十
「何で一つの寝台に三人寝ないといけないんですかっ」
チリルは夜なので、潜めた声で喚いた。
親切な老夫婦にあてがわれた一室に、文句はなかった。感謝の念は持っても、不満などありはしない。
だが、だ。
一つの寝台に三人川の字というのはおかしくないだろうか。
チリルはレカルドを睨みつけた。
寝台の半分が彼で埋まってしまっている。布団に至っては、独り占めに近い。
「まぁ、確かに三人はキツイわな」
「そうでしょうとも。私はこの人の寝返りを打つたびに、死を覚悟しなきゃならないじゃないですか」
伸し掛かられたら、死ぬ。
圧死なんて最期は、チリルの予定にはない。
部屋の床には毛足の短い絨毯が敷かれていて、滑らかな触り心地を誇っていた。
なので、レカルドはそこで寝ればいいということを、チリルは明け透けなく言った。
その結果が、三人ぎゅうぎゅう川の字だ。
チリルはほぼ、浮いている。
「まさかこんなちびっ子に腕枕する日が来ようとは」
ロトがげんなりとしながら、チリルの頭を腕で支えており、それは一つしかない枕をレカルドが占有しているからに他ならない。
チリルの左肩は、レカルドの岩のような筋肉の上腕に乗っていて、当然頭と右肩が斜めに落ちる。そして寝台の端から落下しないよう身を寄せるロトは、横を向くことで何とか体は乗ったものの、腕の置き場に困っていた。
歯車が噛み合うように、ロトの腕はチリルの頭の下へと収まったのだ。
レカルドの暴挙により、チリルはロトと肩身狭く抱き合い、憤懣を吐露するぐらいしかできなかった。
「私だって、つらいんです。こんな野獣となんかじゃなくて、リナさまと寝たかったですよ!」
フィリナに抱き締められたら夢見心地だろう。
彼女からは不思議と、果実のようなよい香りがする。
きっと森にあるプラムの木を、毎日欠かさず観察に行くので、プラムの妖精がついているのだ。
庭に植えられたプラムの若木は今年も実をつけなかったが、来年こそはと肥料を沢山購入した。
フィリナの喜ぶ姿はきっと、至上の麗しさだろう。
幸せな想像に浸っていると、右側から地響きのような騒音が起こり、チリルの肩から全身を震わせた。
鼓膜が悲鳴を上げ、慌てて耳を塞いだ。
「相変わらずうるせー。……でも、ちびっ子。あっちはあっちで居づらいと思うけどな」
ロトがレカルドの鼻を摘まみ、いびき対策に勤しみながら言った。
お陰でさらに窮屈さが増したが、騒音は途絶えた。
チリルは耳から手を離し、どうにか聞き取れた部分を聞き返す。
「居づらいって、どうしてですか?」
「何ていうか、あいつらの空気が似てるっていうか……?二人の世界なんだよな。二人っきりの。そこに浸られると、俺らが目に入ってない時がある。――――つまり、どうがんばっても、ちびっ子がリナさまを理解できないように、俺もレイズのことがわからんってことだよな」
ふごっ、とレカルドが息を吹き返し、ロトは諦めたのかぐったりと寝台に沈んだ。
「レイズさんとはお友達じゃないんですか?」
年も近そうだし、仲もいいと思っていたチリルは少なからず驚いた。
「レイズは仲間だよ。でもお互い過去とかは知らないし、そんなこと気にならないぐらい、まぁ……信頼してる。何考えてるのかはわからないけど」
「……私も、リナさまが何を思っているのかわかりません。それでも、お側を離れたくはありません。リナさまは、私の恩人だから……」
チリルは心の隅っこに隠しておいた箱の扉を、少しだけ開けて覗いてしまった。
チリルの両親を殺した罪人を裁いてくれたのは、フィリナだった。
だけど、それを口にしてしまえば、フィリナを傷つけることになる。
だから、行く宛のなかったチリルを雇ってくれたことへの感謝だけをするのだ。
人を殺してくれてありがとうだなんて、口が割けても言わない。
チリルは見なかった。フィリナが裁くところは、決して。
死刑執行人であるフィリナを切り離して、ただのフィリナとして彼女を見ている。
だけど、罪人でも人が死んでよかったと思ってしまっていたら、どうなっていただろう。時々、恐くなる。
だから、箱に閉まっておく。ずっと。
フィリナを慕うのは、チリルに居場所をくれたから。他には何も、必要ない。
「へぇ。本当に好きなんだな」
ロトはチリルの感情の揺れを察してか、適当に流した。
ほっとしたチリルは箱を奥へと押し込んだ。二度と開いてしまわないように、鍵をかけて、重しをして。
しんみりとしかけたチリルに、ロトがからかいの口調で思いがけない爆弾を降下させた。
「でも二人っきりってのは、あぶねーよな?」
ニッ、と意味深に笑うロトに、チリルは目をぱちぱちと瞬き――――、
「リ、リリリナさまっ……!?」
助けに行こうと布団を蹴り上げ、飛び起きかけたチリルを、ロトの腕ががっちりと阻んだ。
彼の胸ほどしか背丈のないチリルを、無情にも羽交い締めだ。
「ちびっ子は大人の邪魔しなーい」
「けだものー!大人は何て汚い生き物なんですか!」
「行ったとこで、真っ最中だったら困るだろ?」
「な、な、何のですか!?何をしているというんですか!」
「……言っていいのかよ?」
「うわぁーん!言わないで下さいー!」
じだじだしていると、これまでどんなに騒いでもぴくりともしなかったレカルドが、突如むくりと起き上がり、二人してぎゃっと叫んだ。
「お楽しみのところ悪いが、追っ手が来たみたいだぞ」
言葉とは裏腹に取り乱したりはしないレカルドだったが、出立の準備を即刻し始める。
ロトも寝台から速やかに下りると、背嚢を背負いチリルを一瞥した。
事態の深刻さが伝わり、チリルはごくりと息を飲んだ。
どうするべきなのだろうか。
彼らとともに行くべきか、助けを呼ぶべきなのか。
馬のいななきが最期通牒のように、戸惑うチリルの耳へと届いた。
♦︎♢♦︎♢♦︎♢
幾千もの星が瞬き、優美な夜空だ。
シュッ、と星が流れ、燃えては消えていく。
レガートは目を奪われてしまわないように、まっすぐ前だけを見続けた。
地上の明かりは少なく、物寂しい。だが、煌やかな空よりも、温かさはあった。
ポクリポクリと馬の歩みを遅らせ、レガートは点在する民家を見据えた。
就寝が早いのか、蛍のような明かりが一つ、ふっと消えた。
静謐な余韻を破り、聞き込みをすることへの躊躇いが生まれる。
彼らの平穏を脅かすつもりは毛頭ない。しかし、この辺りで何か手掛かりが欲しい。この山道をこのまま東へと進むべきか、一度見直す意味でも。
黒血城を取り囲む森は、折り重なる枝木の作り出す深い闇に満ちていた。
あの暗澹な森に比べれば、夜の山道などほの暗い程度に感じられる。
なので少しでも距離を稼いでおきたいところだった。
ようやく人里に下りたが、ここを過ぎるとまた山道だ。
食料の補給をするなら、この辺りが妥当だろう。
都の情報が届きづらいこの村ならば、逃亡中の罪人にも油断や隙を見せるのではないか。
程近くに明かりの灯る家がある。
レガートは馬から下り、その鬣を撫でながら、半歩後方で馬を止めたエヴィルを振り返った。
「聞き込みに行ってくるが、どうする?」
エヴィルは任せる、とだけ静かに告げ、馬から下りもせずに暗がりへと目を極めていた。
そのとき、山風が吹きつけた。稜線を下り、エヴィルが見つめていた先からレガートの体にぶつかり、呆気なく通り過ぎていく。
耳をはためかせる馬の背を軽く叩き宥めていると、エヴィルが突如手綱を強く掴み、自分の馬の腹を蹴った。
馬はいななきを上げ、指示通りに駆け出していく。
レガートは驚く間もなく自分の馬へと跨がると、エヴィルの後をすぐさま追いかけた。
風を切り走るエヴィルの馬は、速度を上げ疾走する。
ザッ、ザッと土を抉るように蹴りつけ、尻尾の毛を靡かせる。
レガートが追いついたのは、垣根で囲われた広い庭のある一軒の民家の前でだった。
エヴィルの馬とぶつかる直前で手綱を強く引き上げ、踏鞴を踏んだ馬は数歩後ずさりをして、止まった。
「エヴィル!急にどうしたんだ」
地面へと下り立ったエヴィルは、剣呑な空気を纏っている。
すぐさま飛び下りたレガートは、エヴィルの腕を掴んだ。大剣の柄に添えられた、左手を封じるために。
「一般人に刀を抜くのは許さない」
断固とした厳しい口調で告げると、エヴィルは怪訝そうに黒い瞳をレガートへと向けた。
「わからないのか?――――フィリナの臭いがする」
レガートは、驚いた拍子に彼の腕から手を離してしまった。
フィリナの臭いなど、全くと言っていいほど感じられない。牧草の、乾いた緑の香りだけだ。
それにエヴィルの言うフィリナの匂いとは、彼女の血の臭いのことだ。
血の臭いに敏感なエヴィルは、日々自分の血を滴らせていたフィリナを、眉を顰め嫌悪していた。
彼女の臭いが他のと区別がつくほどに鋭敏になったことも、二人の距離を裂く一因であったようにレガートは思う。
庭があるとはいえ、家の前で憚ることなく声を上げていたからか、玄関が躊躇いがちに開かれた。
顔を出したのは中年の夫婦。その強張った表情から、かなりの警戒が読み取れた。
レガートはエヴィルの前に出て丁寧にお辞儀をした。
彼らが戸惑いのままに軽く会釈する。
門を潜って庭を横切り、玄関先でもう一度頭を下げた。
「夜分遅くに申し訳ありません。実は人を捜していまして。私の妹なんです」
後ろに控えていたエヴィルが短く睨んだが、知らぬ素振りで続けた。
「悪い男に連れて行かれてしまって……。私と同じ、金髪に緑の瞳をしているのですが、ご存知ありませんか?見かけたとかでも構いません。何か、お気づきのことはなかったでしょうか」
切に訴え、逼迫したレガートの様子に、夫婦が同情的なつぶやきをこぼす。
「そうなの……、それは、心配でしょう」
レガートとエヴィルをちらちらと交互に見比べ、奥さんの方が口ごもった。
「でも、まさか……」
顔立ちこそあまり似てはいないものの、エヴィルとフィリナは違和感なく家族だと言い切れるほど、同質の雰囲気をたずさえている。
同じ闇を、抱えているからかだろうか。
ルゥナを失い、狂ってしまった未来を生きている、兄と妹。
「あの……」
躊躇いと後ろめたさが入り交じる声色だった。 奥さんが言うべきか悩みながら、訥々と話し始めた。
「確かに、そういう女の子は知ってますよ……。でも、ねぇ……。とても仲のいいご夫婦で、……あなたたちが言う妹さんでは、ないと思いますよ?」
「仲のいい、夫婦?」
想像の範疇を越えた内容に、レガートは困惑した眼差しでエヴィルへと問う。
彼はここにフィリナがいると断定しているので、引く気配はない。
だとするなら、フィリナは罪人と夫婦を演じていることになる。
それが強要されたことならば、今すぐにでも乗り込んでフィリナを救出しなくてはならない。
だがもし、そうでないとしたら――――?
なぜ、そちらの方が恐ろしいことのように感じてしまうのだろうか。
「……もしかしたら、妹かもしれません。――――会わせていただけませんか?」
希うレガートに、夫婦は追い返すわけにもいかず、家の中へと二人を通した。
質素だが、穏やかで温かな家庭なのだと、家のいたるところから伝わってきた。使い込まれで飴色になった木の靴箱も、綺麗に磨かれた姿見も、手製の額で飾られた子供の拙い絵も、全てから優しい情景を思い描かせた。
手狭な廊下の柱には幾つもの横線が刻まれ、名前と年齢が記されている。
思わずレガートは微笑みを浮かべてしまい、気を張り詰めていたエヴィルに短くため息をつかれる始末だ。
緊張感が欠けていたことを認め、レガートは気を引き締めると、案内された部屋の扉を見据えた。
奥さんがコンコンと手の甲で扉を叩くと、掛かっていた古ぼけた名札が、小刻みに震えた。
「……寝ちゃったのかしら」
静かに扉を開くと、室内は暗く、裏手に面した窓から風が吹き抜けてきた。
はたはたと靡くカーテンは、無情にも、その下にある寝台が空であることを伝えていた。
エヴィルが小さく舌打ちをし、身を翻した。
レガートはぽかんとする夫婦に礼を言い、彼らの横をすり抜け、家を飛び出した。
「まだ遠くへは行っていない」
エヴィルが馬へと颯爽と乗り、目でうなづいた。
レガートの馬は主人の心情を察してか、鼻を鳴らしてから意気揚揚と地面を蹴り上げ、瞬く間に風に乗った。
疾駆する二頭の馬は、足音を響かせ夜陰に消えていった。




