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執行人の逃亡  作者: 名紗すいか
前編
12/40

十一


 浅い眠りは容易く破られた。


 フィリナはレイズに支えられ、山の斜面を、上だけを目指してひたすら登る。

 緩やかとは言い難い傾斜だ。

 太陽に向かい斜めに伸びる木の枝に腕を回し、草を掴み、露出した岩へと足をかける。


「だから無謀だっつったのに!」


 角灯で行く手を照すロトが、先頭で恨み言を叫び、


「以外と早かったな」


 と、レカルドが殿で能天気に笑う。

 その背では、チリルが恐怖に硬直していた。

 レカルドの首にしがみついて、下を見まいと頑なに目を閉ざしている。


 チリルを気にしていたフィリナは、露出していた、湿りけを含んだ土で足を滑らせ、背筋を凍りつかせた。

 足元から土塊がころころ落下して行くのが見て取れ、鳥肌が立つ。

 

「――――大丈夫?」


 木に掴まり振り向いたレイズは、フィリナへと手を差し出した。

 それを躊躇うことなく取り、靴で足場を探して何度も土を蹴った。取っ掛かりを見つけて、体重を移動させる。

 その勢いで、ぐいっとフィリナの腕を引き上げたレイズは、無事を確かめるようにしっかりと彼女を抱き寄せた。

 フィリナの腰に片腕を回し、耳元でもう一度、「大丈夫?」と囁く。


「そこ!いちゃついてないで、急がねーと」


 緊張が欠けたレイズに呆れながら、ロトがびしりと言い放った。

 

「そんなんじゃないわ」


 フィリナは反論して、レイズの胸を押した。

 巻きついていた彼の腕があっさりとほどけると、胸にちくりと棘が刺さった。

 それでも、体温が溶け合ってしまう前に、体を離す。


 諫めた本人のロトが、豆鉄砲でも食らったかのように目を丸くした。

 レイズが素直に従うのが、異なことのように感じたらしい。


「ケンカでもした?」


 わざわざレイズの隣まで下りてきて、ぼそっとロトが耳打ちをする。

 角灯を持った彼が近くにいるので、レイズの端麗な微笑がよく見えた。


「寝込みを襲ったな、これは」


 レカルドがニタニタしながら、意味深な眼差しをレイズへと投げた。

 当の本人は、「まぁね」と誤魔化し、フィリナはふいっと顔を背けた。嘘ばっかり、と。


 ようやく平らかな場所へと登りきると、フィリナは夜色の木々の隙間から、村を俯瞰した。

 さっきまでフィリナを包み込んでいた村が、小さく、遠くなっている。

 山道を通るよりも山に入ってしまえばいい、と言ったレカルドの判断は正しかった。

 馬ではこの場所に辿り着くのに多少は時間を要するにだろう。

 だが、馬と人。追いつかれるのを先送りしただけなのかもしれない。


 苦行からの脱却を果たしたチリルが、レカルドの背からフィリナへと飛びついた。

 彼女はフィリナの服に張りついた土を一生懸命、献身的に払う。


「リナさま、痛いところはありませんか?その、……色々、大丈夫ですか?」


「色々?」


 心配されることがそこまであっただろうか、とフィリナは考えた。確かに山と森では勝手が違う。

 膝は擦りむいたし、木の皮は固く手のひらはひりひりと痛み、爪は草の汁に染まって少し沁みた。

 そういう、色々なのだろうか。


 ふと気づくと、チリルがあわあわと、顔を赤くしたり青くしたりして、忙しそうにしていた。

 むしろチリルの方が大丈夫だろうかとフィリナは心配になった。


「おい、ちびっ子。それを聞くのは野暮ってもんだろ」


 言いながらロトが手頃な岩にかけて、頬杖をついた。


「俺は聞いてやってもいいぞ」


 すかさず真面目な顔を作ったレカルドが口を挟み、ロトは頭をガクッと落とした。


「おっさん、いい加減にして」


 二人の掛け合いに痺れを切らしたチリルが拳を握り締めて叫んだ。


「もう黙って下さい!――――リナさま、この男に何もされませんでしたか?」


 人差し指を突きつけ、チリルは親の敵でも見るように、楽しげに笑ってるレイズを睨み上げた。

 

「焦らしたら拗ねちゃっただけだよ」


「じ、じらっ……!?」


「別に、拗ねてない」


 その言い方が拗ねていると気づかないフィリナを、ロトとレカルドが生暖かい目で見守った。

 チリルだけは愕然として、棒立ちのまま震えている。

 小首を傾げるフィリナの髪を、レイズがくすくす笑いながら梳いた。

 やんわりと距離を取ると、彼は寂しげに微笑む。

 ほだされてしまいそうで、フィリナは離れるしかなかった。


 追ってきたのはレガートと、エヴィルだった。

 ちらっとだけ目にした彼らの姿に、未だ動揺が拭い去れずにいる。

 レガートは、フィリナを捜しにくるだろう。そのことは、わかっていた。

 だが、エヴィルが行動を共にしているとは思ってもみなかった。

 

 目的が、まるで違うというのに。

 レガートはフィリナを助けるために、エヴィルはフィリナを罰するために、こんな辺鄙なところまで来たのだ。


 愚かにも、逃亡に希望を見いだした妹の、始末をつけるために。


 そして、彼を裁くために。


 今ならまだ、取り返しがつく。彼らは、逃げるべきだ。


 フィリナはレイズに向き直り、揺らぐ心を宥め、告げた。


「私をここに、置いていって」


「理由は?」


「エヴィル兄さまがいたから」


 その名に反応したのはチリルだった。

 びくりと肩を震わせ、おどおどしながらフィリナを見上げた。

 エヴィルが女中たちに対して横暴に振る舞うことはないが、親しく言葉を交わすこともない。

 話しかけても煩わしげな冷たい表情をするので、チリルも日頃怯えている。


 彼は冷たいのではなく、他人に興味がないだけだ。

 家族と罪人以外は皆、その他大勢の有象無象。


 チリルは当然として、ロトやレカルドにも、エヴィルは手を出さないだろう。

 彼らは死刑囚ではない。


 しかし――――。


「兄さまは血の臭いを辿ってくる。私の、血を」


「君を囮に、逃げろって?」


 フィリナはうなづいた。決意を、目を逸らさないことで伝えた。


「……レイズ。どうすんだ?」


 黙ってフィリナを見つめ返すレイズを、ロトが急かす。動くならば、早い方がいい。

 

 しかしレイズはゆったりとした仕草で、フィリナの頬へと触れた。その触れ合いに、いつからか慣れてしまっていた。


「君はそれでいいの?」


「私はどうせ、逃げられないもの」


「……また、殴られるかもしれないよ?」


「殴っても貰えないかもしれないわ」


 救いようがあるから、殴るのだ。見放されたら、更正させる必要もなくなる。

 今のフィリナのように。

 

「……寂しくない?」


 どうしてだか、レイズの方が寂しそうな表情をしている。

 フィリナは大丈夫だと笑おうとして、失敗した。

 困った顔で、首を振った。レイズの手は、添えられたまま。


「寂しくないわ。……思い出を、くれたら」


 掠れた声で告げると、レイズの口元がほころんだ。よくできましたと、褒めるように、目を細める。


「ちゃんと言えたね」


 レイズの顔が近づき、フィリナはまぶたを閉じた。唇が、重なった。

 彼とのキスは、いつも苦い。


 誰もが茶化すことなく、二人の別れを見守っていた。

 長い口づけの果てに、レイズがそっと、つぶやいた。

 切なさを孕む吐息が、フィリナの耳朶に落ちた。


「……さよなら?」


「さようなら」


 レイズから一歩後ずさる。温もりが、遠ざかる。

 繋がれた手のひらが、離すまいと指先を絡め合った。

 最後に、ありがとうと告げた。

 束の間、血の呪いから解放されたようだった。

 逃がしてくれた。

 欲しい言葉をくれた。

 

 それだけで、いい。もう――――。


 最後まで残った指先が、離れてしまう直前、レイズがくすりと笑った。

  

「でもその言葉は、もう少し先に取っておくよ」


「……え?」


 フィリナの視界がぼんやりとし始め、遠くでチリルの悲鳴を聞いた。

 そして、レイズに倒れかかるように、意識を失った。




            ♦︎




「リナさまぁ!」


 レイズがフィリナを地面へと横たえたので、チリルは血相を変えてその体へとしがみついた。

 何が起きたのかわからずにレイズを睨みつける。

 さっきまで普通にしていたのに、突然ふつりと、糸が切れたように倒れたのだ。

 とにかくレイズが悪い。チリルはそう、決めつけた。

 このままこの場所に放置されたら、どうすればいいのか。

 果してこの場所を、レガートに見つけて貰えるのか。


 さっさと逃げてしまうだろうと思っていた彼らは、だがしかし、一向に動く気配がなかった。

 レカルドは様子を静観しているのか、腕を組んで仁王立ちしている。

 レイズがフィリナを愛しげに見つめて、なかなか傍を離れようとしないからだ。


「置いてかねーの?」


 ロトの疑問はもっともだった。

 チリルも別れの流れを感じ取り、フィリナが望むならと、二人の口づけを耐えに耐えていたというのに。


「置いてく?まさか。こんなところに置いてくぐらいなら、初めから連れて来てないだろう」


 真剣な物言いに、チリルは虚をつかれた。

 彼は、フィリナの意を汲むべきだった。

 彼女が戻れば、レガートたちは深追いせずに、逃げおおせたはずなのに。


 レイズはフィリナの服のボタンへと手をかけた。やたら手慣れた手つきで、ぷちぷちと外して行く。


 慌てて止めようと身を乗り出すと、背後から脇に手を入れられて、ひょいっと抱っこされてしまった。

 横を向くとレカルドが、ふざけを封じた表情でフィリナを見下ろしていた。

 ロトも頬杖のまま、フィリナをながめている。


 彼らに、あれが知られてしまう。


「何するんですか!やめて下さい!」


 チリルは必死に暴れもがくが、野獣に敵うはずかない。

 レイズを制止出来ないまま、手際よく包帯をほどいていく彼を、涙目で睨みつけるしかなかった。


 美しく咲き乱れる椿の赤い花と、それを引き裂く傷痕。


 それらを、彼らは驚くぼど気に止めていなかった。

 自傷跡を、ただの切り傷として見ている。


「血は……止まってる。包帯を代えるか」


 レイズがつぶやくと、ロトが地面へと置かれた背嚢をあさり、瓶を投げた。

 それはレイズの片手に吸い込まれるように、弧を描いて飛んできた。

 薬瓶のようだ。蓋を開けると、中のどろりとした液体を指で掬い、フィリナの傷口へと塗りつけた。

 左腕で彼女の体を支えながら、真新しい包帯をしっかりと巻き直していく。


 チリルはレイズが体中に痣を作っていることは知っていた。

 もう平気だと言ってやんわり拒絶し、口うるさいロトに根負けして手当されていたことがあった。

 自分の怪我には無頓着なのに、フィリナには献身的に手当しをしている。

 チリルには、レイズという人間が、相変わらずわからなかった。


 恭しく服を着せ、レイズは一度フィリナを地面へと戻した。

 血のにじむ包帯をひらひらさせながら歩き、一本の木の前でぴたりと足を止める。

 その木は太い幹を誇っているが、チリルにも届きそうな高さから、しっかりとした枝が生えていた。

 その枝へと、包帯を括りつけた。


「囮を置いていく、だな」


 レカルドが感慨深くうなづき、チリルはその、はためく包帯をながめた。


 ふわふわと踊る白く血に濡れた包帯は、フィリナの身代わりに相応しい。


 レイズがフィリナを抱き上げた。ロトは背嚢を担ぎ、チリルはレカルドに抱っこのままだ。


 三つの影は、その場を足早に立ち去った。



 残された包帯が靡き、彼らを見送った。



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