと入る。

 盾となった大男は胡座のまま慇懃な礼をして、レガートの意表を突いた。


「申し遅れたが、俺はレカルド。こっちの若いのがロトだ。ちびとはここ数日の仲だが、娘のように思っている。どうせそっちも雨宿りしていくんだろ?それまでの間、休戦といこうじゃないか」


「……フィリナを連れ去ったことを、認めるんですね?」


 レカルドは、にやっと笑ってからやはり、「いいや」と否定する。

 埒が明かない。


 レガートはエヴィルへと目を遣ると、彼は外套を長椅子の背もたれに掛け、片隅に置かれた古ぼけたピアノを静かに見つめていた。

 エヴィルの世界には、そのピアノしか存在していないようだ。


「――――エヴィル」


 呼び掛けると、エヴィルの瞳にレガートが映った。それから、レカルドも。


「罪人の逃亡幇助に略取誘拐、他にいくつか軽犯罪が加わったとしても死刑ではない。俺が追ってるのは牢から逃げた罪人と、裏切り者のあいつだけだ。後は知らん」


「まだリナが裏切ったと決まっていないはずだ」


 エヴィルは冷めた眼差しをレガートに突きつけて、レカルドの後方へと声を投げた。


「そこの子供。あいつは自分の意思で、逃げているな?」


 姿が見えなくとも、チリルがカタカタ震えているのが伝わってきた。


「そ……んな、リ、リナさまが、逃げる、だ……なんて……」


「いいか。真実を話せないような口なら俺が縫いつけてやる。――――もう一度訊く。フィリナは自分で逃げることを選んだな?」


 あまりの恐怖にか、チリルの押し殺した泣き声が聞こえてきた。

 そんな状態でも彼女は、フィリナがそんなことをするはずないと、嗚咽混じりに訴える。


 チリルは頑として譲らなかった。


 そんな彼女をロトが腕の中に収めて守り、さらにレカルドが岩のように立ちはだかって、レガートを牽制する。

 彼らがチリルによくしてくれていることには感謝しているが、情報を一切もらさない口の固さが忌々しくもある。

 レガートはいつもの穏やかな声音で、チリルへと語り掛けた。


「すまない、チリル。君がリナを心配するように私もリナが心配なんだ。元気であるなら、そうであることを知りたい。チリルの旅の話を聞かせてくれないかな?」


 チリルは赤くなった目を手の甲で擦り、ロトの服を握り締めながら、おずおずと顔を覗かせた。


「旦那さまは、リナさまの……味方、ですか?」


 途切れ途切れの拙い言葉に、レガートは横から殴りつけられた。――――フィリナの味方か?


 フィリナのことを一番に考えてきたのがレガートだ。

 フィリナが逃げたいというのなら、きっと手を貸すだろう。

 帰るというのなら、おかえりと言って迎え入れる。


 だが、フィリナが罪人の手を取り逃げると言ったのなら、どうするだろうか。


 罪人を逃がすために帰ってきたのなら、笑顔で受け入れられるだろうか。



「――――もちろん、味方だよ」




 いつからだろうか。

 平気で嘘をつく大人になったのは。



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