第17話
稀代の占い師マリー・ジョコフに教えられた人物、リグ・ガレッドの住む町リガルドは農業を主とした町で、他の都市よりのどかな時間がゆっくりと進んでいるようだ。風に乗って土の温かい香りがする。首都エルクサンドラの農作物はほぼここの町から来ており、裕福な家も数多く見受けられた。
(なんかこの景色、見覚えがあるんだよね、でもちょっと違うような…)
ルキウスは記憶の糸をたどりつつ、行きかう人々や周りの様子を眺めた。町は全体的に新しい建物が多い。やはり見覚えは気のせいだったのかと結論付けたものの、心の引っかかりが取れぬままだった。
町の中心にある大きな石に彫刻された何かの記念碑の隣でラウドは馬車を止めた。
「ガレッドの家がどこか聞いてくる」
「ついでにいい宿屋も聞いてきて」
ああ、とラウドは軽やかに馬車から降りて行った。その後ろ姿をルキウスは頬杖をつきながら眺めた。ガロンと戦ったシーナの町からリガルドの町に着くまでの半月の間、何事もなくここまでやって来た。
(っていうか、本当に何もないし!)
あの扉の閉まる音は今でも忘れられない。ルキウスの記憶は勝手にシーナの町の宿屋の一室へ逆戻りしていった。
両腕で顔を覆っていたが、ラウドが出て行った、とルキウスは気づいた。
(どうして…?)
どうして途中で止めたのだろう。分かっているのは魔封じの呪印を見て止めた事だ。
(魔封じを身に持つ者は抱きたくない? それとも俺の気持ちに気づいてからかっただけとか? いや違う、ラウドは最後に謝った、『すまない』って)
悪いと思っているのだ。そうでなければ謝ることを彼はしないだろう。
(魔封じをされているから俺が抵抗できないと思った…?)
ラウドならそう考えそうだ。ルキウスは魔封じがあるから仕方なくラウドについていくという立場を今までとってきたので、そう思われても不思議ではない。
(でも、そんな俺に実際手を出した。いくら戦いの後で気分が高揚していたとしても、下手をすれば協力者の俺を失いかねない。と、いうことは)
ラウドはそれでもルキウスに触れずにはいられなかったのだ。
ラウドの唇で辿られた跡が熱い。
ルキウスは自らを抱き締めるとベッドの上できゅっと丸まった。
(都合よく考えすぎだろうか?)
でも他に考えられない。そして、それが本当ならばこんな成り行きではなく、まずラウドからはっきり言葉で聞きたかった。
(絶対ラウドから俺のこと『好きだ』って言わせてみせる。だからラウドから離れない。でも俺からは言わない)
ラウドが去った時、静かに閉められた音がルキウスにはとても大きな音に聞こえた。その扉が二度と彼の手で開けられることなく自分の前からそのまま姿を消し、二度と会えなくなったら…。
自分の作り出した想像に怯えたルキウスは慌てて身を起こした。あの状況の後ではラウドもこの部屋に戻りづらいと思う。だからこちらから探しに行くことにした。彼と離れたくないのならばそれくらいはしなければならないだろう。それにルキウスはこれを機にラウドに魔封じを解かせようと考えた。ラウドが違法魔術師と戦うのをただ不安げに見るだけなのはもう嫌なのだ。自分だってもう十分役に立てる…はずだ。
(でも、上手く話せるかなあ…)
不安が心をしめつける。道すがら話す筋立てを考えるつもりであったが、ルキウスは思った以上に早くラウドを見つけた。ドアを開けた目の前に彼が立っていた。
ラウドは驚いて目を見開いたが、すぐ伏せると掠れた声で再び謝った。
「ルキウス…すまなかった」
「悪いと思うなら、魔封じ外してよ」
いつもより怒った口調で言わなければならない。例え怒っていなくても。
「ああ、そのつもりだ」
ラウドの返答は思惑通りなのだが、ルキウスは複雑な気持ちで奥歯をかみ締めた。
(ラウドは俺を手放すつもりだ。あんたはそれでいいの? 俺はやだよ)
心の声は聞こえるはずもなく、言葉通りラウドは淡々と片手を伸ばし、緑の光を発した。
ルキウスは自由の身となる。
「ルキ…」
「そこに座って」
ラウドが何か言う前に、ルキウスはラウドをベッドの端へ座らせた。ルキウスが手を上げるのを見て取ると、ラウドは鋼色の瞳を閉じた。殴られると思っている様だ。
ルキウスはラウドの頬に手をあてると治療を始めた。これからはラウドの許可がなくても彼の傷を治すことができる。それが一番嬉しかった。
「魔法でもヒーリングは大丈夫なんだよね。俺の一番得意な魔法が攻撃魔法でなくてよかった」
「ルキウス…」
ラウドは信じられないといった表情で鋼色の目を開き、ルキウスを見上げた。
「六つ星の呪印を絶対解くって約束したんだ、マリーと。だから俺はあんたと一緒にいる」
言い方は本心とは程遠いが、とにかく今は、ラウドに魔封じがなくてもルキウスは一緒にいるということを知って欲しかった。
「だから、もう二度と俺に魔封じはしないで。それと、また急に押し倒したら今度は許さないから」
(その前に『好きだ』って言ってくれないとだめだって事だけどね)
ルキウスはこっそり心の中でつけたした。
ラウドは軽く苦笑めいた笑みを浮かべてから、分かった、と真顔で答えた。
途端にルキウスはラウドに受けたキスや手の軌跡、思いがけない事態に泣いてしまった事を思い出し、平静を装うのにかなりの努力を必要としなければならなくなった。本音を言えば、「好きだ」と言われる前に再び求められれば拒み通せる自信も、ない。
(こんなんで俺、やっていけるかな…)
心の不安をルキウスは正直に認めた。
あれから半月、ラウドはルキウスの言葉を完璧に守るようだ。魔封じはもちろん施さないし、押し倒すどころかルキウスに指一本として触れようとはしない。物の受け渡しの際に偶然触れるぐらいだ。
(少しはそういう素振りくらいみせてもいいのに。それとも…やっぱり俺の事、好きじゃないのかな)
冷静に考えてみれば、ラウドにはヴェルマがいるのだ。彼に比べればルキウスは子供であり、素直さもかわいげもなく見えるかもしれない。
(ヴェルマより俺の方が勝っていることってなんだろう? 魔術は断然ヴェルマが上だ。だって他の人には内緒にしているみたいだけど空間の移動が出来るくらいだから、彼自身も言う通り、本当にクワントの中のクワントと呼ばれるのにふさわしいよな…能力だけは)
ルキウスが考え抜いてむりやり引き出した答えも一つしか見つからなかった。
「…若さくらい?」
しかしルキウスはガロン・マクバーグの事件以来、気になっていた事柄をラウドに聞いた時の事を思い出した。
「ラウドはもう歳はとらない?」
「歳はとるが、容姿は三年前くらいから変わらなくなったみたいだな」
「じゃあ、ヴェルマは今いくつ?」
「俺に聞くなよ。少なくとも俺が十二で初めて会った時にはすでにあの姿だったな」
でも、と笑いながらラウドは続ける。
「間違ってもヴェルマ本人には聞くなよ。殺されるぞ」
「気にしているってことは結構歳かもね。じゃあ俺はどうかな?」
「さあな、お前は一般人から生まれたのにも関わらず魔力を持つ突然変異だから、どうなるか分からないな」
ラウドの言葉にルキウスは落ち込んだ。若いままいつまでもラウドと一緒にいたいのに、もしかしたら普通の人の様に歳をとって死んでしまうのかもしれない。
「これじゃ、ヴェルマに勝てるものなんて一つもないじゃん」
回想から帰ってきたルキウスはため息とともに呟いた。
ふと視線を上げると、ラウドが中年の女性を連れてくるのが見えた。彼女はガレッド家に仕えている一人だそうだ。これから屋敷へ働きに行くので一緒に馬車に乗って案内してくれるらしい。
「あの人はね、なかなか気難しい人よ。気に入らないとすぐ機嫌を損ねるし。そうそう、このあいだなんか彼の趣味で集めている膨大な書物のほこりを掃った時に、もとに戻す場所がちょっとだけ、ほんのちょっとだけよ、違っていただけでもう機嫌損ねて大変だったんだから。あの人、細かいことよく覚えているのよ。それからね…」
クワントの職務を息子に任せた後は自宅に引きこもり、さらに偏屈になったという。
ルキウスとラウドはガレッドの家へつくまで延々と愚痴をきかされた。話だけから想像すると、リグ・ガレッドはあまりとっつきやすい性格ではないらしい。次々と出でくる話にルキウスは気が滅入ってきた。
「あっ、あそこにとめてね」
町外れにあるその屋敷は、角の整った石が整然と積み上げられてできている。彼女の話したリグ・ガレッド像と一致する様に、人を寄せ付けない雰囲気を醸し出していた。
「送ってくれてありがとう。これから旦那さんに聞いてきてあげる。でも多分会わないわよ、人嫌いだから」
屋敷に入り程なく戻ってきた彼女は、門の前で待っていた二人にやはり駄目だったわ、と言い、すまなそうにそそくさと屋敷へ入っていった。
ルキウスは腰に手をあてる。
「ちゃんと聞いてきてくれたと思う? 戻ってくるの、早すぎるよね?」
「まあな」
「じゃあ、ちょっと入ってみようかな」
ルキウスは辺りを見回すと壁に手をかけた。
「ルキウス!」
ラウドはルキウスの腕を掴んだ。が、熱いものを触ったかの様にすぐに離した。
「すまない」
(なんで謝るんだよ、バカ)
あからさまに手を離されると傷つく。しかしその気持ちを出すわけにもいかない。
「ここしか六つ星の手がかりがないのだから『はい、そうですか』ってあきらめる訳にはいかないだろ?」
気持ちがささくれている分、少し強い口調になってしまい、ルキウスは軽く後悔した。
「そうだが、勝手に入るのはまずい。何か他に方法を考えよう」
「中がどうなっているか見てくるだけだから。それを元にこれからどうするか決めよう。大丈夫だって、絶対見つからないようにするから。結構得意なんだ、こういうの」
気まずい雰囲気を振り切るように明るく言うと、ルキウスはラウドの制止をふりきり、壁の向こう側へ軽々と飛び越えていった。