第8話
ラウドが手綱を取る馬車に揺られながらルキウスはあくびをかみ殺した。
(せっかくいい宿に移ったのに全く寝れやしなかった)
ルキウスはもう一度あくびをかみ殺す。馬車の心地よい揺れとリズミカルな足音が眠気を誘うが、ルキウスは眠気と果敢に闘っていた。昨晩寝られなかったことをラウドに知られたくない。聞き耳を立てていたと誤解されるのは論外だ。
今朝、何事もなかったかのように二人の部屋へ行ってみればもうヴェルマはいなかった。そしてすぐに町を出ると言われたのだ。
半分閉じかけた瞳でラウドをみた。特に眠たい様子も見せず、軽妙に手綱を捌いている。ルキウスが彼らの昨夜を知っているせいか、ラウドが昨日よりすっきりして見える気がするのも憎らしく思える。
「これから行くエスカトって町、どれくらいかかるの?」
気分的にラウドとは話したくないのだが、彼しか話し相手がいないのだから仕方がない。昼御飯も済ませて胃が満足し、ただただ見渡す限り平原の広がるまったりとした風景の中を走っている今、何か話していないと本当に寝てしまいそうだ。
「馬車で二日だ。だから途中でリドの町に泊まることになるな。夕方にならないと着かないから、寝たかったら寝てろ」
今日ずっとルキウスとあまり目を合わせないところをみると、ラウドも彼なりに気まずい思いをしているのかもしれない。ルキウスは自分を睡眠不足にさせたのだから、もっと彼が気まずい気持ちになればいいと思った。
「別に眠たくなんかない」
強がってそう答えたのにも関わらず、次に目を開けたときは空一面が夕闇の赤に包まれていた。
(あれっ)
知らない間に寝ていたらしい。ルキウスは驚いて上半身を起こす。その拍子に肩から何かがずり落ちた。
(黒いケープ、掛けてくれたんだ)
ラウドが身につけているケープ。掛けられても気づかないほど熟睡していたようだ。
「あと少しで着くぞ」
ルキウスが起きたのに気づいたラウドの横顔がそう告げた。頭部を覆うドミノから洩れたラウドの銀の髪が夕陽に照らされ、風に揺られて一本一本競うようにきらめきを放つ。
(やっぱり綺麗…だよね)
そう思うのは二度目だ。鋼色の髪はそう滅多にいないし、その人成りを知的に見せる効果がある。ラウドの髪はその中でも特別上質の部類に入り、いつも真っ黒な布で覆ってしまうのはもったいないと思う。
ルキウスはふと触れてみたいと思った。
ルキウスの視線に気づいたのか、ふいにラウドがこちらを向いた。目が合い、焦ってルキウスは思いきり不自然に顔を背けた。
(急にこっちを見るな、バカ)
自分の頬が熱るのが分かる。今が夕暮れ時でよかった。顔が赤いのに気づかれないだろう。見惚れていたなんて、しかも一瞬とはいえラウドに触れたいと思ったと知られたらもう生きていけない気がする。
(誤解されたら迷惑だ。なんで、俺が)
理性がルキウスを正当化させる理由をいくつも用意したが、どれもルキウスを納得させることに失敗し、鼓動は収まらなかった。
ルキウスは黒のケープを不躾にラウドの膝へ押しつけると正面を向き、きゅっと両手で両膝を抱き締めた。ラウドは肩を竦めたが特に何も言わず、お互い無言のまま馬車を進めた。
今晩の宿泊地であるリドの町の城壁が遠くに確認できる所まで来た。あと半刻もすれば城内に入れるであろう。それに気をとられて、ルキウスは手前の大きな落葉樹の木陰で座り込んでいる女性に全く気が付かなかった。
「大丈夫ですか?」
馬車が止まり、ラウドの声で女性の顔があがる。
「ちょっと疲れて休んでいただけなの」
汗を拭きながら答える女性は二十代前半ぐらいだろうか。両手の下のお腹は大きく膨らんでいる。妊婦だ。
「よかったら乗っていけば? 俺たちリドの町で泊まるんだけど」
ルキウスはあまり妊婦を間近で見たことがなかったので好奇心も手伝ってこう提案した。だが一番の理由は、誰でもいい、第三者に傍にいて欲しかったからだろう。今現在ラウドと二人きりなのがルキウスにはとても気詰まりなのだ。
「いつ頃生まれそうなの?」
馬車に揺られながら、名前をニダと名乗る女性はルキウスの問いにえくぼのできる気さくな笑みで答えた。
「もうすぐだよ。でもなかなか出てきてくれなくてさ」
「ふーん。もう十分大きいと思うんだけど」
「居心地がいいんでしょう。困ったことに」
ニダは言葉とは裏腹に幸せそうに笑った。
彼女の快活な口調にルキウスも自然と会話が弾む。時にラウドを交え、町へ付くまで途切れることなく話続けた。
「馬車に乗せてくれたお礼に是非御馳走したいわ」
彼女の家はリドで食堂を営んでおり、リド名物の鹿肉のシチューが自慢の店らしい。ラウドとルキウスはその言葉に甘えることにした。
「人助けはしておくものだね」
ニダの食堂の席に着きながらルキウスは微笑んだ。もうシチューのいい香りがここまで漂ってくる。
「お前といると美味いものにたどり着ける。ありがたいな」
エールグランデの蒸し魚の事を言っているのだろう。ラウドはルキウスに軽く一つ頭を優雅に下げた。ルキウスも同じように頭を下げる。
「どういたしまして。感謝ついでに魔封じも解いてくださると、こちらもありがたいんだけど」
「俺もそうできる日が来ると嬉しいよ」
ラウドは演技掛かった声で答えた。
(…まったく解く気がないな)
ルキウスは軽く睨んだが、当のラウドはルキウスにいつもの人当たりの良い笑みを見せた。同時に先程から横目でちらちらとラウドを見ていた隣のテーブルの若い女性達から軽い歓声が起こる。
(ラウドはあんた達なんて相手にしないよ)
隣のざわめきがルキウスの神経を逆なでる。なぜか無性にイライラした。だが軽く皿の割れる音ですぐさまその自分でも戸惑う気持ちから引き戻された。
「ニダが産気づいた」
突然の叫びに声の方へ目をやると、厨房の入り口付近で痛みをこらえたニダがしゃがみこんでいた。
すぐさまニダは夫と思われる男に抱きかかえられて二階へと運び込まれる。すぐに老齢の産婆もやってきた。先程の不愉快な気持ちはすっかり忘れ、ルキウスは無意識に立ち上がると落ち着きなくニダのいる二階を見つめた。
「お前がおろおろしてどうする? 出産は病気じゃないんだから心配するな」
ラウドはルキウスの様子を苦笑まじりの笑みで眺めた。
「そうだけどさ」
さっきまで一緒に馬車に乗っていた女性が目の前で産気づくなんてなかなかないことだと思う。ルキウスにはもう他人事とは思えなくなっていた。ラウドは出産を病気ではないといったが、出産で命を落とす女性も少なからずいると聞いたことがあり、大丈夫だとは思うが心配は拭えない。
そんなルキウスの様子を察したのか、ラウドも無理にルキウスを宿につれて帰ろうとはしなかった。ニダを知る客は食事が終わっても帰らず、誰かが産気づいたのを知らせたのか人が続々とやってきて、気づけば一階の食堂は人で溢れかえっていた。
(ニダは気さくでさっぱりとした性格の女性だから、やっぱり町の人にも愛されているんだな)
ここまで多くの人が集まるとは思ってもみなかった。ルキウスはどちらかといえば人見知りな性質だが、ニダとは気構えず自然に話せた。彼女は人に安心感を与える。ニダは馬車の中で魔力を持っていないと話していたが、彼女が人々に与える安心感も一つの立派な『魔力』なのではないだろうか。ルキウスはニダから見習う点は多いと思った。
(魔封じを外してもらうためにも必要だよな)
しかし苦手な分野であることも確かだ。事にラウドが相手となるとルキウスは素直に振舞えなくなる。
(魔封じされた相手だからな)
そう結論付けたが、心のどこかでそれだけではないと囁く声が聞こえる。ルキウスは振り払うように頭を振った。
(今はラウドの事はどうでもいい。ニダのことだけ考えよう)
そうしてルキウスは新たに生まれてくる命を皆と共に祝福する時を待った。ようやく赤ん坊の泣き声が響き渡ると食堂にいる全ての人々から安堵のため息と拍手が沸き起こる。ルキウスも周りと同じように立ち上がって喜びの声をあげた。
「良かったな」
ラウドの言葉にもルキウスは珍しく素直に頷けた。厨房からは祝いの振る舞い酒が登場し、その場に居合わせた人の歓喜をさらに高めた。
だが産婆の叫びと共にその幸せは一瞬の内にかき消されることとなる。
「六つ星の子だ。殺さねばならん」