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第2話

 ルキウスは近くに立つ男を見上げた。


 正確に言うと、顔を全て見ることは出来なかった。ドミノと呼ばれる黒い布を頭からすっぽりかぶっているからだ。かろうじて口元が見えるが、片端が上がっており、たぶん笑っているのだろう。首筋から足首までかくれる長いケープの裾が海へと吹く生暖かい風に軽く揺らめいている。そのたびにケープから見え隠れするチュニックに似た法衣のダルマティカも黒色で、ルキウスに負けず劣らず黒ずくめだ。首からさげている石のみが黒ではなく菫色すみれいろだった。


 そして、こんな服装を着用する職業は一つしかない。


「僧侶がこんな場所にいていいわけ?」


 ここは高級売春宿のまん前、仮にも性欲の吐き捨て場だ。神殿で死者の為に祝詞をあげる人種が来るべき所ではない。


「ここで出会えるとは思わなかった」


 僧侶はルキウスの問いには答えず、更に距離を縮めてきた。


 心の奥で警報が鳴り始める。 


 手にじんわりと汗が滲んで、どうにも落ちつかない。とりあえず相手にルキウスが何者に見えているかを知る事が先決だ。それによって対処法がわかるだろう。


「その、どこかで会ったかな?」


「いや、会ったのは初めてだ。つややかな黒髪に深い緑の瞳の組み合わせも悪くないな」


「『幻覚』が効いてない…」


 相手が全てを言い終わらないうちにルキウスはそう呟くと、身を翻し細い路地へと駆け出した。


(あいつは幻ではなく俺自身を見ている)


 そうなるとルキウスに近づいてきた理由が分からない。ここの町に来て半年程経つので『幻覚』に騙された誰かがルキウスに気づいたのかもしれないが、役人に追われても僧侶に追われる筋合いはない。


 こういう時は本能に従って逃げるに限る。


 いくつもの路地を駆け抜け、大通りも人にぶつかりつつ何本か横断して、街を見下ろせるちょっとした丘に出た。そこは朽ち果てた神殿跡だ。一応撒いたつもりだが、万が一追いつかれたとしても神殿跡に残っている柱の陰に潜めば簡単には見つからないだろう。


 治まらない息切れと共にルキウスは寝転んだ。夜の始まりと共に冷えていく石畳が火照った肌に気持ちいい。


 落ち着いてくると膝から痛みがあがってきた。途中、馬車の為に設けられている車輪用の轍の溝につまずいて転んだのだが、多分その時のものだろう。結構ひどく肌がめくれ上がっているが逃げるのに夢中で今の今まで気づかなかった。


「あいつ、何者だったんだろう?」


 独り言のつもりだった。


「そこまで興味を持ってもらえるなんて、追いかけてきた甲斐があったな」


 上から降ってくる男の声にルキウスは全身の細胞という細胞が逆立つのを感じた。


(もう見つかったのか! でも、どうして?)


 やっとのことで上半身は起こせたものの、黒ずくめの僧侶の手から発せられる、目が眩むほどのまぶしい緑の光の玉を見た途端に体が岩のように固まってしまった。


 嫌な汗が幾筋も滴り落ちる。頭は混乱してまともに物が考えられない。緑の光がゆっくりと此方に近づくたび力が抜け、体の中に空洞感が広がっていく。心もとない気持ちがさらに不安を掻き立てた。


(ぶつかる!)


 瞳さえ閉じることが出来ないので、なす術もなく緑の光を体に受け入れるしかなかった。痛くはないが、腹部にじんわりと熱を感じた。


 光が納まると身体が動くことに気づき、すぐさま違和感がある腹部を襟首から覗き込んだ。


 臍を中心に先程の光と同じ色で円形の図形が描かれており、その円に沿って文字らしきものが取り囲んでいる。


(呪印だ! でも何の?)


 ルキウスは困惑の表情のまま固まる。


「魔封じ。自己紹介がわりに」


 黒僧侶は静かに近づきながらドミノを取った。図ったかのように雲間から月の光が優しいベールのように降り注ぐ。長身な男の銀色の髪が絹糸と見まごうばかりに輝いた。その髪の煌きには気持ちを麻痺させる魔法でも施されているのだろうか、ルキウスはただただその輝きを眺めていた。ぼんやりした頭にそれはとても奇麗なものとして映った。少し視線を落とせば月影に照らされた細身の男はその体に神が許す限りの端整な顔を乗せている。しかしそれを隠したいのか、飄々とした雰囲気を纏わせてもいた。


 暫く経って、ようやくルキウスの頭が動き出した。


(この男が『魔封じ』なのか…)


 物話では何度か聞いたことがあるが、実際見たのは初めてだった。


 魔法使いは大まかに4種類に分かれている。


 簡単な魔法しか使えない低級魔術師『マッソ』、地方の役人に多い中級魔術師『ルドディカ』、官僚や医師の地位に就く『リジャール』、政治、祭事の中心に深く関わり魔力が著しく高い『クワント』。


 『魔封じ』はこの世の全ての最終決定を下し、世の中に多大な影響力を持つ最上級魔術師のクワント達が唯一恐れる相手といわれている。


(それがなぜ俺の目の前にいるのか? そしてなぜ俺が…)


 ここまで考えて、ルキウスには彼を恐れる必要がないことに気づいた。


「残念だけど俺は魔道士じゃないから魔封じしても意味がないよ」


 男は目を見開き、そして笑った。あまりにずっと笑い続けるので、だんだん腹が立ってくる。笑うのはむしろルキウスの方だ。


「なんだよ」


 男はやっと笑いをおさめると器用に片眉を上げた。


「街に下りて得意の『幻覚』とやらを誰かにみせてみろよ。ちなみに俺には通用しないから」


 ルキウスは相手をはすに睨んでから丘を大またで降りていった。男も後ろからついてくる。


(ほんんんとうっに、いろいろムカツク。死ぬほど走って撒いたつもりだったのにあっさり見つかっちゃうし、あいつは理由もなく魔封じをしてけろっとしている。そして一番むかつくのは、あいつの髪が一瞬でも綺麗だと思った事だ! いや、ぜんんんぜんっキレーなんかじゃねー!! 破壊僧め、今にみてろよ)


 絶対男の鼻を明かしてやる、そう意気込んでルキウスは一番近い通りに出た。集中するために深呼吸をしたが、その時点でいつもと違う事に気づかざるを得なかった。


 腹の底から湧いてくる、蒼い波動にも似た力が全く感じられない。


 背中に一筋の汗が流れ落ちるのが分かった。もう一度、もう一度と何度となく試してみるが上手くいかない。終いには、どうやって今まで『幻覚』を見せていたのかさえ分からなくなってきた。


(俺は魔封じされたのか…)


 そう思うと体が揺らいだ。男が手を差し伸べてルキウスを支える。


(よけいなおせわだ)


 ルキウスは手を振り払ったが、払い方があまりにも弱々しかった事が自分でも分かった。


「俺が魔道士のはずはないんだ」 


 勝手にルキウスの口から呟きが漏れた。


「いや、『魔封じ』はその名の通り『魔』を『封じ』るものだから、封じられたお前の力は立派な魔力だ。喜べ」


 男の言葉が胸に突き刺さる。ぜんぜん嬉しくなんかない。むしろ不規則な音が耳元で激しく鳴り響いているかのように不愉快だ。


 そんなルキウスに構わず男はさらに続けた。


「どんな程度でも魔力のあるものは神殿へ届けるのが決まりになっているのは知っているよな?」


 男は右手の甲を見せた。そこには月を模った紋章が描かれている。れっきとした僧侶の紋章だ。そして神殿へ届け出た魔術師の右手の甲には太陽を模った紋章がなくてはならない。


 もちろんルキウスにはそんなものはなかった。


「神殿へ届け出ない者の摘発も仕事の一つだが、魔力を使って悪事を働く者を取り締まるのが俺の本業でね」


「知らなかったんだからしかたないだろ」


 はき捨てるように言ったが勢いはなかった。今のルキウスにとって男に捕まるか否かなどはどうでもいい。自分の『幻覚』が魔力であった事で、もっと根本的な問題が生じたのだ。


「普通は気づくだろう。よっぽどの間抜けでない限りな。それとも魔力でないと裏付ける何か根拠でもあるのか?」


「俺の両親は二人とも普通の人間だったからだよ」


 といっても、父親は今までの歴史上重職をクワント、リジャールが占めてきた中、初めて魔力のない人間で首都エルクサンドラの都長となった話題の人物クレル・クリスハルドだった。あまり会えなかったが、淡いブルーの澄んだ瞳は清潔さを、筋が通った高い鼻は誠実さを代弁しており、尊敬と憧れの念を持って見たものだ。


 母サラ・クリスハルドも魔力は持っていなかった。ルキウスと同じ美しく柔らかな黒髪をもち、こよなく花を愛する人で、薔薇の香りを嗅ぐと今でも優しく慈愛に満ちた立ち振る舞いが目に浮かぶ。


 思い出の中の両親はルキウスにとってこれ以上ない人達であり、その二人以外の親などいらないのだ。


「では、おまえはその両親の子供ではないかもしれないな」


「黙れ!」


 気づけばルキウスは男の胸倉を掴んでいた。


(今までそれを認めるのが怖くて考えないようにしてきたのに、この男はいとも簡単に言ってのける。他人事だと思いやがって!)


 『幻覚』の能力ちからを『特技』と思い込もうとしたのもそれ故だ。


「自分が何者か知りたくないか?」


 男は掴まれた胸倉を外そうともせず静かに言った。


 鋼色の瞳に深みが加わる。


「俺に協力してくれるなら、俺もお前に協力してやる。それに、そうだな、お咎めなしに魔術師として届出ができるように計らってやろう」


「断ったら?」


「おまえは魔力で人様から金をうばっていたのだから十分俺の制裁をうける余地がある、ということだ」


 魔封じされたままになるのだ。腹の呪印は罪人の焼印と同じ意味を持つ。これがある限り普通の仕事にはありつけない。ただでさえ今までまともな仕事に就いたことがないルキウスとなると、なおさら難しい。


「わかった」


 少しの間の後、ルキウスは言った。


 今の状態ではこの男に敵わない。ただルキウスを必要としていることは分かる。


(そこがこの男の弱点かもしれない)


 ルキウスは男の胸元から手を放すと、右手の人差し指を一本男の顔の前に突き出した。


「協力するよ。そのかわり、約束は守れよ」


 男は一瞬意外そうな顔をしたが、片方の口角をあげると頷いた。


 ルキウスはそっと人差し指に中指を付け加えた。


「実は、二つお願いがあるんだけど」


「多いな。まあ言ってみろ」


「魔封じ、解いてくれない? これから行動を共にするのなら、信頼関係が必要だろ? 俺を信用してくれる証として解いてよ。そしたら俺もお前を信用する」


「よく回る口をもっているな」


 そう言いながらも男は片手をルキウスの額に当てた。一瞬鳥肌が立つほどの悪寒が体を通り抜けたが、すぐに腹の奥から暖かい気が全身にじんわりと満たされていくのが分かった。今ではもう体に空洞感はない。元にもどったのだ。


「ありがと」


 思い通りの展開とあまりの開放感に、にっこり笑って素直に礼を言うと、男は少しだけ居心地が悪そうに瞳を彷徨わせた。


 この男が初めて見せた戸惑いかもしれない。


「二つ目は何だ?」


 調子を狂わされたのが嫌なのか、少しぶっきらぼうに言った。今まで飄々としていて、淡々と語る彼の言葉に少しでも感情を滲ます事が出来た事にルキウスは満足感を覚える。


(魔封じだか何だか知らないけど、案外扱いやすい男なのかも)


 再びルキウスの顔から自然と笑みがこぼれた。


「俺、夕飯を食べに行きたいところがあるんだ」


 先ほど女将と約束したのだ。それに、きっとしばらくここの町には戻れなくなるだろうから、是非とも食べておきたかった。


(ただこの街を出るときは俺一人で、だろうけど)


ルキウスは心内でこっそり呟いた。


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