第4話
太陽はとっくに昇り、もうすぐ昼と呼ばれる時間になる。
ラウドは弾みの悪いベッドにそっと腰をかけ、傍らに眠るルキウスを見た。昨日の疲れがそうさせるのか、いつも昼まで寝ているのか分からないが、まだまだ起きる気配はなさそうだ。
ルキウスは両耳の前の髪の毛が鎖骨に届くくらい長いが、他はそれより短く感じよく跳ねている。漆黒の髪がかかる顔は目鼻立ちがこれ以上なく絶妙に配置されており、人目を引かずにはいられないだろう。今は閉じられているが、特にあの深い緑色の瞳は悪魔に魂を売っても手に入れたいと願う若い娘たち、いや、老若男女問わずそう思わせるのに十分な逸品である。ケットを抱いて丸くなって寝る様は昔飼っていた黒猫を思い出させた。今は寝ているせいか、十六という歳の割には幼く見える。薄く開かれた唇からは規則正しい寝息が聞かれた。
しかし昨晩はその口から不平しか出てこなかった。
初めのうちは落ち込んでいるのか大人しかったが、だんだん時間が経つにつれて調子が戻ってきたようだ。部屋が狭いだの、ベッドが硬いだの、隣がうるさいだの全てが気に入らないらしい。
今までこの街で一、二を争う高級宿に泊まっていたのだから余計にそう見えるかもしれない。ラウドも泊まろうと思えば何泊でも豪奢な宿に泊まれる。しかし格式ばった宿よりも気取らない雑多な場所の方が好きなのだ。
「高貴な生まれのおかげで高級宿は珍しくないからな、こういう所の方が興味深いんだ」
あまりにうるさいからこう言ってやった。
「生まれが悪くて悪かったな」
ルキウスはむくれてそう言い返した。だが、ラウドはルキウスの出生は悪くないと見ている。本人は全く気付いていないが、立ち振る舞いや食べ方の端々に良家の品を感じさせるのだ。こういうものは一朝一夕で身に付くものではない。
どう文句を言おうがこの状態が変わることはないと悟りあきらめて寝る気になったのか、ルキウスはふいと横を向いて頭からケットをかぶった。が、すぐにケットをめくり、上半身を起き上がらせてこちらを見た。
「そういえばさ、あんたに協力することって、何?」
ラウドは軽く目を見開いた。そして次にはこみ上げる笑いが止められなかった。
「なにがおかしいんだよ。よく笑うヤツだな」
まだ出会って短期間だが、確かにルキウスといると飽きない。最近そう言えば笑っていなかったな、とラウドは笑いながらそう思った。一方、ルキウスは眉間に皺をよせて、もういい、寝る、と再びケットを頭からかぶり、今度はそのまま眠りに入った。
これが笑わずにいられようか。魔封じをされている今、『協力する』ではなく『命令にしたがう』立場なのに、ルキウスはちゃっかり『協力』という言葉を使っている。どうしても対等という立場を確保したいのだろう。
それにもう一つ、そういう質問は普通もっと前にするものだ。
(そう、初めて魔封じをした神殿跡の丘ですべき質問だ)
その時にしなかったという事は、もうその時点で逃げるつもりでいたに違いない。頭の回転が速く、行動力もあるようだ。
(頼もしいのか、厄介なのか。…多分にして後者だな)
これからの事を思うと笑うどころでは無く、ため息がでる。
知らない間にラウドは左の首筋に手を当てていた。
これはラウドの秘密。
手の下にあるもののせいでどんな時でも首が隠れる服を着ていなくてはならない。髪を伸ばしているのも少しでも首筋が隠れるようにする為だ。
どうしてそうなってしまったのか理由が知りたい。物心ついた頃からそう思っていた。このものがある為に幼き日の多くの時間を一人で過ごさねばならなかった。物質的には不自由なく暮らしてきたが、心の空洞感は何をもってしても埋められなかった。
自分一人でその謎を解くつもりだったが、仕事で訪れたエールグランデでルキウスをみた途端に彼から目が離せなくなった。
魔力が強い魔術師。しかも神殿に届け出ていない人物。ラウドが真に求める相手。
この世にそんな都合のいい人材がいるとは思っていなかった。魔術師は一般人より地位が高く待遇もいい。魔術師と認めてもらうために喜んで神殿へ赴くのが普通である。そんな中、まさにルキウスは天からの恵み以外の何者でもなかった。
ルキウスを観察し、絶好の機会を待った。ただ、逃がしたくないばかりにいきなり魔封じをして見せたのは少々方法が手荒かったかもしれない。そう後悔してルキウスに言われるまま一度かけた魔封じを解いた。それで二人の関係が良くなれば、と本気で思った。が、結果はまた魔封じを施さざるを得なくなってしまった。
今のルキウスは魔封じがあるために仕方なくラウドについてきているだけである。魔封じを外したらまたどこかへ行ってしまうのだろう。彼が居なくなっても探し出すのは簡単だが、欲しいのは協力者であって今の関係では意味がない。また同時に、ルキウスを相手にすると自分のペースがつかめなくなるよう様な気分になるのも困る。
(初めの予定通り見切りをつけて一人でやるか、それとももう少し様子を見るか…)
ジレンマがラウドの心を蝕みはじめる。
ラウドは心のなかの重苦しい霧をはらうように首を振った。
(決めるのはルキウスをあいつに見せてからにしよう。…もうそろそろ来てもいい頃なのだが)
そう心で呟いた時、1階にある食堂の辺りから感嘆とどよめきが聞こえてきた。
「やっと、おでましだ」
ラウドは立ち上がると、部屋のドアを開ける。程なく不機嫌な顔丸出しで待ち人が階段を上がってきた。
「私を呼び出すのなら、もっといい宿とりなさいって何回いったら分かるわけ?」
ヴェルマ・サレイドはゆるくカールのかかった真っ白な長い髪をうるさげに後ろへ払った。