十三
祭りのような陽気な喧噪に、フィリナは眉を寄せてからゆっくりと目を開けた。
太陽の光を透かす山吹色の布が、視界の先に広がっている。四隅が細い支柱に括られ、中央がたゆんとしていた。
天幕めいた布をながめながら、ここはどこだろうとぼんやりと思考していると、レイズが顔を覗き込んできた。
「起きた?気分はどう?」
「大丈夫……」
そう答えたものの、何か大事なことを忘れている気がする。フィリナは鈍く重い頭を働かせて、はたと気づいた。とても、重要なことを。
「何で、いるの?」
置いていってフィリナが願い、レイズがそれを受け入れたはずなのに。
フィリナは薄縁の上で仰向けのまま、無意識に、声のする左側へと意識を向けた。
そこにはレカルド、チリル、ロトの三人の背中があった。彼らは肩を並べて座り、地面に敷いた麻布を挟んだあちら側には、大勢の人が川のように流れていた。
麻布の上には、仕切りのある木箱が置かれている。その一区画ごとに、種類分けされた乾燥植物の葉や実、丸薬などが詰められていた。
木箱の隣では重なった数枚の棉布と、緑色をした瓶が、残りわずかとなっている。
両隣どころか、ずらりと先の見えないほど天幕が連なり、彼らは皆一様に品物を並べ、商いをしていた。
露店商の真似事ではなく、本気で商売をする気迫のようなものが、三人の背中からにじみ出ている。
ちょうど接客をするチリルが、「お父さんの手伝い偉いね」と褒められていた。
フィリナは体を起こして初めて、レイズの膝を枕にしていたことを知り、ごめんなさいと頭を下げた。きっと重たかったはずだ。
そして、今一度問う。
「どうして置いていかなかったの。すぐに、見つかってしまうわ」
「置いていきたくなかった、じゃだめかな?」
何の懸念もない微笑みに、フィリナは決意が揺るぎ、混迷してきた。
この手を掴んでいいものなのか。掴んだ瞬間、手離されてしまうのではないか。
「……後悔しても、知らないから」
強がりを言うしかないフィリナを、レイズは何も口にはせず、そっと頭を撫でた。
その時客が途切れ、チリルが振り返りざまに叫び、飛びついてきた。
「リナさまーー!もう起きないのかと心配しましたー!よかったです!」
嬉し泣きし始めたチリルに抱きつかれたフィリナは、少々面食らった。
「そんなに寝てたの?」
チリルへと尋ねたはずなのに、レイズが柔らかな心地の声音で答えた。
「丸一日くらいかな。少し、薬の量が多かったかも。――――キスが、長かったから」
フィリナは忘却していたその濃密なやり取りを思い出してしまい、頬を紅くした。自ら請うただけに、気恥ずかしさがある。
レイズはフィリナの些細な表情の変化を楽しむように目を細めていた。
「ちびっ子。しっかり看板娘しねーと、夕飯ないからな」
フィリナにしがみつくチリルはロトに小突かれ、唇を尖らせると渋々通りへと向き直った。
幼けなく愛らしい笑顔で、両手を口元に添えると声高に叫ぶ。
「いらっしゃいませーー!お薬いかがですかーー!傷薬から胃腸薬まで何でも揃ってまーす!奥さんに浮気が見つかってしまったときはこの、冷却湿布がお勧めでーす!ただし、旦那さんの浮気が治薬はありませんのであしからずっ!」
道行く人がくすくすと微笑ましそうにチリルをながめていく。中には興味を持ち、湿布を買っていく人もいた。
チリルの意外な才能を垣間見た瞬間だった。
レカルドが度々チリルへと耳打ちをしている。
彼の的確な指導の下、彼女はめきめきと商才を高めていく。
もしかしたら、奉公人より向いているかもしれない。
その後ろ姿をながめ、フィリナはレイズに疑問を投げ掛けた。
「こんなに堂々としていて、平気なの?」
「人に紛れてる方が見つかりにくいものだから。路線を変更して街を通って行くことにした。馬に乗った追っ手が目立つように」
言われてみれば、都のような馬車の通れるゆったりとした幅広の道ではなく、ここは狭くて人が密集している。
馬に乗っていれば間違いなく目立つだろう。
馬を警戒すればいい、というのはわかりやすかった。
「ねぇ……、聞きたかったんだけど、どうやって薬をのませたの?だって、直前に何か口にいれたりしてなかったわ」
レイズは可笑しそうに指でこつこつと自分の頬を叩いた。
「奥歯に常に、隠してある」
え、と言う前に、チリルがぎゅいんと激しく振り返り、スカートをごそごそと探ってから、何かを取り出してレイズへと突きつけた。
「これはあなたのだったんですかっ!?」
小さな手のひらに、一つの白い歯が乗っていた。
チリルがそれを二つに割って見せると、赤い丸薬が転がり出てきた。
「牢で吐いたのに、持ってきたの?」
レイズは丸薬を歯にしまい、指で摘まんでしげしげと見遣った。そして、チリルと合わせ見て、目だけで笑う。
「中身、毒薬ですよね?あなたに持たせておくと危ないので、返して下さい」
「僕のものなのに?」
「拾った人の物です」
チリルが法的に正しいことを言い、レイズを言い込めた。
「ちびっ子やるな」
「俺の娘だからだろうな」
「娘ちがうっ!」
レカルドに噛みつくチリルが素早く歯を取り返し、そしてそれを、フィリナが横からさっと奪った。
「危ないものなのよね?私が預かっておくわ。――――いいわね?」
きょとんとしたチリルだったが、素直にこくりとうなづいた。
特に執着はないようだ。
「君が持ってる方が危ない気もするけど」
「使ったりしないわ。もちろんあなたにも」
「そんな心配はしていないさ。――――もしかしてあれかな?好きな人の持ち物を身につけたいっていう」
「誰が好きな人よ。……自惚れないで」
フィリナはレイズを一瞥しながら、歯をポケットへとそっとしまった。
秘密を守って自害なんて、レイズには似合わない。
「振られてやんの」
ロトにからかわれ、レイズが肩を竦めた。
その様子を見ていたレカルドが、固く太い両腕を広げ、慈愛に満ちた眼差しをレイズに注いだ。
「父さんが慰めてやろう」
しかし、いくら待てどもレイズが飛び込んで来ないので、仕方ないとばかりにチリルを抱き締めた。
ひどく憤慨して暴れているチリルだが、黒血城にいるときよい生き生きとして見えた。
そして何より、楽しそうだ。
フィリナは安堵して、改めて周囲に目を配らせた。
都のように上品に着飾った人はおらず、皆動きやすそうな服装をしている。布地も、絹ではなく棉や麻が主流のようだ。
だからだろうか、少しでも華やかさを求め、鮮やかな色合いのものが多く見られた。
露店で売られている服や小物も、赤や黄などのわかりやすくて目を引くものがよく売れている。
都では皮の靴が一般的だが、ここでは平べったい布の靴が普通のようだ。
フィリナは通りすぎる靴たちを、黙って目で追った。
色や形は似通っていても、それぞれ花や蝶などの刺繍が色とりどりの糸で施され、個性を出している。
あまりにも凝視しすぎたからか、レイズがくすくす笑いながら言った。
「君も女の子なんだね」
「別に……少し珍しかっただけ」
「そう?――――せっかくだから見て回ろうか?」
にこやかに誘うレイズに、フィリナは呆れてしまった。
「あなた、追われている自覚とかないの?」
「追われてる人間がのんびりと露店を見ているとは思わないだろう?」
一理あるがと、フィリナが渋っていると、レイズが右手をそっと差し出した。
まるでダンスでも申し込むような、優雅さをたたえて。
「お手をどうぞ、お姫様」
「……気障だわ」
わずかに首を傾げたレイズは、顔をほころばせて言い直した。
「おいで。――――リナ」
親しい人しか呼ばない愛称を、レイズは事も無げに口にした。
フィリナは、彼の瞳をじっと見つめたまま、その手を取った。とても自然に。
あるべきところへと収まったようにすら感じるその手を、優しく引き上げられた。
一日眠っていたからか、急には足に力が入らない。
それでもフィリナは、二本の足を叱咤するよう踏み出し、レイズに導かれるままに人混みへと紛れていった。
「おい、こら働けよ!」
「リナさまーー!」
抗議の声とレカルドの豪快な高笑いは、彼らに届く前に、混雑する人の波へと埋もれていった。
♦︎
「あーあ。行っちまった」
「レイズが本気で落としに掛かってるんだから、見守ってやれ。――――ちなみに俺は、今日落ちるに銅貨一枚だ」
「人で賭けんなよなぁ。……まだ落ちないに銅貨二枚」
「ちょっと!不謹慎ですよ!リナさまはそんな簡単に落ちませんっ!」
チリルは両脇を固める二人を怒鳴りつけた。
何てことを言うんだ、この二人は。
「と言うことは、ちびっ子は落ちない方に賭けるのか?」
「賭けません!」
チリルが精一杯叫ぼうとも彼らはびくともしない。
ケタケタ笑いの二人に怒り疲れて、がっくし項垂れてしまった。
体力がいくらあっても足りやしない。
それに、彼らはフィリナのことをまるでわかっていない。
「……リナさまは、恋愛なんてしないです」
憂いを帯びたチリルのつぶやきに、ロトがすかさず軽い調子で言ってのけた。
「そんなのわっかんねーよ?恋ってするものじゃなくて落ちるもんだし?」
「おっ!臭いこと言って、このこの」
チリルの頭上で、レカルドがロトを肘で小突く。
やめろよ、と迷惑そうにロトがその肘を押し返すが歯が立たず、不毛な攻防が続いた。
チリルは危ないので、頭を俯けたままだ。
少なくなってきた薬草を見つめ、愁然として言った。
「リナさまに限らず、革新派の人たちは皆そうです。自分の子供に同じ仕事をさせたくないから、恋愛をしません」
はた、と頭の上が静になった。
ようやく理解をしてくれたようだ。無神経な彼らにも、伝わったはず。
そうチリルが思った瞬間、ロトがぷっと吹き出た。レカルドも、もう耐えきれないというように大笑いを始めた。
手で膝を打ち、涙までにじませている。
客が何事かと、ちらちら二人を窺っていった。
「な、何で笑うんですか!?」
ひーひー言いながらロトは涙を拭って、憤慨するチリルの肩を叩くように、手を置いた。
「子供って!気が早いから!付き合ってすぐ別れるとか普通だし!」
「なっ……!」
レカルドも瞑目しながら深々とうなづく。
「恋愛と結婚は別物だろう」
「き、汚い!大人は何て夢のない生き物ですかっ!」
「ちびっ子はいくつなんだよ?十歳くらい?」
チリルは顔を紅潮させてロトを睨みつけた。
「十二歳ですよ!失礼なっ!もうすぐ十三になるんです!」
ふんっ、とチリルは胸を張ると、あろうことか、ロトがそこに触れて難しい顔で首を捻った。
「発育不足じゃないのか?背も低いし痩せてるし、もっと栄養のあるもん食えよ」
あまりのことにチリルはぷるぷると震え、拳を高々と掲げると、ロトの顔面へと渾身の一撃をめり込ませた。
「いいぞいいぞ!ちび。なかなかやるなぁ」
仁王立ちのチリルをレカルドが囃し立て、褒め称え、愉快そうに手を打っている。
一方ロトは、鼻を押さえて憎らしげにチリルを見上げていた。
「今にリナさまみたくなるんです!!」
チリルはロトへと捨て台詞を投げつけ、天幕を飛び出した。
レカルドが行って来いと顎で命令し、ロトが渋々従ったことを、泣きながら走るチリルは、まだ知らない。




