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第7話

 面と向かって会ったことはないが、実はヴェルマを見たのは初めてではない。父のクレル・クリスハルドが都長に就任した日の夜、自宅で就任祝いの宴が催された時にルキウスは初めてヴェルマを見たのだ。


「ねえ、なんで僕は行っちゃいけないの?」


 当時十歳だったルキウスは両手でシーツの皺を伸ばす侍女のナラに聞いた。二つ上の兄は就任の宴に参加しているのに、ルキウスにはお呼びの声が掛からなかった。それどころか、今日までそのような催し事があることさえ知らなかった。


「僕もおとうさんの就任のお祝いに出たいよ。ねえ、いいでしょ、ナラ? 今からでも連れてって。ちゃんと大人しくするから」


 ルキウスは甘えるしぐさでナラにすり寄る。その愛らしい様子にナラは目じりを下げながらも首を縦には振らなかった。


「ルキウス坊ちゃんはまだお小さいから。行っても大人の人ばかりで楽しくありませんよ。それに、まあ、大変。もう寝る時間でございましょう?」


 ナラはさあさあ、と何か言いたげなルキウスを有無を言わさずベッドへ追い立てる。 


(もう小さくなんかないよ。それに兄さんだってまだ子どもじゃないか!)


 しかし不満を声にはしなかった。ナラとは殆どの時間を一緒に過ごしており、泣いた顔も恥ずかしい思い出もみんな知られている。彼女に頭が上がらないことを幼いなりに感じていたのだ。だからベッドに入れられ、寝たふりをし、ナラが傍に居なくなるのを見計らってから部屋を抜け出した。


(ちょっと見るだけなら怒られないよね)


 ドアから出るとナラにすぐ見つかってしまうので、ルキウスは窓から外へ出た。


 ルキウスの部屋は本宅とは庭を挟んで離れたところにあり、そこで多くの時間を侍女のナラと二人で過ごしている。


 裸足であることも気にせずに母が大切に世話をしている幾種類ものバラが咲き乱れる中を一気に走りぬけた。母屋に近づくにつれ、華やかな音楽と食べ物のいい香りがしてくる。


(大人ばっかりずるい)


 中を覗こうと思ったが背が低いので何度か飛びついてはみたものの窓に届かない。辺りを見回し、踏み台となる丁度よい木の箱を見つけると音を立てないよう注意しながら引きずり運び、ようやく窓から中を眺めることが出来た。


 明るいろうそくの灯りの中、着飾った大勢の人々が泡立つお酒を片手に会話を楽しんでいる。その中心に父と母と兄もいた。周りの人々と満遍なく話し、時に笑う。三人とも笑顔でとても嬉しそうだ。


(僕もあの輪の中に入りたかったな…)


 ルキウスは長い睫毛を伏せ俯いた。そしてここに来た事を後悔した。美味しい食べ物と明るい光に包まれて楽しむ家族、対照的に誰に話しかけられることも気づかれる事もなく暗がりからこっそりと覗くだけの自分。こんなに寂しい思いをするなんて全く思ってもみなかった。


(もう帰ろ)


 これ以上は辛くてここにはいられない。そう思って木の箱から降りかけた時、室内のざわめきが一瞬のうちに途絶え静寂が広がった。思わぬ異変にルキウスは再び窓から中を覗くと、皆の視線が一点に集中している。入口のある方だ。ルキウスも何が起こったのか知りたくて同じように視線を追い、皆と同じように息を呑んだ。


(わぁ、めちゃめちゃ綺麗な女性ひと…)


 それが、今思えばヴェルマだった。


 微笑み一つで人の輪を切り裂いていく。


 ろうそくの柔らかな光に照らされた全身純白の姿が輝き、光を自ら放っているかのようだ。さらにその輝きに混じって妖艶ともいえる色香も同時に感じさせ、大人の匂いを目の当たりにした幼いルキウスは落ち着かない、それでいていつまでも感じていたい不思議なときめきを初めて体感した。


 一言でいえばヴェルマは全てにおいて印象的だった。


 さっきまで胸にあった虚しさはすっかり忘れ、ヴェルマから目が離せず窓にしがみついていた。結局ナラに発見され、彼女の小脇に抱えられて部屋に連れ戻されるまでずっと見ていた。


 絶対天使だ。今までそう思っていた。


「男だったし、それに性格悪いし!」


 思い出から帰ってきたルキウスは現実を振り払うかのように叫んだ。


 暫くはヴェルマへの怒りで時間を潰せたが、冷静になると急に暇になる。本など時間を潰せる物はすべてラウドから逃げる際に宿屋へ置いてきてしまい、手元に何もない。


(魔封じの呪印がなかったら魔法の練習ができるのにな)


 試しに魔力を使ってみようと部屋の中心に立ち昼間の様に手を差し出してみたが、何度やっても何の変化も起きない。やはり魔封じが効いている限り駄目らしい。諦めたルキウスはベッドに寝転んで腹に両手を当てた。


(こんなことなら初めから素直にラウドに従えばよかった)


 いくら珍しかろうと魔力のない一般の人からでも魔術師が生まれる可能性があると知った今、自分の力が魔力であることが嬉しかった。はじめて傷を治したあの心躍る感覚はきっと一生忘れないだろう。ルキウスは今では少しの怪我の跡しか残さない自分の膝に触れた。


(ラウドがいなかったら一生この力を知らずにいたかもしれない。それに、一回目はすぐに魔封じをはずしてくれたから、そんなにヒドイ奴じゃないんだよな、きっと)


 ルキウスは後悔し始めていた。


 彼の信頼を取り戻すにはどうしたらいいのだろう。壊すのはあんなに簡単なのに、取り戻すのは至難の業だ。


(今まで一人だったから苦手なんだよ、こういう『人間関係』ってやつ)


 今は『魔封じ』があるせいで仕方なくラウドについていく形を取っているが、魔封じがなくてもラウドについて行ってもいいかな、と思い始めている。


(言葉にしては絶対言わないけどね)


 彼と一緒にいればもっと自分の魔力の可能性が開花し、磨かれるのではないか。性格は果てしなく悪いが、ヴェルマの魔術は本当に美しく見事だった。ルキウスも練習すればあれくらいのレベルまで魔力を扱えるようになるのではないだろうか。自分が魔力を完璧に操る姿を想像し、ルキウスは胸が高鳴った。


 暫くどうやってラウドにもう一度魔封じを解かせるか考えていたが、どうにもいい考えが思いつかない。疲れが出たのか、知らない間にうとうとと眠りに入りかけていた。が、聞きなれない音で浅い眠りから引き戻される。


(何?)


 ルキウスは身構え耳をそばだてる。そして愕然とした。


(音じゃなくて、声だよ。それもヴェルマの…)


 その声がどのような時に発せられるかはルキウスも知識で知っている。聞かないように努力しなければ聞き耳を立ててしまう自分に腹が立った。


(隣に俺がいるのに、よろしくやってんじゃねーよ)


 ヴェルマのことだからルキウスに聞かせるようにわざと声を上げているのかもしれない。彼のつややかで艶かしい嬌声は激しくなる一方だ。


(いや、ヴェルマだけが悪いわけじゃない。ラウドも同罪だ。あー、さっき真面目に信頼関係を取り戻そうと考えて損した!)


 憤慨しつつ頭からケットをかぶり、さらに手で耳をふさいだ。しかしルキウスの頭の中でのヴェルマとラウド、二人のからみあう陰影を一晩中追い払うはめになった。


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