十四
白の死刑執行人、悪夢の死刑執行人のように、異名を持つその現役者は、華やかな容姿と偏った性格から、狂花の死刑執行人と呼ばれている。
だが一族内では密かに、狂花ではなく、凶禍と揶揄されていた。
不吉と災いを周囲にもたらすほどの星回りに生まれながら、本人にその自覚は米粒ほどもない図太さを持つ――――レイチェル・カメリア。
四十代とは思えぬ美貌は、衰え知らずだ。
レイチェルは五人の配下を引き連れ、罪人を追う。
その中に息子のフランがいないのは、彼が城主代理という重要な役職についているからである。
レガート直々の指名なので、口を挟む者はおらず、そのことについては概ね満足のレイチェルは、己の勘に従い機嫌よく馬を走らせて来た。
罪人の人相書きを、あっという間に紙吹雪にし、とりあえずフィリナを捜してある街へと辿り着いた。
フィリナが死んでいると真っ先に言ったのにと、思っていても、配下たちはそれを口にはしない。口を出してよかったことなど、一度もないからだ。
色鮮やかな、東方の街。
その通りを、馬に乗ったままレイチェルは練り歩く。
道の両端を露店が固め、幅が狭く、悠々と馬に跨がる彼女は、周囲を行き交う人々にあからさまに迷惑がられていた。
もちろんそんなことを、レイチェルが察するはずもなく、一言。「品のない街ね」と一刀両断した。
しばらくその長い露店市場に賑わう人々を見下ろし、「何が楽しいのかしら?」と不思議そうに首を傾げる。
都ならば、もっと良質な品が手に入るというのに。
ぽくぽく進んでいると、馬の鼻先を小柄な少女が走り抜けて行った。
ひょこひょこと揺れる赤毛には、見覚えがある気がして、レイチェルはぴたりと馬を止めた。
しかしどこで見掛けたのか。さっぱり心当りがない。
すると、人を掻き分け走って来た青年が、少女の腕を掴み、何やら謝罪しているようだった。
こんな公衆の面前で痴話喧嘩か、とレイチェルは呆れまじりに首を振る。
「ああ、嫌だわ。あんな品のない子供、知っているはずがないのに」
レイチェルは馬を行かせて通り過ぎた。
配下たちが、赤毛の少女にちらちらと目を遣り、しきりに首を捻っている。
レイチェルは先頭を行くので、彼らの疑問には気づかないままだ。
レイチェルが捜しているのは赤毛の少女ではなく、金髪の姪だ。
厳密に言えば姪ではないが、その辺りは適当なカメリア一族。
金髪に緑翠の瞳、それと、可愛いげのない顔。
背丈はレイチェルと同等で、白い服に、黒い靴を履いている。
今年十九になるフィリナ・カメリアを見つなくては。
いけ好かない姪ではあるが、罪人に嬲られていたら、可哀想だと同情くらいはする、心優しい叔母なのだから。
もしも孕まされていたら、その子供はあたくしがきっちり教育して、立派な死刑執行人にしてみせるわ、とレイチェルは心の声を駄々漏れにさせていた。
ぎょっとしていたのは配下たちだけで、道行く人々はそんな独り言など聞いてなどいない。
ちょうど靴を売る露店の前で、しゃがむ金髪の少女が見え、レイチェルは馬の歩みを止めた。
少女はこちらに背を向け、黄色い布地に青と緑で蝶の刺繍がなされた靴を一心に見つめている。
後ろ姿はフィリナに似ているが……。
「あたくしの姪が、布の靴を欲しがるかしら?」
靴と言えば革だ。フィリナは革の靴しか履いたことがない。
それに、色つきの服を着用している。
つまり、フィリナではない。
よく見てみると、横には連れの青年がいるではないか。
彼は少女が熱心に視線を送っていた靴を手に取り、あれこれ話しかけている。
その青年の顔は、全く知らないものだった。
違うわ、とつぶやき、レイチェルは馬を進めた。
異を挟む配下たちの声など、いつものように耳に入りはしなかった。
♦︎
フィリナの背後を馬が過ぎ、冷や汗を背に流したまま、硬直していた体を弛緩させた。
叔母の独白が聞こえてきたときは、心臓か止まりかけたほどだ。
そして一人納得し、レイチェルは去って行ったが、配下たちがわあわあと言っていたので、気づかれたかもしれない。
こんなところでレイチェルと邂逅するとは。
何も考えず自由に進んで、フィリナと擦れ違う運を持っているのに、生かせきれてない辺りが叔母の叔母たる所以だった。
彼女に見つかる前に、移動しなければいけない。
悠長に、露店を回る時間はもうないだろう。
少しだけ未練を胸に残し、フィリナはレイズの袖を引いた。
「レイズ、逃げないと」
黄色い靴を手にしたまま、レイズは顔をほころばせた。
フィリナが自ら、彼らを選んだからだ。
共に、東へと逃げると。
店主に靴の代金を支払い、レイズは購入したそれを揃えてフィリナに手渡した。
しかし受け取ったはいいものの、靴をもて余すフィリナの姿に、レイズはふっと笑んだ。
立ち上がるよう言い、従ったフィリナの右足へと手を掛ける。咄嗟に引っ込めようとしたその足から、編み上げ靴をするり抜き取った。
そしてフィリナの抱えていた黄色い靴の一足を、壊れ物でも扱うように恭しく履かせたのだ。
これまでずっと、フィリナを縛り続けていたルゥナの編み上げ靴が、容易く脱がされた。
促されるままに、フィリナは左足も黄色い靴に履き替えた。
両足で地面に立つと、羽が生えたと錯覚するほど軽く感じる。
どこまでも、どこまでも走って行けそうだった。
初めての、自由。
与えてくれたのは――――。
顔がくしゃりと泣き笑いのようになった。
レイズが編み上げ靴を片手でまとめて持つと、フィリナの手を引き駆け出した。
この手と一緒に、どこまで走れるのだろうか。
フィリナは離れてしまわないように、強く握り返した。
◆◇◆◇◆◇
「勝手にフラフラして、迷子になったらどうすんだ」
チリルは、こんなときばかり保護者面するロトを、半眼で見据えた。
乙女の胸を、何の感慨もなく触ったこの男を、許すわけにはいかない。
「子供扱いしないで下さいっ!」
ふいっと横を向くと、ロトが面倒そうに髪をくしゃりとしてから、ため息を落とした。
「はいはい。お姫様、参りますよ」
あまりに投げやりな言い方に、チリルはさらにむっとして、唇を尖らせた。
それが子供扱い以外の、何だというのか。
「……あのさ、女として見られたいならそうしてもいいけど、その場合困るのは自分の方だからな?」
「うぅ、確かに……」
この年で、貞操の危機は迎えるわけにはいかない。
「あの、ちびっ子でいいです」
素直なよい子になると、頭をぽんぽんと撫でられた。
不思議とチリルの胸につっかえていたしこりが、じんわりと温まりほどけていった。
その表情にロトが安心したのか、にっと笑う。
「わかればよろしい」
そのまま二人は手を繋いで、兄と妹のように歩いた。
ロトの背は高く、チリルは自分がさらに小さくなったように感じる。
その横顔を見上げながら、爪先立ちで歩いてみた。顔が、ほんの少しだけ近づいた。――――目が、合った。
急に、ぼっと顔が熱くなり、ロトが怪訝そうに覗き込んだ。
「どうしたちびっ子。熱でもあるのか?」
繋いでいない側の手のひらが、チリルの額へと押し当てられた。
「ひゃう!」
変な声が出て、ひんやりとした心地よい手の感触に、ますます動揺が深まった。
「だ、だだ大丈夫です!ちょっ、ちょっと暑いだけですので!」
「……そうか?」
ロトが屈めていた腰を伸ばしている間に、チリルは深呼吸をした。
この動悸が何なのかわからぬまま、一人露店で店番をするレカルドが見えてきた。
まだ完売はしていないのに、彼はあらかた荷造りを終えて、撤収作業を始めている。
戻ってきたチリルたちをちらりと見遣ると、端的に告げた。
「追手が来たらしいぞ。レイズたちは先に逃げた。後を追うぞ」
ロトがはっとして、慌てて作業を手伝いだした。
「追手、というのは……?」
チリルがまず思い浮かべたのは、レガートとエヴィルだった。
レガートならば、話せばきっとわかってくれる。
だが、
「女の追手だ。叔母か何かだったな」
チリルは大きく目を見開き、息を飲んだ。
レイチェルが、この街にいる。
それだけで、不吉な前兆のようなものが、すぐ足元に迫っている気がした。
それを裏づけるかのように、灰色の雲がとぐろを巻き、うねり、街に雷鳴を轟かせた。
♦︎♢♦︎♢♦︎♢
ざぁーーっ、と激しく降り始めた雨で、露店はいずれも店じまいとなった。
通りは閑散として、雨だけが虚しく地面を弾いている。
一足遅かったか、とレガートはフードの下で顔をしかめた。
叔母の配下から飛ばされた伝書烏が、正確にレガートたちのもとへと訪れてから、すでに数刻が経過いる。
強い雨に阻まれて、フィリナを追えなくなっていた。
「向こうは足だ。そう遠くへは行ってない」
雨の音に掻き消されながらも、エヴィルの声は何とかレガートへと届いた。
「そうだが、とりあえずどこかで休んだ方がいいな。馬も疲れ始めている」
降りつける雨空の中、ぬかるみを走らせるのは危険だ。
エヴィルは沈黙し、程なく、仕方ないとうなづいた。
レガートはこの雨を凌げそうな場所を探して移動したが、宿やしばらく留まれそうな店などはどこも一杯だった。
馬が首を振って、鬣から水滴とは呼べない量の水を飛ばした。
このままでは馬も、レガートたちも風邪を引きかねない。
死神が風邪か、とレガートはほんの少しだけ苦笑した。
いくらか歩いた先の街のはずれで、小さな教会に目を止めた。
都合よく、馬が休めそうな小屋まである。
そこへ馬を繋ぎ、エヴィルと教会の軒先に一時避難をした。
建物自体は古そうだが、辺りの草はきちんと抜かれていて、手入れする人がいることが窺えた。
フードを下ろし、ぐっしょり濡れた外套を脱ぎ、固く絞る。次々に溢れ滴る水が、足元に水溜まりを作った。
分厚い雲が覆う空には時折、稲光が走り抜ける。
収まる気配は、皆無であった。
レガート同様、エヴィルも、外套を絞りながら険しい顔つきで空を見据えていた。
「雨が上がるまで中で休ませて貰おう。もしかしたらここで夜を明かすことになるかもしれないな」
そう言って、レガートは教会の扉を押し開いた。
思いがけない人物と再会するとは、露ほども知らず。




