第20話
リグ・ガレッドと一晩話したラウドは翌朝、ナラの家へルキウスを迎えに行った。
家から出てきたルキウスにいつもの元気はなかった。ナラという女性はルキウスの昔の知り合いらしいので、夜通し話して寝不足なのかもしれない。
(思えばルキウスの過去は知らない事の方が多いな)
それを寂しいと思った時もあった。しかしリグ・ガレッドから『六つ星』の話を聞いた今ではそれで良かったとも思う。今、本音を言えばどうしたらいいのか分からないのだ。ただ一つ言えることはルキウスを巻き込みたくない、それだけだった。
ラウドがリグと共に首都エルクサンドラへ行くことになった事を告げると、ルキウスは一瞬びくりと体を震わせた。
(やはり様子が変だ。…大丈夫か?)
ラウドはルキウスに尋ねる様に首をかしげたが、彼はそれに気づかないかのように馬車に乗り込みリグに挨拶をする。ナラもリグの世話係として一緒に首都へ行くこととなった。
ナラは気の利く女性らしく、馬車の中でリグやルキウスだけでなくラウドにまで細やかな気遣いをみせる。しかも卒がない。
(彼女はリグ同様ルキウスを主人として扱う。昔どこかの屋敷でルキウスに仕えていた侍女といったところか…)
ルキウスに尋ねるつもりはないのでその推測が正解かどうかは分からないが、ルキウスには良家の気品がある。きっと間違ってはいないだろう。
ラウドはルキウスに目を移す。『六つ星』について何も知らないナラがいる手前、リグとの話がどうなったのか聞かないのかもしれないが、総じてルキウスは何かを思いつめているように寡黙であった。
首都エルクサンドラまで馬車で急げば一日でつける。夜遅くなったがその日のうちに到着することができ、リグとナラはリグの息子の家へ、ルキウスはラウドと共に宿屋へ入った。
「何かあったのか?」
やっと二人きりになれた頃を見計らってラウドはルキウスに尋ねた。ルキウスは瞳を彷徨わせたが、彼の答えは、別に、であった。
「別に、と答える割には…」
ルキウスはラウドの言葉を遮って話し出す。
「俺のことより、そっちはどうなったのさ? リグさんも一緒に来たし、なんか『六つ星』について分かった事はあった?」
こういう時のルキウスは何を聞いても答えないのだ。ラウドは軽く息を吐き頷いた。
「ああ、リグは一度見たものは忘れないという能力の持ち主だ。彼は昔、エルクサンドラの文献保管所で『六つ星』についての文献を読んだ。後にその文章は何者かに持ち去られて行方不明らしいが、リグが見たというのはその文献があることと等しい。必要ならば証言してくれるそうだ」
ルキウスは瞳を輝かせた。
「じゃあ『六つ星』の呪印の解き方がわかったんだね!」
「おそらく分かった。…しかし実行すれば大騒ぎになる。だから迷っている」
「大騒ぎ? 何するの?」
輝きに好奇心を加えたルキウスの瞳からラウドはそっと視線を外した。
「すまない、まだ今は言えない。もう少しはっきりしたらちゃんと話す」
「そう…ラウドが決めたことに俺は従うよ。だって、俺はあんたの協力者だもん」
ラウドは優しく微笑むルキウスを見つめた。深いグリーンの瞳は光と優しさが溢れている。
(ルキウスも何かを思いつめているようなのにそれを感じさせないように振舞って、こちらの心配までしてくれる。できれば今すぐ引き寄せてキスしたいところなのだが)
湧き上がった本能を理性で押さえ込むと、ラウドはルキウスに微笑み返し、先に寝てろと告げて宿屋から出て行った。
ラウドはノックをし、厚いオークのドアを開ける。
「お久しぶりです。お元気ですか、父さん」
ラウドの実家、モイア・ダニングの書斎を訪ねたラウドにモイアは椅子を勧めた。
磨きあげられている飴色のテーブルには二つ、飲み干されたティーカップが置かれている。
「先ほどまでリグ・ガレッドがここへ来ていてな、リグから大よそ話は聞いた。…大変な事になったな」
リグの記憶する文献には、リルツェン家の存続を図るため、リルツェンの何代か前の先祖が持てる魔術を駆使し、リルツェン家をおびやかす可能性のある魔力の強い子供に『六つ星』の印が浮き上がるようにしたという事が書かれていたとリグは言った。そしてさらに彼は付け加える。
「それをあからさまに殺すのは外聞が悪いからな、『六つ星』を世の中に災いをもたらす者、という噂を流し、今ではその子供を殺すのが慣習にまでなってしまったのではないか」
リグが言ったのは文献の内容と憶測で、『六つ星』を解く完全な方法を語ったわけではない。
モイアは沈黙したままの息子の傍に立った。
「リグの話からすればフォゴルを魔封じすれば六つ星は無くなるはずだ。だが、世間は騒ぎたてるであろう」
ラウドもリグから話を聞かされた時そう考えた。
リルツェン家の存続を図るための呪印ならば、その家の魔術師が絶えることで呪印の意味もなくなるはずだ。今、リルツェン家の魔術師はフォゴルしかいない。彼に魔力をもつ子供はいないのだから、リルツェン家はフォゴルを魔封じすれば途絶える。
しかしそれも全て憶測の域は出ない。
ラウドは歯をかみ締めた。
「お前がそのままでも良いというのであれば、私は喜んでお前の父親でいるつもりだ」
モイアの優しい声色にラウドはゆっくりと義父を見上げた。その顔はうそ偽りがなく穏やかであった。
ラウドはクワントの一つ、スティーヴェル家の出身であったが、六つ星のために殺される運命となった。ラウドを取り上げにきたのがモイアであり、ラウドに魔封じの能力があることに気づいたのもまた彼であった。
まだ赤子だったラウドに不用意に近づいたモイアの部下の魔術師がラウドから魔封じを受けたのがキッカケだった。もちろんラウドは覚えていないが、悪気があって魔封じしたわけではない。生まれたばかりの赤子がいきなり魔力を発動するのも珍しいのだ。
結果ラウドの命を助ける形となったその魔術師はラウドが物心付くまで魔封じされたままの生活を余儀なくされた。魔封じを解いた時の彼の安堵の表情は幼心にも印象的だった。
『六つ星』よりも久しぶりに生まれた貴重な『魔封じ』を重んじて殺す事をやめ、密かに引き取って自分の子供として育ててくれたモイアは政界に重きをなしているので幼少のラウドは一人で過ごすことが多かった。しかし会える時は血の繋がりが無いにも関わらす愛情を持って接してくれていた。
(そう、俺がいる限り、父さんの血を受け継いだ魔術師がいなくなってしまう)
魔術師に生まれる魔力を持った子供は一人だけだ。魔力をもつ子供が二人になればどちらかが実の子供でないことが分かってしまう。顔には出さないが、自分の魔術師の血が絶えることを悲しんでいるかもしれない。
(俺の首筋から六つ星を消せば俺はスティーヴェル家に戻れ、父も魔力あるわが子が持てる。フォゴルに魔封じを…しかし、失敗したら、俺は死ぬだけだが、父さんに後々迷惑がかかってしまう)
ラウドはどうしたらいいか、何がしたいのか分からなくなってきた。
(俺がいなくなれば実家のスティーヴェル家にもダニング家にも迷惑がかかることはない。魔封じだってヴェルマの能力があればいなくてもいい。世の中、現状のまま何事もなく回っていくのだろう。それでは、…俺は何なのだ?)
力なく首を振る息子を見かねたのか、モイアは側に寄り、ラウドの肩に手を置いた。
「お前がいなくなれば悲しむ人は多い。私もそうだし、友達の真っ白な変わり者も悲しむだろう。…神が仰る通り、最後に残るのは真実だけだ。お前の信じる道をいきなさい。後悔しないように。それが私の願いであり、ただ言えることだ」
モイアはさらに手に力を込めた。短めの指だが、力強く温かい。
(ありがとう、父さん)
ラウドは心に決めた。自分の考えが正しいかどうかやってみよう、と。迷いがないといえば嘘になるが、それが今の自分の正直な気持ちだ。そしてそれは一人で実行する。その考えはリグの話を聞いた時からあったのだろう、実家であるモイアの屋敷ではなく宿屋にルキウスを泊まらせたのは、これから起こるだろう一連の出来事に巻き込みたくなかったからだ。
「まずフォゴルに六つ星の解き方を尋ねてみます。それで、お願いがあるのです。立会人になっていただけませんか?」
話の流れ上、六つ星持ちであるということは明かさねばならないだろう。フォゴルは政界の重鎮で、ラウドは魔封じであると同時に六つ星持ちだ。どう話し合いが進むかはわからないが不測の事態が起きた時、ラウドに明らかに分が悪い。
ラウドの思惑を読み取ったモイアは頷くと、はたと動きを止めた。
「もう、六つ星持ちだということは明かすつもりなのだろう?」
「はい」
「ではクワントで評議会を開こう。ラウドが生を受けて二十数年、何も世を滅ぼすような事柄は起こらなかった。もうそろそろ六つ星の呪縛から皆を解いてやらねばならぬ。七日後ならクワントも全て集まれるだろう。それで、いいかな?」
モイアは頷くラウドの肩をひとつ叩くと指示を出しに部屋を出て行った。
(七日後…。評議会の結果はどう転がるか分からない。もしかしたら俺は生きて帰れないかもしれない。だから七日間だけ、ルキウスと心安らかな時間が過ごしたい。その後はルキウスを自由の身にしよう。だから七日間は俺にくれ)
身勝手だとは思うが、身勝手ついでにルキウスには評議会の事は内緒にしておこう。知りたがりのルキウスは怒るかもしれないが、先の見えない結末にもうルキウスは巻き込みたくない。
ラウドはモイアの屋敷を出て一人、先の不安と目前の楽しみの綯い交ぜになった気持ちを抱えルキウスの待つ宿屋へと歩いて行った。